時代に適応しなくなった雇用システムに対する行政・マスメディアの無責任

行政とマスメディアは新卒の内定取り消しを問題化し、非正規雇用者に対する一方的な雇用契約の打ち切りを非難している。前者は兎も角、後者は行政とマスメディアが、日本企業の国際競争力に勝つために必要な新しい雇用システムとして擁護していたのにである。行政とマスメディアは不景気のことなど考慮しないで擁護していたのかと考えさせられる。分からないのは終身雇用制が維持できなくなり、タテ社会が弱くなった現在において何故新卒採用制度が継続されるのであろうか。企業にとっては研修とタテ社会の先輩後輩、更に上司による教育で社員を育てた時代でなくなったのにである。特に、不動産業界などは新卒より経験者を採用した方が十分に戦力になるのである。今の世代は新卒で採用しても終身雇用制度が崩壊しているので会社に対する忠誠心などないと思われる。行政やマスメディアの場当たり主義が日本を迷走させている元凶である。企業は広い視野を持った人材を入社させるために、学校を卒業してから1~2年海外生活やボランティア活動をした人を積極的に採用すべきと思う。また、非正規雇用者に対しては、仕事が出来るなら積極的に正社員にする人事制度に改めた方が良いと思われる。雇用システムの変革に社会が対応できない一番の問題は、公務員が終身雇用制度に守られた存在であるためである。同じ土俵に立たないと変革の必要性を認識できるわけがない。一方、マスメディアも安い給料の下請け会社やアルバイト社員によって正社員の高級が保証されている組織にいるので、公務員と雇用の認識は五十歩百歩である。新しい社会システムを構築しなければ機能しなくなる日本社会の最大の守旧勢力は公務員とマスメディアの企業であることに国民は気づくべきである。高齢化社会では公的な施設の運営をできるだけ定年退職者のボランティアに任せるべきである。このボランティアを阻害しているのは公務員である。公務員の給料は中小企業の社員の給与の平均の水準に戻すべきである。下僕が高い給与を取る事自体が間違いである。新しい雇用システムは世界の真似をする時代ではないので、日本が最適な雇用制度を構築するべきである。

地方自冶体法の足枷

市町村の合併で市議会議員が減少する中で県会議員だけは減少しないで維持されている。この背景には地方自冶体法による定数の規定があると言われる。私の故郷の茨城県が県会議員の定数問題で議論されている。議論しているのは当の県会議員ではなく、県の財政難から県内の市町村議長会が定数削減を県議会に求めているのである。此れに対し、自民党の議員を中心に地方自冶体法の定数に届いていない事を理由に現状を維持する考えと報道されていた。私の持論だが、泥棒を取り締まるのに泥棒に取締りを委ねたのでは解決にならないのは自明の理である。議員定数は多分人口に比例して定めていると思われるが、今日的な問題は財政と関連付けられていない事である。国会議員も然りである。米国の人口の三分の一の日本が米国より多い国会議員を有する理由はない。財政難を言うなら先ず国会議員の定数を大幅に減少させるのが筋である。この理屈も分からない国会議員の本音は、国民の事など考えてはいないのである。自民党はもとより、民主党も同様である。わが故郷の茨城県は県議会議員が65名もいる。県民の民意を反映させるために65名の県議会議員が必要かどうかを問う県民投票を実施する時期が来たと考える。流石と思えるのは市町村の議員達である。合併すれば当然に議員数が減少するのに財政と言う観点から積極的に対応してきている。それに比べ、自主財政が3割の自冶体に何故65名の県議会議員が必要か真摯に考えるべきである。これは何も茨城県だけでなく地方自冶体の全てに言える事である。然も、此れだけ地方の経済が疲弊したにも拘らず、何等の責任を考えない県議会議員どもはいらないと言うべきである。

指導者がいない日本

政治家を始めとして経済界、官界、教育界の何処を見渡しても指導者と言える人物がいない。今の社会の悲劇は指導者の器でない人物がその地位を得ているからに他ならない。指導者とは頭が良いだけではない。指導者の資質は、人を纏める力量や人が付いてくる器量があり、私心を持たないことである。何時の間にか総ての価値観を金銭的に置き換えて判断する悪しき習慣が蔓延してしまったからか。更に言えば、指導者となる人は個性が強いが、社会道徳を尊ぶ余り、角を矯めて牛を殺す様な小人物しか産まない土壌を作ってしまったのかもしれない。ここ30年の日本を振り返ると、良いと思われて実施されてきた政策や改革が視野が欠けていたものであったために反作用が起きた事例は枚挙に暇がない。教育現場で言えば、「内申書」の重視であろう。受験勉強の弊害をなくすはずが、新たに学校に担任と言う権力者を生んでしまった。小選挙制度の導入でも単一民族で発想に差がないので、常時選挙運動を行う必要が起きてしまったことである。医療制度においては改革どころか改悪ばかりである。これは大局観を持った指導者がいないために、枝葉末節的な議論に終始して決めた弊害である。この現象は政策の現場ばかりでなく、全ての業界に言えることでもあり、100年に一度と言われる難局を乗り切るには、真の指導者の出現が不可欠である。米国のオバマ大統領の真価はこれからだが、日本にもオバマの様な政治家の出現が欲しいと思う。

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