スーパーの自動精算機で思う日本の劣化

私の住まいの近くのスーパーとしてサミットがある。サミット本社に一番近い店だ。今年春になってレジに自動精算機が急に配置され、買い物の支払は全て同精算機で行う事になった。通常のレジでの支払いは後続を気にして小銭を出さずに専ら紙幣でお釣りを貰っていたので自宅に小銭が結構たまっていた。この為、当初は気兼ねしないで小銭で精算が出来ると思われ、自動精算機の配置を歓迎した。安倍政権が煽った労働対価の上昇や少子高齢化による労働力不足もあって早々と自動精算機の導入配置は時代の流れと受け止めた。しかし、自動精算機が二台置かれ、一台はレジのすぐ隣なので以前と変わらずに後続を気にする支払いとなる為に、もう一台の通路側の精算機で支払える時でしか小銭でゆっくり支払いが出来ない不便さがあった。それでも当初は小銭が減少するのに役立つと考えていたが、その考えの甘さに気が付かされた。その日はプラスチックの小銭入れに100円玉を50個入れて使う考えでサミットに買い物に行った。その日の買い物金額は4850円で、丁度小銭で支払える金額内で納まった。レジで課金されている間、通路側で精算している人がいたので、後続を気にするレジ側の清算機になるかと気にしたが、タイミングよく通路側の人が支払いを終えたので、小銭で支払いが出来ると嬉しかった。しかし、その嬉しさは直ぐに吹き飛んでしまった。理由は30個ほど硬貨を入れていたら投入口が閉まってしまった。仕方なく、トラブルが起きた時に呼ぶ相談係員のボタンを押した。直ぐに係りの女性従業員は来たのだが、硬貨だけで支払っていた私に面食らったみたいで、そんなに多くの硬貨は使えないと言ってきた。その言い方に気に障ったので、硬貨は幾らまでしか使えないと表示していないが、幾らまでなら可能かと問いただしたら20個だと言ったので、そんなことは何処にも書いていないだろうとややきつい口調で言ったら、その場から立ち去ってしまった。仕方なく、紙幣と硬貨の両方で支払うことにしたのだが、入り口が閉まったままなので戸惑ってい時に別な女性係員が来て支払いに助成しようとしたら、先ほどの女性係員が後ろのカウンター内からその係員にそこは使えないからこちらに来てと引き離した。それで私が先の係員にクレーマーと思われたことが分かり腹が立ってきたが、支払いが先なので再度現金の清算を押して手続きを進め、今度は千円紙幣を1枚使って支払いが完了した。支払い後に気が付いたのだが、先の係員は硬貨は20枚しか使えないと言ったが、実際は30個以上使えたので、現場が自動精算機の関する情報を知らされていないのかと情けなくなった。このトラブルもあってワイフと話したのだが、自動精算機は紙幣や硬貨を入れるのがやや遅いと「お金を入れいれてください」と煩い位に急かすことも気になった点だ。高齢化社会なのにシニアに一つも考慮していない精算機の上に、良く考えると設計コンセプトはカード使用を前提にしていると推定された。若い人生経験が少ない連中に仕様を決めさせた故と思われるが、人生経験があるならば、「お金を入れてください」ではなく、慌てないで精算できる言葉の「お金が不足しています」を選択したのではないかと思った。同様に、サミットでの買い物を以前と比較してみたら、商品を配置する従業員も対応が変わっていたことに気が付いた。以前は、商品を陳列していたり、商品を運んでいる時には、お客に気配りをして陳列台から離れたし、運んでいるときにはお客優先でお客に通路を譲っていたが、最近はその様な気配りはなくなったことに気が付いた。自動精算機だけの配置も同じ次元の発想だろう。通常ならば、一ヶ所くらいはシニア向けに従来の支払いシステムを残しても良いと思われる。お客に何か指摘されるとクレーマー扱いであり、日本人の優れた部分の配慮が減少したことを考えると、日本の将来が悲観的に見える。官庁の中の官庁と言われた財務省のトップの事務次官の劣化を考えると、小規模スーパーの組織的な劣化など取るに足らないかもしれないが、この現象は日本のトップである総理府大臣の劣化から来ているのかもしれないと思った次第だ。

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