混乱している社会で信じない方が良いのは国家とマスコミ

3.11から2ヶ月が過ぎた。東日本大地震後には国もマスコミも意図的に想定外を連発したので国民も想定外なら仕方がないと思ってしまった。その後は、「がんばれ日本」や「がんばろう日本」のオンパレードで人災である福島第一発電所の事故による放射能拡散まで想定外としてしまった。マスメディアは混乱を避けるために国家との共同歩調を取った報道を行なったのかと考えたが、大手マスコミなど所詮は記者クラブという報道管制下に置かれているので、それ以前の問題かと思い直した。大地震後の津波を想定外だから防げなかったと一様に報道したが、公共事業は経済コストを考えて実施しているので、防波堤や防潮堤の設計基準は決められているのである。勿論、一部の地方政治家の強い思いによる経済コストを無視した防潮堤なども造られてはいるが、大半は経済コストに見合った施設しか作っていないのである。本来ならば、行政はこのエリアはどの程度の津波しか対策効果がないので、それ以上の津波が来たら防げない事を日頃から知らせる義務があったと考える。最近は公共事業を無駄として考える風潮が強かったので、先日起きた焼肉店の食中毒と基本的には同様な効率一辺倒が人命軽視に繋がったのである。国家にとってもマスコミにとっても国民はお客である。お客の事を考えないで、逆に国民は馬鹿だから啓蒙するなどと言う時代遅れの考え方では現代は通用しない。現代社会での問題点は人間の質が低下し、国会議員や官僚や経済人までも人命より自分の事しか考えられないレベルの人が多くなったことである。パブリック・サービスなど合理化と効率化の中で吹き飛んでしまった感がある。東京電力の福島原発事故は防げなかったにしても最小限の放射能拡散(10km圏内)で納まった筈なのに、廃炉を決断できない社長と海外出張中で連絡つかない会長の指示待ちが対策の遅れとなり、必要以上に被害を大きくしてしまった。勿論、それ以前に、設計基準が古く廃炉にすべき原発を何等の設備更新しないで10年使用延長を決めた東電の経営陣に全責任がある。枝野官房長官が東電の失態に対し債権者の金融機関も責任がある様なことを発言しているが、東電の経営陣の責任は万死に値するのである。その告発をしないで債権放棄や国民に電気料金の値上げをもとめるなど言語道断である。然も、今回の東電の福島原発事故に関しては菅の責任も重大であり、本当の政治家なら言い訳せずに責任を取るべきだ。それがマスコミも一緒になって大災害時に首相を変えるべきでないなどとインチキ報道を行なって国民に啓蒙するなど許しがたい暴挙と言える。特に、北澤防衛大臣が清水社長を乗せた自衛隊輸送機を官僚の独断と称して戻した行為はマスコミも敢えて重大視させない報道を貫く姿勢は酷いと言わざるを得ない。更に、マスコミは浜岡原発の停止を求めた菅を評価し、インチキ世論調査で国民の多くが賛成したと報道しているが、中部電力では福島原発第一と同じ設計基準の原子力は1号機と2号機であるが、それは既に賢明な措置として廃炉を決断しているのである。今回停止した3号と4号機は福島第二原発と同様の設計基準であり、本来停止させなければならない古い設計基準の原子力発電所は日本海などに多く存在しているのである。日本全体が大地震の危険性があるのは当然なのに比較的新しい設計基準の浜岡3,4号機を停止させて他の旧式な設計基準の原子炉を停止させない一貫性のない菅内閣の対応に問題視している報道は少ない。特にマスコミは悲観的な報道が日本国民を発奮させて大きな力を発揮すると言う過去の経験を踏襲して悪戯に危機感を煽るだけである。この危機感が不動産取引などのマーケットを縮小し、経済の動きを止める役割を果たしていることも省みない。国もマスコミも大地震後は真実を伝えていないと言う理解でいることが判断を間違わないことである。
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