田母上前航空幕僚長対するマスメディアと政治家のお粗末な反応

田母上前航空幕僚長に対して買い被っているかもしれないが、彼が投じた一石に対するマスメディアと政治家の反応が低級なのに驚くばかりである。今の何でもお金の世の中にあって、2年の任期を残し、且つ天下りも出来ない様な生涯賃金を大幅に損なう論文を書いた理由は、単なる"日本は侵略国家でなかった"など過去だけに目を向けたものであったのか良く考えるべきではないかと思う。自衛隊には海上自衛隊、航空自衛隊、陸上自衛隊の3部隊があるが、一番危険な任務に携わっているのは航空自衛隊と思われる。昨今、政治の世界では自衛隊の海外派遣の拡大が議論されているが、自衛隊員に対する最も重要な点が等閑にされている。何が重要な点かといえば、海外派遣の当初の頃の話であるが、海外に派遣された自衛隊員の殉死に対して何の特別な補償制度もなかったことである。私の友人が防衛大学を出て自衛官に就任していたので聞けた話だが、警察官は職務中に殉死すると残された家族が困らない様な何千万かの遺族金が支払われるが、海外派遣の自衛隊員が殉死しても7百~8百万しか出ないので、隊員は誰も行きたくないと言っているとのことであった。今は改善されていると思うが、全てが後手に回って処理されている。武器の使用でも自衛権の行使ということで限られた武器の携行しか許さないなど馬鹿げた話である。隊員の安全と言う視点から考えたら法律を改正して行かせるべきだが、政治家は保身のために誰も動こうとしない。全てが棚上げされて海外派遣の自衛隊員はますます危険な地域に送られようとしている。航空自衛隊員はイラクの輸送に当っていたが、この任務は日本で報道されている以上に危険な任務であったと思われる。田母神前航空幕僚長が言いたいのは、軍隊であるにも拘わらず自衛隊と言う鬼っ子扱いされているのは歴史観から生じてきていると考え、今後の国際貢献に自衛隊が積極的に活用されるなら、他国と同様に国軍としての名誉と尊敬を得られる存在にして欲しいと言うことではないかと思われる。国のために危険な地域に送られるのに現場を何もしらない事務官僚のシビリアンコントロールが有効に機能するかも検証すべきである。田母神氏の自己犠牲による問題提起を政争の具にすべきでないし、単なるシビリアンコントロール問題にすり替えて誤魔化すべきではないと思うのは私一人であろうか。ちなみに、田母神氏の論文を読んだが、論拠の資料を例示しながら説を展開しており、一読に値するものであった。私は右翼主義者でないし、亡父が革新政治家として地方政治に貢献した姿に共感しているので保守主義でもない。国の自衛隊員海外派遣の無責任さが、戦前に中国大陸に軍隊を送った姿とオーバーラップするからこの様な主張をするのである。

非常事態に必要なのは経験知

1929年の大恐慌時の日本は、財閥の新興財閥潰しと政争、更に理論先行の官僚によって多くの企業が破綻した。5.15事件を起こした軍人の三上卓が書いた"青年日本の唄「別名:昭和維新の唄」"にもある様に、当時の大財閥は国家を思う心もなく、国会議員は国民のことなど眼中になく権力闘争に明け暮れていた。官僚は世界情勢を考えずに金解禁と金融機関の整理統合に邁進していた。歴史を見ると、全く昨今と大して変わらないのに驚く。また、この時に多くの銀行を整理統合した結果、多くの中小企業が破綻し、且つその後の企業の設立にブレーキが掛かり、日本経済は活性化が失われて行ったと言われている。この事を考えると、数年前に日本では大手銀行が過剰であるので整理統合が必要として3都市銀行+1準都市銀行に編成してしまった事が、今回の世界金融危機にマイナスに作用しなければ良いと思われる。本当に、日本では都市銀行が多すぎたのか今となっては疑問に感じざるを得ない。理論先行型の官僚が金解禁と同様に間違った舵取りを行ったかどうかは今後証明されるであろう。少なくても、現状の大手銀行の貸し渋りを見る限りは間違った選択をしたと思われる。大恐慌に関しては、人生のこれ以上ないと言う辛酸を嘗め尽くした「高橋是清」が大蔵大臣となって危機を脱した。彼の考えは理論でなく、経験知から導き出した政策であった。非常時代には小賢しい知恵など役には立たない。本当に役に立つのは禅で言う「行動」と「体験」である。今回の難局に苦労していない2世、3世の議員に委ねなくてはならない日本は先が危ぶまれる。

グローバル会計基準と税法の不整合

今更指摘する事ではないが、会計はその国の税法に対応するのが当たり前だが、グローバル会計基準では無視されている。此れの意味する所は、会計上と税法上に不整合が起き、企業は会計での償却を税法上で処理できないという馬鹿げた現象が起きるということである。何故、この様な事が起きるかというと、グローバル会計基準と言いながら、一定の地域や国の会計基準を他の国が導入するからである。では、この問題を百歩譲って会計基準に税法を整合させると言う議論は起きているかというと、税収入の観点から減収になる様な改正は行われていないのが実態である。国際競争にさらされている企業にとっては、グローバル会計基準に合わせるとすれば日本国内に本社を置く事は不利益となるので、この様な馬鹿げた事が続くと有力企業の日本脱出が増えるのではないかと心配する。一事が万事であるが、今の政治は"木を見て森を見ず"類の輩が多い。これは社会実務の経験が少ないところから起きる弊害であろう。以前にも指摘したが、不動産の棚卸資産を時価で評価する愚も同様である。固定資産でない棚卸資産は、企画力で付加価値を与えて販売するのが当たり前だから、購入価格が各社で差が付くのは当然である。それを一定基準の時価評価の考え方を導入したのでは、企業活動の差別化など出来なくなるのである。会計についても税法についても理論の解釈次第で異なる見解もあるので、硬直した考えしか出来ない監査法人については別な監査法人に変更することを一般化する必要があると思われる。

公共投資以外で地方経済が良かった時期があったのか!

地方経済は低迷した状態を抜け出せないでいる。その理由は色々と指摘されるが、良く考えるとその時代その時代の企業の立地の恩恵を受けた地域以外は、公共投資による財政で景気が良かったのではないかと思われる。過去も現在も農魚業が地方経済をリードして豊かであった記憶は少ない。造船業が盛んだった頃は、造船所を抱える市町村は景気が良かった。企業城下町と言われる地域は、輸出が好調で生産が拡大している時は雇用を含め地域経済に恩恵をもたらした。しかし、日本全体を見ると、企業の直接的な恩恵を受けたエリアは多くないように思える。特に、東日本は西日本と比較して企業の立地や工業地帯が少なかったので工業立国の恩恵はタイムラグがあった様に思える。この隙間を埋めたのは、企業の輸出によって財政にゆとりが出来た国が行った公共投資事業であった様に思える。ここで何を述べたいかと言うと、グローバル経済の中で企業の工場は人件費が安い海外と移転し、国の財政難から公共投資予算が削減された今、何を持って地方経済が活性化するのかと言うことである。地方経済を立直すと言う事は、これまでの生活システムを全く変えないと無理である事に気づくことが必要である。特に、地域経済には大型ショッピングモールはいらない。便利さと安さを追求した結果、地域の農漁業や地方の製造業が破綻したのである。地方経済を立直すには、地産地消の考え方を中心に効率の良い地方都市の再構築が必要と思われる。高度経済成長時代の様な豊かさはないが、少なくても誰もが人間らしい生き方が出来る社会を作り出すことを考える必要があると思う。再構築は、皆が物欲でなく、心の豊かさを大事に考えるようになれば不可能ではない。

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