孫正義伝「あんぽん」を読んで

私が今一番好きなノンフィクション作家の佐野眞一が書いたソフトバンク創業者の「孫正義」伝を読んだ。佐野作品はどの作品も読んだ瞬間から引き込まれる。佐野作品に惹かれる原因は正に取材力と世間に阿ねない姿勢、更に真実に少しでも近づこうとする気迫である。正に、孫正義伝はその様な視点で書かれた出色の作品と読むに連れて思った。尤も、此処まで真実を書かれた孫正義及び家族は居た堪れないかもしれない。しかし、虚像と実像が折り重なって評価されるより、在日出身と言う韓国社会でも日本社会でも差別的な扱いを受けながらのし上がって来た生き様を思うと、真実を書かれる事などどうでも良いのかもしれない。逆に、孫と言う性で帰化した事を考えると、生き様を隠すのではなく、堂々と晴天のもとに晒したい思いもあるのかもしれない。私は常々日本社会で在日と言う差別的な表現を耳にすると、在日と差別的な言葉を吐いた者の無知を軽蔑する。日本社会はそもそも2000年以上前に海を渡ってきた民が造った国である。今の日本人の半数位は朝鮮民族をルーツにしていると考えられる。私の持論だが、2000年以上前に来た朝鮮人と100年以内に来た朝鮮人と何処に違いがあるのかと言うことである。勿論、この期間を通して変わったのは気質だと思われるが、その気質の違いを以って同じDNAを持っていることを否定できない。日本人を形成する気質は、海外からの移民国家であることと自然の災害が多いことからDNAに我慢強さや争いを好まない性格、更には東日本大震災の時に見せた助け合い精神が生まれたと推定できる。孫一族は朝鮮民族の中で支配階級であった両班の出自と書かれている。孫正義の一族が今の韓国には余り愛着がなく、孫正義氏が日本に帰化したことを考えると故郷には複雑な思いがあるのが分かる。何れにしても不世出な事業家の孫正義氏を日本が持ったことに感謝する必要があるのだが、マスコミや多くの日本人は孫正義氏に反発する人が多いようだ。著者の佐野氏は孫正義氏に付き纏う胡散臭さが何に起因するのか取材を通じて解明しようとしたが、最後まで分からず仕舞いであった様だ。しかし、私から見れば一代で富を掴んだ人達には常に同様な胡散臭さは付いて回っていると思われる。この胡散臭さは常識的な考え方に捉われない事であり、斬新なアイデアのなせる業なのである。日本人は古来より考え方が同じでないと排斥する傾向が強く、考えの違う者に対しては異端児扱いをした。孫正義氏に対しては在日と言うことから特にその反発が強いのかもしれない。今の日本社会は常識な考え方では乗り切れない状況となっている。グローバル社会で日本人考え方がが通用しないと思っている人が多いが、私が逆な見方をしている。グローバル社会はITテクノロジーによって開かれたが、他民族の交流のダイバーシティと言うこを分析すれば、中東で生まれたキリスト教やイスラム教の一神教を信奉する民族でなく、日本の様な多宗教を包含する民族がリードすることになると予言する。日本人が良く知る七福神の神様は、3人がインド渡来、3人が中国渡来、一人だけが日本の神である。孫正義氏が日本に帰化した理由は正にそこにあるのである。グローバル社会は日本人が世界をリードできる時代が来た事と認識すべきであり、狭量な差別主観を排除すべきなのである。移民は日本に馴染まないと言う輩は日本の古代史を学べと言いたい。ダイバーシティこそ日本の姿である。

不動産仲介手数料について

私は不動産業界に長く身を置きながら不動産仲介手数料については深く考えてはこなかった。実は2年ほど前になるが、偶然知人と不動産売買手数料の話になり、私は両手(買主売主)は利益相反になるので取れないと思っていたが、その知人により私の考えが間違いなのに気づかされた。特に最近は信託銀行系の業者は両手しか取引しないとのことも聞き時代が変わったのを痛感させられた。私が仲介手数料で勘違いした原因は、賃貸物件の仲介手数料が賃料の1ヶ月分と言うことと混同していた為かもしれない。賃貸物件の場合には2ヶ月の仲介手数料は違法になるので、主として広告宣伝費として領収書を切るのが慣習となっている。然しながら、不動産売買手数料の両手を容認している事は利益相反問題にならないのかと考えてしまうのだが、良く考えると街の店舗不動産は家主から直接物件を得ていれば飛び込みの借主の場合、当然に両手の商売であるので両手の手数料を否定できない業界であり、力があれば両手に出来る業界だと思われる。基本的な不動産手数料について今更ながらであるが、当社の社員から不動産仲介手数料を無料と宣伝する業者が現れてきた事を知らされ、今後の会社の対応を聞かれたので、改めて不動産仲介手数料を考えてみた次第だ。先ず、不動産仲介手数料を両手で商売するのは利益相反になるので、当社としては行いたくないし、お客にも買主と売主の双方にそれぞれ仲介業者が付くべきと説明したい。次に、不動産仲介手数料を無料にする問題だが、売主と買主又は貸主と借主の両方から手数料を貰わないとなれば、そのビジネスモデルは宅地建物取引業者として稼ぐのではなく、全く別の視点で収入を得ることになるので此処では採り上げない。このため、論点としては、片方から仲介手数料を取ると言う考え方だが、手数料を取られないことに飛びつくのはリスクが伴うことだとどの位の人が知っているのかと考える。利益相反も考えものだが、それ以上に片方から取らないと言うことは、一方の利益を守る立場と考えると理解しやすい。良く昔から無料(タダ)より高いものはないと言われるが、正に真実である。勿論、最近は無料(フリー)で商売をするビジネスモデルが横行し話題になっている。然し、不動産仲介業は物販と違い1年間で保証期間が切れるものとは違い、取得後や入居後、退出後の責任も関わってくるので必要な手数料は支払った方が良いと思われる。グローバル社会になり、その国特有の商習慣が否定される時代ではあるが、何故その様なものが必要なのかを再考した上で選択することも重要なのではないかと思われる。時代に翻弄されないことが自分自身の利益を守ることである事を知る必要がある。

東京都知事・石原慎太郎の原発に対する妄言

産経新聞の一面"日本よ"に掲載された石原慎太郎の原発に対する妄言は哀れの一言に尽きる。石原慎太郎が作家と政治家の二足の草鞋を履いてから30年以上は経過していると推測する。自民党の参議院から衆議院に転出し、その間には運輸大臣にも就任して若い人には作家より政治家の石原慎太郎の方が通りが良いと思われる。然し、「日本よ」の文章を見る限り、この人は政治家でななく作家の域を出ていないことが分かった。この様に書くと今更と言われるかもしれないが、私自身は石原慎太郎の作品を読んだことがなかったし、況して政治家の石原慎太郎については興味がなかったので、彼の書いた文章を読んだことがなかったのである。今回は偶々産経新聞の"日本よ"の副題「原発に関するセンチメントの愚」に興味が引かれ読んだのだが、その牽強付会に驚いたのである。正に「駿馬も老いれば駄馬になる」を地で言った姿に哀れさを感じる。原子力行政に長く携わった知人でさえ、今回の事故に対して国民に申し開きが出来ないことをしたと悔いているのに、原発の技術や原発のリスクを省みない文官どもの跳梁跋扈も知らずに、1回の事故で原発を否定するにはセンチメントの愚と論じる愚かさには呆れて物が言えない。良く考えると、この様なインチキ政治家が日本を駄目にした張本人であり、語るに落ちたとは正に石原慎太郎を指す言葉だ。特に、新党参加に関しては日本を憂う様な事をほざいているが、実際には浪人中の馬鹿な次男坊を次の選挙に当選させたいだけのことだ。尤も、そのことは日本人のセンチメントだと逃げるのであろう。又、福島原発の放射能など問題ではないなら、自分の妻や子供や孫に福島産の米と野菜などを食わしているかと言う質問にもセンチメントと逃げる複線を用意しての狡さが見える。石原慎太郎に言いたい。言葉ではなく行動で示せと。福島に孫を住まわせ、福島産の米、野菜類、魚介類を食卓に上げてから福島事故の放射能などで騒ぐなと書けば敬服する。それが王陽明の陽明学の真髄「知行合一」である。

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