コロナ禍で思う「転依」の言葉

最近は手軽に何処でも読める電子版の書籍を購入しており、興味がある本でも電子書籍で販売していなければ購入しない状況が続いていた。しかし、それが折角の機会を与えてくれた情報に背を向けることになると漸く知った。今回2冊の本を購入した。1冊は建築に係る本で、もう1冊が表題の言葉が載っていた「宿無し弘文」と言う禅僧の本だ。アップル創業者のスチーブ・ジョブスは誰もが知る人物だが、そのジョブスに精神的面で大きな影響を与えた人物として乙川弘文と言う禅僧がいたのは周知の事実のようだが、私自身は知らなかった。曹洞宗の寺院の息子に生まれて子供の頃から仏門に親しみ、大学院では西洋と東洋の哲学も学び、比叡山永平寺のエリート修行僧として米国に渡った経歴はスチーブ・ジョブスの師として十分なる資質を見に付けていたのだが、本を読み進むうちに文化の違う欧米で禅を広める活動に際して正に「転依」しなければ信者に応えられなかった葛藤が書かれていた。スチーブ・ジョブスは養子であったことから親に捨てられた自分に対する葛藤があり、弘文禅僧に出会ったことで事業に邁進することとが出来た様だ。翻って、科学技術がが発達した現代で起きた世界的な新型コロナウィルス感染症に多くの人は羅針盤を失い、人によっては隠れていたエゴが表出化した。正にカミユの世界の不条理の出現だ。人はこの様な時にどの様に振舞うかで真価が問われるのだが、私も含めて多くの凡人は先が見えない状況の中で冷静さを保つのは難しい。新型コロナウィルスの出現でニューノーマルなる言葉が出てきたが、宿無し弘文の本を読んでニューノーマルに対応するには人々に「転依」を求めていることかと考えた次第だ。弘文禅僧の場合は余りにも違う文化の中で禅の教えを広めるために「転依」を選択したのだが、ニューノーマル出現は否応なしに人々に「転依」を強いるものなので簡単には人々に浸透しない様に思われる。西洋には絶対的な神が存在する社会だが、東洋思想に関しては絶対的な神ではなく、誰もが悟りを得れば救われる社会だ。新型コロナウィルスの出現で何れが優位かを論じる考えはないが、「転依」は自らを変えることで達成する境地なので、私的には「転依」に興味がある。勿論、「転依」が新型コロナウィルスにり患しないのではないので、飽くまでも心の問題と言える。「転依」が全てを解決しないことは弘文が酒を煽っていた事実からも物語っているが、少なくても感染症の恐怖を克服するのには有効と思われる。この様に書くと、未熟なお前が「転依」出来るのかと言われそうだ。

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