高知市内の家庭料理"京や"のおもてなし

11月初旬の三連休には広島に法事で行く予定があり、折角交通費を使って遠出するので有効にお金を使う事を考え、今まで行った事がない場所として高知県を選択した。何故、高知県かは二つ理由があった。一つは、瀬戸内海大橋を鉄道で渡ることであった。二つには、高知県はビジネス的にも行く機会がありそうもないことであった。しかし、高知県の小旅行を計画して困ったのは一泊目は岡山から高知に行く鉄道利用なので時間的に高知市内ですぐ決まったが、問題は以外と横長なので、足摺岬方面か、室戸岬方面の何れかに決める必要があったことだ。

熟慮の末に室戸岬方面に決めたが、室戸岬地域には宿泊したいホテルが1軒あったが、予約出来ずキャンセル待ちなのが痛かった。兎に角、旅程を決めないと移動関係の予約も出来なくなって仕舞うので、一泊目のホテルを高知市内の高知城近くの三翠園に決め、新幹線、在来鉄道、そして帰京の航空チケットを予約した。交通とホテル以外は何も決めずの小旅行だったが、初日の高知市には夜の9時到着であり、それを憂慮した義兄が高知市に行くときに良く使う家庭料理の「京や」に急遽予約入れてくれた。義兄からホテルに付いたら直ぐに行くように指図を受けたので、到着後慌ただしく"京や"飛び込んだ。

お店はカウンター席が5席、他にテーブル席ひとつの小さなものだった。切り盛りしているのは年配の女将さん一人であった。予約を伝えると義兄の事は良く知っているらしく、何か月か前に義母を連れて店に来ていたことを知った。難しい女将さんと聞いてたが、実際は笑顔が素敵な聡明な女性だった。お任せ料理で最初から日本酒を注文した。出されたおすすめの酒は辛口の美味しい酒だった。高知は西の方は甘口で、東の方が辛口の酒であることを教わった。高知が初めて来たことを告げ、若い時に勤務した会社の先輩が高知県出身で、卒業した高校が高知県立高知追手前高校といったら、偶然に女将さんとご子息が同窓であった。女将さんの話ではお店は今年で50周年を迎えるとの事で、高知出身の漫画家が常連との事で、はらたいらの色紙などが飾ってあった。義兄から紹介された店だが、高知市内では有名な店らしく、多くの著名人が女将さんを慕って来店するらしいことが分かった。

元の職場の先輩が同窓なのが分かった女将さんは特に親切に料理を出しながら色々な面白い話を聞かせてくれた。御年はお店の長さから言っても80歳前後と推定されたが、元気で頭の回転が良いのには驚いた。先客の若い方と高知について話していた時に、元NHKアナウンサーの松平定知さん一行が入ってきた。一行は常連らしく、一挙に賑やかになった。一行はお店が開いていたのを喜んでいたが、その理由は私が遅く予約したためと分かると、松平さんの同伴者が高知県観光特使の松平さんの名刺を差出し、この名刺を見せると県内の主要な観光施設が1回5人まで無料になると教えてくれた。義兄の予約が正に幸運をもたらした瞬間だった。

しかし、直ぐに疑問が湧いた。何故、高松藩の領主の末裔の松平さんが高知県の観光特使なのかと。それを質問すると、松平さんは入社後高知県に転勤し5年間を過ごしたことと、それ以外には本社勤務であったことを聞いて納得した。松平さんにとって高知県は良い思い出の地だったことを理解した。

又、酒の勢いで名刺を頂いた方に皿鉢料理について聞いたところ、女性が酒以外の用事がない様に工夫されたもであったことが分かった。正に、男女平等のお国柄が高知県そのものであった。南国特有のおおらかさが根付いた文化なのと思われ、私の故郷の茨城県とは大分違う事と思われた。勿論、女性の強さは同じだが、表面的には男尊女卑の考え方が根強い茨城と比べると雲泥の差がある。

松平さん一行が帰ったので、私たちも帰ろうとしたら女将さんが観光タクシーを頼んだ方が良いと教えてくれて予約まで請け負ってくれた。翌日に手配のタクシーが定刻に到着し、先ず桂浜に行くことにしたのだが、運転手さんの話だと私たちが室戸岬方面に行くので、市内観光を終える15時頃に室戸方面のバスの時刻を調べて伝えてくれることまで手配していたことが分かった。"京や"さんおおもてなしは年季が入っており、さり気無い気配りには感謝であった。首都圏の高速道路網に囲まれた生活をしていると距離感が失われることが今回の旅行で痛感した。室戸岬まで市内から60~70kmと高を括っていたが、高速道路がないので一般道路の走行に時間が掛ることを失念していた。市内の観光案内の時に運転手さんに勧められてバスでなく、そのままタクシーを延長して移動したのだが、提案を受けいていなければ重い荷物でバスを乗り換える必要があり、2日目のホテル到着は予想以上に遅くなったと思われた。幸運の連鎖が起きて翌日は予想以外に快晴になり日の出も見られた。京やさんのおもてなしから頂いた幸運の連鎖を噛みしめた小旅行であった。

帰京後に件の先輩に高知県を観光したメールを送ったら、「日本最僻地、日本経済の足を引っ張り、工業生産額全国最低の高知県を訪れて頂き感謝申し上げます。今頃は、天気さえ良ければ小春日和ではなかったでしょうか。暑いくらいでしたか?まあ、のんびりした県が一つくらいあっても良いかな、と思っておりますが。」とメールが返ってきた。成る程、先輩は高知県の人だなと改めて感じた。

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