東北の復興の有り方が今後の日本の針路を決める

西日本からの勢力が関東東北の勢力を平らげて日本統一を成し遂げたのだが、その後幾たびか関東東北地方で反乱が起きては鎮撫されてきた。日本は外見的からは単一民族の国家なのであろうが、近年のDNAの研究で分かったのは、日本人が出アフリカから枝分かれした全てのDNAの継承者であり、内面的には単一民族とは程遠い人種であることだ。私の故郷は北関東の茨城県北部である。江戸時代は水戸徳川藩35万石の領地だが、その前は守護大名の佐竹藩の領地であった。他県人から見ると、茨城県と言ったら水戸黄門であり水戸徳川藩であるが、土着の人々にとっては長く続いた佐竹藩に対する思慕は深く、水戸徳川藩は進駐軍の位置づけであった。特に、佐竹藩の出身地である常陸太田市周辺の民は心からは水戸藩に靡かなかった。それでも水戸徳川藩には土着の多くの人が藩士として召し抱えられたので、水戸藩士の気質は関東武士そのものであった。水戸藩が全国的に有名になったのは、江戸時代末期の「桜田門外の変」と「坂下門外の変」の井伊大老の暗殺と安藤老中の暗殺未遂の事件である。水戸っぽと言われる性格は正義心が強く短気なことである。明治維新後も茨城の青年は5.15事件の犬養毅などの要人暗殺事件を起こしているので、水戸人の近代史は暗殺で血塗られている。この5.15事件が2.26事件と繋がってくるのだが、軍部を揺るがした2.26事件は東北地方の貧しさと旱魃による女性の人身売買を悲憤慷慨して起きたことである。2.26事件後には日本は中国侵略に邁進することになったのである。近代史で東北が日本の方向を変えた瞬間が2.26事件とも言える。私の浅学な知識で歴史を論ずるなどおこがましいが、今回の東北太平洋大地震による東北地方の復興が正に2.26事件と同様に今後の日本の進路をかえるエポックになるのではないかと思えて仕方がないからである。ちなみに、先に触れた佐竹藩は、今回の原発事故のエリアも勢力範囲であり、仙台の伊達藩と死闘を繰り広げた場所が相馬地域である。今でも方言的には、茨城県北部といわき平及び相馬方面とは同じである。私が子供の頃の盆踊りの民謡は相馬盆唄であった。今回の大地震と津波、更に原発事故は日本人の生き方まで変える様な出来事になると考えられ、それが東北地域に端を発した事に意味があるように思われて仕方がない。近年、国が赤字国債の発行で900兆円もの負債を抱えたので地方都市の公共投資などは無駄なものとして取り扱われる様になったが、日本の工業化や経済成長のの犠牲になって来たのは常に地方なのである。日本の農業が何故駄目になったかは、今の中国と同様に経済成長の為に多くの若者を地方から奪ったからであり、そのために農業が犠牲になったのである。危険な原子力発電所も同様である。日本の経済成長の為に産業界の要請で電力料金が安くなる原子力発電所の建設を邁進したのである。都会の人達は地方の犠牲の上に自分達の豊かさが築かれているのも忘れ、地方に対して切捨て論まで出てきたのである。都市の豊かさと快適さは地方がリスクなどを代行しているから得られていることに漸く今回気付いたと思われる。日本が物質的な豊かさだけでなく、心の豊かさを持てる様な国づくりを行う事が求められてきているが、正に東北の復興が今後の日本の針路を決めることになるのではないかと思われる。

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