液晶TVの故障と人間の質について

月曜日の朝突然にTVの画面が真っ黒で映らなくなり、出社前の天気予報とニュースが見れなかった。以前に電源の入り切りで直した経緯があるが、今回は音だけ出ているので基盤か何かが故障したものと推定され、買い替えなければならないと言う思いが過ぎった。出社して午後には地権者の方が来社され、今回の新規契約について説明を行ったのだが、80歳になられた地権者の方の頭の良さには敬服した。この方は文部科学省のつくば研究所の教授を勤められたかたで、定年後の10年間は私立大学の数学の教授であった。今は悠々自適の生活だが、今でも最新の技術に目を通して知識の豊富さには驚かされる。偶然なのだが、この方は私の出身地に所在した旧制水戸高等学校に学んでおり、その後東京工業大学の物理学科に進まれた。人生の大半を研究に費やされ、記憶ではノーベル賞を受賞した益川さんとはつくばの研究所で一緒だった事もある。私が最初にお目にかかったのはつくばの研究所に在籍中の今から25年前であった。当社が開発した共同開発ビルの地権者の一人であった。その後は共同ビルの管理組合の理事をお願いしたこともあり、管理組合の運営にも力を尽くされてきた。今回の契約の話は直ぐに終り、何時もの通り雑談に入ったのだが、政治経済はもとより、専門の領域の物理の最新動向や複雑性科学など知見の豊富さには恐れ入った。弟夫婦から80歳のお祝いを貰って初めて80歳になったことに気が付いたとのことで、頭の中は今でも青年なのかもしれないと思われた。しかし、この方と話をする度に人間の質について考えさせられる。この方の父親は朝日新聞に勤務していた方だが、当社が開発にお伺いした時に健在だったのは母親だけであった。私はお会いしていないが、先代社長からこの方の母親の頭の良さについて聞いていたので、その母親ありて息子かなと言う気がした。帰宅してTVが壊れたので何時もの生活とは変わり、ラジオをつけて音の世界で食事をし、その後寛いだ。この時にTVを見ていた時の素通り感と異なり、耳で聞いた音が頭の中で色々な物を想像しているのに気が付いた。学生時代にマクルーハンのこれからは映像の時代という事が指摘され、現代は正にその言葉が具現化した社会だが、それ以前にTVが出現して一般大衆に入り込んできた時代に大宅荘一と言う評論家が、TVについて「一億総白痴化」をもたらすと警鐘を鳴らしていたことを思い出した。TVが故障した為にラジオを聞いていたが、最近ボケ気味のパートナーも食事後に新聞などを読み出して面白いことが書いてあると言った時には、大宅荘一の言葉が改めて偉大な批判と気づかされた。現代人が昔の人のように思慮がなく、且つ配慮に欠け、知恵が不足しているのは正に映像社会の弊害と考えさせられた。推測だが、先の年配の地権者の方は余りTVを見ていないのではないかと思われた。残念ながら当家のパートナーはTVなしの生活には耐えられない見たいで、今日にも家電大量店に駆け込む勢いである。やれやれである。

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