指導者がいない日本

政治家を始めとして経済界、官界、教育界の何処を見渡しても指導者と言える人物がいない。今の社会の悲劇は指導者の器でない人物がその地位を得ているからに他ならない。指導者とは頭が良いだけではない。指導者の資質は、人を纏める力量や人が付いてくる器量があり、私心を持たないことである。何時の間にか総ての価値観を金銭的に置き換えて判断する悪しき習慣が蔓延してしまったからか。更に言えば、指導者となる人は個性が強いが、社会道徳を尊ぶ余り、角を矯めて牛を殺す様な小人物しか産まない土壌を作ってしまったのかもしれない。ここ30年の日本を振り返ると、良いと思われて実施されてきた政策や改革が視野が欠けていたものであったために反作用が起きた事例は枚挙に暇がない。教育現場で言えば、「内申書」の重視であろう。受験勉強の弊害をなくすはずが、新たに学校に担任と言う権力者を生んでしまった。小選挙制度の導入でも単一民族で発想に差がないので、常時選挙運動を行う必要が起きてしまったことである。医療制度においては改革どころか改悪ばかりである。これは大局観を持った指導者がいないために、枝葉末節的な議論に終始して決めた弊害である。この現象は政策の現場ばかりでなく、全ての業界に言えることでもあり、100年に一度と言われる難局を乗り切るには、真の指導者の出現が不可欠である。米国のオバマ大統領の真価はこれからだが、日本にもオバマの様な政治家の出現が欲しいと思う。

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