今回の大震災で日本人は当然以上に喪に服す必要がある

石原都知事が一言居士らしくまた被災者の神経を逆撫でる言葉「天罰」を吐いた。新聞の報道だから本人の意思が曲解されているのは分かるが、この時期では誤解を受けるものと思われる。しかし、今回の東北関東地震において亡くなられた人は3万人規模に達するかもしれないが、この3万人の人数で思い当たる(連想する)人はどの位いるだろうか。この数字はここ10年以上も続いている毎年の自殺者の数である。大震災で3万人が亡くなったと報道されれば皆驚き悲しむだろうが、毎年3万人の自殺者に対して驚き悲しむ人は身内や知り合い以外にどの位いるのだろうか。この比較の反論として当然に自殺はその人の意思の結果であり、災害による死亡は意図的な死ではないので比較できないと言うと思われる。だが、3万人の人達が自殺に追い込まれた社会で何の悲しみも共有しないで自分達の豊かな生活を享受してきた人達に天はどの様に見ていたのだろうか。悲しみを共有するどころかマスコミも世論を誘導して競争社会を作り上げてきた人々に対する天の怒りだといったら不謹慎だと叱られるだろうか。勿論、過去の歴史において日本社会で常に試練を与えられてきた東北地方の人達が何故天の犠牲になるのかと言う思いはある。大地震に対する犠牲者に対しては滂沱の涙が止まらない。社会は常に理不尽である。悪党が大手を振って闊歩しているので、宗教など信じられなくなってしまう。多分、昭和のバブル経済崩壊後の日本人は理不尽と戦い続けてきたと思われる。いや、若しかしたら太平洋戦争後から日本人の心の中には理不尽が潜んでいたのかもしれない。それが経済成長で社会が豊かになるにつれ忘却の彼方に追いやられていたが、昭和の経済バブル後に再度顔を現したと思われて仕方がない。特に、小泉純一郎と言う男が総理大臣になってからは日本人が大きく変質していったのが良く分かる。金融資本主義の悪い面だけを日本に持ち込み、道徳観の欠片もない連中が金儲けに走った。そう言えば、耐震偽装事件の主役の男は宮城県の臨海部の出身者であった。14日以降計画停電により電車の運行が大幅に減少したので各電車は100%以上の混みようであった。何でもない時なら悲鳴や不満の声、更には乗客同士の言い争いの声が聞こえたものだが、誰もが耐えて不満を口に出していない。被災者の事を考えたらその程度の不満は恥ずかしくて言えないと思ったからであろう。日本人は「恥の文化」と指摘した人がいた。聖徳太子は「和を持て尊し」と17条憲法に書いたのである。日本人の遺伝士には出アフリカのDNA全てが残されていると言われ、細長い日本列島には騒乱から逃れてきた人達が共生してきた国なのである。本来、競争社会に向かない遺伝子を有した国民が、戦闘的な遺伝子を持った子孫の支配者によって利己主義的な金儲けに走った結果が今の社会である。日本は必要以上に豊かな社会なのに常に不満を持ち、他人に対する思い遣りなど何処かに置いて来てしまったツケは大きい。電力供給や道路がなどが完全復旧するまで首都圏の経済は頑張っても地震前には戻らないので、大災害の犠牲者に対して喪に服し、改めて東北地区の復興計画を考える必要がある。この機会を失うと日本人は天から見放されると思われる。

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