維新の幻想

橋下大阪市長が日本維新の会と言う政党を立ち上げた。日本社会では維新と言う言葉で想起するのは"明治維新"と思われる。昭和初期にも軍人と一部民間人が昭和維新(2.26事件)を掲げて立ち上がったが、失敗した。確かに、世情が混沌として将来に不安が蔓延すると維新と言う言葉は魅力的に聞こえる。昭和維新には思想的的指導者の北一輝などがおり、確かに大きく日本社会を変える思想を持って立ち上がった。維新は「変革」、和語では「これあらた」であるが、明治維新の時には欧米の近代社会が変革に値する目標になり、正に社会制度の変革が人々の意識の変革まで作用したのである。では、現代日本で維新とは何かを考えると、人々の意識まで変革できる社会モデルが存在しないことは明白である。規制緩和の促進や財政再建、更には憲法改正が維新であると思うならお門違いだ。橋下大阪市長及び同士が掲げる維新八策など維新に値する代物ではない。世界中の政治家や経済学者が未来社会を想像できない時代に思想と呼べる理論もなしに維新を掲げるのはアジテーターとしか理解できない。何度も言うが明治維新には西欧の近代社会モデルがあったから実現したのである。少なくても昭和に維新を掲げた人達にはその事が分かっていた。平成の維新にはどの様な社会を構築するのか全く見えない。実現したい政治思想がないからである。垂直的な社会から水平的な社会が情報化社会で求められているにも拘わらず、相変わらず行政組織が対応できていないことに起因する事に関して単なる規制緩和などでは解決しないことは明白だ。欧米社会も対応できていないので混乱しているのに、明治時代の時の様に海外に学べ的な論調が維新の根底にあるのは笑止千万だ。橋下大阪市長には悪いが、お金儲けに専心していた人が哲学が必要な社会変革の勉強をしたのか聞きたい。本当に維新を標榜するなら情報化社会に必要な社会制度を構築する思想を発表する必要がある。そうでなければ百年以上掛けて構築された官僚組織を壊せるわけがない。民主党の様に国民に幻想を持たせて出来ませんでは万死に値する。馬鹿な政治家が冷戦が消失したから政治に思想が必要でなくなったとか、思想で判断できなくなったとか発言しているが、未来社会を想像するのに思想がなくて政治を行えるわけがない。政治家と官僚の大きな違いは正に此処にある。それを知らない政治家など選挙で落とすべきだ。
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