錯覚の怖さ

人は色々な面で錯覚をする。現代社会は競争社会であり、競争社会では自信が裏づけとなる。しかし、この自信に対する見分け方に関して人は錯覚に陥る事が多い。特に、科学技術が進歩した社会では能力以上に見せる技術が出来た為に尚更である。当社の設計業務でも以前は図面は全て手書きで作成した。然し、今はCADが主流となり、幾ら優秀な設計士でもCADが使えなければ評価してもらえなくなった。実はこのCADが手書き時代と違い、設計における自信のなさを覆い隠している。面白いもので手書きの時には自身のなさが図面の線の強弱に出たものだが、CADになってからは消えてしまった。その他、手書きと違って細かい作業は用意されたものを当てはめる作業で良いので、経験の浅い設計士の場合には、実際の工事に必要な機器の納まりに不具合を生じてしまうケースが多い。これも錯覚の一例であろう。日常的な生活で詐欺師に騙されるのは詐欺師の自信に錯覚して信用した結果である。本来は詐欺師の様に自信たっぷりに言えないのが当たり前なのに、その事実を理解する人は少ない。今の時代はプレゼンテーションが仕事の受注に大きく影響される。このため、パワーポイントを駆使したプレゼンが多いが、このプレゼンにも錯覚が入り込む。尤も、能力の評価には実績を基にしていると言う反論もあると思われるが、実は過去の実績を見て判断すると言う作業は錯覚をしない一つの方法ではあるものの、新しい才能を否定するので良い選択にはほど遠い。何かの本で能力のない人ほど自信過剰になると書かれていた。技術の世界では自信過剰はリスクを隠してしまう事になるので怖い。競争社会では自信を持つ事が成功の道とまで言われ、誰もが自信を持った口調になる。これこそ正に錯覚の社会となり、大きなリスクを抱えることになる。

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