プレゼン青年とフラット化する社会の問題点

先の三連休の中日に住まいの近くの和洋亭「加とう」という店で行われた鮟鱇祭りに参加した。この店は未だ二回目なのだが、1月末に開催された会計事務所の香港事務所設立パーティに出席して知り合った方が、偶然にも私の住まいの近くに住んでいたことが分かり、早速彼の常連とする店で一献交わしたのであった。その時に鮟鱇祭りに誘いを受けて参加したのだが、宴も終焉に向かっていた時に20代の男性が隣に座った。私の斜め前の40台の男性と話をしていたのだが、途中で私に話を振り向けてきたので話すことになった。この20代の方に驚いたのは誠に好青年であり、年配者の話を素直に聞くことであった。しかし、話をする内に何か違和感を感じた。その理由を考えると、この優等生の青年の話し方はまるで何かのプレゼンを聞いていることと同様であることに気が付いた。興味を覚えて彼の経歴を聞いたのだが、このことに対しても屈託なく、地方から中部都市の大学に入ったのだが、居酒屋のバイト先で知り合った方の教えが人生に有益なことが分かり大学を止めたことや今は物販の営業を行っていることを教えてくれた。途中で40台の方が私に若い方に説教してはいけませんと唐突に言われたので、質問することは説教ではないと返事をしたのだが、このことにも驚いた。20代の方はそれに呼応するかのように、私は年配者の話が為になるので良く話を聞きますので、問題ありませんとの言ったのだが、これに関してもマニュアルを聞いている様だった。私の若い頃は父と同じ年の人とも議論を交わしたので中には不遜に思った方もいたかもしれないが、議論が成長の基礎を作ってくれたのは確かであった。20代の方に違和感を覚えていたら40台の方に若い方に説教的な口調はいけないと窘められたのにも違和感を覚えた。彼には私の茨城弁が強く聞こえたのかもしれないが、後から40台の方の言葉は今の社会を正に反映しているかもしれないと考えなおした。それは、TBSTVで朝に流すサンディプロジェクトと言う番組のスポーツコーナーでゲストの元野球選手で元参議院議員であった江本氏が現在社会問題化している体罰について触れた発言だった。彼は自分たちの時代には監督は直接選手に手を出さなかった。体罰的な事は上級生が下級生に対して行ったと選手同士の自律性に触れた下りだった。情報化社会はフラットな社会を作っていったが、それに呼応して全ての組織がフラット化している現象に危惧を感じる必要があるのかもしれない。勿論、全ての組織がフラットでないことは我々の業界である不動産業界では今でも垂直的な組織、いわゆる軍隊組織の上下関係で動いている会社が存在している事でわかるが、社会全体はフラットな方向に進んでいるのは否定できないと思われる。優等生的なプレゼン青年の出現は米国から入ったプレゼン社会の弊害であろうし、トップ以外に上司がいないフラットな組織の弊害も出て来ているのかもしれない。勿論、上に意見を言う事も出来ない組織は異常だし、逆に下に気を使わなければならない組織も同じように異常と思われる。組織がフラット化すること自体は問題ではなく、フラット化して自由に物が言えなくなることが問題なのである。それと、一方通行のプレゼン人間も問題と思われる。
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