行政の財政問題に会計学を持ち込むのは正しいのか

中央官庁や地方の自治体に財政検証に関して会計学を採用する事例が多くなった。会計学といってもBS(貸借対照表)・PL(損益計算書)を予算の中に取り入れろと言う主張だ。この主張は借金ばかりを強調するのではなく、資産も公表して財政の健全化を見るべきとの事なので、一見すると正しいように思ってしまう。しかし、文芸春秋に矢野財務次官がばらまき政策を批判した投稿に対して元財務官僚の高橋洋一と言う人が"矢野財務事務次官は会計を知らない"と言って投稿記事をメディアで非難した。高橋洋一は会計上で見ると国には膨大な資産があるので1000兆円などの赤字国債は問題ないと発言した。これに対して、メディアのMCの方が資産と言っても道路など直ぐに換金できないものが多いのではないかと意見を述べた所、高橋洋一は金融機関から資産を担保にして借りれば良いとの回答であった。確か、高橋洋一は日本維新の会のアドバイザーとして有名な方で、その他の地方自治体のアドバイザーにも名前が出ていたことを思い出した。財政検証に行政が破綻するかどうかの目安に資産を確認しておく必要はあるかもしれないが、一つ大きな誤りを犯しているのが分かった。それは資産があれば金融機関は金を出すと言う昔の時代の考え方で話していることだ。バブル経済までは担保主義で金融機関は貸し出していたが、現在はその反省を踏まえてキャッシュフロー重視になっているのにである。日本国は収入約50兆円に対して支出は100兆円と言うサラ金財政を行っている。企業で言えばキャッシュフローが大幅なマイナスであるので、もし資金を借り入れたとしても金利と元本返済には資産を食いつぶして凌ぐしかないのだ。高橋洋一は更に財政投融資にも言及していたが、過去の財政投融資の資金源は郵便貯金であったことを忘れているのかと思った。郵政民営化で財政投融資の資金は何処から出ているかだ。維新の会は明治維新の再生を狙ってのネーミングなのだろうが、明治期は民間資本が少なかったので国家資本が事業の本を作り出して民間に払い下げたのだが、令和の時代に国家の資産を売却すると言うことは国民の生活に負担を掛けることだ。明治時代とは全く状況が異なる。行政は赤字でも金融機関は金を貸すだろうが、それは甘えに過ぎない。1000兆円の赤字国債発行に問題ないと言うならば、企業と同等の目線で物事を判断するべきだ。話にならない議論で国民を騙すには国家反逆罪だ。

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