奇妙な符号の様に9月以降の日本の経済活動が30%縮小!

リーマン・ブラザーズが破綻した9月以降に日本の経済活動が30%ダウンしたと思われる。しかし、多くの業界で一様に30%ダウンの声を聞くと奇妙な符号の様に聞こえてしまう。最も早く影響を受けたのはタクシードライバーの様だ。勿論、リーマンショックによる株価などの暴落の影響で10月、11月の2ヶ月は消費マインドが冷え込んで手の打ちようがなかった様だ。12月は忘年会のシーズンであるので幾らか消費が戻ってきたが、皆が期待していた様な展開までには到らなかった。ここで考えるのは日本経済の縮小規模が30%で安定するのか、それとも来年は更に需要が落ちて更に縮小するのかは現時点では分からない。ひとつ確かなのは日本のバブル経済破綻後の経済状況以上の衝撃が企業を襲うと言う事である。何れにしても今回の世界的な不況に関しては、今でも潜在能力では群を抜いている米国の動向如何としか言いようがないのが事実である。考えれば規制緩和による小さな政府を掲げて米国はベトナム戦争で受けたダメージを長い時間を掛けて回復してきたのだが、規制にも良い規制と悪い規制があるのに気づかず進めてきた結果が金融破たんであった。レーガンから開始した規制緩和には歴史観を持った大統領とスタッフがいなかった悲劇かもしれない。世界を巻き込んだ金融詐欺事件の結末は、新しい秩序の確立しかないが、現時点では各国のエゴが先行してパラダイムシフトの姿が見えてこない。2009年は新しい仕組みが確立されるまで試行錯誤を繰り返すと言う前提に立てば、全ての価格が小さな現象で振り回されて不安定な市場で上下変動する可能性が高いと推定される。この様なときには絶対的な価値観を持って経営に臨む事が肝要と考える。

不動産業界は規制緩和で破綻した

2000年以降に小泉政権によって国民の目線でない規制緩和が行われ、不動産市場などには規制緩和を利用したインチキ企業や素人集団が参入し、金融の量的緩和もあって多くの企業が急成長したが、サブプライム問題以前に国内の金融の量的緩和の解除などや構造偽装事件の影響もあって新興の不動産の多くが経営難に陥った。規制緩和が企業経営の急成長を促したが、問題はこの規制緩和であった。建築基準法の改正により、建築の確認申請・通知の手続きが簡素化され、着工に到る期間が短くなったが、反面需要とのバランスを欠くマイナス面があった。しかも、実物不動産取引から不動産証券化の取引に変化し、投資家の多くがファンドとなり、このファンドのリスクを軽減するために貸室の入居者の事故による賃料を保証するする会社も出現するなど、何時の間にか仮想需要で舞い上がっていたのを忘れてしまったのである。今回の不動産業界で成功した方々は、不動産業界の経験があったとしても若くして独立して成功したか、金融業界、若しくは物販関係の会社の出身であろうと推測される。その理由としては、多くのプロジェクトの内容がユーザー目線でないからである。不動産業界に長く従事するとユーザー目線が重要なのが痛いほど理解している。しかし、物販などの営業を積み重ねた人たちは、価格的にも取り扱う物が安いためなのかもしれないが、尊大にも自分達の流儀でユーザーが動くと勘違いしている。私の思い違いかもしれないが、今回のミニバブルの原因を考えると勝手に造り上げた仮想需要で崩壊したと思えるからである。黒字倒産が多い理由は、金融機関が会社を存続させるほどノウハウがないと判断したから見捨てられたのである。不動産開発に他の会社にないスキルがあれば銀行の利益のために救済する筈である。尤も、最大の罪作りは規制緩和であろう。身の丈で行っていた不動産会社まで自分を見失ってしまったのだから。

デザイナーズマンション

私の住んでいる築32年の賃貸マンションが老朽化してここ数年は賃借人が50%前後であった。オーナーはこの地域の地主さんであるので、地元の不動産業者に任せて老朽化しても余り修繕などを行わなかった。それが、突然、今年の夏に空室の居室と外部周りについて修繕工事を行う旨の簡単な知らせがポストに入り、入居中の住人に対する工事説明会も行わないで大騒音を発する改修工事を開始した。このため、住んでいる住人の一部と工事会社との間で揉め事が起き騒動に発展した。その後、工事を開始して1ヶ月以上経過してから漸く工事説明会が開かれ、工事の騒音は相変わらずだったが、騒動は次第に沈静化した。今回の改修工事では空室が当世風のデザイナーズマンションとして生まれ変わることになり、従来管理をして来た地元不動産会社に代わって今回の改修工事を提案したサブリースの会社が工事終了1ヶ月前になって姿を現してきた。私も建築・不動産業界で長い間関係してきたが、今回の改修工事に偶然に遭遇して新興不動産会社のやり方と言うのを改めて思い知らされた。この会社のホームページを見ると、新興不動産会社と金融機関系列との出資会社で、若い設計士によるデザイナーズマンションの新築や改修工事を歌い文句に活動している。確かに、作品を見るとデザインは奇抜で、一見すると若い人達が興味を引く様に思える。然し、改修工事の当事者として経験したこの会社の遣り方は無責任としか言いようがない代物であった事に気づいた。先ず、旧耐震のマンションであるのに改修工事では何等その事に配慮しない改修工事であり、居室については生活感のない仕様である。若い未熟な設計士の設計コンセプトを反映していると思われるのが、外周工事である。エントランスは従来と異なり、入り口を東側から北側に変えてエントランスを単なる入退室の空間からオシャレな空間に変えたのまでは良かったが、北側に入り口を変えた事が、冬には風によってエントランス内に落ち葉などのゴミが入り込んで汚くなることに思いが及ばなかった様だ。また、エントランスから2階、3階に上がる階段の絨毯を壁に使用した色に合わせて濃紺色を使用したのだが、直ぐに汚れが目立つ様な代物であった。TVのトレンディドラマに使われる仮設の建築物ではないので、生活を考えると先ずは選択しない色であり、外部に遮断された空間でないので、外からのゴミについても全く配慮していない設計コンセプトには驚いたとしか言いようがない。その上、予算が少なかったかどうかは知らないが、外部の非難階段や外部通路に関しては殆んど改修工事を行っていない。今回の改修工事を見ると、「頭隠して尻隠さず」と言った諺を思い出した。建築・不動産業界に見せ掛けだけの業者が最近は多いことは認識していたが、これ程酷いとは思わなかった。豊かな社会になると虚構を造り上げるのが上手い会社が反映すると言う現実に直面すると暗澹たる思いになる。

新入社員の自宅待機と採用内定取り消しの違いとは!

最近、来春卒業の学生に対する採用内定を取り消した会社に対して非難の声が聞かれる。確か数年前迄は就職が卒業までに決まらない学生の比率が高かった時には企業に対して雇用を確保しろと言う声はなかった様に思われる。実際の所、就職が決まっていない学生自体もいると思うが、それ等の学生に対しては一顧さえもしない。グローバル社会と言われてから多くの学生が卒業までに就職できずにフリーターとなったケースは珍しくなくなったのにである。今風に言えば、採用取消になった学生は企業の見る目がなかったと言う事で自己責任の範疇である。マスコミからすると、早く企業から内定を取り付けていない学生など眼中にないということであろうか。我々の就職活動時にも第一次、第二次オイルショックの波に襲そわれ、自宅待機を余儀なくされた仲間が多くいた。自宅待機といえば期待が持てそうだが、実際は採用内定取り消しと同様であった。此れに対して当時は何の支援もなかった。何も就職難は今に始まったことではない。非正規労働者に対する問題も然りである。グローバル社会では欧米諸国と同様に非正規労働者制度を拡充しないと輸出競争力が落ちてしまうと騒いだのはマスコミであろう。それが一転して非正規労働者の契約打ち切りに対して声を上げて非難している。この非難はまともな様に聞こえるが,円高と需要減に対応しての企業行動に対して非難することは此れまでの主張とは相容れない。日本のマスコミは日本及び日本人のためでなく、海外のインテリジェンスから日本弱体化の広報を受託した存在であるとしか思えない。"勝ち組"などと言う最悪な言葉を生み出したのもマスコミであった。負け組みの親を持った家族を考えた事があるのかと言いたい。景気の変動は資本主義社会である限り否定できない事実であるので、問題は不況時に対する国家の弱者に対する保護機能であろう。更に言えば、不況時こそ新しい政策を実施できる機会であるので、大胆な政策転換を図るのが政治の責任と考える。しかし、それを行うような政治家がいない今の日本は悲劇である。

今回の金融危機における企業と政治の役割

日本の世界的なメーカーは金融危機と円高に対してリストラと生産調整に着手した。この対応に対してリストラは当然なのだが、マスメディアは一斉に非難を開始した。利益を追求する企業に公共的な性格の会社と同様な雇用維持の要請を求めても仕方ない。馬鹿な政治家も手ぶらで企業に雇用の維持を要請しているが、そんな理屈が通る分けもない。今回の様な金融危機に対する世界同時不況に対しては、企業に雇用維持を要請するなら租税特別措置法によって雇用を維持する企業に何らかの優遇策を与えるべきである。また、政治家としてはその政策でも救われない失業者に対して公的な事業を起こして職を与えるべきである。日本の各メーカーは今回の金融危機に伴う需要減と円高に対して強い危機感を持っているが、国内で活動している企業や政治家と官僚は危機感に温度差がある。来年は間違いなく世界同時不況になると予測されるが、その様な世界経済は戦争時を除いては約100年前の大恐慌時だけだと言うことを認識し、輸出企業の様に取り組むべきである。極論から言えば、戦争時の様な統制経済が必要になるかもしれないのである。日本の社会は何時頃からか対応型の社会と言われ、先んじて何かを行うシステムでなくなっている。今回の様な不安定な世界経済に対応型の政策を踏襲したら破滅に突き進む事になる。何れにしても、今回の危機を乗り越えるには国内の富の活用は必須であるので、政治家は国民の信頼を取り戻すべく先駆けて今回の不況の痛みを受ける対応を促したい。また、個人の資産を狙った詐欺紛いの存在に対する取締りを徹底して規制緩和によって悪質化した社会の風紀を改善し、個人投資家が安心して投資できる環境を構築することも必要と思われる。

今更ながらに思う自然界の摂理

最近、無農薬でリンゴの栽培に成功した人物の本を読んだ。リンゴ栽培には農薬が必要と言う定理を覆して見事に無農薬のリンゴ栽培に成功した人の我が闘争を書いたものであった。この本で改めて自然界が摂理でコントロールされており、人間の歴史はその摂理に挑戦し続けてきた存在ということであった。リンゴの無農薬栽培は自然界の摂理との戦いを人間に影響が少ない材料で行うことであるが、その方法で生産者として生活出来る水準までにリンゴを大きくする事は労働力の掛け方ひとつ取っても並大抵の事では出来ない。特に、自然界は多くの要素で形成されており、常に予測しがたい環境が発生すると同時に総ての生き物には耐性作用の進化が起きるために、それ等の現象に対応するためには長年のフィールドワークによる経験しか方法がないのが現実である。然も、その積み重ねを続けても克服ではなく共生でしかない。今回の世界的な金融危機も自然に反したからなのではないだろうか。私は何も宗教論を語る考えはない。狩猟民族と農耕民族との文明の違いを論ずる考えはないが、間違いなく言えるのは狩猟民族は自然を克服する行為を前提とし、農耕民族は自然との共生を前提としてきたことである。日本の構造改革では規制緩和が経済の活性化を促進すると考えられているが、規制緩和によって自然界の変化の流れ以上の現象が生じると反動が起きるのではないかと思えてならない。建築基準法における規制緩和などが良い例である。尤も、現在の様な縦割り行政は自然に反した組織であるので、その決定が誤った方向に向かうのは当然なのかもしれない。なお、グローバル経済が自然の摂理に反しているかどうかは分からないが、少なくても人間が作り出した時間が地球と言う天体の持つ時間を越えた場合には大きな反作用が起きる可能性は否定できない。企業も然りであろう。自然の摂理に反した行動を選択すると淘汰される。

グローバル経済における「事業の選択と集中」の危うさ

効率の良い経営と言う事で、ここ数年は会社経営において「事業の売却と集中投資」を行った会社が業績を伸ばした。しかし、この手法は一定の条件でしか通用しないことが今回の金融危機で思い知らされた。確かに、企業にとっては、余り利益を生んでいない事業に投資を続けることは、経済合理性の観点から見ても良い判断とは言えないかもしれない。しかし、現時点で考えた事業が企業の将来を支えてゆけるかどうかは過去を見れば一目瞭然である。経営には経済合理性も必要だが、未来を予測出来ない中で、過度な事業における選択と集中はリスクを抱えることになる事に気が付いた人は少ない。グローバル経済が金融経済の短期的な収益を重視して行われたことに問題点があった様に思える。この問題点と、金融経済は短期的な視野で物事の判断を行っていることである。メーカーの経営には短期的な視点も大事だが、中・長期的な視点とのバランスが欠かせない。特に人材育成を考えると金融機関の様に必要に応じて人材を市場に簡単に求めれらないからである。どの事業が会社の将来の大黒柱になるかを予想するのは難しい。金融機関と違って物づくりの現場には色々な経験を有した人材が必要であり、その人材を確保してゆくには事業が必要なのである。どうも近年の経済合理主義には、中国の荘氏の「無用の用」の考え方が不足していると思われてならない。

株主優先の弊害

企業は誰の者かと問われれば、株主と言うのが一般的である。しかし、この株主が曲者である。会社を起業した創業者の株主や会社発展のために増資を引き受けた株主については分かるが、問題は株を市場で購入した株主の存在である。特に、日本の総会屋と間違えるような株主である。米国の自動車のビックスリーが経営難になった一端も株主優遇の配当制度である。日本企業の強さは株主配当より設備投資を優先した経営システムで、それが常に競争力を維持できた秘訣でもあった。しかし、株主配当重視と言う考え方は、企業の設備投資の考え方が米国流になると言う事であり、将来に備えた資産を常に活用する必要があり、従業員については軽視した経営になることでもある。勿論、従業員の中に経営陣は入っていない。経営陣は株主に多くの配当を約束する代わりに、自分達は高額の報酬を得るのである。今回の金融危機が引き起こすと予測される需要減に対しても株主配当を守るために従業員の削減から始めるのである。幾ら予測できなかったとは言え、今回の金融危機に対する見通しについては従業員の責任ではなく、経営陣の責任である。本来ならば先ず経営陣から報酬の削減などを行ってから、従業員の解雇を考えるのが順番である。そう言えば、日本航空の現社長の事がニュースのなっていた。彼は電車で通勤し、報酬に関しては自分の同じ世代の方々をリストラで解雇したことからと言う理由で1000万円以下に抑えていると言う事である。実に立派な経営者である。この社長の経営の確かさは、今年春に増資を行って手元資金を確保した事であろう。時期がずれていたら実現しなかったとも言われた増資規模である。グローバルが良くて日本式が全て悪いと言う考え方はナンセンスである。昔の日本は政治は二流だが経済は一流と言われたが、今は政治が三流で経済は二流とワンランクダウンしたと思う。顔つきで人物が分かるが、今は地位と顔が合わない者ばかりが跳梁跋扈している。

時代に適応しなくなった雇用システムに対する行政・マスメディアの無責任

行政とマスメディアは新卒の内定取り消しを問題化し、非正規雇用者に対する一方的な雇用契約の打ち切りを非難している。前者は兎も角、後者は行政とマスメディアが、日本企業の国際競争力に勝つために必要な新しい雇用システムとして擁護していたのにである。行政とマスメディアは不景気のことなど考慮しないで擁護していたのかと考えさせられる。分からないのは終身雇用制が維持できなくなり、タテ社会が弱くなった現在において何故新卒採用制度が継続されるのであろうか。企業にとっては研修とタテ社会の先輩後輩、更に上司による教育で社員を育てた時代でなくなったのにである。特に、不動産業界などは新卒より経験者を採用した方が十分に戦力になるのである。今の世代は新卒で採用しても終身雇用制度が崩壊しているので会社に対する忠誠心などないと思われる。行政やマスメディアの場当たり主義が日本を迷走させている元凶である。企業は広い視野を持った人材を入社させるために、学校を卒業してから1~2年海外生活やボランティア活動をした人を積極的に採用すべきと思う。また、非正規雇用者に対しては、仕事が出来るなら積極的に正社員にする人事制度に改めた方が良いと思われる。雇用システムの変革に社会が対応できない一番の問題は、公務員が終身雇用制度に守られた存在であるためである。同じ土俵に立たないと変革の必要性を認識できるわけがない。一方、マスメディアも安い給料の下請け会社やアルバイト社員によって正社員の高級が保証されている組織にいるので、公務員と雇用の認識は五十歩百歩である。新しい社会システムを構築しなければ機能しなくなる日本社会の最大の守旧勢力は公務員とマスメディアの企業であることに国民は気づくべきである。高齢化社会では公的な施設の運営をできるだけ定年退職者のボランティアに任せるべきである。このボランティアを阻害しているのは公務員である。公務員の給料は中小企業の社員の給与の平均の水準に戻すべきである。下僕が高い給与を取る事自体が間違いである。新しい雇用システムは世界の真似をする時代ではないので、日本が最適な雇用制度を構築するべきである。

地方自冶体法の足枷

市町村の合併で市議会議員が減少する中で県会議員だけは減少しないで維持されている。この背景には地方自冶体法による定数の規定があると言われる。私の故郷の茨城県が県会議員の定数問題で議論されている。議論しているのは当の県会議員ではなく、県の財政難から県内の市町村議長会が定数削減を県議会に求めているのである。此れに対し、自民党の議員を中心に地方自冶体法の定数に届いていない事を理由に現状を維持する考えと報道されていた。私の持論だが、泥棒を取り締まるのに泥棒に取締りを委ねたのでは解決にならないのは自明の理である。議員定数は多分人口に比例して定めていると思われるが、今日的な問題は財政と関連付けられていない事である。国会議員も然りである。米国の人口の三分の一の日本が米国より多い国会議員を有する理由はない。財政難を言うなら先ず国会議員の定数を大幅に減少させるのが筋である。この理屈も分からない国会議員の本音は、国民の事など考えてはいないのである。自民党はもとより、民主党も同様である。わが故郷の茨城県は県議会議員が65名もいる。県民の民意を反映させるために65名の県議会議員が必要かどうかを問う県民投票を実施する時期が来たと考える。流石と思えるのは市町村の議員達である。合併すれば当然に議員数が減少するのに財政と言う観点から積極的に対応してきている。それに比べ、自主財政が3割の自冶体に何故65名の県議会議員が必要か真摯に考えるべきである。これは何も茨城県だけでなく地方自冶体の全てに言える事である。然も、此れだけ地方の経済が疲弊したにも拘らず、何等の責任を考えない県議会議員どもはいらないと言うべきである。

指導者がいない日本

政治家を始めとして経済界、官界、教育界の何処を見渡しても指導者と言える人物がいない。今の社会の悲劇は指導者の器でない人物がその地位を得ているからに他ならない。指導者とは頭が良いだけではない。指導者の資質は、人を纏める力量や人が付いてくる器量があり、私心を持たないことである。何時の間にか総ての価値観を金銭的に置き換えて判断する悪しき習慣が蔓延してしまったからか。更に言えば、指導者となる人は個性が強いが、社会道徳を尊ぶ余り、角を矯めて牛を殺す様な小人物しか産まない土壌を作ってしまったのかもしれない。ここ30年の日本を振り返ると、良いと思われて実施されてきた政策や改革が視野が欠けていたものであったために反作用が起きた事例は枚挙に暇がない。教育現場で言えば、「内申書」の重視であろう。受験勉強の弊害をなくすはずが、新たに学校に担任と言う権力者を生んでしまった。小選挙制度の導入でも単一民族で発想に差がないので、常時選挙運動を行う必要が起きてしまったことである。医療制度においては改革どころか改悪ばかりである。これは大局観を持った指導者がいないために、枝葉末節的な議論に終始して決めた弊害である。この現象は政策の現場ばかりでなく、全ての業界に言えることでもあり、100年に一度と言われる難局を乗り切るには、真の指導者の出現が不可欠である。米国のオバマ大統領の真価はこれからだが、日本にもオバマの様な政治家の出現が欲しいと思う。

非正規労働者の犠牲の上に成り立った砂上の楼閣

工場や建築現場の季節労働者は昔から存在し、彼らには帰る故郷があったから悲壮感は少なかった。しかし、昨今の工場の非正規労働者の存在は全く性格が違う。正規労働者の豊かさを維持するために安い給料で犠牲を強いられているだけの存在である。今回の金融不安から全世界的な需要の落ち込みを想定した非正規労働者の雇用打ち切りが相次いで通告されている。企業論理としては必要なくなった非正規労働者の雇用を打ち切るのは、今回の様な需要調整の社員としての位置づけとして当然と看做すであろう。非正規労働者が何故生まれたのかを考えると、バブル経済崩壊後に資産デフレとなり企業はバランスシートを改善するために経費を削減する必要に迫られたことが主たる原因と思える。尤も、このモデルは長く景気低迷していた欧米の企業が採用していた雇用方法でもあった。このモデルの長所は、従来の様に好不況によって正規労働者の人員整理を行う必要はなくなり、労働組合との対立も少なくなると言うことの様に思える。同時に、輸出に対して為替の変動によるコストを非正規労働者の雇用で調整できるメリットもあった様に思える。しかし、非正規労働者の出現は、正規労働者との間で格差を産み、秋葉原事件も引き起こしたのである。同じ仕事を強いられて給料が違う理不尽さが何を社会にもたらすか企業経営者も官僚も政治家も考えていないに違いない。極端に言えば、雇用を保全された正規労働者が怠けて非正規労働者に必要以上に労働を強いた会社もあったに違いないと推測する。為替変動と正規労働者の給料を保全するために犠牲を強いる社会に未来の展望はない。マスメディアも矛盾に満ちた報道姿勢を続けている。日本には既に競争力がある技術の工場しか残っていないのにである。一方で、非正規労働者に利益還元しないで株主優先とする配当率を引き上げていたが、今回の金融危機で分かったことは幾ら高配当をしても株主は状況によっては株を売却して避難してしまうと言う事である。今回の金融危機で分かった様に欧米の社会経済システムの方が優れているなどと言うのは幻想である。心の豊かさを追求したアジア文明に戻って再度社会経済システムの構築を目指すべきである。

非常事態の財政出動にも財政健全化を主張する恵まれた者達

世論に多くの意見があるのは健全な民主主義の証かもしれないが、非常事態に遭遇しようとしている経済に対して財政出動に対する懸念を表明する者達は、不景気に関係ない官僚や政治家、そして金持ちだけだろう。中国の古典に確か似たような比喩があるのを思い出した。記憶では、洪水で道路の水溜りに残された魚が、通行人に川へ戻してくれる様に頼んだら、その通行人は今は急いでいるので、3日後の帰りに川に戻してあげると言った話である。イソップ童話の中国版と言った所である。昔からこの様な比喩があると言う事は人間は成長してないか、自分の問題しか理解できない人間の宿命と言える。先の話は蛇足となるが、3日後には魚は日干しになっていたと言う落ちが付いている。バブル経済崩壊後の対応が悪くて失わなくても良い国富が多く失われた。結果的に、景気回復に財政を小出しにしたため余計に赤字国債を増大させてしまった。諺に"二兎を追うもの一兎を得ず"があるのは承知の事実である。景気回復と財政健全化が両立しないことは自明である。それなのにそれを唱える輩は景気回復より財政健全化を優先していると言う事である。この意見を言えるのは生活に困らない官僚と2世・3世の政治家だけである。財政難なら、「政党助成金の廃止」、「公設秘書の廃止」、「公務員の給与を中小企業の社員の平均給料にダウン」を断行すべきである。少なくても、健全財政論を主張するなら自ら痛みを受けるべきである。来年は確実に30%の経済ダウンが予想され、未曾有の不景気が起きようとしている中で「政党助成金制度」に保護された政治家の党利党略の政争で貴重な時間を失っている。政治の浄化を得た代わりに、国民の声が聞こえなくなった政治家が多くなった。やはり中国の諺「水清ければ魚住まず」を思い出した。

個人の金融資産が投資に向かわない理由

政治家、官僚、更に企業経営者までが1500兆円の個人金融資産の活用と言う馬鹿の一つ覚えで日本再生を唱えている。小泉政権時の竹中平蔵が日本が良くならないのは改革を中断したからと性懲りもなく又出てきた。国民が何故投資に資金を投じないのか、これ等の者達は考えた事があるのだろうか。バブル経済崩壊後の政治家、官僚、企業経営者の行動によって国民は日本の指導者達を信用しなくなったからである。政策の失敗を企業や民衆に転化した姿勢や、バブル経済崩壊後の企業経営者の人情味のないリストラや意味のない成果主義の推進で日本の良い社会システムが破壊されたからである。極めつけは、小泉内閣のインチキ改革であろう。米国と財務省の筋書き通りに踊った小泉改革が一層人間不信の社会を構築したのである。日本道路公団の民営化に何故首都高速道路公団や阪神高速道路公団が合併して民営化を行わなかったのか不思議であろう。効率よい道路システムを考えるならば、日本道路公団と首都高速道路公団と阪神高速道路公団の一括民営化は不可欠であった。この道路公団民営化一つとっても小泉改革は全て本当に日本を良くするために行ったものではないことが良く分かる。しかし、この小泉が国民の首相にしたい人物として最も多くの支持率を得ている新聞報道があった。この支持率の調査自体信用出来るかどうか分からないが、百歩譲ったとして国民が真の改革を期待していることは間違いない。政治家も官僚も企業経営者の輩も国民の金融資産の活用を望むなら、日本国の大改造計画を立案し、将来的に国民が安心して暮らせる社会を作るために私欲を捨てろと言いたい。先頃、米国の自動車産業のビックスリーの経営者が、公的支援を仰ぐのに自家用ジェット機でワシントンに乗り込んで顰蹙を買ったと言うニュースを目にした。米英流の資本主義の無責任さが今の日本にも入り込んで、多くの企業経営者は自己保身ばかりである。この様な会社の株を買える訳がないことにも気づくべきである。

国民のために何も行っていない政治家ばかり

私の故郷に国会の政治活動に熱意を燃やした政治家がいた。その名前は"大森創造"と言い、旧社会党の参議院議員であった。年配の方なら記憶している方がいると思うが、昭和41年(1966年)に起きた共和製糖事件を綿密な調査で不正を国会で暴いた事件である。この他に、この年は色々な政治家が関係した不正事件が起き、国会の解散となった。何故今頃になってこの事件を取り上げたかと言うと、今の政治家は当時と比べて国から遥かに潤沢な政治資金を税金で得ているにも拘わらず、週刊誌記事から援用した材料位しか持たず、またインチキな材料に踊らされて政治生命を失っている情けない姿を見るからである。大森創造と言う人物は、地主の長男として生まれ、学歴は旧制中学から日本国が中国大陸に設立した難関の東亜同文書院大学(中国・上海)を卒業し、戦後は20代の若さで村長になり、30歳で県議会議員、40歳で国会議員(旧社会党参議院)となった故郷では立志伝中の人物であった。私の父も地方議員であり、思想的にも大森氏と近かったので支援者の1人であった。大森氏は不正を特捜するチームを設立して証拠となる材料を見つけて国会で爆弾発言を行ったのである。この特捜チームに参加したスタッフの中にはその後週刊誌の記者として活躍した者達もいた。この捜査は身銭を切って行ったと言う事を聞いた。また、事件を追及する過程で同じ旧社会党に所属する国会議員の加担も明らかになり、党から捜査の中止を求める圧力もあったと言う事であった。大森氏はこの様な圧力にも屈せず、事件を糾弾したのだが、これには後日談がある。大森氏は天才肌の人だったので、行動には常人離れした所があった。地元では誰もが理解している事で何等問題がなかったが、当時某週刊誌の記者が悪意で以って大森氏の行動の一部分を取り上げて狂人扱いにしたのであった。また、旧社会党からはこの狂人扱いの記事を利用して党の指導に従わなかった大森氏を次期の参議院選挙において公認しなかったのである。この様に、与野党とも国会議員は腐りきっていたのである。大森氏のその後ついてはブログに書き切れない程の話があるが、私の亡父が大森氏の政治家としての能力を惜しんで水戸市の市長選に担ぎ上げたことがあった。この時の水戸市の市長選は茨城国体を控え、水戸市長が水戸駅に天皇陛下を迎える役目と言うことで、自民党が負ける訳には行かないと言う背水の陣で臨んできたため僅かな票で届かなかった。実に惜しい結果であった。この様な故郷の政治家を思うにつけ、最近の政治家には失望するばかりである。作家のように本を出版する政治家も多いが、理想を語る前に政治生命を掛けて政治の場に臨めと言いたい。出来ないのを官僚や国民を言い訳に使う政治家は必要ないと思う。世界が金融危機で非常事態で臨んでいるのに、国民不在の党利党略に終始している国会議員を見ると、株価が下がる理由が分かる。株価下落は企業の問題でなく政治の問題である。麻生総理も棚からぼた餅的に総理になったのだから思い切って政治を行うのかと思ったら早くも官僚に丸め込まれてしまった。尤も、国税調査権を持つ財務官僚に麻生グループの件で恫喝されたのかも知れないが。それにしても胆力のない政治家と自己中の政治家ばかりであることに嫌気がさす。

デフレ経済の対応

世界経済は否応なくデフレ経済の渦に巻き込まれるであろう事を予測するのは難しい判断ではない。日本は戦後インフレ経済を実感してきたためにデフレの怖さを忘れ、バブル経済後の失政に繋がった。日本経済も漸く長い資産デフレから立ち直りかけた矢先、米国発サブプライム問題で一転して世界経済の信用収縮の波を被ることになり、再度資産デフレに戻すような金融機関の融資規制によって先行きが不透明になって来ている。この様な状況では朝令暮改など状況によって判断を変え、逸早く手を打つことが損失を少なくする方法である。バブル経済崩壊後に嫌と言うほど経験させられた事である。特に、今度のデフレは先進国を含めた多くの地域で起きるデフレ現象であるので更に強烈と思われる。来年1月20日の米国のオバマ大統領就任後に打ち出す経済政策が世界経済の行方を示す羅針盤になることは間違いない。当社の毎年の年賀状で干支的に20世紀末から21世紀初頭に掛けては大転換期にあると指摘してきた。今年1月の年賀状では大きな経済変動の可能性を予測した。正に、当社の予測が的中したのだが手放しでは喜べない。多くの日本企業がサブプライム問題から起きる大きな経済変動に対して楽観視過ぎていたからである。これは今の経営者の大半が、バブル経済崩壊後にチャンスを貰った人達だけであったからである。その様な甘い経営者は本格的な嵐の前に続々と退陣することになろうが、ひとつ言える事は非常事態の経済下では非常事態の遣り方が必要であることと、決断の早い会社が生き残ることである。

 

不安を煽る社会

日本のマスメディアは良くここまで人々に不安を起こすニュースや記事を報道するのかと驚く。不安や三面記事が多くの人々の関心を引き付け、新聞・雑誌などの売上げ増やTV視聴率のアップに繋がるので必要以上に煽り立てるのであろうが、現在のような世界的な金融危機の場合には社会にとって大きなマイナスしか生まない。然もこれ等の報道にはバイアスが掛かっており、報道を鵜呑みにすると危険性が高い。翻って、この様な報道姿勢を取り続けると、最終的には広告の減少と言う形で自分の身に振り返って来ると言うのにである。私は真実を隠せと言っているのではなく、報道にはバランス感覚が必要と言っているのである。この様な不安な時代には希望を見出せる話題も積極的に報道する必要があるのではないかと言いたいのである。昨今、問題となっている食品関係の汚染や賞味期限の改竄などは、食料不足で餓死者が出る時代では問題にならない筈である。本来はこの様な事が起きた背景に対して鋭いメスを入れるのが、社会の木鐸を自認するマスメディアの姿勢ではないかと思う。今の社会は情報化社会と言いながら個人個人は仕事や興味のある事柄以外には意外と知識が少ないのが現実である。このため、自分が知る範囲の情報以外は、新聞・雑誌、TVニュースを無批判に受け入れている。日本のマスメディアの情報の出処を思うと報道を鵜呑みにするのは危険なことと理解するべきである。良く新年に経済予測を各界の有識者が立てるが当った試がない。今回の金融危機に対してマスメディアの報道は悲観的た立場を貫いているが、先の事など分かりもしないのに無責任な報道などするなと言いたい。先日の元厚生事務次官夫妻に対するテロ行為もマスメディアが必要以上に年金問題を報道したから起きたことである。建築業界に起きた構造偽造事件も然りである。この事が起きた原因は建築士の問題でないのに、結局は官の情報操作によって建築士の問題にされ、一件落着としてしまったメスメディアの責任は重い。グローバルな社会と言いながら報道内容だけは世界標準がないのは不思議である。

建築基準法の規制緩和後の建物の危険性

2000年以降の建築基準法の改正に伴う規制緩和後から構造偽造事件後の再改正迄の建物については、悪意でなくともプロセスにおいて間違いが生じやすいシステムで建築されているので、この期間の建物を購入する場合には十分に図面等をチェックする必要がある。小泉政権の置き土産の建築基準法の改正は、建築確認手続きの短縮化が目玉であった。この目玉が、建築に至る過程で間違いを生じさせる原因となっているのに気づいている者は少ない。改正前の確認申請手続きについては、建築に必要な詳細図を添付して審査を受けたのだが、確認手続きが民間委託されると同時に、確認申請図面も従来の様に必要な全ての詳細図を添付しないでも良い様になった。このため、確認通知後に、詳細図を作成する事に変わったのだが、問題はこの時に工事費の削減などの作業を入れる様な段取りとなり、変更の変更などを繰り返し、現場が混乱して最終的な図面でないもので建築してしまった建物が多い事が分かってきた。この間違いは建築偽造事件の様な悪意から生じたものではないかもしれないが、その業界でも経験者が少なくなっている現在では誤りに気が付かないケースが増えていると思われ、日本の建築業界も信頼性の低下を著しく生じさせている。何の準備も行わないで場当たり的に施行した建築基準法の改正のマイナスが生じてきている。建築基準法は過去の出来事を踏まえて改正してきたのだから、その点を考慮して規制緩和をすれば良いが、その視点を欠くと安全性に関して大きな問題が起きる事を官民とも理解すべきである。日本の建築基準法は厳しいのは有名だが、それは施行誤差や熟練作業員の不足などを考慮して安全性を見ているからである。昨今の様に熟練作業員が少なくなっている時こそ気をつける必要があるのに、それに逆行している規制緩和は国民不在の政治である。この規制緩和を進めた小泉を始めとして竹中平蔵や国会議員の責任を追及すべきである。

田母上前航空幕僚長対するマスメディアと政治家のお粗末な反応

田母上前航空幕僚長に対して買い被っているかもしれないが、彼が投じた一石に対するマスメディアと政治家の反応が低級なのに驚くばかりである。今の何でもお金の世の中にあって、2年の任期を残し、且つ天下りも出来ない様な生涯賃金を大幅に損なう論文を書いた理由は、単なる"日本は侵略国家でなかった"など過去だけに目を向けたものであったのか良く考えるべきではないかと思う。自衛隊には海上自衛隊、航空自衛隊、陸上自衛隊の3部隊があるが、一番危険な任務に携わっているのは航空自衛隊と思われる。昨今、政治の世界では自衛隊の海外派遣の拡大が議論されているが、自衛隊員に対する最も重要な点が等閑にされている。何が重要な点かといえば、海外派遣の当初の頃の話であるが、海外に派遣された自衛隊員の殉死に対して何の特別な補償制度もなかったことである。私の友人が防衛大学を出て自衛官に就任していたので聞けた話だが、警察官は職務中に殉死すると残された家族が困らない様な何千万かの遺族金が支払われるが、海外派遣の自衛隊員が殉死しても7百~8百万しか出ないので、隊員は誰も行きたくないと言っているとのことであった。今は改善されていると思うが、全てが後手に回って処理されている。武器の使用でも自衛権の行使ということで限られた武器の携行しか許さないなど馬鹿げた話である。隊員の安全と言う視点から考えたら法律を改正して行かせるべきだが、政治家は保身のために誰も動こうとしない。全てが棚上げされて海外派遣の自衛隊員はますます危険な地域に送られようとしている。航空自衛隊員はイラクの輸送に当っていたが、この任務は日本で報道されている以上に危険な任務であったと思われる。田母神前航空幕僚長が言いたいのは、軍隊であるにも拘わらず自衛隊と言う鬼っ子扱いされているのは歴史観から生じてきていると考え、今後の国際貢献に自衛隊が積極的に活用されるなら、他国と同様に国軍としての名誉と尊敬を得られる存在にして欲しいと言うことではないかと思われる。国のために危険な地域に送られるのに現場を何もしらない事務官僚のシビリアンコントロールが有効に機能するかも検証すべきである。田母神氏の自己犠牲による問題提起を政争の具にすべきでないし、単なるシビリアンコントロール問題にすり替えて誤魔化すべきではないと思うのは私一人であろうか。ちなみに、田母神氏の論文を読んだが、論拠の資料を例示しながら説を展開しており、一読に値するものであった。私は右翼主義者でないし、亡父が革新政治家として地方政治に貢献した姿に共感しているので保守主義でもない。国の自衛隊員海外派遣の無責任さが、戦前に中国大陸に軍隊を送った姿とオーバーラップするからこの様な主張をするのである。

非常事態に必要なのは経験知

1929年の大恐慌時の日本は、財閥の新興財閥潰しと政争、更に理論先行の官僚によって多くの企業が破綻した。5.15事件を起こした軍人の三上卓が書いた"青年日本の唄「別名:昭和維新の唄」"にもある様に、当時の大財閥は国家を思う心もなく、国会議員は国民のことなど眼中になく権力闘争に明け暮れていた。官僚は世界情勢を考えずに金解禁と金融機関の整理統合に邁進していた。歴史を見ると、全く昨今と大して変わらないのに驚く。また、この時に多くの銀行を整理統合した結果、多くの中小企業が破綻し、且つその後の企業の設立にブレーキが掛かり、日本経済は活性化が失われて行ったと言われている。この事を考えると、数年前に日本では大手銀行が過剰であるので整理統合が必要として3都市銀行+1準都市銀行に編成してしまった事が、今回の世界金融危機にマイナスに作用しなければ良いと思われる。本当に、日本では都市銀行が多すぎたのか今となっては疑問に感じざるを得ない。理論先行型の官僚が金解禁と同様に間違った舵取りを行ったかどうかは今後証明されるであろう。少なくても、現状の大手銀行の貸し渋りを見る限りは間違った選択をしたと思われる。大恐慌に関しては、人生のこれ以上ないと言う辛酸を嘗め尽くした「高橋是清」が大蔵大臣となって危機を脱した。彼の考えは理論でなく、経験知から導き出した政策であった。非常時代には小賢しい知恵など役には立たない。本当に役に立つのは禅で言う「行動」と「体験」である。今回の難局に苦労していない2世、3世の議員に委ねなくてはならない日本は先が危ぶまれる。

グローバル会計基準と税法の不整合

今更指摘する事ではないが、会計はその国の税法に対応するのが当たり前だが、グローバル会計基準では無視されている。此れの意味する所は、会計上と税法上に不整合が起き、企業は会計での償却を税法上で処理できないという馬鹿げた現象が起きるということである。何故、この様な事が起きるかというと、グローバル会計基準と言いながら、一定の地域や国の会計基準を他の国が導入するからである。では、この問題を百歩譲って会計基準に税法を整合させると言う議論は起きているかというと、税収入の観点から減収になる様な改正は行われていないのが実態である。国際競争にさらされている企業にとっては、グローバル会計基準に合わせるとすれば日本国内に本社を置く事は不利益となるので、この様な馬鹿げた事が続くと有力企業の日本脱出が増えるのではないかと心配する。一事が万事であるが、今の政治は"木を見て森を見ず"類の輩が多い。これは社会実務の経験が少ないところから起きる弊害であろう。以前にも指摘したが、不動産の棚卸資産を時価で評価する愚も同様である。固定資産でない棚卸資産は、企画力で付加価値を与えて販売するのが当たり前だから、購入価格が各社で差が付くのは当然である。それを一定基準の時価評価の考え方を導入したのでは、企業活動の差別化など出来なくなるのである。会計についても税法についても理論の解釈次第で異なる見解もあるので、硬直した考えしか出来ない監査法人については別な監査法人に変更することを一般化する必要があると思われる。

公共投資以外で地方経済が良かった時期があったのか!

地方経済は低迷した状態を抜け出せないでいる。その理由は色々と指摘されるが、良く考えるとその時代その時代の企業の立地の恩恵を受けた地域以外は、公共投資による財政で景気が良かったのではないかと思われる。過去も現在も農魚業が地方経済をリードして豊かであった記憶は少ない。造船業が盛んだった頃は、造船所を抱える市町村は景気が良かった。企業城下町と言われる地域は、輸出が好調で生産が拡大している時は雇用を含め地域経済に恩恵をもたらした。しかし、日本全体を見ると、企業の直接的な恩恵を受けたエリアは多くないように思える。特に、東日本は西日本と比較して企業の立地や工業地帯が少なかったので工業立国の恩恵はタイムラグがあった様に思える。この隙間を埋めたのは、企業の輸出によって財政にゆとりが出来た国が行った公共投資事業であった様に思える。ここで何を述べたいかと言うと、グローバル経済の中で企業の工場は人件費が安い海外と移転し、国の財政難から公共投資予算が削減された今、何を持って地方経済が活性化するのかと言うことである。地方経済を立直すと言う事は、これまでの生活システムを全く変えないと無理である事に気づくことが必要である。特に、地域経済には大型ショッピングモールはいらない。便利さと安さを追求した結果、地域の農漁業や地方の製造業が破綻したのである。地方経済を立直すには、地産地消の考え方を中心に効率の良い地方都市の再構築が必要と思われる。高度経済成長時代の様な豊かさはないが、少なくても誰もが人間らしい生き方が出来る社会を作り出すことを考える必要があると思う。再構築は、皆が物欲でなく、心の豊かさを大事に考えるようになれば不可能ではない。

「私立為業」の言葉

最近、"私立為業"と言う言葉を知った。この言葉の意味は、「官に頼らず、私立でできることは私立で行うことが、独立した個人を形成し、ひいては独立した国家を実現できる」と言うことである。明治時代の書物を読んでいた時に出会った言葉であった。日本と言う国は何時から官に依存して独立不羈の精神を忘れてしまったのであろうか。消費税の税率アップの議論が出て来ているが、官に余計なお金を渡さず、民間活力を出す様に国民をリードするのが政治の本来の姿であろう。小さな国家と言いながら、官は利権を手放さないので、税金を少なくして官が何も出来ないようにする事が改革に繋がると思われる。小さな国家とは議員の数も少なくする事だが、この種の議論は後送りされているのが現実だ。税金を多く納めて税務署から表彰されている会社を訪問する度に、この様な経営者がいるから官が堕落するのだと思う。お金が無かった明治時代は、お金の換わりに知恵を使った。今は誰も知恵を使わず、お金の事ばかり言う時代である。これでは改革など出来るわけがない。マスメディアも直ぐに財政的な事を言って批判するだけである。金がなくても近代国家を造り上げた明治時代を再度学ぶべき時である。金がなければ知恵を出せである。

独立行政法人はいらない!

驚いたTVニュースが流れた。埼玉県所沢市に所在する防衛医科大学病院が独立採算制の行政法人になるので不採算部門の産婦人科・救急医療などを廃止してしまう計画を進めているとの事であった。この様な病院なら要らないと言うべきであろう。この病院関係者は全く独立行政法人化を進めている基本的な考えを理解していないと思われる。多分、他の独立行政法人も同様な理解の仕方かもいしれないと思うと情けないほど日本と言う国は駄目になった様だ。独立行政法人化の目的は官にもコスト意識を持った運営を行わせようとのことであり、従来の親方日の丸意識の改善と考える。それが今回の防衛医科大学病院の対応の仕方を見ると、自分達の雇用しか考えていないことが良く分かる。そうであるならば、独立行政法人などにしないで完全なる民間病院とすべきである。職員を食わすために税金を投入されたのでは話にならない。江戸時代の上杉鷹山の言葉「なせば成る為さねば成らぬ何事も成らぬは人の為さぬなりけり」の通り、国民のために何もやる気がない職員ばかりが集った職場と言える。独立行政法人に変えたから行政改革が進んだと考える国会議員は馬鹿ばかりと言える。行政サービスを低下させるだけの独立行政法人化など言語道断である。

博打経済の末路と今後

本来の博打は胴元が負けない様に仕組まれている。一番良く分かるのは公営ギャンブルである競馬であろう。最初から胴元分(国)取り分約25%が引かれており、馬券を購入した者が受けられる配当資源は約75%である。単純に考えると100円投資で75円しか戻らないのである。理屈が分かればギャンブルなど遣らないのだが、今回の金融危機の不可解さはCDS(クレジット・デフォルト・スワップ)と言う金融商品の引き受け手である胴元の保険会社AIGまでも危機に陥ったと言えば分かり易い。世界的な投資ファンドを動かして多大な利益を上げたソロスによれば、今回の金融危機は金融工学を駆使してもリスクの計量化は出来ないと言う事を知らしめたとのことである。しかし、良く考えれば、人口30万人足らずのアイスランドと言う国の銀行が発行した何百億円もの債権をデフォルトの不安なく購入したのは格付けの信頼性とCDSと言う保険が存在したために成立していたと思える。不思議と思えるのは誰も疑いもなく金融化商品を信じて購入したことであるが、これは先に述べた手品の種があったということと、世界的に実体経済と懸離れた金融の過剰流動性の問題に帰結している。確かに、今回の金融危機で世界中で株価や資源価格の大幅な下落が続き、何百兆ドルもの資産が消失したと言われているが、この過剰流動性を起こした種銭の過剰さは消失した訳ではないので、機会を見て再度有利な投資先に対して動き出すことは疑いのないことである。良く考えると分かることだが、資本主義の成立過程で分かる様に投資とは元本の保証のないギャンブルなのである。特に、昨今は投資先が少ないのに金融が過剰なために預金金利が低いのであるから、高い配当を得るにはリスクを取る心構えが必要なのである。新しい技術開発に資金は必要だし、環境保全に対する代替エネルギーの投資や暖冬化の影響による食糧難に対するバイオ開発などに対する資金などの資金需要は今後増えてくると思われ、この様な資金はギャンブル投資と考えれば間違いはない。そして投資する場合の重要な事は、投資先の会社などが行っている事業と経営者のキャリアを十分に確認することである。

IT社会が生み出した総アマチュア化の危険性

今のIT社会は総て分野で過去のデータに対する確率統計的な手法による分析結果によって判断・決定がなされている。この世界では人間の曖昧な記憶による経験など信用されていない。このIT化が企業の年功序列制度を壊し、多くの若い人たちが高い役職と高給を得ている。確かに、現代の世の中は何かアクションを起こすと類似例から次の行動や興味に対する分析がなされて有効な提案が何処からともなく舞い込む。この手法は特に物販などで有効な手法であろうと思われるが、所詮は類似例からの推測であるので例外に対する配慮はなく、全く期待しない勧誘が続く事がある。これに対しても何回か続けて反応がない場合のアイテムをシステムにデータ化していれば、最初の情報はクリアされるので長く不愉快なセールスを受けることはないのかもしれない。この様なITの高度化は人間の曖昧な経験や勘に頼るのではなく、然も専門家を育てる時間と手間が必要なくて便利とは思える。しかし、私はこの様な高度IT化は業種によっては金太郎飴の社会を構築し、様々なリスクに対して懸念すべき落とし穴があるように思える。この良い事例としては、日本の不動産業界に起きたミニバブルであろう。日本の不動産業界は金融危機が起きなくても仮想需要の崩壊によって混乱したと思われる。顕著なのは金太郎飴現象とも言うべき何処の不動産会社も同じ事を目指して走ったことである。これはIT社会が生み出した典型的な総アマチュア化の現象と思える。実務は経験を通してしか学べない。特に物づくりの世界は経験の継承が必要な世界であり、経験者を疎かにした会社は今は隆盛でも最終的には没落するであろう。

何も遣っていない政治家と思考停止の官僚

病院を盥回しされた妊婦の死亡事件は、政治家が多くの給与を得ていながら何も行ってはいない証と、縦割り行政の中で思考停止に陥っている官僚の見事な図式である。先ず、公国立大学の医学部を管理している文部省は産婦人科医の不足の予測に対して何の手を打ってきたのか。また、厚生労働省は産婦人科医不足の予測の中で逆に安全を理由に産婆制度を実質的に崩壊させた責任は重い。納税者として公国立の医学部出身の卒業生を地域医療に貢献させないで、然も偏った学科専攻をや自由にさせている制度を取り続けるならば公国立に医学部などいらない。世の中には美容整形の医者が多すぎる一方、産婦人科医が不足しているなど教育行政に大きな誤りがあることは直ぐに分かる。しかし、マスメディアも明確に指摘しないのは何故か。憲法問題を盾に言い訳をするなら、政治家も役人もいらない。個人レベルでも地方医療や社会に貢献したくない医者の卵は私大の医学部で学ぶべきである。私大での医者に対しては教育費の自己負担比率が高いので苦情は言わない。一方、公国立大学の医学生は多額の教育費を納税者から得ているのである。国民に恩返しをする義務があるのである。少なくても一定期間は国の指定する医療現場に従事する義務を設けるべきである。また、文部科学省は不足している医師の専門を専攻する受験生を優先する様に大学に指導すべきである。縦割り行政やそこまで指導できないと言うならば役人の人数を大幅に減らすべきである。働いている振りをしている役人はいらない。また、本当に政治家は与党も野党も何百人もいるのに何もやっていないのには驚く。今度の衆議院選挙では何をやるのかでなく何を行ってきたのかで選ぶべきである。これまで出来なかったのに今後出来る保証などないのだから、その様な嘘を言う政治家を選ぶべきでない。

欧米諸国が一番恐れている事!

日本国内の不動産に対する金融規制による価格下落と株式市場の大幅な下落は何を意味するのか。世界中が日本は世界で最もサブプライム問題に対して被害を受けてない国との認識で一致している。尤も、農林中央金庫の様な例外はあるが。それなのに、株式市場の大幅な下落と不動産に対する金融規制は何故なのか。有識者は、ファンドが投資家から資金の返還を求められたので、株式や不動産が現金化するために売られていると得意顔で説明するであろう。しかし、本当に全部がその理由なのであろうか。穿った見方をすれば、欧米がサブプライム問題で金融危機に対処しなければならず、この事が企業の経営にも影響して経済が落ち込むとすれば何を恐れるかである。答えは簡単である。日本企業の欧米有力企業の買収である。今回の金融混乱でもなかなか円高にならなかったが、漸く急激なユーロー安と円高が始まった。これは日本企業の脅威がなくなったと見たからではないか。日本のマスメディアは連日連夜不動産大幅下落の大合唱である。笑いが止まらないのは欧米諸国であろう。今回の大恐慌時に匹敵する世界的な金融混乱とその後の経済不況を乗り切るには欧米有力企業の買収である事が分からないほど日本の金融界も財界にも人がいなくなった。日本から富を削ぐために米国はアフガン問題などで日本に多額の拠出金を強請するであろう。これに抗することが出来る政治家は残念ながら今の日本には見当たらない。今回の欧米の金融危機の千載一遇のチャンスを逃す日本は世界から馬鹿にされるだけである。

金融危機後の世界経済

日本の新聞は米国の景気が相当悪くなっているかの様に書いているが、多くの州で未だ不況感はない。不動産価格にしてもサブプライム問題で住宅地は下がっているが、ホテルやオフィスビルなどは大きく値下がりしている訳ではない。日本のバブル経済崩壊時を思い出せば分かるが、受注残を抱えているので2年間位は大幅な不況には陥らないのが現実である。問題は、その間に資産デフレが生じないように経済対策を打ち出させるかどうかで決まる。ご存知の通り、日本では最悪のシナリオであったために資産デフレの罠に陥って失われた10年となったのである。今回の金融危機で問題なのは米国より欧州であろう。通貨統合のために自国通貨の切り下げによる景気対策が打ち出せないので、金融に対する資本注入後の対策が見えてこない。米国の場合、サブプライム問題による住宅地の価格が大幅に下がって消費の減少による景気後退は避けられないが、今回の金融危機で分かった事は、欧州は張子の虎であり、米国が世界経済の中心である事に変わりがないということである。今回の金融危機で世界中で多額の投資資金が損失した様な報道をマスコミが行っているが、この損失は飽くまでペーパー上の損失で、投資家の投資資金の多くは債券市場や現金化されて避難しているのである。世界中に過剰にばら撒かれたドル紙幣が減った訳ではないのである。ドルの過剰流動性が消失したわけではないので、今回の金融危機後の世界経済の回復は現在評論されている様な悲観的なものではないと考えられる。尤も、今回の金融危機を招いたのはリスクを避ける保証商品のリスク管理が杜撰であったことにあるので、当然に金融商品に対する新たな枠組みの構築が必要であり、その成果を見届ける必要はある。また、欧州がECの拡大と通貨統合で自信を深めて米国離れが進んでいた時に起きた金融危機は、ユーロー通貨の暴落を招いているが、この通貨暴落は欧州の今後の景気回復にどの様に影響するのか見守る必要がある。日本は円高傾向にあるが、この円高については輸出の減少と言う側面だけで悲観的に見るのではなく、通貨の強さは国民にとっては必ずしも悪い事ではないので、冷静に円高メリットを考えて行動すべきと思える。

日本経済新聞の恐れ入ったコラム

10月21日(火)の日経の夕刊にコラムと言えるかどうか分からないが、1面の「波音」に"金解禁と日雇い派遣"について書かれた記事を見た。内容は日本が大恐慌時に誤った金解禁でデフレを引き起こしたが、日雇い派遣法の規制も今回の金融危機に際して同様の間違いとなる可能性があると言うものであった。記事は実名でなく「都」なるものが書いたと無記名だが、この作者の見識には恐れ入った。企業利益(=株主利益増大)のために導入した無茶な日雇い派遣がどれだけ社会に悪影響を齎したかこの記者は認識がないようだ。人件費が高くて成り立たない工場は既に海外に移転しているのではないか。企業に必要以上に利益をもたらす日雇い派遣は金融資本主義の最たるもので、内需にシフトしなければ限界に来ている日本経済の消費を減少させている大きな要因になっていることも分からないのであろうか。多分知った上で暴言を吐いているのだと推測する。日本経済新聞はもともと業界新聞である。記事の大半が企業と官庁の発表記事で構成されており、発表者を代弁している新聞である。特に、海外の記事は専ら海外の新聞記事を翻訳しているだけであるのは自明である。この様な企業、官庁や政治家の言う事を無批判的に代弁している業界新聞が何故評価されているのか分からない。尤も、企業経営者や上司に若い社員は日経を読むように勧められるとの事だが、この新聞を読んだ社員が多い企業ほど今回の金融危機に翻弄されているのではないか。輸出と内需のバランスの取れた社会を作るために構造改革があるのであり、日雇い派遣社員を使わないと成り立たない建設業や農業に認めていない制度など初めから間違った政策なのである。金融資本主義の手先になって亡国の宣伝紙になっている日経などは読まないのに限る。

国民に対する国家の振込み詐欺に加担したマスメディアの責任は重い

日本の構造改革と金融資本主義を混同させて必要以上の格差社会を作り出し、地方を疲弊させたマスメディアの責任は重い。小さな政府を実現するために金融資本主義を必要とする理論は間違いである。金融資本主義は、従来の企業利益の配当を労働者に多く還元してきたのを止めて株主に多く還元すべきだとの考えである。勿論、この株主に対する優遇は日本国内に眠っている多額の資金を投資に向けさせて会社の新規上場を促す事によって経済の活性化に繋げようとする理論である。いわゆる、資産の流動化を国家が企てマスメディアがそれを指示したのである。その金融資本主義が米国のサブプライム問題に端を発した金融危機によって脆くも破綻したのである。日本における金融資本主義とは、国富が失われる政策である。20年前から既に内需喚起による経済成長の必要性が指摘されていた訳だが、内需喚起の方法論において国家は大きな誤りを繰り返してきている。小さな政府と規制緩和は必要なことであるが、農業を犠牲にして輸出優先した様にグローバル経済の御旗のもとに格差社会を生み出し、地方経済を疲弊させて逆に景気の足を引っ張る様な政策を進めてきたのである。日本の経済の強さは国民の80%が中流意識を持つ消費力だったのに、金融資本主義を導入してその仕組みを壊してしまったのである。日本は江戸時代に内需方式の経済を行っているのである。何も外国に内需主体の経済構造を求める必要はないのである。江戸時時代には「御伊勢参り」が盛んであったが、これは内需喚起の最たるものであったのである。今回の金融危機にECの通貨統合が役に立たないのが分かり、又投資ファンドが資源・食糧の価格を急激に上昇させるなど多くのことを学んだのに未だグローバル経済や日本から更に国富が流失する似非改革をマスメディアは叫んでいる。国民に対する国家の振込み詐欺をマスメディアが支援しているのである。人生を間違わないで生きるにはマスメディアを信用せず、常に疑いを持って掛かることが必要である事を認識すべきである。古来より、書物を無批判に読むことは「百害あって一利なし」と言われている。マスメディアの情報が全部間違いとは言わないが、常に書かれた意図を考えて読む姿勢が国を良くする道と思える。

社会保険に係る年金の問題に対する認識

大企業に勤務していた方は分からないことだが、社会保険事務所がリードして経営不振に陥っている会社の社員給料を改竄して厚生年金に対する納付額を減額させた行為については思い当たる事がある。勿論、ここ十数年の事ではないので、発表された改竄行為が社会保険事務所が徴収を競う合うようになった事についてではない。1980年頃に小企業が社会保険に加入する場合には厳しい審査があったことを思い出したのである。会社が加入申請を提出すると、社会保険事務所の職員が日時を指定して面接に訪れ、会社の業績や支払能力などの情報を聴取して後日加入に対する結果を伝えてきた。このため、この時代には多くの小企業の社員は国民保険の加入であったと記憶している。飽くまでも推測だが、社会保険事務所の職員が、会社の業績が悪化し、社会保険料を滞納している会社を訪れて給料の改竄を勧めたのは悪意からであったとは考えられない。勿論、社員に対して説明しないで勝手に経営者と社会保険事務所の職員が給料を改竄した行為は許されたものではない。私が言いたいのは、この様な業績不振の会社に対しては、1980年頃は社会保険事務所では事務的に脱退勧告を通告していた様に記憶していたからである。給料を減らされた方々の憤りは分かるが、本当に改竄行為を知らなかったのだろうかと言う疑問も起きてくる。何時頃から、脱退勧告の代わりに給料を改竄してまで業績不振の会社に対して社会保険を加入させ続けたのか不思議である。多分、給料改竄の積極的行為はバブル経済崩壊後から常態化したのではないかと思う。社会保険事務所の職員を擁護する分けではないが、母が亡父の遺族年金を受給するときに職員の方が親切に当方で知らなかった部分まで調査して頂いて受取額が増えた事を覚えているからである。当初の給料改竄行為は悪意でなく、会社の業績回復を前提に一時的な温情措置だったのではないかと思う。それが何時の間にかバブル経済崩壊後の保険料の滞納増加に伴って徴収成績の目的化に転化していったと考えると理解しやすい。ちなみに、コンピュータ化に伴うデータの取り使いや喪失などは、重要な仕事なのを理解しないキャリアのアナログ幹部が能力が低い職員を配置した結果起きた事件と考える。事件の背景を調査して記録に残さないと同じような馬鹿げたことが将来に別なところで起きることを国民は考えるべきである。

 

羅針盤を失った日本社会?

日本と言う国家は創設以降、海外の知識を吸収して障害を乗り越えてきた。特に近代以降の明治維新後はそれが顕著であったと思う。総ての答えを先進国に求め続けてきたのである。第二次世界大戦後は、米国を追従すれば全て解決してきたので、政治家も官僚も独創的な考えの持ち主は排除され、親米一辺倒の人達が主導権を握ってきた。この現象は何も国家だけでなく企業も同様であった。総ての行動規範のルーツを先進国に求め、日本文化の尊重は二の次であった。勿論、庶民のレベルでは日本と言う個性は残り続けてきたが、バブル経済崩壊後それに続く金融資本主義のグローバル経済の導入によって庶民レベルの規範さえ失ってしまった。政治家も官僚も大企業の経営者も今回の様な世界的な金融混乱に対して羅針盤を失ったかの様に翻弄され続けている。日本の未来を米国に依存しすぎた弊害が出てきた。この事は、40年以上前にインドのパール判事が警告していた。未来に対する全ての答えは過去にあると言う言葉がある。頭だけが良くて地位を得た似非エリートの作った社会が日本及び日本人を駄目にした。庶民レベルから日本と言う国を改めて造り上げる時代が到来したと考える。先ず、自分の生まれ育った所や今生活している地域を大切にし、且つそこに住んでいる人々に優しさを持つことから始めれば良いと思う、それが大きなウェーブになって日本全体が暮らしやすい場所になるのである。年金を多く貰う事ばかり考えるのではなく、年金が少なくても過ごせる社会を目指すことが重要な事に気づくべきである。

日本における不動産開発の貧困さが金融危機に勝てない原因

今回の金融危機に欧米と比較して影響が少ないと言われた日本で何故不動産に対するリスク意識が高まって不動産融資に警戒感が出たのか。この見方には色々あると考えるが、オーソドックスな言い方としては、日本の不動産の活況は欧米のファンド資金によって支えられてきたので、欧米の金融危機の影響が日本にも及んでくると言うものである。この見方も間違いではないが、ファンド資金はあくまで梃子資金の流入なので決定的なものとは言えない。では何が日本の不動産に対して不安を生じさせているかと言うと、「金太郎飴」の様な不動産開発の貧困さが一番の原因と考える。多少は場所的な価値と建築物の外観の差別化はあるものの、開発コンセプトは殆んど同じであることに危惧していた。少なくても、開発地域の歴史を踏まえた開発計画を立案し、他所の地域との差別化を図った開発ならば、資金の貸しても不動産の価値の下落に対する不安は減少した様に思われる。マンション開発も然り。高層マンションが人気となれば何処の会社も高層マンション販売に注力する。これでは直ぐに高層マンションの供給過剰が起き、資産価格が下落するのは目に見えたことである。もちろん、企業規模によって点の開発しか出来ない場合もあるが、その時には街全体の将来を見据えての建築計画を立案すべきである。それが地上げ屋としての誇りであろう。森ビルの六本木開発、三井不動産の東京ミッドタウン開発などは地域の発展を阻害する開発エリアだけで完結するクローズド計画であり、自己の利益しか考えていない。この様な金太郎飴的な開発を見せられては、資金の貸手として不安が生じるのは当たり前である。若手で地域の歴史的な姿を残しながら新しい街造りを考えている人達もいるが、その様な小さな会社には資金が集らない。日本の資金の貸手が金太郎飴だから日本の不動産開発が貧困のままとも言える。今回の危機に20年前の不動産バブルの教訓を全く生かされていないのはバブル時代に失敗を学んだ人達がいなかったことであろう。成功者の言葉は企業に必要ないのである。逆に、失敗した人達から多くの事をを学べば明日の成功に繋がるのである。頭でっかちのエリートがつくる社会は砂上の楼閣に等しい。不動産開発とは街中を足で歩き、その地域の歴史と文化を学び、その街の将来像を見据えて行うものであることを肝に銘じるべきである。

庶民と関係ない株の暴落?

10月3連休は大型倒産と株の暴落にも拘らず早い紅葉を見るためか高速道路は渋滞であった。金融危機で世界中の株が暴落しているが、庶民は株の暴落の影響は少なく、逆に急激に価格が下がってきたガソリンの方が生活に対する影響が大きい様だ。これを見る限り、今春のガソリン税の暫定率課税を戻したのは景気にマイナスだった事が分かる。もちろん、株式100%の投資信託を購入している方は株の暴落で元本の大幅な減少による痛手を被ることになるが、現時点では報告が届いていない可能性もある。しかし、株式に対する投資にしても、投資信託に対する投資にしても、基本的にはそれなりのお金を持っている人が損をするだけで、お金を投資に回せない人には現時点では関係がない。もちろん、株の動向は昔から6ヵ月後の経済に先んじていると言われるから、景況悪化が企業業績を悪くし、最終的には庶民にも影響が出て来ることは予想される。今回の金融危機は世界中を襲った動きであるので輸出に依存する日本にとっては今後の影響は避けられないが、今度こそ内需主導による経済の構築を進め、地方の活性化を促すチャンスでもある。高齢者が蓄えた資金を安全な国内の投資に向けてこそ日本経済の安定的な成長が実現できるのである。国民の消費は輸出の売上げに比較して遥かに大きいのである。国内の消費なくして成長はないのであるが、金融機関は自分の首を締めるような不動産に対する融資規制を行っている。今後、欧米諸国は今まで以上に金融危機からの経済悪化を克服するためにブロック経済の強化を目指すことになる可能性が大きいので、日本も内需拡大とアジア各国経済の支援を行い、経済立て直しを行う必要があることを認識すべきである。

規制緩和論者は現場を知らない

規制緩和論者は規制緩和が企業の経済活動を活性化させ、停滞している経済を成長に導くと唱えている。如何にも正論と聞こえるが、歴史的に何故規制が生じたのかを考える必要があろう。資本主義の勃興時には参考になる事例がなかったので規制などは殆んどなかったのである。金融を見れば、銀行業務、保険業務、証券業務は分離してなく、後年に問題が生じたので業務を分けたのである。しかし、英国のビックバン、米国の規制緩和は先祖がえりのように規制緩和を行って金融業務の一体化を進めたのである。確かに、規制緩和は停滞していた経済を活性化させたのは論を待たないが、この繁栄は不正による行為や株式上場の安易さを生み出し、虚栄であったことがサブプライム問題で分かったのである。それが、依然として規制緩和論者は歴史を学ばずに、一面だけの悪い面を指摘して規制緩和を促している。本当に経済を活性化させるためには、不正を生み出す様な先祖がえりの規制緩和でなく、国民から意識が乖離している現在の行政組織の抜本的な改革である。現在の一部上場会社の相次ぐ倒産とライブドア事件を見ると、資本主義の勃興時に世間を不正行為で騒がせた英国の南海泡沫事件と全く同じなのには驚く。規制緩和論者は、建築基準法改正で建築審査を民営に委託したためにどれだけ甘い審査が行われているか知っているのだろうか。構造偽装事件などは氷山の一角にしか過ぎない。況してや、利益至上主義の社会に規制緩和をしたら不正が横行するのは当然である。尤も、日本の規制緩和は税収入と関係ないところでおこなわれており、背後にいる財務官僚の指導で進められているのがよく分かる。本来なら、自動車取得に対する規制緩和である。新車も中古車も取得税・登録税が同じと言う馬鹿らしい問題に変更を行っていない。何故その様な事が起きるのかは、その税金が排気量で決めているからである。現実主義の米国では価格で決めているから安く買えば税金も安いのである。これが本来の規制緩和、資本主義経済のあり方である。この税制は新車を買わしてトヨタなどを保護すると同時に税収も確保する一石二丁を考えてのことであろう。経済の活性化を考えたら、売買価格での取得税・登録税に変更することによって中古市場が大きく成長するのである。この様な事例は沢山ある。経済化活性化のための改革とは何かを規規制緩和論者は官僚の与えた資料を棒読みするのでなく、現場を見て考えろと言いたい。

政治家の健康と危険性

政治家の健康、特に一国の宰相となれば国民の運命を左右する事にもなるので、重大な関心事である。今回の世界的な金融不安に思いを巡らすと、1920年代の大恐慌後の米国の大統領であるルーズベルトを考える。歴史教育では大恐慌後に実施された米国のニューデール政策は成功した様に書かれているが、実際の評価は喧伝されている様な効果は上がっていなかったと言われている。このため、ターゲットを戦争に置き、日本を追い込んだ事はかなり信憑性が今では高いと今ではいわれている。戦前の指導者を庇うつもりはないが、資源、特に石油の供給を大幅に削減された日本としては国防上戦争に打って出るしか選択がなかったのであろう。ルーズベルトと言う大統領は車椅子で記憶している方も多いであろう。長々とルーズベルト大統領の事に触れたのは、彼の健康が日本との戦争、その後の外交に大きな影響を及ぼしているからである。そこで気になるのは、民主党の小沢一郎と言う政治家である。今はマスコミも報道しなくなったが、小沢一郎と言う政治家は心臓病を患っている筈である。彼が総理の激務に耐え得るのか、更にはその様な持病を持った政治家の精神状態を過去の歴史的な事例から懸念するのである。私事で恐縮だが、先代社長が病で入院を余儀なくされた時、大きな開発プロジェクトが進行中であった。私が入院先に設計士と建築物について指示を受けに訪問すると、「先代社長は一言、"私は今病気で健康を害している。この様なときは正常な判断が出来ないので、プロジェクトチームで決めて良い。"」との事であった。この言葉は先代社長が亡くなる1ヶ月前の事であった。私なら逆に最後の作品として思いを込めて指示したであろうと思う。多くの人が参加する共同開発事業に対して私欲を持たずに判断出来る姿勢を最後に見せてくれた事に私は感謝している。

金融危機は資本不足に陥った金融機関への資本注入が一段落しなければ納まらない

米国発の金融危機は欧州にも飛び火して沈静化に対する対応が始まった。1920年代の大恐慌は米国の株式暴落に始まった印象が強いが、実際はその後の景気悪化懸念から生じた金融機関の信用収縮でおきたものである。今回も株式暴落で大恐慌を懸念されているが、株式暴落より怖いのは金融機関の信用収縮である。これについては過去の経験から多くの人が理解しているが、問題は政治は色々な思惑で動き、早く手を打つ必要があるのにタイミングを逸する事である。今回の米国、欧州の政治家の動きを見ていると日本の愚かな政治家と同じであることが分かった。特に、政治がメディアの影響を受けやすくなり、ポピュリズムが台頭してきた今日では今回の様な危機に対して政治家が弱い事を露呈した。もちろん、米国で生まれた金融手法が過剰な投資で世界中に仮想需要を創出し、一見すれば永遠に豊かな社会が構築されるような錯覚を与えた結果が、サブプライム問題で嘘である事が分かった瞬間壊れたのである。このため、本格的な経済の回復には、金融機関に資本の注入をして市場の信頼を取り戻す必要がある。米国が1980年代に規制緩和と小さな政府をスローガンにした政策は、グローバル経済へと発展し、格差社会をもたらし、食の安全まで脅かし、最後は資源高騰でナショナリズムまで引き起こして幕を閉じようとしている。日本もバブル経済崩壊後に米国を教本として先祖がえりの格差社会で競争原理を導入し、規制緩和政策を進め、小さな政府ヘの転換を進めたが、現状を見ると国の借金は増えるばかりであり、その上人心は荒廃し、金権主義者が横行している。先頃、日教組を批判して辞めた大臣がいたが、今の日本の現状は日教組だけでなく、米国流の教育を導入し戦後の日本教育を指導した文部省にも大きな責任がある。正に教育が国づくりの基本である。今更ながら思われる。

国は田舎に人が住めなくする政策を進めている

千葉県銚子市の市民病院が閉鎖されるTVニュースを見た。医者不足と医療保険制度の改正による採算の悪化が原因と言われる。医者不足は、研修医制度の変更で医者が行く先を選択出来る様になり、医療設備の劣った田舎の病院には医者が来なくなったとのことだ。研修医の制度の変更は誰のために行ったものか。少なくても税金が多く投入されている国公立大学の医学部出身の研修医が私立大学と同じように自由に選択できる様なシステムは間違っていると思う。田舎に医者が不足しているのを分かって研修医に研修先を自由に選択させることも規制緩和の一環であろうか。良く考えてみると、郵政民営化も採算性から何れは僻地に対する配達コストは高くなり、均一料金のサービスは受けられなくなるのは自明の理である。この他にも色々と田舎で生活するのは段々厳しい環境となってきている。総合的にこれ等の政策を検証すると、人口の少ない地方の人々の生活を不便にすることによって都市部に移動させる事の狙いがあり、翻って地方のインフラ整備予算を減少させる効果を考えてのことであると思われる。しかし、此処には財政再建だけでパブリックサービスの精神が感じられない。尤も、この考えは穿った見方かもしれないが、そう思える程田舎の生活は都市部比べて年々悪化してきている。日本を良くするために、少なくても次の衆議院選挙では官僚出身と二世・三世議員には投票するのは止めにしよう。

市場原理主義とは人間が愚かになること!

古い話で恐縮だが、米国のエネルギー会社「エンロン」のことである。私はこの会社が日本の2ヶ所に石炭火力を建設すると公表した時点でインチキを見破った。しかし、エンロンジャパンの設立には大手商社・金融機関などが出資し、大きな期待を寄せたのである。何故、私がエンロンがインチキであると思ったかと言うと、世界で最も石炭火力の設置に対して環境基準の厳しい日本で石炭火力の建設を打ち上げたからである。日本で石炭火力を100万KW1基建設するには原子力発電所100万KW1基建設するコストとほぼ同じであるからである。然も設置場所が電力の需要地から離れた青森県下北半島などであったのも送電ロスから見て考えられなかった。経済産業省資源エネルギー庁の職員なら誰もがエンロンの計画に対して疑問を抱いたと推測できる。尤も、米国の様な広大な土地で電力事業を行っている会社にとっては青森県の下北半島から東京都内に送電することは問題ではないのかもしれないが、確かなのは日本でその様な計画で売電コストが合うかどうかであろう。結論的にいえば、経営者が株価を吊り上げる目的で世界中にプロジェクトを打ち出したことが判明している。何故タイトルに対してエンロン問題を長々と述べたかと言うと、市場原理主義者が特異点を取り上げてマーケットを加熱させる手法に多くの聡明と言える人達が騙されるからである。尤も、古来より「小さな嘘は見破られるが、大きな嘘は見破られない」と言う格言があった。今回の金融危機も同様である。何か新しい画期的な事があるのではと勘違いした結果である。日本の不動産ミニバブルも同様である。今の時代には、「信用」と言う言葉が蔑ろにされて来ているのに、危うい信用でなりたった世界でビジネスを拡大してしまったツケが回ってきた。リスクは、経験×柔軟性で小さくすることが出来る。

米国・金融公的支援に対する議会の否決を思う

何れの国も選挙を意識しての議員の行動は同じである。サブプライム問題に端を発した世界的な金融危機に対しての危機感と責任に対する反省がない。日本も同様だが、政権を担っている政党だけの責任ではない。国から手当てを得ている国会議員の責任は重い。米国で言えば、クリントン政権時代の金融自由化政策にサブプライム問題があると思うが、国会議員としてその危険性をチェックしていたかと言うことである。尤も、共和党の議員から見ると、金融業界は民主党の牙城であり、金融業者であるユダヤ人の道徳のない行為から起きた金融危機に国民の税金を使うのはとんでもないと言う事なのだろう。その憤りは分かるが、世界的に信用不安を起こした責任は米国にあり、共和党の議員もそれを阻止できなかった責任があるのに、危機を省みない姿は情けない。然も、ここ8年は共和党政権であったので尚更である。この様な状態が続けば民主主義の危機である事に誰も気づいていない。独裁者は国民の不満を集めて民主主義の欠点を付いて出現するのである。翻って、日本の民主党が年金問題等で政府の責任を追求しているが、それでは民主党の議員は日頃何の政治活動をしているのか聞きたい。自分が選挙に当選する事を目的化した議員活動しか行っていないのが現実であろう。特に、小選挙区になって弊害が出ている。危機については誰もが分かっていながら個人のレベルでしか物事を考えない民主主義と言う制度は、近年発達した第4の権力となったメディアの影響を受けて一層政治家のレベルが下がってきている現在、過去にない危機にあると言える。

小泉引退と息子の後継

小泉が引退を表明したが、当然であろう。もともと郵政民営化しか政治課題を持たなかった男に今後を期待できるわけがない。今回の引退は、地方に渦巻く小泉批判に対する自民党否定の矛先をかわす狙いと、自分が父親が亡くなってから出馬して落選した苦い思い出があるため、息子が丁度自分が選挙に出た年齢になったから引退を決意したのであろう。しかし、国会議員と言う職務はそれ程楽なのかと思ってしまう。私の亡父も若い時から地方政治に関心を持ち、地方議員として功績を残している。議会議長も何期か勤めたので長生していれば勲章も貰えたかも知れない。亡父の学生時代の友人は同様に地方議員を長く務めたので、「紫綬褒章」、「勲五等瑞宝章」を授かっている。私も事業家と言うより政治家向きと思っている友人知人に選挙に出ないのかと良く尋ねられる。母も自分の父親が地方議員であり、伴侶も地方議員だったので、私に期待するところはあったと思われる。これに対する答えは出ないである。亡父の選挙を見て育ち、この国の選挙民に対する蔑視が生まれたからである。子供から見ても亡父は議員として私利私欲なく地方自治のために頑張った。しかし、その見返りは首長選、県議会議員選に出馬しての落選であった。私は頭を下げて「お願いします」を連呼しなければ当選できない選挙などに出る考えはない。今の政治家は皆本音は選挙民を馬鹿にしている。一回でも選挙を遣ってみると、この国の民のために良い政治を行うと言う考えがなくなるのではないかと思える。2世。3世議員が悪いとは思わない。問題は本人の資質である。しかし、選挙民は利権を尺度に考えるので、政治家の世襲制が生まれるのである。特に、小選挙区になってからは政党政治の復活で個性が排除される。中選挙区を壊した愚策は誰なのかを見極めて投票することが大事である。

手嶋龍一著「葡萄酒か、さもなくば銃弾を」を読んで

自宅の近くの書店で偶然に手にした本だが、最近になく感銘を受けた。日本にもこの様な本を書ける人物がいたのかと思う。タイトルだけでは、一瞥して通り過ぎるだけであったが、不思議な題名のため手にしたところ、内容は世界の政治家や官僚に対する人物評であった。尤も、購入したが、直ぐには読まずに積んで置いて暫し忘れていた。それが、当面読みたい本を読み終えたので、何か買ってなかったと思って探して見つかったのがこの本であった。通勤の行き帰りに読むので時間が掛かったが、読後は現在の混迷した世相を読み解くには非常に参考になったと思う。その中の最終ページには、今の日本が「愚者の楽園」と化した姿を憂いて世を去った人物の事にも触れている。この中には今度、新総理となった「麻生太郎」の人物にもページを割いている。これには麻生に対してマスコミが報道している姿とは異なる面が書かれている。麻生家は明治維新後の家系としては群を抜く名門である。麻生太郎と言う人物について、麻生グループを率いた経営者として世間は余り評価していないが、斜陽の石炭からセメント産業にシフトし、バブル経済崩壊後には逸早くグローバル経済に対して布石を打っているのである。勿論、現経営者は弟だが、兄と言う存在から麻生太郎の意向を無視しては出来なかった筈である。この一つとっても、麻生太郎と言う人物は非凡と思える。政治家という資質も、祖父の吉田茂、更に先祖が大久保利通、牧野伸顕であるので充分と言える。世間は、庶民の味方は貧しい家庭から出世した人物と言うが、私は逆であると考える。下から這い上がってきた者には他者に対する優しさはない。逆に、育ちが良い人こそ他人に対して優しいのである。お金に対してもクリーンである。小沢一郎と言う人物の危険さを私は知っているので、麻生太郎に頑張って貰いたいと思う。

実務家も判断が難しい今回の米国発の金融危機の行方

今回の米国発の金融危機については今後どの様な収束を見せるのか判断が難しい。特に、不動産証券化などのスキルに精通していない欧州の金融機関に今後の金融危機波及の不安を見ている識者もいる。米国一国で牽引してきた世界景気がベトナム戦争時と同様なイラク戦争で体力を消耗している米国を襲った金融危機は、大きな変革を齎すことになる可能性は高い。大恐慌も懸念されているが、過去の時と比較して情報化の時代であるので、其処まで悲観的になることはないと思われる。問題は"合成の誤謬"などで金融危機の処理が遅れることである。一方、日本は自民党政権が続くか、民主党政権が発足するかによって今後の対応が異なると思われる。自民党政権のように官僚の発想通りでも駄目だが、民主党政権が本当に官僚を御する能力があるかどうかも疑問である。大事な局面に政治が混迷していると、バブル経済崩壊時の政治と同様に失政を繰り返す事になる。グローバル経済に合わせた透明性が高いと言われる投資用の会計基準が金融危機に拍車を掛けているのも気になる。何れにしても、ベトナム戦争の時は、為替の変動相場制などが導入されたが、今回の米国発の金融危機で金融のビジネスモデルが変わる可能性もあり、その動向に注視する必要はある。

小泉改革以降は誰も責任を取らない風潮を生み出した

今の日本には「責任倫理」と言う言葉がなくなった。結果に対して責任を持つ事が指導者たる地位に就いた人の責務である。何時からかと振り返ると、不祥事を起こしても大臣が止めなくなった小泉政権以降と思われる。最近の例では、五輪の野球監督であった星野仙一の言動であろう。日本人の美徳であった「敗軍の将兵を語らず」の姿勢は何処に消えたのか。相撲界に到っては、理事長始め多くの親方と呼ばれる人が指導者としての教育を全く受けていない様な言動には驚く。名選手が必ずしも名監督になる訳でないが、世間は名選手が名監督になるのを期待する。戦後の日本ほど指導者の教育を疎かにした国はないかもしれない。責任を取らない風潮が、多くの現場でケアレスミスを引き起こす。小泉は今でも海外では改革を行った政治家として評価が高いが、昔から「お前は良い奴」と言う言葉は、「自分にとって都合の良い奴」と言う言葉である。小泉時代にどれだけ国富が海外に流失したか後世の歴史家は驚くであろう。利口な人は己を知るが、馬鹿は己の力量を知ることが出来ない。自民党の総裁選にも多くの己を知らない者が立候補している。小泉クラスが出来たのだから俺でも出来ると思っているのだろうが、この考えも「責任倫理」の喪失から来ているのであろう。そうでなければ国民の運命を左右する指導者に簡単に名乗り出れる訳がない。絶望的な時代である。

リーマンとAIGの違い?

今回の米国の金融機関(リーマンとAIG)に対する対応はダブルスタンダードと言われているが、真相は分からない。リーマンの代表は民主党よりとも言われ、現政権の共和党にパイプがなかったことも一因としてあろう。勿論、金融規模にも違いはあるが、それでは公的資金で救済されたベアスターンズとリーマンの違いはどうなのかと思ってしまう。ひとつ確かな事は、リーマンは資金繰りに苦しかったために原油にも投資して更にその下落で失敗してしまったことである。公的資金を入れて救済するのにも大義名分が必要なのは何処の国も同じである。スケープゴートにされるかどうかの分かれ道は政治とのコネクションもそうだが、国民の反発を受けるような行為があったかどうかと思える。リーマンがなりふり構わず原油などの資源に投資して暴利を貪ろうとした時点で破綻が見えていたのである。翻って、日本法人のリーマンブラザーズは3.5兆円もの残高を抱えて民事再生法の申請となったが、この倒産の影響は色々な所に出てくると思われる。経済成長を議論する上で規制緩和が依然として有効需要を生み出す手段として必要視されているが、今日の金融問題は全て金融の規制緩和から生じていることを考える必要がある。勿論、規制緩和は金融ばかりでなく、多くの業種で規制緩和が進んでいるが、その規制の緩和から生じる不正は後を絶たない。規制緩和によるグローバル経済は一方では寡占化が進み、物資の高騰を招く恐れがあることを肝に銘ずるべきである。

バブル経済崩壊の後遺症

不正を行えば金儲けは誰でも出来る。ここ数年嫌になるほど不正による経済犯罪が多発している。この原因は、バブル経済崩壊後の社会に問題があると思われる。このブログで何度も書いたが、バブル経済は国民や企業が起こしたものではなく、政府の政策によって引き起こされたにも拘わらず、バブル崩壊後の責任は国民と企業が負わされたことに帰結する。企業が合法的に利潤を求めるのは正当な行為であり、同様に国民が富を求めるのは正常な姿である。しかし、失政で引き起こされたバブル崩壊後の魔女狩りとも言うべき社会現象は国民に正義の心を失わせたと思われる。周りを見るとお金亡者ばかりで、人間の価値観までお金に換算されている昨今は異常である。今の世の中は心優しき人にとっては住みにくい社会である。電車を降りる時でも平然と入り口に立って邪魔しているのを省みない姿や、体がぶつかってもお詫びの言葉もない人達など他者に対する思い遣りがない社会になっている。この謝らない姿は米国流の誤ったら認めてしまうと言う法律社会の悪影響であろう。そう言えば、ロシア人の相撲取りが大麻の検査結果を否定している醜い姿は、現代の日本人を投影した姿であろう。特に、昨今は然るべき地位に相応しくない能力の人が就くと言う不思議な現象も起きている。何れにしても不正を生み出しているのは、誤った社会システムの構築にあるのは自明の利であり、国民の信頼を失った政治と行政の責任は重い。

上場会社のレベル低下?

先日、外資系の投資ファンドの代表とお会いした時に日本の上場会社のレベルが低下している事で意見が一致した。勿論、上場会社ですから見た目は立派ですが、組織として機能していないのに驚く事が多い。終身雇用制の時代は会社が社内外の研修や社員教育に費用を掛けたために、仕事における基本的なものを学ばせてくれた。また、年功序列制度が守られていたので、先輩社員も後輩に対して多くの経験を社内外で語ってくれたものであった。さて、今はどうかと見ると、終身雇用制や年功序列制度が崩壊したため、全ての社員がライバルとなり、若い社員に親切に仕事を教えてくれる先輩・上司の存在がいなくなった。このため、今の若い社員は驚くほど基本的なものを身についていないので、業務上のミスを生みやすい環境にあると言える。人材の流動化とは聞こえが良いが、仕事の基本が出来ていない社員に社運をかけたプロジェクトを任せるリスクは恐ろしいの一言に尽きる。どんなに頭が良くても最初の一が分からなければ十を知る事は出来ないのである。経験が配慮に結びつきリスクを回避できるのである。トヨタが省資源でパワーポイントの使用を禁じたが、実際はパワーポイントで作成するプレゼン資料が体裁だけで内容が伴わないのに気付いたからではないかと思える。

日本国の本当の借金はどの位か!

今回のテーマは検証した内容ではなく一部の方が指摘している事が本当かどうかを述べることにする。日本国の借金は増加し続け、今や800兆円の大台となり、消費税の大幅アップしか打開策がないと言うのが一般的に知られていることである。しかし、これは決算した数字でなく借金だけを公表した数字で、資産を考えると全然違うと言った声が聞かれる。資産とは何かと言えば、大きな物は国が保有する米国債である。この米国債の残高が500兆円あると言われている。このため、実際の借金は差し引きすると270兆円程度と大幅に減少することになる。もちろん、米国債が簡単に売却できる代物かどうかの議論は抜きにしてであるが。この270兆円から更に国内の国有財産分を差し引くと幾らになるかは知らないが、推測するに大した残高にはならないと思える。これで政治家と役人が危機感を持った政治を行わない理由も分かると言うものである。然も、今の日本の政治は生命の危険と背中合わせの状況にはないので、真の政治かも官僚も育たない。自民党総裁選挙の候補者5名に関しても一国の宰相になる器の人材ではない。一方、民主党の小沢一郎も官僚を支配するために国会議員100名を官庁の要職につけるなどの馬鹿な政策を打ち出しており、これまた期待する様な人物ではない。予算資料を読めれば官僚など簡単に支配できるのである。勉強もしない政治家が多いので官僚に嘗められるのである。国の真の借金の残高の知らない国民は不幸である。

何のための条例「神奈川の禁煙条例」

神奈川県の松沢知事も他に遣る事があるだろうと思う。道路や公共建物内の「禁煙条例」なら未だしも飲食店内など民間施設の禁煙など余計なお世話である。飲食店などは分煙を認めると言った案が出ている様だが、飲食店などは営業上既に分煙などを行っている店は多い。バーやパチンコ店、マージャン店の禁煙なども然りであるが、「シガーバー」はどうするのか。狭いバーで分煙などのスペースが取れる訳がない。今回の条例は表面的には県民の健康を維持して健康保険料の軽減が目的なのであろうが、実際はこの様な愚策を行うのは選挙に向けた資金集めと支持の拡大のためであろう。この条例が施行されれば改修工事をする必要があり、儲かるのは建築関係業者である。松沢の正体見たりである。物価高の消費不況に陥り、売り上げ減少に泣いている飲食店舗に対して配慮するどころか足を引っ張る政策を立案するとは言語道断である。この様な知事は再選させるべきでない。

本末転倒な話

新聞報道も政治家も国民の預貯金を投資に振り向けないと日本の企業と国家は駄目になると喧しい。日本国民は堅実だから低金利でも投資は行わないと言う見方は否定しないが、預貯金が投資に行かない最大の原因は国民の政治不信・行政不信にあると言う事実である。20年前のバブル経済は企業や国民が引き起こした様に言われているが、プラザ合意による内需喚起などによる実際は政策の誤りであり、責任は行政と政治家に帰すべきものである。しかし、バブルの後始末の負担を企業や国民に転化して犠牲を強いたのである。バブル経済崩壊後の14年間の政策も国民を騙し続けている。規制緩和と言って上場企業を簡単に増やし、簡単に潰す政策を見ている国民が株式投資に積極的になる訳がない。外国投資がないと日本は潰れる様な大袈裟な評論家が多いが、日本における外国投資は発展途上国と違い日本国民のプラスになっているとは思えない。今回の株の暴落も企業業績と関係なく空売りを掛けて儲けている外資系証券会社の実態を見るとこの状況に株式投資を促している政治家などは国民に損を承知で勧める詐欺師と言わざるを得ない。日本経済の停滞は政治不信が背景にある。政治家は改革と言っているが国民に痛みを強いるだけで政治家と役人は何の痛みも受けていないのを国民が良く知っている。財政再建も本当に危機感があるなら政治家も役人も今の様な無責任な予算を組まない。実際は国民に煽っているほど心配事ではないのである。心配なのは財政再建を行わなければ利権が縮小するからである。言葉でなく真の改革として国会議員定数の半減や不要な行政組織の解体をすれば国民の信頼を取り戻せる。政治と行政が国民の信頼を得れば多くの問題は解決に向かうのである。本末転倒の議論はいらない。

人間不在の政治

読売新聞の「明日への話題」に掲載された作家「長部日出雄」氏の現在の経済に対する意見は説得力があった。世界経済を危機に陥れたサブプライムローンと言う問題に対して専門知識がないと言いながらこの様な金融商品を考え出した人も受け入れた人も、マックス・ヴェーバーが資本主義の発展の最終段階に登場すると予言した「精神のない専門人」であるとしか思えないと論じ、古典派経済学の学問の経済学は道徳哲学の一部であり、人間に関する科学として何より問題とするのは、経済的・社会的な生活条件によって育て上げられる人間の質だ、と言う認識をヴェーバーがフライブルト大学の教授就任講演において述べた事を指摘している。更に、ヴェーバーの経済学は財貨より先ず「人間」に関する学問だった述べ、翻ってサブプライムローンや日本の医療制度を崩壊に導きかけている政治家と官僚に共通するのは専ら数字上の計算に終始し、最も本質的な人間の姿を完全に無視していることであると指弾している。確かに、長部氏の指摘している通り今の日本の政治には人間と言う存在はない。最も、近年の経済学は複雑化した社会に対応するために学問的には社会科学の分野の範疇で研究が強化されてきたが、政治に関しては相変わらず人間不在である。今回の選挙に関しても党利党略で国民を考えた動きではない。福田総理の辞任は、公明党の圧力で遅くても来年1月に選挙を実施しなければならなくなり、支持率の低い福田では選挙を戦えないためである。今回の衆議院の選挙は自民党に不利だが、民主党の代表選で「小沢一郎」の他候補を認めない手法に対し、自民党は開かれた政党と差別化できる千載一遇のチャンスが巡ってきた事に活路を見出したことによる。世界政治経済情勢の最も重要な時に国内の党利党略で国益を失する両政党を支持する考えはないが、他に支持する政党が出てこない状況は嘆かわしい。コンピューターの発達が社会現象の分析を容易にし、人間より数字を重視するようになった事が悲劇を生んでいる。特に、若い世代はPCを通して安易に情報を得られたり伝達できるためにあやふやな人間の記憶に頼る経験を軽視しがちだが、コンピュータを万能視するととんでもない間違いに気が付かないで事故を起こす可能性は高い。また、重要な情報は人と人との交流から得られということも忘れてはならない。人を大事にしない組織は未来がないことに気付くべきである。我々の生きている世の中はやり直し出来るバーチャルではないのだから。

地価暴落説のインチキと下落期待者の勘違い

最近、不動産業界を取り巻く環境が著しく悪化したためマスコミを始めとして地価大暴落の合唱で五月蝿い。銀座など一部の高騰した土地についての地価に限定しての話ならば間違いとはいえないが、土地全体の話ならばあり得ない事が誰でも分かる。しかも、バブル経済の崩壊時と異なり、不動産現物の取り扱いの市場以外に不動産証券化の市場や不動産ファンド市場も確立されていることと、今回の不動産会社の破綻は大部分が債務超過でなく、運転資金の不足による倒産であるので不動産の投売りが行われる可能性は少ない。しかし、今の購入希望者は地価暴落を期待しているので高い利回りの物件を追い求めているが、良い場所の物件はどの様な状況でも利回りは低いと言うことを理解するべきである。高利回りの物件を購入しても入居者の退出後に入居率が上がらないような物件では意味がないのである。良く掘り出し物件を求められるが、何らかの瑕疵がなければ不動産は必要以上に安くなることはないのである。もちろん、瑕疵といっても認識には個人差があり、自殺した家でも良いと言う人には良い場所を安く買える可能性はある。それ以外では、100年に1回の大洪水が起きれば家屋が水浸しになる場所とかである。自分の価値観を持って不動産投資を行うのが賢明である。マスコミも他者もそれぞれの思惑で動いているので、それに惑わされると投資機会を失う事を忘れない方が良い。

不動産会社の淘汰は建築構造偽造事件が始まり?

最近良く官製不況と言われる。確かにその通りと言えるが、その原因を深く追求したコメントにはお目にかかれない。日本の役人がバブル経済崩壊以降に財政再建を優先したり、最も悪い時期に会計基準を改正したりと現状を無視した政策を実施してきた事は周知の事実である。しかし、今回の不動産会社に対する融資規制(金融庁は否定しているが!)に関しては、ミニバブルやサブプライム問題を利用しての新興不動産会社の淘汰ではないかと最近思う様になった。今から20年以上前のバブル経済時の不動産に対する融資規制については、その時の事を言えば「全ての不動産会社を対象にした訳ではなかった」のである。当時の大蔵省銀行局の各銀行に対する指示は、「何の独自な技術も持たない会社や社会に貢献しない単なる地上げ業者」をターゲットにしたのであって「社会に貢献している不動産会社」に関しては支援するように指導していたのである。今回の不動産に対する融資規制は「雨後の竹の子」の様に増えた不動産会社に対して行われているが、その理由は「建築偽造事件」の様なモラル欠如の会社が増えたことと思われる。このため、金融機関側は、既に支援すべき不動産会社を選別しているものと思われ、支援されない不動産会社が全て破綻した段階で不動産に対する融資は正常に戻るものと推測される。勿論、この淘汰には依然として需要より多いと思われる建設会社も不動産会社の破綻を受けて倒産することも承知の上であろう。今回の倒産の多くが債務超過でなく運転資金の不足なのが全てを語っていると思われる。今後も新興不動産会社の破綻が続くと思われるが、破綻した会社を分析すると「裏社会との関係」、「モラルの欠如」、「土地転売屋」、「何のスキルも持たない会社」などである。この範疇に入っていなくても担保不動産がない会社は生き残れないであろう。オフバランスは一時流行ったが、非常時の資金調達には固定資産が必要なのである。何事も極端に走るとリスクを招くことになる。

 

政治・社会が戦前と似てきた?

格差社会、凶悪犯罪の増加、国会混乱で政権の短命など何処かで聞いた話だと思ったら戦前の日本の事でした。勿論、豊かさや、軍隊の強さ、天皇制度などから戦前とは全く違うのですが、「格差社会の拡大」、「凶悪犯罪の増加」、「国会混乱」については間違いなく戦前回帰です。尤も、戦前の格差社会は現代のような生易しいものではありませんでしたが、この格差社会は何百年も続いてきたものですから不条理ではあるものの社会から受け入れられてきた一面はあります。一方、昨今の格差社会は国民の80%の人が中流階級意識を持つに到った時点で起きたことですから、政治が余程ケアしないと社会システムの崩壊に繋がる危険性はありました。小泉改革派はこの様な視点に欠けた政策を実施したため、結果的に制度の改悪を招いてしまった。政治改革に関しては、小沢一郎と言う人物が時代錯誤を省みない2大政党論の小選挙区制度の導入で国会の混乱を引きこしている。価値観の多様化の流れの中で2大政党では民意を汲み取れなくなってきた時代に逆行した小選挙区制度の導入は、戦前の国会の混乱を再現した以外何等の価値も見出せない。戦後の中間選挙区制は戦前の小選挙区制の欠点を考えた上で導入したものであったと思料される。歴史を知らない政治家が簡単に制度を変えてしまう危険性が高まってきている。政治家もマスコミも今のような時間軸が早い時代では大連立が必要性を唱えているが、それなら何のための2大政党の実現のための小選挙区制度か言いたい。国民を嘗めた話である。福田総理の辞任で衆議院選挙が近づいているが、歴史を知らない政治家を選ぶのだけは止めにしたい。

浮利を追わず!

バブル経済が崩壊し平成大不況に陥っていた時に「浮利を追わず」と言う社訓が当社にあったのにバブルの流れに乗ってしまったと、当時の東洋信託銀行(現三菱UFJ信託銀行)の方から聞いたのを思い出した。後年、この言葉は住友グループの営業理念にもある事を知り、関西出身企業の営業理念なのかと思ったものである。渦中にあって「浮利を追わず」が難しいのは今回のミニバブルからも言えるが、新興不動産会社各社のホームページを見るにつけ、グローバル経済の影響か「浮利を追わず」の様な過去の教訓を肝に銘じる言葉はない。然も、某上場企業の入社面接においては「お金に執着すること」の必要性を求められた事を聞いて驚いた事を思い出した。確かに、欧米流では稼げるだけ稼いで若くしてリタイアする事が夢であると言われる。今の日本も人材の流動化は進み、成果主義が浸透したため、「浮利を追わず」は死語になった感がある。新興不動産の会社は一様に成果主義を採用しているが、この成果主義は正に「浮利を追わず」とは相容れないものである。日本の政治も悪いが、成果主義を取り入れて「浮利を追った」会社が"しっぺ返し"を受けている。今回のミニバブルを乗り越えるにはこの反省なくしてはあり得ない。

 

グルジア問題を深読みする

グルジア問題の本質が見えて来た様に思われる。ロシアが米国の陰謀だと言ってる事も見当違いではないかも知れない。グルジアが南オセチアに軍事攻撃を仕掛けたのは確かである。グルジア政府がこの攻撃に対してロシアが動かないと読んだとは到底思われない。この軍事衝突に対してフランスとドイツの動きも素早かった。イギリスでは中国の五輪報道以上にグルジア問題を大きく取り上げていた。欧米の政府にとっては軍事紛争を抱えることはサブプライム問題で経済不況に陥ろうとする国民の不満を転化させる効果はある。更に、穿った見方をするとロシアにグルジアの一部を渡すことでイラン攻撃を黙認させる意図もあるかも知れない。兎に角、権力者にとって経済不況に対する問題解決に軍事紛争は魅力的である。ロシアは米国大統領選挙で共和党のマケイン候補に有利な状況を作るために行った軍事衝突と指摘しているが、確かにグルジアに飛んだマケイン婦人の行動は素早かった。世界政治は複雑怪奇なのは今に始まった事ではない。サブプライム問題に直面している欧州の各国の政治家からすれば、何とか経済立ち直りの糸口を掴みたいと考えている筈である。それは局地紛争などの戦争行為を含めている事を日本人は考える必要がある。最近の日本の政治家の無策を見ると第二次世界大戦前の政治と同じ道を歩んでいるような気がする。

 

公務員同士の結婚は民意の欠如を助長?

タイトルに書いた憲法違反になる意見を敢えて取り上げるのは、少なくても伴侶が民間の企業に勤務していれば「景況」に関しても「経費・時間」の考え方に敏感となり、公務員の仕事にもっと民意を反映した行動となるのではないかという指摘である。公務員と言う職業は基本的には民間企業のようにリストラで首にされる心配はない。大阪府の橋下知事と府労組との交渉で垣間見た公務員の現実離れの言動は、中小イ企業の社員から見れば言語道断であろう。確かに、行政は民間企業の様に収益を考えた組織ではない。しかし、収入以上の支出に対する麻痺(足りなければ増税すれば良い感覚)には驚くばかりである。少なくても伴侶が民間企業に勤めていれば収入に見合った支出と言う意識は持てると思う。もちろん、公務員同士の結婚の比率がどの程度か分かっていないが、最近は公務員同士が以前と比べて増えていることは間違いない事実である。公務員の民意との欠如の最大の理由は、公務員の給料が大企業の社員並みに引き上げられたため、公務員を目指す人たちの動機が国民に奉仕する事でなく、安定した生活になった事が大きなマイナス要因と思える。公務員は貧乏を我慢しろとは言わないが、少なくても民間企業の給与の平均値であるべきである。給料が安いと悪い事するなどと言う議論は話しにもならない。最近は全部と言わないが危険な職業である警察官や消防員まで自己犠牲の精神が失われて来ているのはあまりにも恵まれた老後が待っているからではないか。公務員の給与の高さが、民意から離れる原因を作り、国民を守る職業の公務員が臆病になったのでは税金を納める気力も失う。

低金利の弊害

日本の長く続いている低金利については色々な弊害が出ているが、その中のひとつには不動産開発に関してである。何故、不動産開発に低金利の弊害が出るかと言えば、事業期間中の調達金利が安いので事業計画に対する危機感の欠如が起きるということである。私の若い頃は、不動産開発の事業計画の期中金利は高い時で10%を越え、バブル経済時代には4%台まで一時的に下がったが、数年で直ぐに7%台に戻った。大分昔の話になるが、私が上司にプロジェクトの事業収支を作成するように指示された時に採用した調達金利は7.4%とした記憶がある。この金利は過去30年位の平均金利であったことを思い出す。もちろん、今の時代でもノンバンクから借り入れると6~8%台になるのであるが、低金利の世の中でこの調達金利では事業が成り立たない筈である。今回の都心で起きたミニバブルの地上げ資金には高金利のノンバンクの資金が使われたと思われる。このため、直ぐに更地で転売できれば良いが、そうでなければ破綻は目に見えていた筈である。事業収支計画もまともに立案できないような素人地上げ屋が横行してミニバブルを引き起こしたのであるが、低金利の時代に高金利で調達した事業が成り立つ筈がないのを忘れている。調達金利に鈍感になったのは長く続いている低金利の弊害と思える。

原油高でロシア復活後の世界経済の行方

大国ロシアが原油高で息を吹き返した。今後は冷戦時代とは言わないまでも欧米中心の政策は舵取りの変更を余儀なくされると思われる。ケインズ以降の資本主義経済は成長の実現に試行錯誤を繰り返している。グローバル経済における資本主義の宿命ともいえる「創造と破壊」は想像以上にダメージを受けることも分かった。共産主義時代にエリートとして成長したプーチンは、米国依存のグローバル経済の危うさと、世界標準と言う新植民地主義を見抜いていたのかもしれない。そこに降って湧いた様な資源高騰の原油高が起きてプーチンは失地回復の千載一遇の機会と捉えたと思われる。グルジア問題はロシアの失地回復の始まりとなり、グローバル経済の大前提であった世界平和の推進に陰を落とすかもしれない。この変化は日本にとっては悪い事ではない。地政学的にロシアが強国でなければ日本は米国に政治的な影響を与える事は出来ない。また、今のような無能な政治家の経済政策の失策に対して時間稼ぎが出来るかもしれない。世界標準と言う新植民地主義を遅らせることにもなり、今後は資源を巡っての民族主義の台頭が起きるきりかもしれない。歴史は繰り返すの言葉は生きている。資本主義の停滞に対する「創造と破壊」には戦争も含まれる事を日本人は肝に銘じるべきである。

日本人の先送り体質の弊害

自民党の選挙対策のような景気対策が出た。行政マンレベルの頭しかないと言うか、行政マンにコントロールされている今の国会議員に期待出来ないのは自明だ。此処まで来る前に手を打つべきなのだが、日本人の底流に流れている「先送り」が優先されて何も遣らずに来たツケは大きい。先見の明があれば、今年の春に期限切れとなった石油特別会計の割り増し税を再度延長する様な愚は犯さなかった筈である。1兆円の税を得るために数兆円の減収を引き起こす責任は重い。NHKの大河ドラマ「篤姫」にも末期の徳川幕府の官僚が目先を優先して「先送り」の政策を行っているのが表現されているが、現代の政治も正に同じである。日本の経済停滞は全てが目先の事ばかりの措置で、一向に将来像が見えない不安から来ている事に対し誰も眼を向けないからである。今の日本には政治家が存在せず、政治家と言う官僚ばかりが跳梁跋扈していている。小泉の様なインチキ改革の反動で真の改革まで見えなくなってしまった。政府の御用学者や嘘八百の金融マンなどは小泉改革を中断したから日本経済は悪くなったと言ってるが、小泉改革は、「道徳の欠如」を生み出したばかりでなく、「正直者は馬鹿を見る」と言う世の中にしたことが、日本経済低迷の大きな原因である。信用されない政府が何をやっても効果が出ないのは当たり前である。景況で生活の影響を受けない制度に保護されている官僚の意見に従った政策では、ますます国民が政治と乖離するだけである。政治家が太り、官僚が太り、痩せるのは善良な国民だけである。

物価高で投資信託に走る年金生活者のリスク

利率の高い金融商品で元本減少リスクのないものはないのだが、勧誘のレトリックで元本が保証されてるかの様な錯覚で株式の投資信託を購入し損失を出している高齢者が多いようだ。最近の事例だが、「この投資信託は日経ダウ平均が4000円以上下落しないと元本割れはない。過去10年を見る限り4000円以上下落していません」と、更に駄目押しで「この金融商品は毎月配当が得られます」との説明を聞いて購入したそうだ。ところが今回の株式の下落は「4000円以上」となり、購入した高齢者は元本の3分の2を失う結果となった。確かに、勧誘者は嘘を言ってはいないが、「過去10年」に限定した株価の現象説明が問題であろう。ご存知の通り「過去30年」に遡れば「4000円以上下落の事実があるからである。どうも金融商品の販売にはこの種の話が多い。不動産もリートと言う小口化の金融商品になると胡散臭い面が出てくる。昨年9月の金融商品取引業法の実施で消費者が保護される制度の確立がなされたと見る向きが多いが、その反面には投資スキームが狭められて中小企業の会社の投資商品の販売が難しくなっている。大手企業が仕組んだ複雑な金融商品より遥かに運用面で分かりやすい不動産の商品が実質的に排除されてしまった。何のための消費者保護かと言いたいが、所詮現場を知らない行政の限界が見える。今回の物価高は年金生活者をリスクの高い金融商品に導くものと思われ、比較的安心な国内不動産に対する投資を不思議な金融引き締めで崩壊させている意図が見えてくる様な気がする。

余計なお世話の地価公表

今朝のTV報道で地価が下落傾向にあることを流していた。これは公的機関の調査によるもので今は3カ月毎に地価の動向を調査して国民に知らせるシステムとなっている。行政と言うのは一回制度が出来るとどの様な状況でも実施に拘る習癖がある。今の経済状況で地価の下落情報がどの様なマイナス効果を与えるのか考えていない事に腹が立つ。財政難と言いながらこの様な経済情勢が悪化してきている時に無用な調査費を使って公表するのは言語道断である。百歩譲って地価情報を公表するなら住宅地域だけとし、商業地域などの地価公表は行う必要がないことを理解すべきである。本来、土地は購入者自身の価値判断で決めれば良い事で、誰もが仲良く同じ価値を共用する類のものではない。土地を全て投資として考えさせるから可笑しくなるのであり、同じ土地でもその上で行う事業によって当然に価値が異なるのに何故統一した価値に帰結させるのであろうか。住宅であっても然りである。誰もが「成城」や「田園調布」に住みたいと思うわけではない。住みたいと考えるだけの人の価値でしかないのが土地である。それを投資として喧伝するから土地の騰貴が起こるのである。況してや、行政が此処の土地は高いよ、此処の土地は安いよと公表して自然な取引に介入することは、街の再開発に歪みを生じさせる原因にもなってしまう。財政難の今日、余計な予算を切り、財政を健全化する事が行政の責務と考えろ、と言いたい。

ビルの防災用品の備蓄記事に思う

当社の本社が所在する東京都港区虎ノ門1丁目のアーバン虎ノ門ビルでは大地震などの災害に備えて「非常食糧」、「医薬品」、「生活用水」、「簡易トイレ」などを備蓄している。この備蓄は、「阪神・淡路大地震」の1995年に開始されたので、今年で13年目となる。最近、新聞で森ビルの六本木ヒルズで防災設備を備蓄している事が報道されたが、アーバン虎ノ門ビルは他のビルに先駆けて行っている。なお、アーバン虎ノ門ビルの宣伝になるが、当該ビルではこの他にもテナントに対するビル情報の提供をビルのホームページで行っており、ビルに対する各種届出に関してもWEB上で出来る管理システムを10年前に開始している。これ等のアイデアは10年以上前に当社が提案し実現したもので、この他には8年前に大型ビルでは初めてとなる出入管理(施錠・開錠)に「指紋照合設備」を導入した実績もある。これ等は当社が設計事務所であり、またデベロッパーとしての建物造りと完成後に建物管理を行ってきた経験から他社に先駆けて行う事が出来たものである。昔から満足するビルを造れるのは3棟目になってからと言う格言があるが、確かにビル造りには多くの経験が必要であることを実感する。特に、現代は多くの新しい技術が生まれてきているので、いまビル造りに携われる人は羨ましい限りである。

民業を圧迫する無用な独立行政法人

独立行政法人「都市再生機構」なるものがある。この組織は住宅公団から始まってその後他の公団との合併を繰り返して生きながらえている。当初の目的は国民の低所得者層に住宅を提供すると言う素晴らしいものであったが、途中で役割が終えたにも拘らず民間デベロッパーと競合する分野で生存している。もし、この組織を生かすなら「都市再生機構」でなく「地方地域再生機構」と思えるのだが、地方地域は事業採算性が乏しいためか民業を圧迫する都市部の開発を対象としている様だ。事業に高級賃貸マンションの建設などがあるが、記憶ではバブル経済時代に高所得者層の住宅供給に乗り出している。この分野は公的な組織が行わなくても良いのにも拘らずである。国会でもその必要性に関して何も議論されないのが現状である。尤も、政治屋がこの様な組織に利権を見出しているのかもしれないが。国民の知らない場所で役人と政治屋が結託して税金を食い物にしている構図が浮かび上がる。この様な存在を許し、先進国に例を見ない3万人の自殺者を顧みない行為は天罰に値するであろう。

新しい建築士制度の疑問!

今年11月28日から「新しい建築士制度」がスタートする。この制度は建築士の構造偽造事件に端を発して制度の見直しが行われた結果である。この制度の見直しは、役人の失態を民間に転化する以外の何物でもない事は承知の事実である。先の事件は犯罪である。建築士の知識不足や経験不足などから起きた事ではない。一番の原因は、建築基準法の改正で民間に建築確認審査の委託が可能となった審査期間の制度やシステムに問題があったからである。私は民間に建築確認審査を委託すること自体を否定するものではない。問題は小泉政権時代に民間に委託するに際しての検討を十分に行っていないために起きた事件であると言う点である。建築確認の内、「意匠」、「設備」に関しては民間委託でも良いが、構造に限っては役所でも建物の大型化によって審査が困難になってきていたにも拘らずその事を無視して審査能力が劣る民間に「構造」の審査まで委託した事である。尤も、国土交通省はそれに気付いていたから「構造ソフト」を開発を民間に委託して構造設計士にその使用を半ば強制したのである。しかし、この結果はご存知の通り、ソフト自体の欠陥によって構造偽造事件が発生し、マンション販売業者に対する社会的な信用不安が起きたのである。今回の事件で改善しなければならないのは建築士制度ではないのである。その前に民間審査機関の会社に対する査察の強化やスタッフの審査能力などの研修強化制度の確率である。また、「構造審査」に関しては別途現在設置されている建築関係の財団法人や独立行政法人に再委託するシステムを構築すべきである。今回の構造偽造事件により構造審査に硬直性が生まれ、自由な発想による建築物の設計に支障が出てきている。役人の責任逃れの制度の確立が民間の自由な発想を縛り、高コスト化に繋がれば何のための建築確認の民間委託化と言うことである。今回の新建築士制度が役人の天下りの増加に繋がる事は目に見えており、事件を逆手に取った自己増殖である。このため、本末転倒な建築士の講習だけで建築犯罪を防止できない事を知るべきである。

中国冷凍餃子事件に関する報道タイミングの疑義

北京オリンピック開始直前にタイミングを見計らった様な「日中間の冷凍餃子事件に関する情報」を新聞各社が報道をした。この報道の情報源は政府高官からの情報として流されたものだが、本情報は洞爺湖サミット時に中国から報告されたものであり、現時点で公にしない事を日中間で合意したものであった。政府間の合意を簡単に記者に暴露した政府高官とは誰かと言う所だが、リークしたタイミングを考えると今回の一連の中国冷凍餃子事件の真相が見えてくる。最初に事件が起きたのは胡錦濤国家主席の来日前であり、今回はわざわざ北京オリンピック開始前のタイミングを考えた上での報道であった。結論から言えば、冷凍餃子事件は日中間の交流を妨害したい勢力が仕組んだ事件と考えれば分かり易い。今回の報道は語るに落ちたとはこの事かと言うのと同時に、日本人が簡単にマスコミ報道で動かされ易い国民と馬鹿にされていることである。冷凍餃子事件の初期報道では、冷凍餃子を作っている工場が一部報道では前近代的な画面が流された。しかし、実際は清潔な近代的な工場であることが報道され、最初から悪意のある報道であった。今回の様な事件が起こせる組織は世界の情報機関では、米国のCIA、イスラエルのモサドなど限られてくる。平和ボケした日本人は会話で政治的な問題が解決すると考えているが、軍事産業と言う巨大な企業が存在する限り、地域紛争はなくならないことを肝に銘じるべきである。冷凍餃子事件を画策した勢力は、今後は中国の格差社会と役人の腐敗、更には民族対立を煽って分裂を画策してくることが予想される。この画策に邪魔な日本人や日本企業に対しも日中の離反を働きかけると思われる。クラウゼビッツの「戦争論」は未だ現代に生きている事を日本人は考えるべきである。「外交の延長は戦争」であることをである。そうでなければロシアとグルジアの紛争など起きない。

外資導入と騒ぐマスメディアの馬鹿さ加減

日本のマスメディアは相も変わらず日本経済の再生には外資導入が不可欠とデマゴーグを発信している。外資は必要ないとは言わないが、日本は世界でも少ない貿易収支が黒字の国であり、新興国のように国内に資本がない国ではないにも拘わらずである。バブル経済崩壊後に金融機関の不良債権の処理に外資の支援を受けたのだが、それは国内の富の活用が出来なかったからである。株式市場の60%が外資保有のために企業業績に反して海外の事情で大幅に株安を招いている。一方で個人の金が国内の低金利のためリスクの高い海外の投資信託に流失している。もちろん、低金利は膨大な赤字国債に起因しているのだが、今こそ国内の富を「農業再生ファンド」、「中小企業ファンド」、「防災都市強化ファンド」、「水産業再生ファンド」、「地方公共投資ファンド」などの立ち上げによって内需拡大に向かわせることが重要である。総会屋紛いの短期利益を貪る株式投資の外資などは無用である。国内の富が動かないのは国を信用していない為なので、それを招いた政治家と官僚の責任は重いが、一番の責任は給与所得が高いのにも拘らず何等の生産性にも貢献していないマスメディアある。記者クラブによる発表記事と海外ニュースの翻訳記事が大半を占め、学問的な業績もない似非学者の評論で構成されている新聞は、正に国民を間違った方向に誘導したナチス時代のゲッペルスの宣伝の役割を果たしている。

選挙で「お願いします」と頭を下げる議員はいらない!

選挙民が当たり前のように聞いて不思議に思わない議員選挙に立候補した人達の「お願いします」の言葉がある。議員と言う職は、選挙民のために犠牲的な精神で働くから税金で報酬なるものが支払われるのである。自己犠牲に「お願いします」と言う言葉が出るのは誰が考えても可笑しいのである。「お願いします」は自分のための言葉であるから、この様な言葉を言って当選して議員になった人に期待できる訳がないと思うのは私一人だけであろうか。私の亡父は若い頃地方議員の職にあった。4年毎の地方議員や地方首長の選挙に出た時の亡父の演説では一度も「お願いします」と頭を下げた事はなかった。身銭を切って選挙を行い、議員として村を良くする活動をするのだから「お願いします」は支援者が言う言葉であり、立候補者が言う言葉ではないとの自説を断固として曲げなかった。後年、同郷の国会議員が選挙の時に夫婦して土下座したTV報道を目にした亡父の悲しげな哀れむ様な顔を今でも忘れられない。亡父は気性が荒い上に正論を唱えたので反対者も多く、然も若いときに農地解放運動などの活動を行った事が旧地主階級から嫌われて政治家としては燃焼し切れなかった面がある。しかし、生涯を通して弱者に対して優しく、地方政治に対する情熱は尊敬に値するものであった。私は今の時代こそ亡父のような議員立候補者が出て来る事を期待したいものである。選挙で「お願いします」と言う言葉は聞きたくない。

国土交通省の無用な配達物

「特定住宅瑕疵担保責任の履行の確保等に関する法律」の施行に伴う「重要なお知らせ」として国土交通省から当社に送付されてきた。法律の対象者である「建設業者」と「不動産業者」の全部に送ったと見られ、財政難で消費税アップの必要性が問われている今日にこの様な無用な配達物に予算を使うとは言語道断である。無用なと言ったのは、業界を通して既に熟知している内容に拘わらず、送られてきたからである。もし、法律の徹底を考えての事なら他に安価な方法が幾らでもあるはずである。そう言えば、小泉政権時代に竹中平蔵の側近が官庁の印刷物を知り合いの会社に随意契約で発注する様にごり押ししたとの記事を読んだ事があるので、今回も同様な理由があるのかもしれない。かって、政府の税調の会長を務めた元慶応大学学長の加藤何某が、TVの討論会で司会が役人の人件費や国会議員の経費の削減などの可能性を聞いたところ、この元学長はこの種の費用を削減したところで高々6000億円だから意味がないといったのを思い出した。確かに、何百兆円と言う赤字国債の現実から見ると無駄な努力と写るのかもしれないが、古来より誰もがこの様な考え方で無駄使いをするならば財政が成り立たない事を指摘されているのである。この様な愚かな政府サイドの御用学者が政府税調の会長を長く務めていたのだから国の財政が破綻するのは当たり前である。なお、今回の施行された「特定住宅瑕疵担保責任~」は住宅価格を高くするだけで本当に購入者に必要な法律かどうか分からない。喜ぶのは保険会社と中小住宅販売会社が駆逐されて競争相手が少なくなる大手住宅販売会社である。保険会社と言えばこの法律で役人の天下りの受け入れ枠を増やす事になると思われので、この法律は役人が天下り先をつくるためのお為ごかしと思える。

現在の不動産会社の危機は経験不足から来たもの!

日本のバブル経済崩壊後の中でも生き残ってきた不動産会社が、世界的な住宅ローン債権に対する信用不安から発生した金融収縮で破綻寸前である。不動産証券化が不動産市場を活性化させたのだが、現物売買では考えられないリスクが内在していた事に気付いた経営者はいなかった。不動産の証券化は金融機関の不動産貸付リスクを分散するために開発された手法の面が強く、決して不動産業者の保有リスクを軽減する目的で開発されたものではない事に早く気付くべきであった。不動産業者にとっては不動産の現物が証券化の手法によって新しい金融商品になると言うマジックが、不動産業に精通した人ほど大きなチャンスが到来したと感じたと推測される。しかし、バブル経済時に金融機関から長期資金を借り入れ、そのローンが抵当証券であった経験があれば不動産証券化に対して絶対的な信頼を置く事はなかったと思われる。誰も今は言わないが、日本にもバブル経済時に「不動産抵当証券」と言うリスク分散型の商品があったのである。現在の不動産証券化商品は単なるペーパーだが、日本の不動産抵当証券は購入者が持分に応じて不動産に抵当権を設定したので米国の不動産証券商品より遥かにリスクが軽減されたものであった。この商品が何故葬り去られたかと言えば、バブル経済後半にはこの抵当証券の発行を引き受ける金融機関がなくなり、中に浮いた形で崩壊したからである。実は今回の危機に苦しんでいる不動産会社はバブル経済当時、住宅産業に従事していた会社か或いは新興会社である。もちろん、新興会社の大半はマンション開発・販売で急成長した会社である。賢明な方は既に気付かれたと思うが、住宅産業は土地を購入して建物を建てて販売するので、資金需要の大半は短期資金の借り入れである。先に説明した抵当証券は貸しビルなどの建築資金の借り入れに必要な長期資金の範疇である。バブル経済時にビルの開発を推進した会社は殆んど消えたのだが、住宅産業に特化していた不動産会社は不動産の長期保有と長期資金の借り入れの必要がなかったために生き残れたのである。今回はそれが裏目に出たのである。不動産証券化商品は引き受けてがいないと成立しない事と、不動産の現物取引と異なり、他の金融商品と同様にクレジットクランチによってマーケットが収縮するということである。不動産証券化商品の登場で不動産取引が半永久的に続くと錯覚した会社は厳しい時期を迎えることになる。高校時代に暗証させられた「平家物語」の冒頭部分の下り「祇園精舎の鐘の声~」が聞こえてくる。

歴史を忘れた日本人!

2大政党政治、大連立が必要だとと言った言葉がマスコミ人からも良く出る。良く考えると、戦前の日本は2大政党が政権を奪い合っていたのを思い出した。また、マスコミ人が大連立は世界の流れと言っているのを聞いて大政翼賛会と言う政党の結集した歴史を忘れたのかと思う。勿論、戦前と現在は政治システムが違うと言うのだろうが、問題は日本人の頭の中味が大きく変わったのかと言うことと、歴史の反省なくして前進は出来ないと言う現実である。自民党の単独政権が長かったので政治の腐敗が起きたこと、及び適度な政権の交代がないと民意を反映した政治が行われないなどの理由によって2大政党政治を目指し、選挙制度を小選挙区制度に変更した事は記憶に新しい。しかし、戦前も小選挙区制であったが、その弊害も大きかったことに対しての検証が抜けていたように思われてならない。中選挙区制の良さは、地元利益中心の政治家でなくても当選する可能性があり、その事が国際社会の中で日本の姿などの大きなテーマで選挙を戦えた政治家を育んだ。日本の高度経済成長は戦後の多党連立の混乱期から単独政権になって開始したことを忘れてはならない。多くの政治家とマスコミ人は55年体制はアンシャンレジームと言って簡単に葬り去ったのだが、世界で最も安定していた日本の政治体制を評価し、恐れていたのは日本と競合していた国々であった。工業社会から知的財貨社会に変化してきた事に対する対応の緩慢さを槍玉に挙げて日本社会に最適なシステムを自ら壊してしまった愚を犯した。小選挙区制度は目先しか考えない政治家達を生み出し、マスコミは混乱した政治を憂いて大連立の結成を促している。大連立よりは55年体制の自民党単独政権の方が、野党の批判勢力がいて社会のセーフガードが有効に働いた筈である。歴史を学んでいれば今日のような愚は犯さず、55年体制を刷新する方法が幾らでもあったと思われる。米国の改革が何のために行われてきたかは為替の変動相場制に移行せざる得なかった歴史から多くのことを学べた筈である。企業人となった学生時代に優秀な友人達も歴史となると皆お粗末くらいの認識しかないのが今の日本人である。

田中角栄の亡霊

田中角栄は功罪相半ばする政治家と言える。しかし、官僚に餞別等の名目で金銭を与えた事によるお金に対する官僚の堕落と教育行政にお金で解決する政策を齎した事に関しては、「罪」の最たるものと言える。尤も、新潟県人にとっては、特に田中角栄の選挙区の人々にとっては今でも雪国を豊かにしてくれた感謝すべき人であるので、私の田中角栄批判には反発するであろう。今回のタイトルで"田中角栄の亡霊"としたのは、今日の日本人の金権主義や教育現場の退廃が"田中角栄"と言う人物を介在して起きているからである。田中角栄と言う男は、「人は金で動く」を信条として実践してきたと思われる。他人が形成した人生観を批評する立場にないが、田中角栄に限っては政治家であり、然も総理大臣にまでなった人物だから批判する権利が私にはあると思う。日本の官僚は一部を除き表面的には金銭的な価値観とは無縁を装うって来た種族である。それが田中角栄が「禁断の実」のお金で官僚を操縦法したことによって官僚のお金に対する執着が一挙に噴出してしまった。その後の官僚については、大蔵省(現財務省)の「ノーパンしゃぶしゃぶ事件」の通り、お金に堕落した姿を見るだけである。この官僚の堕落以上に深刻になっているのは教育行政現場である。先頃、大分県の教育現場での不祥事が報道されているが、この種の話は今や何処の県にも起きていると思われる。田中角栄は高度経済成長期の日本で教育現場に質の高い教師を得るには高額の給料を支給する必要があると誤解したことである。戦前に教育された師範学校出身の教師が立派だったのは国の費用で教育を受けたことに対する恩返しの意味があったからである。高い給料に引かれて教師になった者に高い教育の理想を求めるのは間違いである事に誰でも気付く事である。質の高い教師を育てるのは高額な報酬でなく、人を育てると言う高邁な理想を持って教育現場に立つ者を育てる制度を作ることである。その後の教育現場は政党の離合集散の影響を受けて更に間違った方向に流されてしまったのは悲劇と言うしかない。最近、日本にいながら日本の教育を受けず、インターナショナルのスクールで学んだ若い経営者にお会いしたが、素晴らしい考え方の持ち主であった。改めて教育とは何かを考えさせられた。ちなみに、私の母は戦前に教師の道を選んだ人ですので、今の母親のようには子供に甘くはなかった記憶がある。

WTOの交渉決裂を歓迎!

ジュネーブで開かれていた世界貿易機関(WTO)によって世界共通の貿易自由化ルールを定める閣僚会合の決裂が報道された。私の島国根性から言えば歓迎すべき事と思った。このルール作りを協力に進めたのは米国であるが、自分達に有利なルールを発展途上国に押し付ける姿勢は当初から無理があったし、我が国の農業にとっても歓迎すべき事である。輸出優先で農業が犠牲にされ、多くの農民は生産の喜びさえ失っている。インドの外相が、国民を犠牲にしてのルール作りは受け入れられないと言ったのは正論である。今回の原油高においても米国の代替エネルギー政策の補助金制度によって食糧高を招いているのである。マスコミはイランの核問題に対して米国やフランスの主張が正しい様に論じているが、子供でも思うのは米国とフランスが何故核を放棄しないのかと言う点である。持っている者が、持とうとしている国に対して持つなと言う論理は通用しないと考えるのは私だけであろうか。尤も、保有国である米国などは、開かれた民主国家であるから保有が許されると言うかもしれないが、それなら日本の保有については反対しないかと言うことである。また、核保有に既得権などはない事は自明の理である。自由化ルールや基準と言ったものは全てはある国やエリアに有利な様に作られ様としている。強大な米国や多くの国が参加するユーローに対し、アジアは共同歩調を取れないでいるので、常に不利であった。もちろん、今回の貿易自由化ルール作りははインドと中国を押さえ込もうとする米国とユーローの思惑であったので、決裂は歓迎すべきものと考える。魂を失った豊かさなどは意味がなく、貧しかったが心の豊かな時代に回帰すべきと考える。

今の日本には政治家がいない

今の政治家の発言を聞いていると行政マンと同じ発想であるのに驚く。政治家が行政マンと思考や方法論が同じならば存在の意味がない。検証した事でなくて恐縮だが、若いときに「東海道新幹線の建設」に絡んだエピソードを何かの本で読んだのだが、それには当時の日本の財政では建設に際して世界銀行(WD)から資金を借り入れる必要があり、借金返済に対しての考え方について行政マンの限界と政治家の発想の違いが際立っていた事が書かれていたので今でも鮮明に記憶している。世銀の借り入れに対し「東海道本線を担保」にしなければならず、万一にも想定している経済成長の予測が狂い、財政的に返済が出来なくなったら「東海道本線」が取られてしまうとの懸念で行政マンは建設計画に反対した。それを当時の建設大臣が、「東海道新幹線」を造るのだから「東海道本線」を取られる心配をする必要があるかと言って建設計画を断行したとの事である。この結果については謂わずものことである。東海道新幹線の建設がその後の日本経済の成長に如何に貢献したかは論を待たない。然るに、今の政治家の議論は行政マンの域を出ないのには情けない。この原因は色々あると思うが、一つには実社会の経験が乏しい者が政治家(2世議員)になっていること、二つには行政マンとして教育された者が政治家に多いこと、三つにはインフレ成長時代に長くサラリーマンとして生きてしまった者が政治家になっていること、などが上げられる。何れにしても、この範疇に入る政治家は行政マンの限界かその議論に反論出来ない輩なので何も期待できない。森、小泉、安倍、そして福田の全員が行政マンを越える経験者でないのが分かる。尤も、民主党の小沢代表も然りであるので、今の政治の貧困さが分かる。

日中韓の接近を喜ばない国々

日中韓の接近を警戒する国々が存在する。これ等の国の代表は米国であろう。中国の胡錦濤政権と韓国の李明博政権は日本が過去に例を見ないほど多くのことを話し合える相手である。しかし、この事が欧米諸国、特に米国にとっては好ましくない事は明らかである。このため、米国にとっては北朝鮮を存続させる事が軍事的にも政治的にも重要となり、今回のテロ指定国家の解除に繋がったと見るのは穿った見方であろうか。イランと北朝鮮の核を巡る対応には大きな差異がある。イラクの時にも同様であったが、各国の対応はそれらの国に対してどの程度の利権を有しているかである。イランは日本にとって原油の供給国であり、長い年月を経て信頼関係を気付いてきた大事な国である。ドイツとフランスはイラク侵攻には反対したが、イランに対しては米国以上に強硬姿勢なのはイラクには多くの利権を有していたが、イランには有していないためである。日本が欧米諸国と同様な行動をイランに取るのは愚の骨頂であると言える。もし、どうしてもイランに対して歩調をあわせなければならないなら北朝鮮に対しての強硬姿勢を条件にするべきである。此れが国益を守ると言う事である。拉致問題に対して政治家の山崎拓や加藤紘一は北朝鮮シンパの様な発言をしているが、過去に自民党の「金丸信」と言う北朝鮮に友好的だった政治家を思い出して欲しい。彼は北朝鮮から金の延棒を貰っていたのが検察庁の捜査で発見されたのである。山崎拓を北朝鮮利権と言った安倍前総理は正しかったのである。加藤紘一は外務省役人上がりの米国追従派であるからブッシュ政権のお先棒を担いだのであろう。ここで思い出して欲しい。何故、安倍前総理がマスコミに年金問題で叩かれて選挙で大敗して退陣したか。ブッシュ政権にとって北朝鮮のテロ指定解除に邪魔だったのでマスコミを使って退陣させたのである。特に、安倍前総理はインドのパール判事の子孫に会ったりと米国の虎の尾を踏んだことも怒りを買ったのかもしれない。小泉元総理の様な日本人としての価値観を持たない者が米国に歓迎され、国富の流失に一役買ったのであろう。戦前には多くの中国人が日本に学ぶため留学し、中国の近代化に大きな力となった。戦後の日中国交回復後に再度日本に多くの中国人学生が日本に学ぶために留学してきている。日本は戦前の過ちを繰り返すことなく、アジアの一員たる自覚で日中韓の提携を進めるべきであろう。

ミーイズムの台頭と自由化促進のリスク

国家間の農業生産物の輸入関税率を決める協議が進められており、日本の主張より低い税率で決定される状況となって来ている様だ。グローバル経済の進展を目指して国家間の障害を少なくすると言う大義名分の下で農産物の関税引き下げ率の作業が進められているが、ユーローの様な運命共同体に参加した国々の中なら分かるが、グローバル経済と言いながら、国家間のエゴがウエイトを占める今日の状況において世界的な食料不足になった時に輸入できる保証がない国連の理想主義に意を唱える私は時代遅れなのであろうか。米国の大豆・トウモロコシなどが原油高に伴う代替エネルギー政策によって食糧としてでなく代替エネルギーとして使われる事になり、輸入量が大幅に減少し、大幅な値上げを引き起こした。関税率の引き下げを議論する前に、米国の代替エネルギー政策の様な原油1バーレルの価格が75ドル以上になったら代替エネルギーのしての利用に供すると大豆などに補助金が出る政策を先ず撤廃させる必要がある筈だ。確かに、グローバル経済は国家間の分業体制を構築する意味があるのであろうが、果たして構築できるのであろうか。日本の様な国家と同様に農業国家が豊かになれないのは自明の理であり、豊かさを追求してゆけば1次産業でなく2次産業にシフトしてゆく筈である。勿論、農業生産技術の向上により、面的な生産から立体的な生産へと移り、遺伝子組み換えやロボットなどにより飛躍的に生産率が上がることも予測されるが、問題は今は過渡期で今回の資源高騰の中でミーイズムの台頭を見る限り、自由化には現時点では限界があることを認識しなければならないという事である。尤も、私の自説に対しては、輸出で豊かになっている国が相手先の農産物などを輸入しなくて豊かさを求めることは出来ないということも十分に理解できる。問題はバランスが崩れた時の保証の問題である。日本の政策は、農業を犠牲にして輸出を推進し、その結果が自給率39%となっているのである。若い人達は、貿易収支が黒字なのは当たり前でお金を出せば何時でも何でも買える豊かな時代に育っているから、自給率39%のリスクに気付いていない。もし、今後、貿易収支が赤字になったら先進国では見られない巨額な財政赤字との双子の赤字となり、これが円安を引き起こし、国民は大変な生活難に陥ることは目に見えている。この事は決して夢物語でないのである。私は特別に悲観論者ではない。私は、茨城県の田舎に育ったためと、亡父が県の農業委員などの要職にあったので、子供の頃から農業生産と言う現場を知っているからである。一人でも私の考えを理解し日本の今日的なリスクを考えてくれればと思う。

成功している企業の特徴と経営者達

現代の様な複雑系の社会で成功している会社の特徴は、1.偶然が重なり合って成功している会社、2.宗教的な雰囲気で社員のやる気を引き出している会社、3.江戸時代の5人組制度を組織に導入して連帯責任性で奴隷化している会社の何れかの範疇に入っている。"企業は人なり"と言う言葉があるが、創業時には何れもこの言葉を大事にしたので成功会社は発展してきたと思える。しかし、社員も多くなり、組織も拡大すると多くの社員にやる気を出させるには、カリスマ的な経営者による宗教的な指導が必要だが、似非カリスマ経営者は5人組の連帯責任制度で組織を維持することになる。尤も、大半は偶然が重なり合って成功している会社なので、経営者や組織や社員について語れる事は少ない。私が何故この様なことを書いたのかと言うと、戦後の混乱期から1970年代までの大企業経営者は一企業の経営だけでなく天下国家を考えていた人が多かったからである。最近、読売新聞に毎週土曜日に元セゾングループの堤清二氏が自伝とも言うべきエッセイを書いているが、その中にも当時の財界人の凄さが述べられている。しかし、最近の大手企業の経営者は自分の会社だけしか考えられない人物が就任し、日本と言う国や国民が眼中にない。情けない話である。もちろん、インフレ成長の中で減点主義に変わった組織が大人物を排除し、参謀クラスの資質の者が経営者になった背景はある。特に、経済バブル以後の日本企業の経営者は特にその様な小人物が目立つ。本当は今こそ戦後に活躍した様な企業人が望まれるのだが、どうも経営者の後継者の選択にも"平均化の法則"が働いている様で期待出来ないかもしれない。

東京の地価はバブル化したか

20年前の経済バブル時の東京の地価の上昇と今回の地価の上昇について見ると大きな相違がある。前回の時は都内の全ての地価が上昇したのだが、今回の上昇は値下がり過ぎた地価に対する反動的側面を持つ上昇であると思える。尤も、銀座の一部や青山・表参道エリアに関しては前回のバブル時以上の価格となったが、大部分は土地バブルとは言えない程度の上昇である。銀座や表参道の土地の上昇の原因は有名ブランド品の会社の出店に伴ったもので、その出店がその後の不動産会社による思惑投資へと拡大した結果の上昇と言える。しかし、単なる物販業者が借りられる賃料設定の土地価格でないので、限定的な土地バブルで済んだと言える。ちなみに、マンションの販売価格で見ると、前回のバブル時は西麻布で1坪2,500万円の高値まで上昇した。しかし、今回の販売価格を見ると、都内の一等地で1坪当り450万円程度である。尤も、10年前は1坪当り250万円であったので80%も上昇していると指摘する人がいるかもしれないが、この250万円の販売価格はバブル経済前の今より低い所得水準であった1980年頃と同じである。下がり過ぎた分を考慮しないとバブルであるかどうかの判断は出来ないのである。では事務所賃料の方はどうかと言えば、この場合も丸の内・八重洲・赤坂などの新築高層ビルの賃料が大幅に上昇して前回のバブル経済時点と同様な賃料水準となったのは確かである。しかし、既存ビルや大部分のエリアでは前回のバブル初期(1987年)の賃料水準まで上昇したのは少ない。特に、大手企業はリストラを含め固定経費の削減に邁進してきたので、前回のバブル時と比較にならないほど高い賃料を吸収でき事を考えると賃料バブルとはなっていないと言える。このため、今回は金融庁が土地バブルを懸念して不動産に対する融資規制をするレベルではないのに行なった事に疑問を持たざるを得ない。翻って、住居地区は兎も角、商業地区の土地価格に関しては行政が介入すべきでなく需給に任せるべきである。前回のバブル時もそうであったが、規制のタイミングの悪さで全てを駄目にしている。景気回復の遅れも含めてここ20年は政冶・行政の失政で苦しめられている。今回も然りであるので、地価は今後下落するなどの虚言に振り回されないことである。

日本人を壊した小泉元総理よ出て来い

通り魔的殺人がまた起こった。日本社会はDNA的に見ると世界でも稀な出アフリカの全てのDNAを有する民族と書かれた本を読んだ。これを意味するのは大陸の種族争いを避けて日本に来た子孫が我々であり、基本的には競争を好まない遺伝子を持った種族か、或いは争いに疲れて共存する道を選択した種族と推測される。もちろん、日本の歴史を見ると争いがなかった訳ではないが、負けた相手を皆殺しにする大陸種族とは異なるから、それぞれのDNAを有する人々の子孫がいる訳である。この事実は、聖徳太子が制定した17条憲法の第1条に「和をもって貴し」と定め、種族間の争いについての愚を指摘したことでも分かる。20代の頃、雑誌の編集記者として韓国経済の担当となり、韓国経済の強さと弱さを調査していた時に多くの韓国人が指摘した事は、日本人の労使交渉は会社の利益が損なわない段階で双方の妥協によって決着するが、韓国人の労使交渉は対決のまま平行線となり、会社を潰すまで終わらないと言う国民性を懸念していた事である。この様な特質を持った日本人をグローバル経済の御旗の下に格差社会を無理やり導入し、今日の混乱を引き起こした小泉元総理の責任は重い。小泉政権時に多くの改革を行ったと指摘するが、その成果は一つも挙がっていないのが実情である。今も赤字国債は増え続け、規制緩和した建築基準法では構造偽造事件が起き、必要のない独立行政法人を多く設立して国費の浪費を助長させているなど新たな問題を起こしているだけである。小泉は不条理な社会を造って日本人が長い歴史を通して作り上げて来た良さを壊した張本人である。国民に痛みを説いた小泉が何の痛みなども受けず、然も年金問題の責任は厚生大臣経験者の一人である小泉の責任でもある。小泉の改革を弾劾せずして日本の将来はない。

円流失の実態が身近に!

同業の設計事務所の社長から久し振りに電話が入り、来社の意思を伝えてきた。時間が空いていたので電話の当日にお会いしたのだが、話の内容は仕事の事でなく、彼の叔母の資金運用の件であった。物価高のために叔母は年金だけでは生活出来ない上、預貯金の金利も低く年金の不足分をカバーできないので、預貯金を解約して海外の投資信託に投資する事を勧めたいが、銀行で説明を聞いただけでは良く分からないので教えて欲しいと言う事が訪問の趣旨であった。この話は私にとって複雑な思いであった。原油や資源が高騰している今、円高にならないと国富が失われて行くのに、海外の投資信託の購入により円が海外に流失し円安を招く悪循環が起きている事に対してである。良く考えると、大手企業や公務員でないかぎり、確かに年金での生活は無理と言える。バブル経済崩壊前は預貯金の金利が年金不足分をカバーしていたが、昨今の低金利では元本を取り崩しての生活であった。それでもデフレで物価が上がらないので理論的には元本の一部を取り崩しても元本が減らない筈であった。しかし、今回の物価高は国内での預貯金での低金利の運用では生活維持は不可能となり、為替リスクを伴う金融商品に庶民を追い立てて行く図式が見えてきた。カジノ資本主義に翻弄される国民に対して無策な福田政権に憤りを感じるのは私だけであろうか。

サブプライム問題は日本が引き起こした?

最近のニュースで米連邦住宅抵当公社(ファニーメイ)と米連邦住宅貸付抵当公社(フレディマック)の2社の経営危機が表面化し、日本の金融機関が2社の発行した債券を総額で28兆円保有している事が判明した。これ以外にも年金資金が購入している分もあると思料され、日本全体で30兆円を越える債権を保有していることになる。関係者は債権には政府保証が付いているから大丈夫と説明しているが、歴史から見れば本当に信用できるかどうか疑わしい。この2社の取り扱ってた住宅ローンはプライムローンとする優良ローンとのことであった。しかし、良く考えると1980年代にこの2社は経営危機に陥り、公的資金の導入で救済されている。この2社は株式公開した上場会社であるため常に成長を求められた事に今回の破綻の原因があると思われる。茲で、日本がサブプライム問題と何故関係するかを説明したいと思う。ファニーメイとフレディマックの2社の経営に関してはこの何年も経営不安説が流れていた。しかし、その経営不安を乗り切ってきた背景は、2社が大量発行した債券を購入する先があったからである。その主要な先が日本の金融機関であり、年金資金である。仮定の話で恐縮だが、プライムローン債権市場が不調であったら、サブプライムローン債権が大量に発行される事はなかったのではないかと言う事である。プライムローンと言っても住宅価格が大幅に下落すれば不良債権比率は高まり、債権発行会社に経営不安が出るのは自明の理である。日本の経営者、特にサラリーマン経営者しかいない金融機関のリスク管理はお粗末としかいえない。最も損失に責任を取らない役人が運用する年金資金など論外である。日本の官僚は昨今のカジノ資本主義を理解している割には全ての対策が後手に回っている。子供の頃から塾通いで勉強だけの秀才には難局を乗り切る知恵は出ないと思われる。過去の成長期の様に敗者復活出来るシステムが必要な時代かもしれない。

「仕方なく休みを取る?」福田総理

新聞の見出しに福田総理が「仕方なく休みを取る」と書かれていたのを目にした。庶民の感覚からすれば緊急課題が目白押しなので、政治家たるもの夏休みを返上してでも事に当るのが当たり前と思うが、どうも昨今の政治家は違うらしい。飽くまで推測だが、総理の周りにいる役人の為に休みを取ることを勧めた者がおり、総理は国家の急務よりスタッフの夏休みを優先させたのと思われる。税収の変動で政治家の報酬・経費・政党助成金が増減すれば、悠長な事は言ってられないだろうが、役人の給与も同様に景気の変動と関係なく支払われるために互いに危機感がない。政治をクリーンにするために政治献金の仕組みを変え、その代償として政党助成金なるものが発生した訳だが、この事が役人と同じように政治家を景気の変動に対して鈍感にさせてしまったと思われる。物事には、一つの事を重視するともう一つの事が見えなくなると言うセオリーがあるが、正に政治のクリーンさを求め過ぎて政治家の景気に対する危機感を失わせてしまった。中国の「水清ければ魚住まず」と言う故事を思い出した。今の政治を見ていると後悔先に立たずである。

国土交通省の責任転嫁と天下り先の強化

構造偽造事件は国土交通省の責任を問うことなく、建築士の資格更新の研修強化と言う馬鹿げた決着で幕を下ろそうとしている。建築士の資格である知識が不足して起きた事件でないのは自明の理である。今回の事件は刑事罰を受ける犯罪である。もし、資格の更新について問題があるならば審査する側である。大半の建築士は不正の申請など行ってはいなしし、デベロッパーから不正を強いられても応じる事はない。もともと大規模化した現在の建築物に対して東京都庁の建築指導課でも対応が難しくなってきたのを民間の審査機関のレベルで構造審査を費用的に見ても適格に行えないのは国土交通省の担当者も理解していた筈である。それが米国の要請で、小泉政権時に建築審査機関を短くする目的で民間委託が決まり、且つ「仕様規程」を「性能規程」に変更して不正の芽を植えたのである。百歩譲って役所のスリム化から民間委託は良しとしても、構造審査に限り民間委託にしないで別な審査機関を設けて行うべきであったのである。この反省なくして制度を改めても利用者の民間側では経済活動に支障がでるだけである。今回の事件後に国内の法律の施行の手順をを無視して審査基準を強化したため昨年7月以降現場が混乱したのは承知の事実である。責任を取らない役人に全て任せた結果である。今回の問題に政治家の存在は皆無である。漸く、新たな対策で動き出したが、今度は建築士の資格更新の強化と一定規模以下の建物に関しては審査不要との馬鹿げた対応である。この意味するところは、役人の天下りを増やすだけで民間にとっては何のメリットもない事に抗議すべきである。役人の天下り先の民間審査機関の会社とスタッフに対して厳しい研修制度を設けるべきであり、国交省の責任を明確にしなければ同じことが復起きると思われる。

豊かさの代償

最近の新聞報道を見ると悲惨な事件が多く、これが豊かさの代償なのかと暗い気がする。30年以上前から不動産の開発を通して多くの人達の人間模様を見てきたので、私の父が「子孫に美田は残さず」の口癖の言葉の正しさが今は理解できる。確か、中国の大地を描いたパールバックの小説にも病気の父の枕もとで財産の分け前を争う醜い場面があったのを記憶している。私が不動産開発を通して見た事は、お金持ちの家ほど相続者同士の争いが激しいと言う現実であった。逆に、貧しい家族ほど子供達は親孝行であり、兄弟間が仲が良いと言う事実だ。尤も、兄弟達は成人して結婚するので他人が入る事で問題を複雑にしていることは否めない。先代社長の時代に共同開発の成功を目前にして駄目になったプロジェクトの事が当社に語り継がれている。駄目になった理由は、完成後のマンションの間取りの件で打ち合わせに行った時に、お嫁さんが亭主の両親を日の当らない北の部屋に決めた事に我慢できず、「10年後の貴方達の部屋ですぞ良いのですか」と言ってお嫁さんの顰蹙を買ったためである。当時、先代社長は同じ年位の母親がおり、親を大事にしない夫妻を見て腹が立った為であった。当社は不動産開発などの事業を準公共的な仕事として捉え、土地所有者と言えども媚を売らずに正論を言う伝統がある。小企業と言えども社会に貢献する姿勢は当社の企業精神であり、街づくりの使命である。豊かになる事を否定するわけでなく、問題は到る過程において如何に評価される方法で行ったかである。「子供は親を見て育つと言う言葉」を今の親達に考えて欲しいと思う。

日本人は嘘つき

最近読んだ本に書かれていた事で納得する事があった。世界の国別評価の中で日本人に対する評価は"礼儀正しい"、"真面目"などが定着しているが、その本では日本人は「嘘つきだ」と評価されている。勿論、この日本人とは江戸時代の幕府の役人の事であり、一般庶民を指した評価ではないが、最近の政治家と役人の発言を聞いていると、「嘘つき」と言う言葉通りで何も当時と変わっていないことに気付いた。この影響か、経済人も知識人も、果ては一般庶民も平気で「嘘つき」になっている様だ。最近はこの嘘つきに"ミーイズム"まで加わり、漸く日本人も資本主義の仲間入りが出来た様だ。尤も、"外交に嘘は付きもの"と言う説も有るので、江戸時代の幕府官僚としては封建社会で生きてきたので同族同士の騙しあいの遣り方の知恵を使っただけなのかもしれないが。"嘘は泥棒の始まり"、"嘘も方便"とかの言葉がある。後者の言葉は仏教から出た言葉で、時には"嘘"を付く必要な局面もあるとの教えと記憶している。最近の20代の男女にアンケートで「嘘も方便」の是非を聞いたところ、70%が肯定したそうだ。ちなみに、私は"馬鹿正直"と言われたいと思うが、皆さんは如何か。

 

プロフェッショナルとは!

御年78歳になるある会社の会長さんにお会いしました。最初はご子息の社長さんにお会いし、縁があって会長さんと親しくなりました。その会社の業務の説明を聞いた時に、理路整然と技術の奥義を語る姿を見て、久し振りにプロフェッショナルの方と会った気がしました。プロと認識させられる方の種類は二通りあり、前者は無口、後者は饒舌と言う大きな違いが有ります。当社の様な建築事務所では無口の技術者が評価される傾向があります。饒舌な技術者で評価できる者が少ないと言う事実があるからです。しかし、私は人生の苦労を重ねてきた人は語ることが多くありますので、饒舌となりやすいと理解しています。20代中ごろに勤務していた会社の部長が私に言った言葉を思い出します。その言葉とは、「無口なのが優秀なのか?中味がなくて話せない奴もいるだろう!」との事でした。当時は"沈黙は金、雄弁は銀"と言う日本の社会にありましたので、無口で黙々と仕事する人間が評価された時代でした。この部長は頭の回転が良く優秀な人で飲みに連れて行って貰う機会も多くあり、人生の勉強もさせて貰いましたが、一番驚いたのは初めていった飲み屋で常連客として振る舞い"ツケ"にさせる腕前でした。話がそれましたが、努力なくしてプロフェッショナルになれないのに最近は机上の空論で仕事する方が多く、その様な方はプロを認識する力もないので失敗する可能性が高いと言う事です。もちろん、素人がその専門知識を知らない故に間違いに気付くということもありますが、その方は別な分野でプロと言える方だと思います。今の若い方にプロはプロしか理解できないと言う言葉を贈りたいですね。

「消費税の引き上げ論」に言いたい事

"消費税の引き上げ"が新聞記事に書かれており、この引き上げを国民が受け入れるのは当然と言った論調が目立つ。確かに、800兆円もの赤字国債残高を見れば早急に財政の建て直しが必要であり、税率を上げることは避けられないと考える。しかし、税率の問題では海外に比べて低いからの論調が目立ち、どの程度の引き上げが必要なのかを財政論的に主張した論説は見られない。尤も、「消費税引き上げ」を国民に納得させるなら、「サラ金財政」を続けた責任と独立行政法人に移行して行政改革を骨抜きにした責任を明確にし、更に大幅な公務員の削減計画と国会議員の定数削減を公約するべきと考える。800兆円もの赤字国債を抱えるにも拘わらず、議員は議会が終わると公費の海外視察などを平気で行っている現状からは到底消費税の引き上げなどは承服できないのが当たり前である。それが、御用学者を使って一方的な消費税引き上げ論を展開するのを見るに付け断じて容認できないものである。国会議員の報酬・経費、及び政党助成金が税収と連動してなく増減がないのも危機感が起きない原因であるから、国民は連動させるべく声を大にすべきと考える。

日本の新聞記事の背景

日本の新聞記事の殆んどは、記者クラブを通した発表記事なのを国民は理解していないようです。発表記事は意図的に発表側の作為が入っており、客観性は低くなります。もちろん、TV報道でも肝心なことを流さないで、報道側が意図的に部分的にニュース構成しているので同様です。日本国民は良く新聞を読む国民で、然も記事の背景も理解していないでニュースを信用している怖さがあります。最近は選挙の結果まで事前のマスコミの世論操作によって影響を受けています。インターネットが普及したと言っても新聞・TVの位置づけは高いです。この様な報道体制の国については、他国が世論を操作し易いという事で、恐ろしいのは此れがために国益を失うことです。最近の事例では、小泉政権時代の行政改革や社会システムの改変を意図的に報道操作したことです。道路公団の民営化然り、郵政民営化然りです。この民営化は国民のためでなく、前者は石油特別会計の財源を一般財源にするためであり、後者は国の財源の役割として使って破綻している郵便貯金の実態を隠すためです。また、最近秋葉原事件で話題となった派遣法の改正であり、企業の利益を出させるために社会システムの一部を壊した事です。朝の通勤電車に乗ると日経新聞を読んでいる若い方、特に女性が多いですが、日経は業界紙であると理解しているのか心配です。私の若い時には日経は御用新聞の一つであり、行政が政策の実施に対して国民の反応を見るためにワザと記事をリークしていると言う事は共通の認識でした。昔は、読書においても全て信じて読むなら読まない方が良いと教わったのですが、今の教育は反骨精神の重要性も教えていないようですね。

国に騙されるな!

800兆円もの赤字国債を発行した政治家と役人に騙されるな。過激な発言となりますが、今から16年前に不動産バブルが壊れ、その後の日本経済は良くご存知の通りです。今から20年以上前に何故日本経済バブルが起きたかは色々と検証されていますが、ひとつハッキリしているのは政策が起こした経済バブルであった事です。企業がバブル経済を起こした様な事を言う馬鹿者がいますが、企業にその様な力はありません。もちろん、企業努力により石油ショックを脱した日本企業は輸出量を増やし、貿易収支が多大なる黒字になったことは事実です。問題はその結果土地の上昇が始まったにも拘らず、プラザ合意による円高推進と内需拡大によってそれを助長した政策です。バブル経済崩壊後には、金融機関、不動産会社、建設会社などが非難され、政策を推進した政治家と官僚に対しての責任論は皆無でした。特に、金利の引き上げの時期を誤ってバブルを深刻化させた当時の三重野日銀総裁をバブル経済を沈静させた英雄のように扱った酷さは、全ての責任を民間に転嫁した国の陰謀です。さて、今更過去の出来事を論じて何になるとお思いでしょうが、今度は円高でなく誤った円安の政策を維持し、且つ国内では物価高の消費不況の懸念に配慮せずに不動産に対する金融規制と言う逆の政策を進めているからです。小泉政権時代のインチキな負の連鎖が起きている現状で、更に無知な福田政権は親父の福田赳夫と同様に国民を苦しめる政策を行うと考えられます。このため、今こそ信念を持って難局に向かう本物の経営感覚を磨く必要があります。

円高にならない理由とは?

円安のために、資源などの高騰で輸入に対する支払額が急激に増加し、国富が流出しています。急激な物価高を招いているのは企業の輸出競争力に比べて円安となっているためであり、資源高騰が引き起こしている物価高を国民の一人としては看過できないものです。国民の多くは円高になると輸出競争力が落ち、最悪の場合には貿易収支が赤字になり、その結果米国のような"双子の赤字"になり大変なことになるとマスコミが報道している事を信じているのではないでしょうか。私はこの報道姿勢には疑問があります。今から30~40年前なら分かりますが、今日の日本企業は技術力で製品の輸出を行っており、円高で簡単に競争力が落ちることはないと思えるからです。もちろん、一時的には為替の影響は避けられないと思料しますが、中期的・長期的に考えれば、資源の大半と穀物類の61%の輸入の現状から円高が有利という事が分かる筈です。年配の方はご記憶と思いますが、1975年前後に起きた石油ショックに対して日本は世界に先駆けて原油価格高騰を吸収して経済を立ち直らせた実績があります。今から40~50年前は、日本は輸出がGNPの70%を占め、輸出なくしては日本経済は成り立たない状況でありました。しかし、今日、その比率は逆転し、GNPに対して内需が70%を占めています。輸出は大事ですが、国内景気を良くするには内需を起こす必要があるにも関わらず、依然として政策者やマスコミは輸出中心の考え方を持っており、且つ経済社会システムを輸出から内需中心に切り替えられなかったことに大きな原因があります。尤も、輸出中心の考え方が日本の農業を破壊したのであり、今日では企業改革に対しても外国資本依存中心の考え方で日本の社会システムを破壊したのです。今や、赤字国債が800兆円までになった現状を考えると、円の問題は企業力を越えて国力の問題となっており、円高は望めそうもない図式が浮かび上がります。此れまでに蓄積した国富も円安と政治不信により海外に流失しております。色々な考え方があるとは思いますが、私は国民の一人として全体の流れに惑わされないで行こうと思っています。特に、当社に資産の活用・保全を依頼する方々に対して常に確かな情報の提供を行ってゆきたいと考えています。

不動産投資の好機?

ここ数年の不動産業界はバブル経済期と同様な展開であったが、不動産に対する融資規制で新興不動産会社の経営危機が浮上し、ファンドの50%が崩壊すると言う予測が現実のものになりつつあります。1992年に不動産バブルが崩壊し、バブル経済も1994年に終焉して以来、日本経済は政治・行政の舵取りの失敗で長く低迷し、数年前に中国経済成長の特需を受けて漸く浮上するかに見えた矢先にサブプライム問題で再度失速危機にありますが、今回の危機がバブル経済崩壊と全く異なるのは銀行金利が低い事であり、この先の大幅な金利上昇は日本の状況から絶対に有り得ないと判断できますので、資源高騰の影響で建物の再調達原価が上昇する今こそ不動産取得の好機と思えます。勿論、一部のエリアで上昇しすぎた土地価格は下落するのは避けられないが、多くの不動産は現在でも適正な水準にありますので、消費者物価の上昇を受けて不動産投資の好機と考えます。

資源高騰はグローバル経済化が起こしたもの

1年前の原油は1バーレル40~50ドルであったのが、今や1バーレルが140ドルを越えています。ドル安が原油価格を押し上げているかもしれませんが、米国政策の代替エネルギー補助金制度(1バーレル75(?)ドル)が機能して穀物生産農家は食糧としての売買を行わなくなり、日本でも養鶏・養豚・酪農を営む生産者がエネルギー高騰と二重の痛手を受けています。私が、2年以上前に三井物産のOBの方に米国の代替エネルギー補助金制度を聞いたのですが、その方は顧問先の食品会社に将来の輸入原材料の入手に対して警鐘し、北米に工場を作るように提案した事を私は上の空で聞き流していました。それが真逆、2年後にその様な状況が起きるとは思わず軽視したことを後悔しています。翻って、日本の農業政策を推進する行政・団体・政治家は何をやっていたんだろうと思います。私に入るような情報は当然に入っていたと考えられ、その業界と無縁な私と同じように軽視していたのだろうかと思います。米国が代替エネルギー補助金制度を制定したのは何年か分かりませんが、少なくてもグローバル経済の行く先を見据えていたのは確かな様な気がします。グローバル経済は発展途上国を生産委託によって豊かにしますが、その反面、有限的な資源に対して需要が高まり、価格が上がるのは必然でした。尤も、科学技術の発達もあり、その需給バランスを改善する技術も出来るのでしょうが、一時的にはアンバランスが生じて今回の様な資源の高騰を招くのでしょう。また、世界経済が資源インフレで成長が鈍化すれば資源の需要も減少し、価格が下落するのでしょうが、一度お金持ちになると生活レベルが下げられないのと同様な現象が資源問題にも起こることを考えるとどの程度の下落になるか判断が難しいかも知れません。

福島県矢祭町の議員報酬「日当制」の意義

矢祭町(ヤマツリマチ)は私の故郷・茨城県に隣接した福島県の町です。同町が今年3月に全国で初めて議員報酬の「日当制」を導入したとの記事を読みました。私はこの記事を読んで、地方自治の議員報酬制度の回帰であり、財政難であれば当然と思いました。私の記憶では、父が地方議員の職を得ていた1960年年代迄は議員報酬は「日当」であったと思うからです。私の父は昔で言う「井戸塀政治家」であり、母は仕事より政治に打ち込む父に対して良く愚痴を言っていたことを思い出しました。政治家の家族にとっては議員報酬は「月給制」の方が良いのは当然ですが、議員は本来はボランティアや名誉職の領域と考えるべきではないかと思います。特に、現代のように役人の意のままに動かされている政治家を見ると、勉強もしていないで、然も国民不在の政争ばかりしている姿を見ると特にそう思います。地方自治の場合は議会が機能していないので「日当制」で十分であり、中央においても各選挙区の投票率が50%を割った時点で選挙区の代表者となる候補者を選任しない制度も必要と思われます。少ない投票率で当選して選挙民の代表者として威張られても困るからです。

棚卸資産の低価法適用は企業にとって足枷

先日、某大手不動産会社の法人仲介営業部の方から久し振りに電話が入り、彼が棚卸資産の四半期ごとの低価法会計について問題点を指摘していました。確かに、時価会計による低価法会計は聞いていましたが、四半期毎に行い、然も棚卸資産に関しても行う事には行き過ぎと思えました。彼も固定資産なら減損会計は理解できると言っており、私もその意見には同調しました。勿論、棚卸資産について会計士が現状の意見を聞いた上で価値判断を行う事は推測できますが、この事を突き詰めると会社の企画力などが会計士に判断できるのかと言う問題に帰結します。不動産の価値感は会社によって判断基準が異なるのは当然で、そうでなければ企画力など必要ない事になります。どうも世の中は机上の理論の悪弊に陥っている様であり、それを助長しているのは会計士の自己保身と思えます。会計士と言えども不動産業界の実務の知識は希薄なのに、時価会計に大きな影響力を有するのは危険と謂わざるを得ません。棚卸資産の四半期ごとの低価法会計など企業も活力を奪う何物でもない意見は極論でしょうか。

I just finished installing Movable Type 4!

Welcome to my new blog powered by Movable Type. This is the first post on my blog and was created for me automatically when I finished the installation process. But that is ok, because I will soon be creating posts of my own!

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