空気の中で進められる無責任さ

DSC_0430.JPG小池都知事は豊洲プロジェクトが一般的に説明されていた全面的な盛り土でなく、コンクリート躯体に変わった経緯について纏められた調査報告書では、責任者不在で空気の中で進められたことと結論付けられていることを公表した。

今回の調査は推測だが現場会議の議事録も何も残されていないので、結局当時の担当者のヒアリングしか解明する方法がなく、空気の中で決められたとしか言いようがなかったと考えられる。

以前に政府の機関の会議で議事録を作成しない事にしたとメディアが報道したのを聞いて驚いた。重要事項を決めるのに議事録を作成しないほど無責任なことはない。

会議の議事録を作成しない風潮は何時からかと振り返ると、日本経済バブル崩壊後数年経過した頃と思われる。議事録を作成しないのは、行政の会議ばかりではなく、民間でも同様となった。当社の業界では、現場会議の議事録が全体会議、専門会議を含めて全部議事録を取り、会議の参加者に議事録の内容を確認して貰って最後に捺印を貰ったものだ。議事録がないと設計変更など重要な変更に対する責任が不明確になる上に、当然に工事金額の清算が伴うので議事録作成と変更承認は一体かした事務処理の仕方である。しかし、我々の業界も議事録の重要性を認識する人達は減少した。否、重要性を認識しないのではなく、後日自分の意見が間違った時を考えて議事録を残さないようになったと言うべきであろう。

都庁の豊洲プロジェクトも現場会議が行われているのは当然であり、今回の様な設計変更が伴う事項に関しては、技術的な検証を含めて相当の資料が存在することは疑いもない。特に、行政の場合には手続きに関して民間企業より厳しい対応が求められるので、空気の中で決められた説明では都民は納得しない。

今回のブログで野村秋介と言う人物伝を掲載したのは、23年前に現代の様な不条理と無責任社会に憤り朝日新聞社内で自決した事実を認識してもらいたいからだ。野村秋介は右翼と言われたので、一般の人はその事だけで偏見の目で見てしまうと思われるが、彼ほど言行一致の生き方をした人は居ないであろう。言葉に責任を持つ重要性が今の社会では希薄になった。偉そうに言う金持ちは多いが、偉そうに言う貧乏人はいなくなった。古より、社会は偉そうに言う貧乏人がいなくなれば社会はダメになると指摘されている。また、明治維新の功労者の西郷隆盛が指摘した「金も名誉もいらない人は始末に困る」といった人物がいないと社会は間違った方向に流されるという事だ。

現代社会は権力にすり寄って利権を求める輩が多くなった。然も、その様な輩が跳梁跋扈しているので、社会が良くなる訳がない。今回、野村秋介の人物伝を掲載したが、私は思想的には共鳴していない。しかし、右翼も左翼も反権力で根底の弱者に対する救済と言う考え方で私も一致するからである。日本人は個人主義を自己利益追求主義と勘違いしている人が多い。豊かな社会を実現したが、逆に豊かさを失うのが怖くて必死になっている。戦前戦後を生きてきた人達と、戦後しか知らない人達とは基本的に違う人種と思われる位考え方は異なっている。今や戦後世代が社会をリードしてきているが、その戦後生まれの指導者たちを見ると、言葉の重さを知る人は少ない。況してや、後日の責任を怖がって議事録も作成しないで重要な事を隠すのを見ると暗澹たる思いがする。豊洲プロジェクトの問題は今後の東京オリンピックのプロジェクトとも相関することなので、どの様に解決を図るのか注視して行くことが重要と思われる。

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