阪神・淡路大地震の教訓が生かされなかった浦安の液状化

浦安の液状化のニュースを聞いた時に最初に頭に浮かんだのは、浦安の埋立地の地盤は砂地で埋め立て造成費用を安く出来た場所かも知れないと言う事であった。阪神・淡路大震災の時に神戸ポートアイランドの埋立地で液状化が起きた時には港湾関係者は驚いた筈である。神戸は阪神地区では砂地で地盤が良く、港湾の護岸建設に関してもケーソンなど必要なく、鉄材を打設するだけで堅固な護岸を造る事が出来ると聞いた事があった。このため、神戸ポートアイランドの埋立地も大した地盤改良工事を行わないで埋め立てたものと推定できた。しかし、阪神・淡路大地震では液状化の現象が生じたので、港湾関係者は地盤が悪い場所でなくても手厚い地盤改良工事が必要な事を認識したと思っていた。勿論、認識したのであろうが、日本の縦割り行政や当時は今程情報化になっていなかったので、神戸ポートアイランドの液状化現象を教訓にする事が出来なかったのであろうと思料する。浦安地区の埋め立て計画は重工業産業全盛時代の臨海工業の企業立地の需要を当てにした千葉県企業庁が行なったものだが、完成した時には重工業産業が衰退し、広大な埋立地は無用の長物となり、千葉県の財政を圧迫する要因にもなっていた。その状況が一変したのは、浦安地区に三井不動産が誘致したディズニーランドであった。都心から近く手付かずの広大な埋立地の利用としての着眼点は流石と言えた。ディズニーランド東京は予想以上の成果を上げてスタートし、その成果と相俟って浦安地区の住宅開発は進んだのである。しかし、浦安地区の住宅開発で気になるのは、浦安地区にディズニーランドを誘致した三井不動産の存在である。本来ならば、ディズニーランド東京の副次効果を考えて浦安地区の住宅開発は三井不動産の独壇場になっても可笑しくはなかった。私は浦安地区の住宅開発に三井不動産がどの程度注力したかを何等検証しないで、飽くまで推定であることを前提にblogを書いていることを先ずお断りして置く。茲20年の浦安地区の住宅開発では、不動産業の後発の野村不動産が注力していたように思われる。ご存知の通り、野村不動産は野村証券グループの会社である。今回の東北太平洋大地震において浦安のディズニーランド東京はTVで放送された様に駐車場が液状化現象を起こしたのである。私はこの放送を見て内部の娯楽施設も被害を受けていると勝手に想像していたら、三井不動産に近い業者の方から、ディズニーランドの内部は大規模な地盤改良工事を行ったので娯楽施設は全く被害を受けていない事を聞いたのである。私の推測が当っているならば、三井不動産は浦安地区の住宅開発には地盤リスクがある事を認識し、積極的に取り組まなかったと思われる。特に、阪神・淡路大震災における神戸ポートアイランドの液状化を見たならば、浦安地区に関してもヤバイ事を想起した社員が居たと考えられる。野村不動産は優秀な人達が良い仕事を行っているが、残念ながら後発の悲しさで企業の歴史から作られるリスク認識は持っていないので仕方がないと思われる。何れにしても、浦安地区の液状化の責任は民間企業のレベルではなく、埋め立て事業者の千葉県に帰結する者と思われ、工業用地から住宅用地に大きく変わる過程で埋め立て地盤の再検証を行なわなかった行政の責任は重い。特に、阪神・淡路大震災における神戸ポートアイランドの教訓が少しも生かされずに、逆にその後に浦安地区の住宅開発が進んだ事を考えると尚更である。勿論、行政が民間企業と同様な効率一辺倒の仕事を要請される時代では、気が付いた職員がいても握りつぶされたと思われるので、国民の一人として考えなければならないのは自分でリスクを取る習慣を身につけることである。国もマスメディアも信用しない事に尽きる。

岡本隆司氏が書いた"中国「反日」の源流"を読んで

中国に偏見を持った歴史を知らない若い人に薦めたい1冊である。この本は明の時代の倭寇から中国の「反日」の源流があることを書いている。現代の中国の軍備拡張は過去に他国から植民地同様に扱われ、日本軍に国土を蹂躙された苦い経験からなので、歴史を学ばない若い人が米国と同様に中国の軍拡に反対しても意味がない。本を読むと、今の中国指導者層が懸念しているのは、中国の国体の存在が日本などと違い、明と清の時代と変わらず、人民と国家に一体感がない事であるのが分かる。国家と人民が一体化でないのは中国人に刻まれたDNAであり、短期間には変えられないと思われる。中国の指導者にとって米国的民主主義を受け入れるには国家と人民の一体化を確立する必要があり、それには国の豊かさが必要と考えていると推定できる。江沢民が進めた愛国反日教育も国家と人民の一体感を何とか構築して外国の干渉から国を守る意図があったと考えられる。この本を読むと、中国指導者の防衛ラインは明の時代にあることも分かり、朝貢していた琉球を独立国として保護の対象としていた中国からすれば、尖閣諸島は明治時代に日本に簒奪された領土になる。このため、今後とも日本と中国は尖閣諸島で争いが起きる事は明白であり、尖閣諸島防衛に際しては、現在の様に米国の軍事力に頼るのか、独自に中国に対抗する海上防衛力を強化するかで議論が分かれると思われる。中国としては、江沢民前国家主席の様に日本が米国の支配下に置かれて独自の軍事力を強化しない方を望む勢力と、胡錦濤国家主席の様に日本が米国の支配から脱し、真のアジアの国家として欧米諸国と対抗できるパートナーになることを望む勢力が存在すると考えられる。欧米諸国からすれば、経済大国の日本と中国が手を結ぶより、歴史的な経緯から対抗することを期待していると思われ、日本国内に反中国の声が大きくなる事を喜んでいる。アジア経済を支配したい米国などは本音では日中の軋轢で双方が足の引っ張り合いをすることを望んでいるはずだ。日本は過去150年の歴史を振り返り、中国との理想的な関係の構築に注力し、二度と武力で争う愚は犯さないことを肝に銘じるべきだ。隣国の中国が大国化するのは地政学的に日本に有利に働くことを忘れてはならない。

現代日本の今昔物語

日本人が豊かさの階段を登り始めたのは何時頃からなのかと考えると、一般大衆的には今から41年前の1970年のモータリゼーションの始まりと言える。日本が豊かになりつつあったと言っても、東京都内の練馬区や板橋区でも未だ下水道が100%普及していなかったのが現実である。先進国の目安は上下水道の普及率と言われた時代であったので、その点から言えば日本は先進国には程遠いインフラ未整備国家であった。今でこそ公共投資は悪者扱いだが、今から41年前の日本は高速道路網も少なく、舗装道路も国道止まりと言った具合であった。そう言えば、今は地下鉄車両に冷房が入っているのは当然と思われているが、豊かさの階段の入り口時代には地下鉄車両には冷房が入っていなくて夏は蒸し風呂状態であった。その当時聞いた話では地下鉄車両には冷房を入れることが出来ないとの事であったが、人の話とはいい加減なものである事が良く分かる。日本人が本当の豊かさを感じるのはモータリゼーションから15年後の1985年ではないかと考える。1985年はプラザ合意で急激な円高となり海外の製品が安く入手出来る様になった時代である。又、海外旅行も手軽に行ける様になった時代でもある。時代を振り返ると、日本は1984年頃から土地バブルが始まり、企業の株も鰻登りに上がり、ゴルフが大衆スポーツとして人気が出てきた。この時点では高速道路も日本中で繋がり、港湾整備や空港整備、そして地方の上下水道の普及工事も達成した感があった。しかし、プラザ合意後の内需拡大の日米合意500兆円公共投資事業計画が新たに浮上し、この時期から無駄と言われる公共投資事業が始まったのである。この事に関してはマスコミも一切報道しないので、無駄な公共事業は政治家とゼネコンと官僚が仕組んだものとの誤解がある。勿論、米国の圧力合意に便乗した政治家やゼネコンや官僚が居た事も確かだが、遣らなくても良い公共事業を進めた背景には米国の介在がある事を忘れると今後の日本再生で誤る事になる。経済バブル開始から10年後の今から16年前の1995年にバブル経済は崩壊し、直ぐに阪神大震災が起きるなど日本の前途に暗い影を落とした。話は変わるが、焼肉屋のユッケ事件の牛肉に関しては、36年前は高級食材で気軽に庶民が食べられなかった記憶がある。26年前の時点でも焼肉店は高級なイメージがあり、主として接待などに利用していた。偶然のだが、1987年にインテリジェントビルと呼ばれた大型ビルを虎ノ門に竣工させた時に入居したテナントが牛肉の輸入業者であり、それで牛肉の輸入は割当制度の利権であった事を知った。尤も、記憶ではその1~2年後に牛肉の輸入自由化が始まり、その種の利権がなくなり、スーパーの牛肉が大幅に安くなったことを覚えている。勿論、幾ら安くなっても牛肉は牛肉なので、その20年後に280円で食べられるユッケが出回るとは思いもしなかった。話を本題に戻すと、バブル経済崩壊後の10年後の2005年は当時は未だ実感がなかったが、デフレ経済であるものの、不動産に関しては底をって反転したターニングポイントと言える。経済のグローバル化によって海外から安く物が入るのでデフレが止まらなかったが、3年後にリーマンショックが起きなければ日本経済はプラス成長に転じた可能性はあった。残念なことである。日本政策投資銀行の職員がデフレの原因は人口減と一部だけを捉えて論じた誤りの本がベストセラーになっているが、日本のデフレの原因は過去の経済学の本に書かれているように需要と供給のアンバランスから起きているとは必ずしも言えない。情報化社会が齎した世界平準化への過程で進んでいる現象として捉えないと本質が見えないと思われる。情報化が多くの雇用を奪い、格差社会を生み出したために、一部の金持ちと高齢者に偏った富も配分の不均衡により需要が減少している。本質的な問題が解決されない中で企業間のパイの奪い合いが有り得ない低価格を産み出し、モラル無き危うい社会を作り出した。過去を振り返るとドックイヤーと言いながら10年ごとに変化の流れが起きている。2005年から始まった10年は途中でリーマンショックに遭遇し残すは4年である。この4年後とは正に東北太平洋大震災による東北復興がなされる時期と同じなので、日本の新しい国づくりの行方がこの4年間で決まるかもしれないと予想される。大事な4年間になるかもしれない。

キャンディーズ

キャンデーズの田中好子こと好ーちゃんが亡くなったのをTV局が行った一般人のインタビューで知った。キャンディーズの歌は学生時代に良く聞いたことを思い出す。特に、「春一番」は好きな曲の一つだった。訃報を偶然聞いた翌日は群馬県に仕事があり社用車で行ったのだが、向かう途中で運転をしていた社員が仕事先の元社員のIさんの消息を突然聞いてきた。理由を聞くと、好ーちゃんの訃報の新橋でのTVインタビューにIさんと似た人が出ていたからとのことであったので、それは本人であると教えてあげた。Iさんは押し掛けでインタビューを受けたもので、正かそれが放送されるとは思いもしなかった。数日後に好ーちゃんの葬儀が放送され、出棺時に亡くなる前に録音していた肉声を映画の撮影時に合わせた遣り方で流したのには違和感を感じた。その時にTVはコンビの蘭ちゃんと美樹ちゃんを写していたが、好ーちゃんが二人に対して礼を述べた下りで示した美樹ちゃんが蘭ちゃんを振り返って見せた表情にも違和感を覚えた。しかし、それ以上の想像力は働かずに記憶から消えていった。それが経済誌の評論記事ににお堅いNHKのニュース番組でもアナウンサーが好ーちゃんと言った事が書かれ、コンビの蘭ちゃんが送る言葉の中で好ーさんと言った事を比較して論じていた。その記事で好ーちゃんが最後に残した言葉が本人の言葉でなく旦那の脚本を読んだのではないかと言う疑問が湧いてきた。推測だが、三人が引退するときにファンの前で普通の女の子に戻ると宣言したときから、三人の間では「ちゃん付けで呼ばない」ことを約束したのではないだろうか。確かに、好ーちゃんが、二人に対して「蘭ちゃん、美樹ちゃん有り難うと言った」時に見せた美樹ちゃんの険しい表情の謎が解けた様に思える。勿論、飽くまでも推測の域を出ないが、前代未聞の葬儀での肉声の謎は深まるばかりだ。そう言えば、社会人になってからは、ピンクレディの全盛期であり、新宿の吹き抜け地下三階での飲み屋で素人の女性がテーブルに乗りUFOを歌っていたのを思い出した。若き日の良き思い出が蘇った。
  • entry422ツイート
  • Google+