安倍政権の経済政策を支える新自由主義には国家観がない

標題の様に書くとグローバル経済なので当たり前と言われそうだが、新自由主義と言えば何か前進的な考え方と勘違いする者が多いのではないかと思われる。歴史を見ると、戦前の日本の財閥企業の経営者は正に新自由主義者の考え方と同じ発想であることが分かる。この為に、5.15事件を起こした軍人である三上卓の「昭和維新の歌」の一節に「財閥富に栄えども社稷を憂える心なし」の言葉がある。この言葉を現代風に置き換えると、「グローバル企業利益を増やせども国家を考える心なし」と言えるであろう。

安倍政権の経済政策を支える新自由主義者とは経済産業省の官僚などである。確かに、高度経済成長を推進した時代の頃は経済産業省の役割を評価できなくもないが、円高になって以降の経済産業省は多くのミスを犯し日本にとっては害になってきたと思われる。東日本大震災の原発事故の背景には、間違ったエネルギー政策と電気料金に関する部分最適の自由化があったことに気が付くべきだ。経済産業省の官僚は高度経済成長以降に海外のモデルがなくなり目先の政策立案で誤魔化していた。1985年のプラザ合意後の円高に対して従来の経済成長路線推進するエネルギー政策を変えることが出来ずに電力設備の過剰を生み出した。経済官僚は電力会社が政治家を使って過剰の電力立地を推進したと反論するが、全くの自己弁護に過ぎない。単に円高でこれ程までの企業の海外移転が行われることを予想できなかっただけだ。

経済産業省は同じ様な誤りを繰り返してきているにも拘らず、国家観を喪失した馬鹿の一つ覚えのグローバル経済を念仏のように唱えている。非正規雇用者を大量に生み出し、少子高齢化と逆方向の政策を推進している経済官僚やOBを見ると亡国の輩としか見えない。そう言えば、定年前に退官して民間企業に再就職した経済産業省のOBと偶然話をする機会があり、非正規雇用者の出現を憂いたら「アンタの様な社会主義者がいるから日本はダメになるんだ」と言われた。国家の豊かさとはなにか。消費は誰が作るのかを知らない経済官僚がいたのには驚いた。新自由主義とは少数の金持ちを作り、多くの低所得者層を作ることと今では理解しているが、その結果消費が落ち込み経済の回復がなされないどころか、結婚できない多くの者を生み出し、国家が衰退して行くことなのだが、正に「企業が栄えて国家を憂いない」新自由主義者が増えている様だ。安倍政権の周りに新自由主義を信奉する経済官僚がいる限り、日本の将来に期待は出来ない。国家観がないのに集団自衛権で国家を守れる訳がない。戦前の軍事国家であった時でも、敗戦直後に多くの将兵は国民を置き去りにして自分たちが先に逃げたのである。現代の日本社会の弱者切り捨て競争社会で戦争など出来る訳がないことが知らないのは安倍政権を取り巻く政治家連中だ。国民が繁栄してこそ国家があるのである。何が新自由主義だ。

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