100年前に書かれた本「日本の禍機(著者:朝河貫一)」を読んで

朝河貫一氏の名前は国会に設けられた福島原子力発電所事故調査委員会の委員長であった黒川清氏の著作で初めて知った。 DSC_0099.JPG福島県二本松市の出身で日本人として初めて米国の名門大学の教授に就任した人物だ。ダートマス大学、イェール大学に学んだ英才だが、父親は二本松の藩士で、明治維新の戊辰戦争で政府軍と戦った。戦後は福島県内の学校で教職を得ている。

朝河貫一は父から漢文や武士道精神を学んだが、二本松藩は小藩ながら会津藩を支援する為に政府軍と壮絶な戦いをして落城しているので、机上の武士道ではなく、戦場経験者の武士道と言える。

福島尋常中学(現福島県立安積高校)、東京専門学校(現早稲田大学)を首席で卒業し、米国のダートマス大学に留学した。ダートマス大学でも優秀だったので、同大学から奨学金を得てイェール大学院に進んだ。

朝河が米国で大学教授の時に日露戦争が起きたので、朝河は日本の為に「日露衝突」を英語で書いて日本の大義を世界に訴えた。この本で日本が大国の露国に対して戦争を余儀なくされたことを世界に知らしめ、その功績は大きかったと言われている。

しかし、朝河貫一は日露戦争後に日本が大陸に覇権を求めるのは大義がなく、露国と同様の古い時代の侵略主義に陥ることは米国との対立を招くことになり危険であると警告した。それが日本語で書いた「日本の禍機」である。米国はスペイン戦争でフィリピンを得たことにより、ハワイを併合し太平洋重視に転じ、支那との友好を模索していた。特に、先駆けて米国の企業が満州などに商権の拡大に動いていた。この為、朝河は日本が南満州・支那に対して権利以上に侵略する行為は自由貿易の新しい時代に逆行し、米国と対立する懸念を指摘した。支那は米国の意向を利用し、日本を侵略者として米国に支援を求めることになった。米国が日露戦争で日本を支援したのは日本が露国に代わって満州や中国大陸に進出することではなく、旧植民地制度から自由貿易に流れを変える新植民地制度になることを期待しての事だった。朝河から見れば、日露戦争で多大な犠牲を払った日本が南満州に橋頭保を築き、大陸進出の足掛かりを作るのは否定していないが、支那の権利を阻害し、南満州で権利以上に勢力を拡大することは、米国との戦争になり、米国の強大さを考えると日本が戦争に負けること指摘していた。

この本では日本が世界から孤立して国運を誤らない事を切に論じている。外国企業が伝える誤った情報で世界の人々が動くことの危険性にも触れている。また、日本人の長所と短所を指摘している他、漢字の不思議な効果を説明し、漢字を日本人が用いることで独立的な思考が犠牲になり、判断力が奪われる危険性を指摘している。余りにも妥協しやすい日本人の特性は漢字に対する無批判的な幼稚さに基づいていると分析している。漢文を学びながら外国語に精通した朝河が見た日本人観と言える。特に、反省しない責任を負わない日本人の性質に対して危惧しているが、その状況は現在も変わっていなことに日本の将来が危ういのかもしれない。

日本人はキリスト教国家の国民の様に神に対する責任がなく、日本の裁判所での宣誓も欧米の人々の様に神の存在によるものではないので、希薄に感じるのは私だけでないと思われる。日本人の反省心や責任の欠如を武士道精神が補ってきたかもしれないが、日本人の大半は武士の出ではない。武士道精神などといっても無理がある。武士階級の遺伝子を持たない多くの日本人は時流に流されやすいと指摘されている。戦後に天皇絶対性が崩壊した後に日本人が目指したのは豊かさと言うお金であった。戦後の日本人の多くは拝金教の信者であり、政治家の田中角栄は正に拝金教国家が産んだ鬼っ子だった。石原慎太郎始め、多くの者が経済低迷から抜け出させない日本に再度拝金教を日本人に植え付けようとしている。馬鹿げた行為だ。

日本の将来を考えるには、福島原発事故を起こしたような日本人の考え方を変えることが必要であり、改めて100年前に書かれた"日本の禍機"を読むことが必要と考える。

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