日本人の危機管理の欠如等は国防の米国依存の為!!

日本人は昔から危機管理が欠如した国民ではないと考えるが、現代の日本人を見る限り多くの人は危機管理能力が低い様に思えて仕方がない。特に、エリート呼ばれる上級官僚や政治家に危機管理能力と迅速性が欠如していることは憂いることである。何故、現代日本人が危機意識が低下したかを検証してみると、国家の基本である国防に対する意識の欠如がもたらしたものではないかと推測する。この様に書くと国防の意識は多くの国民が持っていると反論されると思うが、国防の意識とは米国依存の国防体制を当然と考える国民の意識が緊張感と危機意識の欠如の原因になっている懸念である。確かに、日本は低い防衛費で経済大国になったが、その代わりに危機意識の欠如など失った代償は大きかったかもしれない。日本の多くの若者にとって戦争とは、自衛隊と米軍が行うもので、自らが戦争に行く事は全く想定外と思われる。このため、この事が尖閣諸島などの国境紛争エリアに対する日本の若者の強硬論となっている様に思えて仕方がない。隣国の韓国は徴兵制度を設けており、成人男子は一部の例外を除いて全員が2年間(?)の軍隊生活を送る。軍隊で教わる事は敵を殺す事と自分の命を守ることである。一瞬の判断ミスが命取りになる戦場では、危機管理能力が必要以上に高められる。グローバル経済になって韓国が強みを発揮してきた背景には、徴兵制度で危機管理意識や迅速性などを鍛えられた若者が企業で活躍しているからとも理解できる。日本も戦前の戦争体験を持った世代が、行政や政治家や企業の現役であった時代は、職場に危機管理意識を持ち、迅速性の体制が出来ていたと思われる。日本が現代の様に危機管理能力とスピード制に欠ける社会になったのは標題の国防の米国依存の他に17年前のバブル経済崩壊があると考えるがその事は何度かblogで書いたので、本題では他国依存の国防が如何に日本人の決断能力を喪失させているかを論考したい。現代の若者は国境問題などに関して意外と強硬論者が多い。確かに、自らが戦争に行くことがなければ、戦争が起きても怖くはない。人間の危機管理能力は生存するために培われた本能である。その本能が現代日本人に希薄であるとすれば、民族として生き残れる可能性が低くなると言う事である。米国に国防を依存したために、日本の教育現場でも理想主意が横行し、如何なる暴力行為も否定されてしまった。国際社会の現実は理想社会とは程遠く、弱肉強食である。それなのに、現代日本人は能天気に構えて外からの圧力でしか動かない国民気質を造り上げてしまった。東日本大震災や二次災害の福島原発事故などによる対応は正に危機管理能力とスピード感覚の欠如がもたらした最悪なものである。大震災後3ヶ月になって漸く動き出したのである。勿論、標題以外に情報化社会の現場軽視が危機管理意識の欠如を助長していることは確かである。この様な現代社会にあって一つの朗報もある。それは山ガールの存在である。現代の日本社会において女性の方が危機管理意識が強く残されている様に思える。この理由は子育てに対する本能にあると考える。なぜ山ガールの出現が期待できるかと言うと、登山こそ危機管理能力と迅速性、更には決断力が求められるスポーツだからである。山ガールが増加し、子供に対する教育に自然と登山で培われたリスク管理が継承されれば、米国に国防を依存した危機管理能力の欠如を補えると思うからである。
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