資源争奪競争の懸念

大西洋・地中海のクロマグロの取引禁止がEUの発議でほぼ確定する状況になった様だ。環境や自然資源の保全と言う大義名分は理解するが、この取引禁止に養殖のクロマグロまで含まれるとなれば話は違ってくる。グローバル経済は発展途上国の経済を急速に成長させたが、その反面、各資源の需要が従来にない速度で伸びてきている。マグロは日本人の食生活に欠かせないものであるが、クロマグロの取引が大西洋・地中海で禁止されれば、次は他の地域で捕れる別な種類のマグロの取引禁止に繋がる可能性は大きい。狂牛病や健康志向と相俟って「マグロ」の世界的需要は増大する傾向にあるが、くじら同様にマグロは日本人の食文化であるので、それらの食文化に関係ない国々に一方的に禁止される理不尽さには憤りを感じる。日本人の多くはデフレ経済に洗脳されてしまったので食糧まで自給自足を否定する傾向にあるが、大きな自然変動で食料不足になった時には金があっても買えないことを肝に銘じるべきである。なお、今回のクロマグロの教訓としては、今後の資源争奪競争において力を発揮するには地域の共有意識が必要であり、日本はアジア諸国と共通の価値観を持って欧米に対抗する必要があるということである。クロマグロやくじらを見ても日米の価値観は大きく異なるので、日米条約など資源争奪競争においては何の価値もないことを国民は知るべきである。今後はあらゆる資源で争奪競争が起き、今のままでは日本は後手に回る懸念が大きい。今日本に必要な政治家は"友愛"などを唱える政治家ではなく、資源争奪競争に勝ち抜ける政治家である。何時までたっても経済は一流、政治は二流では国が滅ぶのである。

今こそ押し付けの教育制度を見直す好機

デフレ経済で失職する人が多くなったのでインフレ経済で構築された教育システムにも問題が出てきた。民主党は高校の義務教育化をマニフェストに掲げているが、人材教育を考えた場合に本当に18歳迄義務教育を続ける必要があるのだろうかと考えざるを得ない。私の時代には金の卵と言われた中学卒業の集団就職が存在した。私の故郷は茨城県北部の寒村であったために高校の進学率は50%は超えていたと思うが、大学進学率は20%以下であったと記憶している。この時代には能力があるにも拘らず進学できなかった者も多くいたので、その後の豊かな社会で進学率が上がった事に関しては否定しない。しかし、文部科学省は教育の質よりインフレ経済下の予算増により教育の量を求めてきた結果、高校進学率や大学進学率は向上したが、自発的に進学を希望しない子供達まで進学させる教育制度が親子関係を崩壊させ、教育者の無気力を生じさせてしまった責任は重い。戦後の教育制度は米国の教育システムを導入したものだが、基本的に米国と違うのは日本の教育制度にはレベルアップの柔軟性と入学後の厳しさが欠如している点である。高学歴イコール高収入・安定と言う幻想を作り上げた結果、普通教育偏重の教育評価システムとなり、我々の時代にはレベルの高かった工業高等学校、商業高等学校、工業高等専門学校などが普通高校と比較して地盤沈下してしまった。本当の教育制度とは普通課教育に偏重することなく低年齢における専門教育制度を充実させて子供達の選択肢を広げることと考える。大学進学を前提とした普通課教育偏重は間違っており、専門学校からも優先的に大学進学のルートを設けておけば偏重することはなかったと思われる。米国では軍隊に入って一定期間勤務して奨学金を得て大学に進学している者もいると聞くので、日本でも自衛隊に入隊して一定期間勤務すれば大学進学と奨学金が得られるようにすれば、親の負担も無くて良いと思われる。何れにしても、親の資力と関係なく専門教育を得る事が出来る制度を作る必要もあると考える。今回の経済不況では、親が失職して学校を中退を余儀なくされる子供達も多いと思われるが、経済的に問題があって中退する必要があった時には①夜間部の転入、②再入学の権利によって救済する制度も必要と考える。なお、夜間部の開始時間が早いので勤務している場合には問題が多いので、少なくても開始時間を午後7時にする配慮も必要である。財政難もあって教育に対しての予算も今後は縮小を余儀なくされると思われるので、教育制度自体を大幅に変更して子供達にとって有意義な教育システムにすることが重要であり、見直す好機と思われる。

高齢者用の賃貸住宅の問題を考える

日本の高齢化社会到来は20年以上前から予測されていた。しかし、政治家と行政はこの間に何を政策として実現してきたのだろうかと考えざるを得ない。昨日のTVで東京都品川区役所が高齢者用賃貸住宅の建設に着手した事が放送された。その放送の中で高齢な女性が不動産屋に賃貸住宅を依頼しても殆んど断られると発言していた。若い方がこのTVを見ても深刻に考えることはなく、「逆になぜ借り難いエリアに住んでいるのかとか」、「子供と一緒に住めば良いのにとか」、「若いとき浪費して家も買っていないのだから仕方ないとか」考えて聞き流すのではないかと推測できる。同様に、長く政権を担っていた自民党の政治家連中の口癖が、若い時に倹約した生活を送らなかった人達まで救済する必要があるのかという発言であった。更に、現代社会は能力のある人達が高収入を得られる様なシステムでなければ社会が活性化されず経済成長も望めないと言う意見が主流となる格差社会が現出して弱者に対する救済が形骸化してしまった。経済バブルが崩壊した15年以上前に「勝ち組」、「負け組」などの言葉が流行語になり、日本社会は優しさを失っていった。私が若い頃上司から「給料以上の仕事が出来る社員は2割」、「給料に見合った仕事しか出来ない社員が6割」、「給料以下の仕事しか出来ない社員が2割」と言う話を聞かされた。私も若かったのでその上司に駄目な社員の2割をなぜ首にしないのかと質問したのである。その質問に対して上司は2割を辞めさせても組織と言うのは必ず又給料以下の2割りの社員が出現すると言うことであった。この話はイソップ物語と混同するが、子供にでも分かるのは一所懸命努力しても報われない事があり、社会は必然的に「負け組」を作り出して全体のバランスを保っていると言う現実である。このために、行政機関はセーフティネットを構築しているのであるが、弱者の痛みを理解出来ない政治家や行政マンによって高齢者用の賃貸住宅問題は放置されてきたのである。財政難で高齢者用賃貸住宅建設が難しいと言うなら未だ建替える必要のない議員宿舎の建設は何なのだと言いたい。独立行政法人の都市整備機構など高額な賃貸住宅を建設しているが、民間が出来る事業など機構などが行なう必要はないのに、なぜ定額の高齢者用賃貸住宅の建設を行なわないのかと憤慨する。高額の税金を納めた人達だけに行政サービスを行なえば良い様な考え方は国家の喪失に繋がるのである。今の政治家と役人に聖徳太子を学べと言いたいと思ったが、連中は聖徳太子を煙たがって紙幣から肖像画を消してしまったことに気が付いた。地方行政でも心ある所は高齢者用住宅の建設などに乗り出しているので、民間側としても企画力や知恵で側面支援を行う事が出来ればと考える。

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