磯子石炭火力発電所を見学して

電源開発㈱の磯子石炭火力発電所を見学する機会を得た。見学の主役は伊東元重・東大教授であったので、私は随行者の一人として参加した。今回の磯子石炭火力発電所の見学には他の人達と違った意味があった。それは私が若い時に公共事業とエネルギー関係の専門誌を発行する会社を仲間と共同で経営していたので、取材で何度も鉄鋼ビル時代の電源開発を訪問していたし、旧磯子石炭火力発電所を見学していたのである。今から30年近く前に家業を継ぐために転職し、エネルギー事業とは無縁の仕事に入った。尤も、入社数年前から非常勤取締役に就任していたので、業務自体は兼務していた時期もある。しかし、代表取締役社長に就任してからは、昔の専門誌仲間とは酒を飲む程度になり、一時期は全くエネルギー事業とは無縁であった。それが、経済産業省に勤務していた友人の技官から自宅兼共同住宅の購入の相談を受けてから彼の専門分野の原子力に関しては時々情報を得ていた。特に、3.11の東日本大地震による福島原子力第一発電所の事故の時には、米国の友人からメルトダウンしているから逃げろと言う情報が入ったので、友人の技官に対して状況を確認するために連絡したが容易に捕まらず、漸く連絡が取れたら彼自身が政府の事故対策の渦中にいたことが分かり、危険な状況を脱したことを知った。

この為、福島原発事故以降は今後の日本の電力状況やエネルギー政策に再び関心が行くようになり、情報を収集するようになった。以前はバブル経済崩壊後の不良債権処理に時間を取られ、更には不動産ファンドのアドバイザリーとして不良債権ビジネスに参加するなど忙しい日々を過ごしてきたので、異業種交流会などには積極的には参加してこなかったのだが、東日本大地震以降は積極的に参加するようになり、交流会の知人を通して伊東先生とも面識を得た。今回、伊藤先生を囲む異業種交流会に電源開発の役員さんも参加したこともあり、今回の磯子石炭火力発電所見学となった次第だ。石炭は地球エネルギーとしては一番豊富であり、CO2の問題はあるものの世界中で石炭火力の技術開発が進められてきており、日本の石炭火力は環境性能を含め最先端の技術力を誇っている。確かに、磯子火力の隣の東京電力の新横浜LNG火力の煙突には煙(水蒸気)が出ているが、驚いた事には磯子石炭火力発電所の煙突からは煙が出ていなかった。磯子火力は1号機(60万KW)、2号機(60万KW)の合計120万KWを運転しているが、石炭は船からの輸送も含めてすべて密閉されており、石炭はサイロに保管されて発電に使用されるに際してはミルで粉末状に粉砕されてボイラーの燃料に使用されている。特に、タワー型のボイラーは圧巻であり、発電効率は世界最高効率を実現しているとのことである。環境性能から言えば、硫黄酸化物(SOx)、窒素酸化物(NOx)はガス火力並みのクリーンさを実現している。この為、石炭火力としての問題は温暖化の原因と言われるNO2だが、この排出量もインドなど比較すると各段に低い数値とのことだ。原子力発電は多くのリスクを抱えていることを考えると、ベース電源としては資源埋蔵量からも石炭火力が世界中ではウエイトを占めることは間違い。この為、日本の石炭火力の技術を輸出することが環境問題に貢献することになるものと見られ、次世代の石炭ガス発電所も視野に入っているとも言われ、今後の成り行きに注目される。勿論、北米のシェールガス輸入もあり、日本のエネルギー政策の舵取りに関心を持つ必要がある。

何れにしても、久しぶりに石炭火力発電所の見学は技術開発の進歩を見る思いであり、発電所のコントロール室も旧発電所に見た環境とは段違いであった。仕事とは違うが、エネルギー施設を見学することも当社の事業であるビル・マンションの管理には必要なことと改めて気づかされた。

中国の防空識別圏設定の深読み

中国の防空識別圏設定に関する日本のマスメディアの報道を見ると、中国と言う国は他国の事を何も考えない中華思想で凝り固まっており、外交は頗る幼稚としか思えなくなる。しかし、それは本当なのだろうか。今回の件を流された情報から分析すると違った側面が見えてくる。

先ず、今回の防空識別圏の設定は、中国に好意的な政権の台湾や韓国に知らされず、然も台湾と韓国の領域を重複した防空識別圏の設定であることだ。中国が尖閣諸島を領土とする主張に基づく防空識別圏設定ならば、現在友好的な台湾の馬政権と韓国の朴政権と軋轢を起す様な防空識別圏の設定を行わなかったのではないかと言うことだ。次の事は未確認情報の類だが、習国家主席が今回の防空識別圏の設定に関して日本とは資源争いから戦略的争いに変わったと発言したことである。

一般的に誤解されていることだが、中国と日本の尖閣諸島周辺の資源の共同開発の合意は、領土問題ではなく、大陸棚の延長に関してのものであった。日本のマスメディアは尖閣諸島に対しては、中国は海洋資源の存在を知ってから領土を主張するようになった論調が主流である。この日本の見方に対して中国は腹が立っていたのかもしれない。日米が現在設定している防空識別圏は中国にとっては喉元に突き付けられた刃と思っているのかもしれない。長く外国勢力に領土を蹂躙された民族にしか分からない防空概念だ。

鄧小平以前の周恩来、毛沢東も尖閣諸島に関しては将来の知恵に委ねたいと発言したことを捉えて日本のマスメディアは、中国が尖閣諸島を領土として主張し始めたのは中国が経済力を増して日本に経済的に依存しなくても良くなったからだとの見方を取っている。しかし、尖閣諸島問題が大きくクローズアップしたのは石原慎太郎前知事が米国のNYで購入発言をおこなってからであり、その沈静化を図るために国有化した民主党の野田前首相の行為からであった。尖閣諸島問題を先鋭化したのは中国側ではなかったことを理解しないと今回の防空識別圏の設定も理解できないことになる。

尤も、米国のコントロール下に置かれている日本のマスメディアの報道を見聞きして判断したのでは、日中対立を煽られ、中国を敵視するようになる。中国国防部の報道官が、今回の防空識別圏の設定はいかなる国に脅威を与えるものではないと発言したことも重視すべきだ。これに対して、日本のマスメディアは米国のB52の飛行や日本の自衛隊の飛行で中国がスクランブルを掛けてこなかったのは、広範囲の設定でレーダー網が不備であるからと指摘し、民間航空機の飛行の安全性を煽って不安視する情報を流している。この様なデマ記事を読むと憤りを感じる。今の中国国力でレーダー網を完備していなくて防空識別圏を設定する訳がないのである。月に無人探査機を送ろうとす中国に対しての技術力のなさを強調した歪曲した報道は何をか況やである。

中国の今回の防空識別圏の設定は尖閣諸島を巡る日中間の騒動に対して再度将来の知恵に委ねる一石かもしれないと考えてみるのも面白いかもしれない。短絡的か意図的な報道で日中間を煽るマスメディアの報道は戦前の大陸進出を彷彿させるものなので要注意が必要だ。

日中韓の歴史の逆転現象

中国と韓国の日本に対する最近のアクションを見ると、明治維新後の日本が清国と李朝鮮王朝に対して行った覚醒の為の示威行動と似ている気がする。明治維新時のアジア諸国は大半が欧米の植民地になっており、清国も独立とは名ばかりの様相であり、李朝鮮王朝の独立は風前の灯であった。日本は当初、アジアで孤立しないように清国と朝鮮王朝に対して近代化を促した。然し、両国とも日本の様な明治維新が起きず、欧米の植民地になる可能性もあった。このため、日本は覚醒の行動から両国に対する侵略へと大きく方向転換を余儀なくされ、先ず韓国を併合し、清国から変わった中国にに対しては満州に傀儡国家の満州国を造って欧米の植民地化を防ぐ算段をしたのであった。この計画の大きな誤算は日本の大陸の軍隊であった満州派遣軍の関東軍が暴走して中国に対して戦争を開始したことであった。

さて、現代に話を戻すと、経済的に力をつけた中国と韓国が欧米諸国と経済戦争に負けないために米国依存の日本に対してアジアに帰還することを促している図式と捉えると面白い歴史の逆転現象が起きていることになる。

中国と韓国は欧州がEUで統合しブロック経済の様相が起きている現象の世界的波及を憂慮し、アジア版のEUの可能性を模索していると思われる。このアジア版ブロック経済化で重要になるのは日本である。中国と韓国は日本が欧州の英国の様な存在になることを危惧しているが、実際に米国の動きは日本をアジアの英国にする意図が見え隠れする。しかし、米国と英国の関係にはならないことは、今回の米国の各国首脳や企業に対する盗聴問題ではっきりした。又、日本とアジア大陸との関係は英国と大陸との関係と異なり、アジアでは日本以外にフィリピンとインドネシアの二国が海洋国家として存在している。この為、アジアは北東地域とアセアン地域とに分けて考える必要があるが、何れにしても、米国はアジアに影響力を保持するために中国と韓国と日本が仲良くては困るわけだ。この点では、米国は日本が中国と韓国で犯した戦前の行為を使って妨害できる切り札をもっており、正にその切り札で日中韓が最悪の状況になっている。

韓国の朴大統領が欧州で日本非難を続けてることを日本のマスメディアが取り上げて対立を煽っているが、朴大統領の真意は日本のアジア回帰と推定される。中国も尖閣諸島問題を突きつけられて日本に対して抜き差しならない立場に追い込まれているが、中国も尖閣諸島問題が他の地域の領土紛争に波及するメビウスのの罠に嵌ってしまった。米国は日中韓に対する巧妙な仕掛けと同時にTPPと言う太平洋ブロック経済でアジアの分断作戦を進めている。この為、日本が戦前の清国、朝鮮国と同様に中国、韓国からのアジア回帰の要請を撥ね退けて米国との二人三脚でアジアの英国としての道を歩むのか、経済力を増したアジア諸国の盟主としての道を歩むのかの岐路に立っているのは確かだ。正に歴史の皮肉だが、戦前とは違った意味での日中韓の歴史に逆転現象が起きているのである。

安倍ノミクスの円安政策は正しいのか

安倍のミクスで日本企業の輸出競争力を高め雇用や賃金を上げて日本経済がデフレを脱却して景気回復する軌道に乗せるために円安政策を進めている。本当に円安政策は正しいのだろうか。20世紀の時代なら兎も角、21世紀の情報革命がもたらしたグローバル経済で円安で日本企業の輸出を増やすことでデフレが解消するかもしれないが、一方で財政赤字と円安によるエネルギー輸入で貿易収支の赤字が続いている双子の赤字の状況を考えると本当にこれで良いのか疑ってしまう。

日本はエネルギー政策ひとつとっても円高による海外への工場移転など考慮せずに原発を造り続けてきた結果、発電所の過剰設備状態になっている。水道水の供給でも同様だ。全てが民生用でなく工業用を基準として需給予測を立ててインフラ整備を推し進めてきた。円高で海外に工場が移転しているにも拘わらずだ。この理由の一つがインフラ整備を政治家の利権として実施してきたからに他ならない。特に、日本の予算が単年度主義の仕組みで実施されてきたことも中長期的なインフラ整備計画の途中修正を出来無くして来た大きな要因でもある。

然しながら、福島第一の原発事故で全国の原発が稼働していない中で、円安で輸出が増加しているにも拘わらず、LNGなどのエネルギーの輸入コストが増えているために貿易収支の赤字から脱却出来ないでいる。円安政策を強引に推し進めているのは景気回復基調にあることを国民に見せて消費税増税を実現させることを優先しているからに他ならない。この点から言えば、原発再稼働が実現しなければ双子の赤字が続き、日本という国家の先行きが厳しくなるのは間違いない。

安倍ノミクスは本当に日本の現状を踏まえた政策なのであろうか。特区の戦略を見ていると地方経済に対する配慮が少ないし、20世紀型経済構造を非正規雇用制度を導入するなど無理して維持する政策としか映らない。非正規雇用制度だけでは足りなくて何時でも解雇できる解雇特区に到っては何をか言わんやである。経済社会が良くなるのは全体の国民の生活が向上することである。一握りの豊かな人々を作る社会で日本経済が良くなるわけがない。結婚しない男女が増加しているのは間違いなく雇用形態の変化からである。終身雇用制度が社会の安定と消費をもたらしたのである。グローバル経済にあって大企業が日本という国に立脚点を持ち続ける保証はない。特区など導入しても全体の流れから言えば流れに棹さす行為にしか過ぎない。

ここ十数年、景気回復には構造改革のために規制緩和が必要と言われ続けているが、必要なのは規制緩和でなく、限りなく膨張した行政なのは一目瞭然だ。日本は少子高齢化社会を迎えて総てが膨張から縮小に向かうことは必然だ。21世紀の日本に求められるのは経済成長ではなく、情報化革命で変わる社会経済の仕組みにあった構造改革である。それは空洞化している社会構造を縮小して行政コストを引き下げることであり、格差社会を拡大することではなく、少ない収入でも結婚が出来て子供を育てる環境を作ることである。現代社会は必要以上に子供の教育に費用が掛かかるなど教育制度も間違っている。新しい時代には新しい教育制度が必要なのである。その様な意味では、安倍ノミクスは旧来の社会経済システムの域を出ていないので、円安政策自体がミスマッチングしていると思われてならない。安倍ノミクスが日本没落の引き金になる可能性もある。

少子高齢化社会のデジャヴ体験

少子高齢化社会で起きている最近の出来事は、私にとってはデジャヴとしか言いようがない現象が多くなってきている。子供時代を過ごした昭和の時代の日本は現代の消費時代とは全く縁遠い社会であった。勿論、当時の日本と言っても様々で、私の育った環境は茨城県の寒村であり都会と比べて経済的に特に遅れていたのだが、全体としての傾向として捉えれば平均以下の貧しさではなかったと考える。その様な寒村で見た生活風景が現代の少子高齢化社会で起きている現象とオーバーラップするかの様なデジャヴ体験が頻繁に起きている。

教育環境でもデジャヴ体験が起きている。少子化で学校教育が変わりつつあるが、その中で未だ一部だが小中一貫教育制度がある。一つの敷地に小学校と中学校を作って学ばせるものである。父兄の人気は高く、子供を入学させたくて引っ越してくる父兄もいるそうだ。若い人にとっては新鮮な教育環境だが、私の小学生の時には中学校と併設しているのは当たり前の出来事であった。運動会などは小中一緒に行われた記憶がある。それが木造校舎から鉄筋コンクリートの校舎に変貌する過程で小学校と中学校は分離されたのである。統合中学校の出現であった。村の何処に中学校が作られるかで通学に不公平が出たものである。私は小学校の時には300mの通学距離であったが、統合中学は1.99kmの通学距離となった。10km以上の通学距離の生徒からすれば恵まれていたが、問題は2km以下であると自転車通学が出来なかった不条理さがあった。この事が私の人生感に影響を与え、今でも線引きの難しさを考えてしまう。

話が横道に逸れたが、理容店(床屋)も少ない時代であり、店がない床屋さんが自宅に散髪に来たことや、若い人には信じられないかもしれないが、歯医者も患者宅に出張治療したのである。勿論、村の診療所の医師は患者宅を訪問治療するのは当たり前であった。面白いもので、高齢化社会になり介護が必要になった現代では、理容師・美容師、歯医者、内科医などが患者の住まいに出張する体制になった。

更に、店にお客を呼ぶことは交通手段も限定されていたので難しかったこともあり、八百屋でも洋品店でも魚屋でも店は奥さんに任せて主人は車で出張販売に出たのである。高齢化社会になり近くの店舗がなくなり遠いスーパーしかなくなった現代では、出張販売が復活したのである。私にとっては正にこの様な出来事はデジャヴ体験としか言いようがない。

居酒屋でも昭和時代を内装した店が繁盛し、50年前の東京オリンピックの再誘致で過去から答えを貰う動きが出ている。日本が貧しくても元気だった時代、人間の特徴である悪いことは忘れることも相俟って一層デジャヴの出来事がが拡大していると思われる。情報化時代はグローバル化により都市を巨大化させているが、一方では過去の様な集落単位に規模が縮小されて機能する逆行現象も生じている。巨大化する都市に住むのかローカルの集落に住むのかを問われる時代が来ており、それが少子高齢化がもたらす構造的な変化としたら未来が見えてくるかもしれない。少子高齢化が過去に戻った様なデジャヴ体験の現象を生じさせているが、今起きていることは先祖がえりではなく、見果てぬ経済成長を追い求めるのではなく、他に答えがあることを示唆していると思われてならない。

美味しい日本酒と恩人

呑み助の私にとっては美味しいお酒に出会うことは喜びなのだが、今夏には先代社長時代にお世話になった元銀行員Mさんから美味しい日本酒を頂戴した。お酒は「吟選 〆張鶴」であった。冷蔵庫に入れて冷やして飲んだのだが、美味しくて飲みすぎる酒であった。飲みながらMさんが銘酒の多い新潟出身であることを思い出した。

Mさんは本社が千代田区の九段にあった時代に飛び込み営業で来られたのが縁で取引が始まったと先代社長に聞いた。都内で不動産の共同開発を進めていた時でもあり、又正に日本がバブル経済に突入していた時代でもあった。当社も港区虎ノ門1丁目等に大型複合ビルの開発を進めており、資金の需要も大きかった。この時にMさんの尽力で多額の融資を受けることが出来て会社の危機を乗り越えられたことも思い出した。

当時、私は取締役統括部長として借り入れ窓口になっていたのだが、Mさんが勤務していた銀行の顧客に対する配慮には驚いた。世間では取引先には厳しい銀行と評価されていたが、Mさん転勤後に取引担当になった方々も皆能力が高く、色々とお世話になった。30代の経験の浅い私にとっては、日本のトップクラスの銀行とそのスタッフの仕事ぶりを見たことは大きなプラスになったと今でも思う。特に、39歳で亡父の後を継いで社長に就任し、その後のバブル経済崩壊後の会社経営を振り返るとMさんが作ってくれた縁に改めて感謝したい。

Mさんが昨年十数年ぶりに来社し、今は不動産業界で働いていることが分かり、親交を再開することが出来た。流石にトップバンクで支店長を歴任した方だけあって色々な所からお声が掛る様だ。最近、TVで銀行マン「半沢直樹」のドラマが脚光を浴びており、型破りの銀行マンに憧れて金融機関の就職希望者が増えているとの事だ。私は銀行内部の事は分からないが、Mさんの銀行の方がバブル経済崩壊後に言った「お客あっての銀行です。お客が死んで銀行が生き残れる訳がありません。」の言葉が今でも記憶に残っている。

Mさんから720ミリリットル日本酒を6本も頂いたのでお盆の帰郷時に母の土産として2本を持っ帰った所、日本酒好きの母は美味しいと喜んでくれた。頂いたお酒で親孝行が出来た。先日にその話をしたら今度は〆張鶴吟選の1升瓶を頂いてしまった。確か、Mさんとはゴルフをご一緒したが、会食したことは記憶にない。お酒好きなMさんと一献傾けたいと思っている。

東京オリンピック誘致の国内認識で分かった日本のお粗末さ

JOCの竹田会長が福島原発事故による放射能汚染は東京オリンピックに影響ないと考えて今回の最終プレゼンに臨んだのが、欧米のマスメディアの質問が放射能汚染に集中し返答に窮したことで分かった。この責任は竹田会長でなく、政府の福島原発事故の後始末に対して厳しく追求しなかった所か、逆に風評被害を取り上げて政府の原発事故終息宣言のプロパガンダになった日本のマスメディアの責任が大きい。又、福島原発の放射能汚染の問題を欧米のメディアが取り上げていたのを全くと言って良いほど報道しなかった責任も大きい。竹田会長は東京は福島原発から250km離れているので安全だと答えたようだが、チェルノブイリの事故の認識が足りない回答と言わざるを得ない。チェルノブイリから数百km離れた欧州では今でも汚染された問題が解決していないことを分からないとは無知も程がある。これは偏に日本人はマスメディアを通してしか世界を見ていないので、日本では真実が歪曲されて伝わっている証拠と言えるし、国民の大半も同様であることを考えると先が思いやられる。

会長のみならず、東京オリンピックを誘致に動いている人達は、東京都の水が何処から供給されているのか知っているのかと言いたい。釣った魚を食べられない群馬県などのダム湖から供給されているのだ。東京都水道局に汚染された水をどの様に処理しているのか聞きたいものだ。東京オリンピックは5年後なのでそれまでには福島原発事故の処理は終わるとも回答したそうだが、誰がその様な無責任なことを竹田会長に説明したのだろうか。原発問題を理解している人なら絶対に言えない言葉だ。日本人は嘘つきだと言われないことを望むが、当の本人たちが信じているのを見た欧米人は日本人に対する信頼を大きく下げることは間違いないだろう。

原発事故の処理など終息の見通しも立っていないのが実情だ。メルトダウンした炉内の高度な放射能に対して現状では処理の目途など何もない。有るのは希望的観測の机上の理論だけで、それが独り歩きしている。正に無責任な官僚の上にある政治の実態だ。安倍首相も官僚のインチキに騙されて5年内には福島原発問題は終息すると思っているのかもしれないが、それこそ取り巻きの経済産業省の官僚のインチキを見抜けないお粗末さだ。安倍首相は消費税問題で財務省を信じていないと言っているらしいが、同様にエネルギー管轄省の経済産業省の助言も信じなことが重要だ。政治家が日本を良くするには官僚を信じない事だが、それには優秀な実務を持った元官僚でないブレーンが必要だ。安倍ノミクスも官僚の土台に乗ったものなら先が見えているので、国民は今からその失敗に備えなければならない。

消費税増税の時期の是非

安倍政府は消費税増税について来年四月の実施時期を断行すべきか繰り延べすべきかの判断に迫られている。有識者会議の意見などを参考に最終的には安倍首相が決断することになるが、消費税増税で思い出すのは今から16年前の自民党の故橋本龍太郎首相の増税決断である。この時にも旧社会党の村山首相の消費税増税決議を受けての橋本首相の実施決断であった。今回は民主党の野田首相の消費税増税決議を受けて安倍首相の実施決断と歴史は繰り返すかと思われるほど状況は似ている。勿論、消費税増税の決断における経済情勢も判断材料的にもデジャビ感がある。

今回の決断で懸念されるのは前回同様に国内の指標で決める判断と言える。前回は実施を決めた1997年4月の後にタイから始まった同年7月のアジア通貨危機がその後の日本経済の運命を決めてしまった。橋本元首相は死ぬまで財務官僚に騙されたと言っていたらしいが、財務官僚も海外から起きた問題までは予想しえなかったものと推測できる。

今回の国内経済は橋本元首相の時より良くないのは明らかだが、それ以上に怖いのは中国経済のバブル崩壊や欧州経済の動向である。又、韓国経済の動向も気になる点である。消費税の増税後に世界経済を脅かす危機が生じたら前回の状況の比ではない。最良の方法は1%ずつ段階的に様子を見ながら引き上げる方法だが、この意見に関しては導入コストがかかると言う事で財務官僚は否定的な見方を取っている。しかし、前回と違ってIT社会になりプログラム社会では消費税アップは既に織り込み済みと思われるので、導入コスト云々には疑問がある。

何れにしても、前回の橋本前首相は実施後にアジア通貨危機が起こったので不運としか言いようがないが、今回の安倍首相の運は如何なるものであろうか。天は味方ををしてくれるのであろうか。如何なる意見を聞こうが増税実施の判断にはならない。国民が願うのは安倍首相に天が運を授けているかである。企業経営者が良く指摘することだが、経営者は能力だけでは選べないと言う点である。確か記憶では、経団連会長になり名声を博した土光敏夫が石川島播磨重工業(IHI)か東芝の社長を選ぶときの話だが、能力的には同等の二人であるが、最終的に運の強い者を選んだことである。経営者として能力を搾り取るほど考えた後の決断には運が必要だという事であろう。大手企業ならば社員の家族を含めて何十万人もの生活者がいる。その人たちの運命を社長の決断で決まってしまう不条理な世界がある。況してや、一国の宰相ともなれば更に決断には重みが加わる。消費税増税は必要だが、問題は橋本元首相の嘆きではなく、宰相の決断には運が必要だという事である。この様に述べると、二度の宰相に就く人物が運がないとは言えないと反論されるかもしれないが、天が国民を奈落の底に引きずる宰相を選んだかもしれないことも歴史を見ると否定できない。二度の国会選挙で自民党を勝たした国民はまな板の鯉である。橋本元首相の悪夢が再来しない様に祈るだけだ。

未来社会は明治維新ではなく江戸時代の幕藩体制の分権社会と再生社会だ

皮肉だが、グローバル経済と情報社会に相応しい理想社会は、明治維新ではなく江戸時代の幕藩体制の分権社会と再生社会だと考える。安倍ノミクスは相変わらず金融資本主義の経済成長を進めているが、本末転倒と考えざるを得ない。19世のクラフト(手工業)の時代、20世紀のマス・プロダクション(大量生産)の時代であったが、21世紀はマス・カスタマイゼーションの時代と指摘されている。マス・カスタマイゼーションを実現するには、情報伝達の形を考えれば中央主権や道州制度の導入でないことが理解できる。江戸時代には小規模な藩が貨幣まで製造して他藩との貿易や藩内の殖産を行っていたのである。その社会は消費社会ではなく正に再生産社会であった。小規模の藩が独立して立地にあった経済運営を行ったのだが、情報化社会とは正に小さな行政体が機動的に動くことが必要と思われる。江戸時代の幕府は外交と通貨の基準と防衛を司っていたのである。灌漑事業など土木事業などには豊かな藩を起用して行わせたのである。明治維新後の中央集権社会は産業革命後の時代には必要であったが、資本の移動が自由になり、情報の発達により世界が狭くなった今は、中央集権国家ではなく、分権国家の集合体が理想的と思われる。その点から、日本で言えば江戸時代こそ見習うべきシステムが存在したのである。特に、江戸時代は人と動物と植物が共棲する社会であった。近代資本主義の様に略奪社会でなかったのである。良く人間は爪と歯を持っているので競争社会こそ自然だと唱える理論が横行しているが、必要以上に競争して急激に社会を発展させ、地球のバランスを壊したらどうなるかは触れていない。勿論、急激に発展した科学技術が齎した現代社会を否定することは出来ないので、問題はグローバル経済と情報社会がもたらした効率が生み出した縮小社会を如何に軟着陸させることが出来るかであろう。世界がフラット化する中でどの様に社会が繋がって行くのかを考えて新たな国家像を構築する必要があると思われる。然しながら、最近の政治を見ると、明治維新や戦前の軍国主義的な先祖帰りを唱える人達が多くなってきている。未来が見えない人達に政治を任すわけにはゆかない。冷静に周りを見渡せば、スモールワールドが広がっているのが分かるのである。冒頭に書いた江戸時代のことは、極論を唱えて多くの人に改めて未来の国家像を考えて貰う意図であった。中央集権の強化や道州制の導入は情報化社会には過去の遺物の考え方である。大規模原子力発電もその意味から言えば恐竜であろう。マス・カスタマイゼーションの社会では大規模な装置は不必要なのである。行政も然りである。

憲法改正の前にする議論がある

今回の参議院選挙の争点にもなっている憲法改正議論で一つ忘れている点があることだ。馬鹿な国会議員などには分からないと思われるが、日本のサラ金財政は近隣との戦争などを前提にしていないで構築されたものだという事だ。1000兆円もの国債発行残高がいみじくもそのことを物語っている。平和憲法が日本豊かにし、日本国民が戦争にも行かずに済んだのは平和憲法があったからだ。確かに、戦後に米国の関与で日本国憲法は作られたのだが、逆に米国が他国に対して行った戦争の手伝いを防いできた事実も忘れてはならない。昨今は米国の要請で憲法の解釈を拡大して無理矢理に自衛隊の海外派遣しているが、憲法を改正すれば米国の圧力で代理戦争も行う可能性が出る来るのである。日本財政が破たん状態でも国民が資産を持っていると思われているので、戦争国債を発行させて戦争を行わせる意図は明瞭だ。然し、実際問題として、サラ金財政の仕組みを変えないで近隣とも戦争など財政的には出来ない事は確かだ。若し、近隣との紛争で多額の戦費が生じれば、現行の保健医療制度など吹き飛んでしまう。憲法改正を単なる日本人としての自覚だけを持たせるためだけなら意味がないどころか、社会的には大きなマイナスになる。憲法改正で高齢少子化がなくなるわけでもなく、非正規雇用者が減少する訳でもない。逆に、近隣との紛争のリスクや海外派兵で財政支出が増大し、日本国の財政が悪化する要因を作ることになる。

憲法改正に目を向けさせて経済回復の遅れを誤魔化そうとする意図も見栄見栄だ。国民は騙されてはいけない。北朝鮮のミサイルは米軍が日本に駐留しておるから飛んでくるのだ。北朝鮮のミサイルが怖いなら米軍の撤退が先だ。又、日本人の生存権は憲法を超えたものであることを認識する必要がある。憲法があるから生存権も否定するような官僚の法非の輩など無視すれば良い。他国が日本に戦争を仕掛ける準備をしているのが分かれば、超法規的な扱いで事前に攻撃は出来るのである。憲法を守って日本人が滅びるなどの考えなどないのである。憲法の改正より、経済社会の再生とサラ金財政の脱却が先である。

韓国の中国接近で思うこと

朴韓国大統領の中国接近に対して日本のマスメディアは皮相的な見方しかしていない。尤も、今の記者や編集員などの若さでは無理もないかもしれないが、大多数の日本国民が読む新聞や雑誌に歴史的な背景を加味しない記事を読まされることは百害あって一利なせであろう。

40年前の激動の韓国を知る者にとっては今回の韓中接近に関して、朴大統領は過去を忘れていなかったと思わざるを得ない。特に、今の米国の政権は当時と同じ民主党政権だ。その民主党政権は北朝鮮に元大統領のカーターを何度も特使扱いで派遣している。これを見るにつけ、朴槿恵の思いは如何なるもであったかは想像できる。

朴大統領の誕生で私が興味があったのは、父親である故朴正煕大統領の影響と過去の忌まわしい出来事に対する記憶である。勿論、韓国民の幸せを第一義とする朴槿恵さんが個人的な問題に影響されるとは思わないが、中国の経済的な台頭による地政学的な観点と過去の記憶とが絡み合って中国に接近することは自然なことと考えられる。馬鹿な日本のマスメディアは朴大統領に対し今回の中国接近を"ネギを背負った鴨"と言う侮蔑的な表現で書いているが、全く的を外した見方と思われる。朴大統領が就任後一番先の訪問国に米国を選んだのだが、本音は中国を一番先に訪問したかったと推察できる。

朴大統領が日本を軽視していることはないと思われるが、朴槿恵さんの立場からすれば日本にすり寄ることが出来ないのは至極当然であり、それを理解しない日本外交は失敗すると思われる。日本としては、明治維新後にアジアの覇者となった過去を忘れ、中国の明の時代まで歴史を遡って考える必要がある。勿論、その時代には米国の存在はなかったのでその点を加味して考えることは重要だが、今後の日中韓及び北朝鮮を考える上では不可欠である。

日本は明治維新後に作り上げた国家で大きな誤りを犯した。欧米の植民地からアジアの同胞を解放するのではなく、自らが植民地主義に陥り自滅してしまった。岡倉天心が「アジアは一つなり」と言った言葉が身に染みる。今こそ、アジア人同士の対立でなく協調して新しい時代に向けて日本人が何が出来るかを問われている。明治維新後の国家で日本人が誤ったことを現代で再現してはならない。

佐々木実氏の著作「市場と権力」を読んで

日本経済新聞の元記者である佐々木実氏が上梓した「市場と権力」を読んだ。著者は8年間の取材をベースに竹中平蔵の人生の軌跡を辿ったレポートである。著者は「改革」のメンターの地位を築いた竹中平蔵の実像を明らかにし、この人物に日本の将来が左右される是非を日本人に問いかけたものだ。竹中平蔵が小泉政権の時に大きな力を得て「構造改革」と称して日本を弱体化したことは明白だが、今度は安倍政権にも関与し、再び日本社会と日本人を外圧を利用して企みを進めている。著者は竹中の幼少時代から高校、大学の軌跡を追い、大学時代の同級生の父親の大蔵官僚を利用してインチキ人生を歩んだことを明らかにしてる。人との共作を誤魔化して個人の著作にする類は竹中の真骨頂の様だ。詭弁を弄して他者の発言を封じる天才的な才能に多くの者たちが誤魔化された。著作の中では触れられていないが、歪んだ性格と弱い者に対する冷酷さは、現大阪市長の橋下徹と同様の出身出自の問題だろう。みんなの党の党首の渡邉も同様だ。日本社会を壊す理由が存在する。竹中平蔵は現在、人材派遣会社のパソナの会長に就いている。このことで分かるのは、竹中平蔵は安倍政権ではパソナが目指している農業分野進出に有利な改革を企むということだ。この改革には不良債権処理や郵政民営化に用いた外圧の利用だ。そう言えば、橋下徹大阪市長も農協の解体などを日本維新の会の選挙公約に上げてきた。パソナの南部社長の出自は同じだからそれぞれが同じ思いで日本の農業を壊すことを最終目標にしてきたわけだ。何故農業なのかと言えば、憎き差別をもたらしたのは閉鎖的な農業社会だからだ。小泉政権時には利権屋が集まり、日本を食い物にした。安倍政権でも利権屋の影がちらついているが、安倍は政争政治屋で政策を全く勉強していなかった小泉と違うと思われるので、小泉の時の様には利権屋に利用されないかもしれない。しかし、秋に内閣の改造を行うことになるとみられ、その人事を見れば小泉との同様な道を歩むのかどうかが分かる。何れにしても、「市場と権力」を読むと日本社会が変遷してきた理由が分かると同時に今後の日本の将来についても示唆に富んでいるので一読に値する本と言える。

塙美里ミュージックサロン

 サクソフォン奏者の塙美里さんは私の高校の後輩だ。来る7月6日(土)に渋谷のアクタス ノナカ・アンナホールにて「パリの屋根裏部屋」と称する演奏会を開く案内が送られてきた。13時30分開場で、14時00分に開演だ。料金は3000円とリーズナブルで、然も紅茶、フランス菓子付を謳っている。

演奏会 (385x640).jpg

昨年の東京の同窓会でフランスの留学を終えて帰国した塙さんの短い演奏会があり、その時に名刺を差し上げた。その縁で演奏会のご案内を貰ったのだが、私にとっては別な意味で感慨深いものがある。私の高校は私の時代には男子校であり、それでも女子は居たのだが数的には2%にも満たなかった。聞けば母親も同窓という事なので、その時点でも女子は少なかったと思われた。卒業25周年の母校の行事に参加したのだが、その時には既に男女共学の学校に変わっており、女子の比率は全体の40%を超えていた記憶がある。母校は今年で創立113年を迎え、卒業生は3万名を超えているのだが、女子の卒業生は15%位の比率と推測できる。女子が活躍する時代なので母校が名実ともに男女共学に

のなったのは嬉しい限りだ。私にとっては女子の後輩の演奏を聴けるなどとは若い頃には夢にも思わなかった。特に、塙さんのサクスフォンの音色は身びいきかもしれないが哀愁を帯びていて、聴く者を不思議な世界に誘い込む魅力がある。7月6日が今から待ち遠しい。

 

斎藤ウィリアム浩幸氏著作の"ザ・チーム"について

   

ザ・チーム.jpg 先日、知人を介して歓談した斎藤さんから著作「ザ・チーム」を贈呈された。名刺を交換した時にミドルネームのウィリアムを見て日系人の方と思ったのだが、本を読んで米国生まれでIT業界で若くして大成功者になった人物と分かり驚いた。驚いた理由は紳士で、成功者特有の偉ぶった所が少しもなかったからであった。

本を読むと実に明快に日本の教育の問題点と親が子供をダメにしているのが良くわかる。斎藤さんは福島原発事故の国会事故調査委員会にも委員として参加していたことが分かったのだが、事故調には調査された側に知人がいたので、不思議な偶然も感じた。

両親の故郷である日本に対して愛情を持ち、停滞している日本の活性化に寄与したいと来日したことは本当に感謝したいと思った。それにしても、本に書かれた現代の日本及び日本人の姿には恥ずかしいの一言だ。

本を頂いた後にも斎藤さんを囲む会に出席の機会を得たのだが、日本でのアントレプレナーの支援会社「株式会社インテカー」の経営を行いながら政府の委員でも活躍するなどお忙しい様だ。ザ・チームは是非若い方に読んでほしい本であるのは言うまでもない。特に、斎藤さんが強調しているのは失敗は人生のつきもので、失敗した人こそ多くの知見を有し、将来の成功に繋がると言う言葉だ。又、人の質をかなり重視しており、幾ら才能があっても人間としての質が悪ければ支援しない姿勢には凄みさえ感じられる。子供の頃から人を見る目を養う機会があったと書いており、正に現代日本で社会的成功だけで、人間的成功を重視しない点を厳しく批判している。過去の日本でも社会的成功者は人間的成功者も併せ持って初めて成功者と呼ばれたのだが、何時の間にか風化してしまった。斎藤さんには古き良き日本人の血が流れているのかと感慨深かった。私財を投じて日本が元気になるように起業家を育成する姿勢には頭が下がる。私より遥かに年下の方ではあるが、師と呼ぶにふさわしい人である。

学堂会の勉強会に出席して

4月9日pm6:00開始の学堂会の勉強会に参加しました。今回は第4回とのことで、第1回目は2013年1月31日で講師はオランダ人ジャーナリストのカレル・ヴァン・ウォルフレン氏で演題は「日本にとり主権とは何か」、第2回目は2013年2月22日で講師は元ロシア大使の丹波實氏で演題は「戦略なき日本ーその将来を憂慮する」、第3回目は3月13日で講師は国連訓練調査研究所(ユニタール)顧問のナスリーン・アジム女史で演題は「ベアテ・シロタ・ゴードンー女性と憲法」でした。第4回目の今回は、講師が元スイス大使の村田光平氏で演題は「父性文明から母性文明へー地球倫理の確立を求めて」でした。この勉強会を主催しているのは、株式会社ディプロマット内の学堂会ですが、主催者は同社の社長である原不二子女史です。

先ず「学堂会について」は添付ファイルをご覧ください。 学堂会について.pdf

政治家 尾崎行雄の生き方に倣って尾崎家の子孫の原不二子女史が立ち上げた勉強会が、尾崎行雄の最初の雅号「学堂」を取って「学堂会」としたそうです。ちなみに、その後雅号は「愕堂」、「咢堂」と変わったそうですので、この勉強会も年月を経過して変える意図があるのかもしれません。尾崎行雄は一生勉強する心がけを大事にし、90歳になっても「人生の本舞台は常に将来にあり」とし、市民の立場として官閥、軍閥に対し信念と情熱を持って戦い抜いた方です。

子孫の原不二子女史は憲法に書かれている主権在民に鑑み、政治家や官僚を非難するだけでなく、主権を持つ庶民がしっかり勉強して自分たちの生活やこどもの未来、国の将来を左右する事柄に関わってゆくことを決めて勉強会を開くことにしたそうです。

私の長年の友人が原家の方とお知り合いの為に原不二子女史の謦咳に触れる機会を得ているが、今回の勉強会に参加して改めて尾崎行雄という人物が残した遺伝子に思いを寄せています。歴史を振り返ると、小さな偶然が大戦を引き起こし、独裁者を出現させたことに驚愕するが、それを阻止するのは主権在民である庶民の我々が常に勉強して歴史が誤った方向に進むのを止めることが重要と思われます。正に、原不二子女史が勉強会を思い立った理由が理解できるのです。

今回初めて参加する機会を得て会場に行ったのだが、学堂会は知的レベルの高い人の集まりらしく、私が受付で名刺を出して受付名簿に記名しようとしたら、私の顔を見て親切に訪問先の会場が間違っているのではと確認された。一緒に参加した友人が原家の知り合いという事を説明したので受付の方も安心した顔をしたのが印象的だった。確かに、会場に入ると私は自分自身が場違いの様な気分がしたことは確かであった。しかし、講演の内容はマスコミが報道しない裏話もあり、非常に有意義なものでした。

私は王陽明の「知行合一」の信奉者なので、顔にも剣呑さが出ているのかもしれない。今後とも時間が合えば「学堂会」に参加して勉強したいと思ったが、尾崎行雄は政治家であったので、私としては勉強会を発展させて政治家養成塾として生まれ変わり、尾崎行雄の意思を継ぐ有意の政治家を出現させて欲しいと思う。過去に松下政経塾があり、多くの政治家を要請したが、松下幸之助がビジネスマン(商売人)であったので、松下政経塾出身の政治家の多くは間違った方向に日本を導いています。今は弁護士タレント上がりの橋下徹が日本維新の会の勉強会をとおして政党を作り、政治家を輩出しているが、中身は米国金融主義の追従であり、カジノ法案提出など庶民とかけ離れた政治家集団となっています。この様な現状を見ると、今こそ尾崎行雄の思いを継いだ勉強会の重要さが際立ち、何とか日本や世界の為に立つ政治家を育てて欲しいしと願うばかりだ。この様に書くとお前が政治家になれと言われるが、私の年齢では政治家になるのは遅いことは知りすぎています。石原慎太郎の様な老害を目にしては尚更だ。

原不二子女史のご子息も勉強会を手伝っており、正に尾崎行雄の遺伝子が動き出したので、学堂会には大いに期待を寄せたい。

なお、学堂会についての添付ファイルを読んでいただくと第5回、第6回の勉強会の予定が記載されているので、興味がある方はぜひ参加してください。ちなみに、参加費は2千円で、講演終了後には軽食と飲み物が出ます。

敢えて流れに棹をさす見方

安倍ノミクス効果で円安が進み、株高は止まらない。本来なら諸手を挙げて喜ぶことなのだろうが、浮かれる気分にならないのは何故だろうと自問自答してみた。証券会社からノンバンクで定年まで働いて長年個人的に株の売買を行ってる友人も今回の得体のしれない株高には一抹の不安を持っている。現行の株高は実体が伴わない金融相場であるので、安倍政権が実体が伴う政策を打ち出さないとあっと言う間に株高も失速すると言う懸念は誰もが持っているのは確かだ。しかし、先行きに対する漠然とした不安はありきたりの説明では答えにならないもの真実だ。安倍政権はデフレ脱却を目指して企業に賃金アップの要請をしているが、それに答えられる企業は少ないと思われるし、兎にも角にも国民の気分をデフレからインフレに持ってゆくことで一生懸命なのが手に取るように分かる。グローバル経済の中で企業が収益を向上したからと言って過去の様に国内に工場などを造ることなどは望むべくもない状況なのは安倍政権も理解していることなので、国民は次の一手をじっと見守っている筈だ。3年間の民主党政権が余りにも酷かったので、安倍政権の普通に行っている政権運営が眩しく見えるほど頑張っていると国民の目には写る。

しかし、少子高齢化社会、地方疲弊、財政難に関しては何ら有効な手は未だ打たれていない。金融相場だけで目前に迫る消費税増税を乗り切れるほど甘くはないのが現状だ。不動産業界も地価は上がってきたと言っているが、今後も上昇するのに必要な賃料などの収益の上昇の目途は立っていない。幾らデフレからインフレに転換しても需給バランスが改善されなければ一時的な現象で終わってしまう可能性が高い。過去を振り返っても意味がないと言われるかもしれないが、日本経済が戦後の幾度かの試練を乗り越えられてきたのは国内の消費力が強かったからと考えられる。社会主義国家と言われた程貧富の差が縮まり、国民の80%が中流意識を持った社会が旺盛な消費を支えたのであった。勿論、これ以外にも色々な原因があってのことではあるが、金融資本主義が主流になり、収益の向上よりコスト削減が経営者の優先意識になっている現在では、口で言うほど消費を回復させるのは難しい。

時間を過去に戻すことは出来ないので、新たな仕組みを構築する必要があることは間違いはないが、明確なのは米国の仕組みでは日本の経済が復活することがないという事だ。シュンペンターの創造的破壊などと言う言葉が流布されているが、グローバル経済と情報化社会がデフレを引き起こし、多くの雇用を奪っていることを考えれば、規制緩和だけで解決しないのは自明の理だ。大阪維新の会などはカジノを政策提案しているが、ギャンブルを財源にする案など枝葉末節の類だ。国鉄が民営化されてJRになって収益が生まれているので、民営化すればすべて良くなると思われがちだが、国鉄のままで今日の様な業務の拡大をさせたならば、地方の疲弊を促進させた廃線を防ぐことが出来たのではないのか。今更仮の話をしても仕方がないが、企業経営が分からない官僚どもが経済に口出ししていることが問題なのだ。

何れにしても、現在の日本はマスコミを動員してポジティブキャンペーンを行っているので、先行きが明るい様に錯覚しているが、実際は財務省が消費税値上げを実施する環境つくりと、TPP交渉参加で米国の支持を取り付けた円安で動いているだけの見せかけ景気に過ぎない。尤も、見せかけが本当にならないとも限らないので取り敢えずは安倍政権のお手並み拝見だろう。

ヒューマンエラーを考えない過保護な悪平等社会のリスク

日本人は何時から完全主義者になったのだろうかと思う。日本列島は厳しい自然環境にあり、そこから生まれた日本人の死生観は西欧文明にはないものであった。しかし、高度経済成長を得て物資的に豊かになったが、反対に心の貧しさは増加している。以前にBlogで、アップルの創業者のスティーブ・ジョブスがすい臓がんで余命を知った時点から人生が変わったことが書かれた文章を目にしたことをお知らせした。彼は死を意識した時から必要な事だけを行ったらしい。アップル製品のシンプルさと彼が作り上げたシンプルな考え方は、死との背中合わせであったことが今だから分かることである。この様に書くと、タイトルと違う展開かと思われるかもしれないが、今朝のニュースで小学校の給食でアレルギーの子供にチーズ入りのフードを誤って食べさせて亡くなったことによる改善策の対応を耳にしたからであった。茨城の田舎で育ち、給食も幼稚園も経験していない私であるので、余計に過保護な社会が気になるのである。福島原子力第一発電所の事故を教訓としないヒューマンエラーを考えない社会が未だ続いているのにはうんざりする。今の日本人は何が起きようと全て他人ごとにしか映らないのかと思わざるを得ない。到る所で同じ繰り返しだ。事故が起きると事故調査委員会が設置される。ここまでは良いが、その報告書には事故を起こさない体制やマニュアルの強化が書かれ、現場の意見など無視した安全性だけを強調される。アレルギーの子供まで他の生徒と同じように給食を出すことが当然と考える社会は健全かと考える。最近、文部科学省が"食育"などを打ち出したので、給食が余計に重要視されているが、給食を経験していない私からすれば、"食育"などは学校教育で教えるものかと考えてしまう。豊かな社会になり、給食の必要性が指摘される中で"食育"の言葉を聞くと、給食に関わる既得権者の策謀と思って仕方がない。アレルギーの子供が誤って出されたチーズ入りフードを食べて亡くなったが、死亡に至る過程では情報伝達の不足と医師の経験不足が死に至らせた様だ。亡くなった子供の家族には怒られるかもしれないが、アレルギー体質を持った我が子を今の無責任社会の中で良く全幅の信頼を置いて預けられるのかと思って仕方がない。それと同時にヒューマンエラーは避けることが出来ないと言うスタンスに立って考えられない社会システムは危険だという事だ。平等という美名のもとで学校教育が行われており、給食に至るまで完璧さを求めている。勿論、貧しかった時代の責任ある社会が存在した過去ならばヒューマンエラーを最大限防ぐ神がかりの現象があったのかもしれないが、現代社会は死を忘れてお金と自己保身に走る他人の社会でどの様なマニュアルや責任体制を敷いても安全が守られる保障など存在しない。勿論、東日本大震災で見られた様に日本人の遺伝子には共同コミュニティによる絆や助け合い精神が残されてはいるが、その発動は誰もが命の危機を迎えた限定された時にだけ起きるものと考えた方が無難だ。多くの自治体が財政赤字に陥っている現状においては、行政になんでも任せるのではなく、一人一人が何をやることが大事かを考えて行動するすべきと考える。自分の子供守る為には何ができるかを先ず考えるべきだろう。いじめ事件も同様だが、倫理観を欠如した社会に安全な場所などないと考えた方が良い。警察官が強盗殺人者になる社会という事を肝に銘じるべきだ。

つくば市の教育と街づくりに見る不動産の未来予想図

先日、親友のご母堂の葬儀で久し振りに茨城県の土浦市に行ったが、その葬儀でつくば市役所に勤務している友人と再開した。彼は市教育委員会に在籍し、現在は定年後の再雇用で教育委員会の外部団体で引き続き市の教育行政に関わっている。彼とは大分長い間、年賀状でしか互いの消息を確認してはいなかったので、市の教育委員会で教育行政の現場にいたことは定年退職の挨拶で初めて知った。葬儀後に久しぶりなので昼飯を一緒に食べようとなり、彼が気に入っている土浦市内の武家屋敷を改造したレストランに案内された。彼とは学生時代から妙に気が合ったのだが、少なくても最後にあった時から20年以上経っているにも拘わらず直ぐに打ち解けた。彼は上智大学で応援団に入り、団長を務めたことを思い出した。同時に、剣道と合気道も遣っていたのだが、今でも続けているのには驚いた。粘り強い性格と改めて感心したが、行政マンとして市長や議員に仕えるには適任だったかもしれないと思った次第だ。彼との話は教育の話になり、つくば市で小中一貫教育の学校を新設したことを聞いた。私も中高一貫教育は聞いていたが、小中一貫教育に関しては初めて聞いたので驚いた。将来的には幼稚園の併設も計画しているとの事であった。彼は良い機会だから新設の学校を見てくれと言われ、帰りは常磐線でなくつくばエクスプレスに変更を勧められた。彼の車に同乗して雑談をしながらつくば市に向かったのだが、私の仕事が不動産関係なので興味があると考えて小中一貫の学校新設が街の発展に寄与していることを話してくれた。確かに、昔から教育と不動産は切り離されないものとは理解していたが、少子化現象の施設の統廃合もあって生まれた小中一貫校がもたらした不動産効果を聞くに及び考えさせられた。勿論、つくば市でも過疎地はあり、過疎地の学校の否応なしの小中合体教育もあるのだが、つくば市街の小中一貫校の新設は後ろ向きではなく前向きの考え方であったので、多くの父兄が子供を入学させたくて住居を移転してきている。この移動が市内だけなら心太方式で意味がないのだが、つくば市以外からの転入も多いと聞いて改めて孟母三遷の故事を思い出した。不動産業界に身を置く者としては、教育と不動産の相関関係の未来予想図が浮かび、彼との久しぶりの再会に力を得た思いとなった。彼の話では、都内では品川区と三鷹市が学校の統廃合に尽力しているとのことだが、下町一体で大学を誘致して街づくりを進める計画が増加しているのも頷ける話だと思った。当社は現在、学校の統廃合の話ではないが、地方の私立学園から学校施設の件で話が来ており、検討を進めている最中だ。新しい教育がもたらす価値はICT関係ばかりでなく、不動産にも良い影響を与えると思われ、今後ともつくば市の教育現場を見続けたい。そう言えば、つくば市は全国に先駆けてICT教育に力を入れており、何度も教育に関わる優秀賞を獲得したことも自慢げに話した。学生時代から勉強熱心な友人であったが、昼食をご馳走になった上に、仕事にプラスになる情報も貰ったので感謝に堪えない。持つべきものは良き友だと改めて思った。

プレゼン青年とフラット化する社会の問題点

先の三連休の中日に住まいの近くの和洋亭「加とう」という店で行われた鮟鱇祭りに参加した。この店は未だ二回目なのだが、1月末に開催された会計事務所の香港事務所設立パーティに出席して知り合った方が、偶然にも私の住まいの近くに住んでいたことが分かり、早速彼の常連とする店で一献交わしたのであった。その時に鮟鱇祭りに誘いを受けて参加したのだが、宴も終焉に向かっていた時に20代の男性が隣に座った。私の斜め前の40台の男性と話をしていたのだが、途中で私に話を振り向けてきたので話すことになった。この20代の方に驚いたのは誠に好青年であり、年配者の話を素直に聞くことであった。しかし、話をする内に何か違和感を感じた。その理由を考えると、この優等生の青年の話し方はまるで何かのプレゼンを聞いていることと同様であることに気が付いた。興味を覚えて彼の経歴を聞いたのだが、このことに対しても屈託なく、地方から中部都市の大学に入ったのだが、居酒屋のバイト先で知り合った方の教えが人生に有益なことが分かり大学を止めたことや今は物販の営業を行っていることを教えてくれた。途中で40台の方が私に若い方に説教してはいけませんと唐突に言われたので、質問することは説教ではないと返事をしたのだが、このことにも驚いた。20代の方はそれに呼応するかのように、私は年配者の話が為になるので良く話を聞きますので、問題ありませんとの言ったのだが、これに関してもマニュアルを聞いている様だった。私の若い頃は父と同じ年の人とも議論を交わしたので中には不遜に思った方もいたかもしれないが、議論が成長の基礎を作ってくれたのは確かであった。20代の方に違和感を覚えていたら40台の方に若い方に説教的な口調はいけないと窘められたのにも違和感を覚えた。彼には私の茨城弁が強く聞こえたのかもしれないが、後から40台の方の言葉は今の社会を正に反映しているかもしれないと考えなおした。それは、TBSTVで朝に流すサンディプロジェクトと言う番組のスポーツコーナーでゲストの元野球選手で元参議院議員であった江本氏が現在社会問題化している体罰について触れた発言だった。彼は自分たちの時代には監督は直接選手に手を出さなかった。体罰的な事は上級生が下級生に対して行ったと選手同士の自律性に触れた下りだった。情報化社会はフラットな社会を作っていったが、それに呼応して全ての組織がフラット化している現象に危惧を感じる必要があるのかもしれない。勿論、全ての組織がフラットでないことは我々の業界である不動産業界では今でも垂直的な組織、いわゆる軍隊組織の上下関係で動いている会社が存在している事でわかるが、社会全体はフラットな方向に進んでいるのは否定できないと思われる。優等生的なプレゼン青年の出現は米国から入ったプレゼン社会の弊害であろうし、トップ以外に上司がいないフラットな組織の弊害も出て来ているのかもしれない。勿論、上に意見を言う事も出来ない組織は異常だし、逆に下に気を使わなければならない組織も同じように異常と思われる。組織がフラット化すること自体は問題ではなく、フラット化して自由に物が言えなくなることが問題なのである。それと、一方通行のプレゼン人間も問題と思われる。

グローバル経済化の中でのローカルとしての国家の経済政策は有効か

安倍政権が日本の経済再生に動き出したのは歓迎すべきことだが、懸念されるのは、グローバル経済化で大企業が人件費等の安い海外に工場を移転している現実と海外で稼いだ収益を国内に還元しない状況を見ると、単なる円安による輸出の増加と規制緩和だけで日本経済が再生しないのは明らかなので、円安と株高に浮かれていないで今後の具体的な政策を見極める必要がある。

実は安倍政権が遣ろうとしている先行例として韓国の李明博大統領の経済政策がある。正に、1998年のアジア通貨危機でIMF管理下でデフレ経済を強いられた韓国経済を復活させるために露骨なウォン安による輸出拡大によってGDPは大幅に増加した。しかし、大企業は内部留保を蓄積し収益は増大したが、国内の雇用は改善する所か格差が拡大し、企業も大企業の一人勝ちで中小企業は収益が悪化するだけとなった。韓国は長い間あらゆる面で日本を模倣し追い続けてきたが、IMF管理下になって否応なしに初めて別な道を選択したのである。日本のマスコミも経済停滞から脱した韓国経済に学べと言わんばかりの論調が一時は続いた。

しかし、李明博大統領の経済政策は米国流の大幅な規制緩和とウォン安による輸出拡大であり、グローバル経済にあっては企業が栄え、国民が滅ぶと言う格差社会を作り出した結果に終わった。その様な意味では、安倍ミクスも一歩間違えると韓国の後追いとなり、GDPは増加しても国民にとっては何も効果がない結果に終わる危険性がある。

この点から言えば、韓国が次期大統領に選んだ朴槿恵さんは、父親の故朴大統領の遺伝子を継承し、大企業より国民重視の政策を実施して行くものと見られ、その上に大学の専攻学部を電子工学に選んだ経歴と言動を見る限り、現李明博大統領の失敗を改める方向に大きく舵を切り、21世紀型の社会の現出に力を発揮するものと思われる。

日本の場合も財務大臣に中小企業の元経営者である麻生さんが就任したので大企業一辺倒の政策でない、中小企業の発展や若者の雇用の面を改善する政策を安倍首相に助言するのではないかと期待できる。グローバル経済に変わっても国は世界国家が出来ない限りはローカルとして位置づけられ、その国独自の税制などが企業経営を圧迫するのである。

21世紀型の経済と社会は、20世紀とは異なることを前提に政策を立案しないと無駄を重ねることになる。正に、メーカーズなどの本に書かれている様にメーカーも20世紀型の大企業ではなく、数人規模の工場を持たない家内工業的な単位の生産が供給の主体となる時代になるのかもしれない。20世紀末にグローバル経済が大企業を生み出したが、21世紀は情報化の時代により、デザインなどと工場生産が分離した社会が生まれる可能性がある。国家もその変化にそった政策を打ち出させる所が経済的な成功を収めるものと思料する。その様な意味では先行している隣国の韓国の動きを注視する必要がある。

アルジェリア事件の深読み

プラントメーカー日揮の社員の痛ましい犠牲には憤りを感じる。今回のテロの標的は日本人であったことが明らかになってきた。日本人がテロのターゲットになった理由は幾つかあげられる。多くの日本人は自衛隊の海外派遣を平和の目的として理解しているが、イスラム圏の反キリスト教・反ユダヤ教のテロリスト達から見れば日本はキリスト教国家でないのにその一員としてイスラム人を弾圧していると映っていると考えられることだ。自衛隊の海外派遣の拡大とともに本来は海外のテロリストなど過激派の動向を把握する組織を強化する必要があったと思われる。この間、外務省は何を行っていたかである。海外で時代遅れの鹿鳴館外交を繰り広げていることは承知の事実だ。外務省の改革を妨げているのは皇太子妃の雅子の親が外務省の高官であったことと、娘が外務省出身であることが関係ないとは言い切れない。その他にも、国会議員が外国に行った時に過剰な接待を行っているために、その利権を温存するために国会議員が外務省を時代遅れのままに放置しているとも思われる。大使には専属のコックを付けて貴族の様な生活をさせているのがそもそもの間違いだ。コックを置くなら武官を置けと言いたい。アルジェリアの日本大使館には武官を置いていなかったとのことだ。リビアの革命で多量の武器が隣国のアルジェリアやマリの過激派に渡った情報など何の役にも立てていなかったのは痛恨の極みだ。平和ボケの外務官僚に海外情報の収集を任せていたのではアルジェリアの悲劇は繰り返される。今回の事件を切っ掛けに外務省の組織や体制、更に大使館の組織改革を断行して無駄なパーティなどに費やされている税金を海外の日本人や企業の安全確保に対する情報収集や警護に使われるように改革する必要がある。海外情報の収集も外務省、防衛省、警察と縦割りで行っているので機能していないのが実情だ。他の先進国と同様に国内国外のテロリストや過激派の動向や外国のスパイ活動を監視する情報組織を立ち上げて国家と国民の安全を防護する必要がある。又、規制緩和して米国の様に民間の軍事会社に武器の所有や武器使用を認めて海外の企業も自らが防護できる様にすることも考える時期に来ている。グローバル化と民主化は利益の他に弊害ももたらしている。容易に自衛隊を海外派遣出来ない状況を考えれば、憲法改正議論より先に民間の自衛軍事組織を認めて防衛活動を行わせるのが現実的だ。

当社は顧客の資産管理を行っているが、先行きは顧客の財産の他に生命を守ることも業務の一環として考えなければならないほど物騒な社会に変貌しつつある。ニュースでスイス在住の資産家の日本人夫婦が帰国して行方不明になる時代である。今後は現行の警備会社の業務では出来ない民間軍事会社に相当する組織の立ち上げも検討したい。そう言えば、若い時分に勤めていた会社に韓国の元KCIAの軍人が履歴書を送付して来たことを思い出した。グローバル時代なの民間軍事会社は日本人だけで構成する必要はない。軍事訓練や戦闘を経験してきた外国人のスタッフも必要だ。

1通の年賀状

田中和尚年賀状130101.pdf

今年頂いた年賀状を読んだ中で印象的だったのは北海道札幌市に所在する曹洞宗薬王寺の住職である田中清元さんからのものであった。田中和尚は、私の兄の大学の後輩にあたる人なのだが、学生時代に紹介された時には一般の大学生だったので住職になるとは想像もしなかった。大学卒業後暫くたって家業のお寺を継ぐために曹洞宗の本山で修行したのだが、修行僧の時に一度お会いしたことがあった。僧衣にブーツを履いた姿は滑稽だったが、私も当時は鳥打帽をかぶっていたので、その時に兄と三人でクラブに飲みに行ったときにホステスから刑事と間違われた。可笑しな組み合わせでホステスも面食らったのであろう。田中和尚は行動する住職として有名になり、過去には風の会で参議院の全国区に出馬したこともある人だ。

今年の年賀状には、「正しい見方は 正しい心から それは正しい教えに始まる」と冒頭に書かれていた。そして最後には、「正しいという字は一度止まると書く。姿勢を正し、深呼吸して心を落ち着かせ、新しい年を迎えたい。」と結んでいた。成る程、漢字は優れたものであると改めて感じ入った。正しい行いかどうかは、一度止まってから考えることが必要なのだろう。若い学生時代にはやんちゃな人であったが、今は高僧になり仏法の教えを広めている。

毎年頂戴する年賀状には時勢を反映した有意義な言葉が書かれているので、有難く読ませていただいている。一度時間があればゆっくりと田中和尚の説教でも聞いてみたいと思っている。

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