関越自動車道で起きたバスの事故に見る小泉改革の弊害

建築確認申請・承認の民間委託で起きた構造偽造事件を始め、小泉改革が社会に害をなした事例は枚挙に暇がない。今回の関越自動車道のバスの事故も規制緩和の弊害が出たと思わざるを得ない。法律の改正で免許制度から登録制度に変更したことで免許制度の利権構造にメスを入れたことは理解できる。問題は規制緩和後の安全などに対する配慮が著しく小泉改革には欠けていると言う事実だ。今回の事故に繋がる運転手一人の問題も法律的には違反でないと言う。どの様な法律かと言うと、道路法による走行距離で決めているとのことの様だ。この走行距離以外に運転手の健康問題や渋滞問題を絡めていれば今回の様な事故は防げたと思えてならない。先の建築確認申請の問題も然りである。準備(=能力)も整わないのに時間軸で規制緩和を行ったために、構造偽造を起こしやすい状況を作り出してしまった。法曹界でも裁判の判決を時間軸で評価する様になったために正義ではなく、裁判官の出世競争に巻き込まれて不正義が罷り通っている。検察然りだ。マスメディアはデフレ社会に陥り、グローバル経済についてゆけない日本に対し、明治維新の改革を期待するかの様に世論を誘導しているが、江戸時代に教育を受けた日本人と現代社会の日本人との人間の質の違いを考えているのかと言いたい。今回のバスの事故を起こした会社の名前は、「陸援隊」と言うのを見ると、明治維新に憧れた社長だと直ぐに分かる。この社長が2002年にバス会社を設立したのを見ると正に小泉改革が産んだ申し子だろう。

小泉改革で良く言われる民営化とは、言葉を変えれば資本主義化と言うことだ。今の若い世代は社会主義と共産主義を混同して一方的に社会主義が悪いと批判している。明治維新で資本主義の欠点を見抜いていた経済人に渋沢栄一がいる。彼は資本主義に論語の考え方を入れることを唱えたのである。現代社会に明治維新と同じ改革が出来るわけがない。その大きな理由は人間の質の問題である。現代社会の日本人は倫理観も喪失し、「他人くたばれ、我繁盛」の連中が金儲けに走っている。尤も、日本人だけでなく世界中の人々が熱に浮かされた様に倫理観なき競争に陥っている。

私自身は規制緩和や競争を否定している訳ではない。問題は規制緩和を主導している人達の人間の質や能力を問題視しているのである。勿論、マスメディアに踊らされて効率主義や安い商品を血眼になって追い求める大衆にも責任はある。この様に書いているのも馬鹿らしいほど、人と言うは忘却することで生きている人種と言わざるを得ない。バスの事故の被害者には悪いが、安いものにはリスクがあると言う現実を突きつけてくれた事例としては少しの期間は人の記憶に残るのであろう。正に、現代の政治は大衆の忘却や表面の姿を変えただけで誤魔かせる中で行われている。維新を唱える前に倫理観について議論しろと言いたい。

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