福祉と税の一体改革による消費税増税のために隠されている真実

消費税の増税前には更なる行政改革も必要だが、消費税自体の中身の再検討も重要なのである。しかし、今回の増税には福祉と税の一体改革と称して議論されている為に5%以上にアップする際に検討しなければならない消費税の中身については全く言及されていない。海外の消費税は衣食住に掛けていないので20%以上になっても大きな反対運動は起きていない。マスコミは意図的であろうが、海外の消費税率は日本と比較して高いとだけ報道し、日本も国が多額の借金を抱え、然も高齢少子化社会に入ったので増税は必要の一点張りだ。特に、御用新聞の日経新聞の記事は読むに耐えない。業界紙だからと見過ごすには日経新聞は一般紙並みの信用性を持ってきたので看過するわけには行かなくなっている。日本人は忘れやすい国民と言われるが、特にTV文化が浸透してからは顕著と思える。自民党の竹下内閣の時に消費税が導入されたのであるが、この時の計画では3%などと低い数値ではなかった。しかし、国民の猛反発を受けて当時の大蔵官僚は将来に託して3%で妥協したのである。この妥協の産物が5%に引き上げられる時も今回の増税の時にも何等省みられることはない。妥協の産物とは、予定税収を確保する為に衣食住に掛けたことと二重課税の問題、更には売上げ税的な性格に変えてしまったことである。ガソリン税に課税するなど論外なのだが、自動者を乗らない人には関係がないので今でも改定されていない。都会の住民が田舎の住民より多くの税金を支払っていると不満を口にするが、都会の住民は田舎では車なしでは生活できない為にガソリン税に課税されている消費税の二重課税の負担を強いられている現実を知るべきと思われる。日本の消費税は売上税なので赤字会社でも当然に消費税は発生する。消費税の還付は物品を購入すると受けられるので、キャッシュフローが多い会社は有利な税金だ。中小企業などは常に資金不足に悩まされているので投資を増やすことは厳しいが、そうすると消費税の支払いが増えてくることになる。一方、個人も衣食住に課税されるので、増税は生活に直接影響が出てくる。特に、先進国では景気対策に住宅政策を織り込まなければならないのに、住宅取得に対する課税が増えれば景気回復にも悪影響を及ぼすのである。本来、3%の消費税だから許された衣食住に対する課税や二重課税問題も10%に引き上げられるとなれば話は違ってくるのである。民主党の藤井裕久議員は消費税アップで住宅取得に負担がますならば分割納税も考慮すべきと発言しているが、本末転倒の議論だ。幾ら間接税と言っても衣食住に対する課税は成長なしの経済で給与が上がらない状況では生活が苦しくなるだけである。本来、消費税とは贅沢税的なものとなるはずである。それがいつの間にか弱者を苦しめる税金に替えられ、金持ちの個人や企業が得をする税金に変わってしまったのである。財務官僚は知恵が回るので、消費税の本質的な問題で議論されるのを避ける為に、福祉と税の一体改革などと国民の目を誤魔化す方法を取ったと思われる。尤も、馬鹿な国会議員も同様に消費税の欠点を問題にするどころか現状ままで10%、更にはそれ以上にアップする考えでおり、消費税の真実が見えなくなっている。この為、消費税増税の反対ではなく、消費税の中身の議論に持ち込んで、増税の影響が弱者に及ばないようにする議論が必要な事を訴えかけるべきと思料する。

中野のサンモール&BROADWAY

"サンモール&BROADWAY"とは東京都中野区のJR中央線中野駅北口を出て目にするアーケード商店街の名称である。私は学生時代の一時期にアーケード商店街を横目で見て通学する場所に住居を構えていた。先日、設計士と打ち合わせていた時にこの商店街の事を設計士は「中野BROADWAY」と言ったので"?"と思った。私の学生時代には確かに「中野ブロードウェイ」と言ったのだが、卒業数年後に「中野サンモール」に名称が変わった記憶があったからである。この事が気になったので、先週土曜日に春真っ盛りの桜の花見とメタボ気味の体をスリムにするための一石二鳥を兼ねて自宅から中野まで散歩することにした。散歩ルートは自宅から高千穂大学と善福寺公園を通り抜けて善福寺川の桜並木までを一応考えたが、後は自由に動くことにした。この為、善福寺川の桜並木が一望できる五日市街道の橋から観桜した後は、取り合えず五日市街道を高円寺方面に向かった。同街道沿いには未だ昔懐かしい古い店が所々に残されてはいるが、全体的には新しい建物になり、個性がない街道沿いになってしまった。只管歩いていると青梅街道に交差したので、今度は青梅街道を新宿方面に向かった。環七を超えて少し歩くと、東高円寺商店街の町並みが見えたので散歩の時間は決めていなかったので寄り道を決めた。都内には未だこの様な商店街が結構残されてるが、東高円寺商店街も生き残っているひとつと思われた。面白いことに斜めの商店街を進んだ先の住宅街を行くと、このルートが意外と中野の近道であることが分かった。適切でないかもしれないが、頭に「急がば回れ」と言う言葉が浮かんだ。そう言えば、中野はクレジットを考案した丸井の本社がある町でもある。中野駅に近づくにつれて建築中の2棟の高層タワーマンションが見えてきた。反対運動も起きている様だが、工事はお構いなしに進んでいる。圧倒的な低層階の建物の場所に突如出現した様な29階建の2棟のマンションは確かに違和感のある光景となっている。不動産業界にとっては高層マンションは利益のでる美味しいプロジェクトだが、街つくりを考慮していない高層マンションの立地は論外と思われた。なお、今回の散歩は途中で花見をしたこともあり中野駅の到着には2時間位要した。中野駅北口に回り商店街の看板を見ると「サンモール」であった。変わっていないと思い乍ら、サンモールに入り散歩で喉が渇いたことと小腹も空いたので、先ずは喫茶店を探した。昔と違って何処でも喫茶店は少なくなっているが、サンモールにも同様であることが分かったが、1階には正に1件だけ昔の喫茶店が残っており、然も店内は新しい空間も演出されていた他、従業員のマナーも良く、更にコーヒーや軽食の類も美味しかった。腹を満たしサンモールを通過して反対側の看板を見ると「BROADWAY」となっていた。通りの何処で切り替わったのかと再度アーケード街を戻ったら、建築当事は高層マンションで有名になった側の入り口に「BROADWAY」の看板があった。学生時代にはカタカナの「ブロードウエイ」であったが、サンモールと棲み分けしてからはローマ字の「BROAWAY」になって復活したことを理解した。間際らしいと言えば間際らしいが、商店街の意見を纏めるのには両方の名前を付けることで解決したものと推測できた。サンモール商店街は2階位までだが、マンション階の部分は4階部分まで店舗があって昔は繁盛していた。卒業後大分経ってから一度懐かしくて来た時には3階以上は店舗の営業が少なかった記憶があった。今回も久しぶりに2階、3階、4階に上がったのだが、驚いたことに完全に店舗街として復活していた。復活の理由は外国製の時計売り屋とフィギアやマニアックな店舗がずらりと並んでいた。合間に占いの店もあった。中国人のお客もいた。そう言えば、中野サンプラザに事務所がある若い行政書士の方がfacebookに仕事を頑張った時には高級時計を買う事を載せていたが、成る程、BUROADWAYの商店街の時計売り場に触発されたことが分かった。何店舗もある高級時計店のお客は皆若い方であった。彼らが何十万もする高級時計を購入しているのには改めて時代の差を感じた。同時に中野BROADWAYの復活にも驚いたと同時に地方も商店街も含めて再生には何が必要かも考えさせられることであった。勿論、若い人にとっては中野BROADWAYは復活したのではなく、存在しか知らないのも事実なことも認識した。
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