文系と理系の対立

米国の上下院議員の構成は文系出身者と理系出身者がほぼ拮抗していると聞いたことがあった。私はその話を聞くまで米国の議員は弁護士出身の文系が圧倒的に多いと勝手に誤解していた。翻って、米国の議員構成を聞いた当時の日本は圧倒的に文系出身の議員が多かったと記憶している。最近、日米の政治についてNY在住の友人と話していた時に米国の議会も文系と理系の構成に変化がおきて今では文系出身者の方が多いと指摘し、米国が可笑しくなったのはその影響もあるかもしれないと彼は言った。それでは日本はと言えば、鳩山元首相と管前首相が理系出身の為に政治家として理系は向かない様な印象を与えてしまった。私は理系と言っても理学部系と工学部系があり、鳩山と管は理論重視の理学部系だから工学部系であれば違ったのではないかと思うのだが、理系の政治家は駄目だという声が大きくなり、鳩山も管も日本の政治における理系出身者にマイナスイメージを与えてしまった事は否めない。それでは過去の政治家、特に戦後の首相で理系出身者はいるかと探すと田中角栄がいる。私自身は田中について総体的には金権主義で官僚を堕落させ、無能な大臣を就任させて日本を駄目にした筆頭の政治家としてマイナスの評価であるが、個別的な政治課題の解決に振るった手腕は評価している。特に、日米繊維交渉では前任者の宮沢喜一が解決策を見出せなかったのに快刀乱麻を切る如く解決した手腕は見事であり、中小企業の経営者として経験と知恵が生かせた実績であった。この他にも、田中角栄と言う政治家は文系の政治家では考えられない様な多くの知恵を出した。田中角栄は理系出身と言っても建築工学なので芸術的な才能もあり、建物を設計すると言うより田中土建の経営者として工事施工で多くの経験を積んだために、時間軸やコストの意識が強かったと推測される。文系出身の政治家は法定主義に陥りやすく、時間の意識も希薄になる傾向が強い。今の国会を見ていると正に時間に関する意識が欠如していると思わざるを得ない。文系と理系の均衡がバランスを取ることは何も政治の世界ばかりではない。企業も同様に思われる。特に、米国主義の最近の経営は株主重視の短期利益を追求するもので法定主義の傾向が強い。このため、コンプライアンスなどを過度に重視し、マーケティング重視のガバナンスになっていると思われる。戦後の日本の経済成長は戦争で有能な文系出身者が失われ、理系出身のウエイトが高かったために成し遂げられたとも言われている。然しながら、バブル経済崩壊後に米国式経営を目指した日本企業はマーケティング重視と法定主義に陥り、日本企業の長所も失われてしまった。典型的な企業はソニーであり、長期的な視点にたった技術よりマーケティング重視で普通の企業になってしまった。当社の建築・不動産業界にも物づくりを軽視し、マーケティング重視に走り、コンプライアンスなどの法定主義に陥って破綻した会社も多い。勿論、私自身が理系出身なので理系出身者の欠点も熟知しているので、理系出身者を一方的に評価しているのではない。バランスを言っているのである。その様な視点から言えば、日本の官僚組織は文系重視に偏っているので法定主義に陥り自縄自縛となり、国民からバッシングされる存在になってしまった。この為に、福島原発事故に対する新たな原子力規制も法定主義の視点で進められており、技術的な視点が欠けた極めて問題が多いものとなっている。最近良い言葉を知った。出光興産の創業者の出光佐三翁の「モラルの奴隷になるな」である。内閣法制局が力を持ち、国会議員に対して悉く異議申し立てる姿は亡国そのものである。国会議員もダラシがないから最近は議員立法も作れない。文系出身者の現状維持を壊せるのは理系出身者であることを訴え、社会がバランスの取れたものになることを願いたい。

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