遠い親戚より近くの他人

標題の見本みたいな事例が私の周辺に存在している。高齢化が進んだ小子化の社会にあって考えさせられるのは「遠い親戚より近くの他人」の故事である。政治に期待できない庶民が作り出した知恵かもしれないが、古い時代には共同社会で他人同士が助け合って生きてきた。それが経済成長や欧米の個人主義の浸透で共同体社会はプライバシーなどから希薄化が進み、更に個人情報制度などによって他人同士が親戚の様な付き合いをすることは難しくなった。私の義母が東京近郊の街に一人で住んでいるが、その生活は他人によって支えられているのである。誤解のないように説明を加えると、息子二人が義母を引き取らないために一人で生活をしているのではなくその逆である。息子達は高齢化した母を一人で生活させておく訳には行かないと同居を進めているのだが、義母が一人暮らしの気ままな生活を優先しているのである。高齢化した親に関しては子供がいれば同居となるのだが、子供に世話になれば居候となり、生活には遠慮が出てしまう。仕方ないと言えばそれまでだが、苦労して子供を育て更に教育まで行いながら余生を息子夫婦や孫に遠慮して生活する様な現代社会は理不尽と思える。義母の場合は偶然が重なって今の一人暮らしの環境が育まれたのだが、他の人が参考になると思えるので書いて見たい。今の家は元々は借家でしたが、その後地主から土地を購入して家を建てたのである。このため、このエリアには何件かの借家が存在していたが、現在は地主から土地を買った人と借家のままの人とが混在したエリアに変わった。実は東北地方から出てきて青果市場に勤務していた夫婦がそのエリアの借家に住んでおり、その後2人の男の子が誕生したのだが、亡義父が名付け親の様な関係となり、その家族(Kさん)と親戚の様な交流が開始されたのである。その後長い年月が経過し、妻の実家は義母一人になったのでKさんの長男が下宿する様になった次第である。Kさんの子供達は生まれた時から義母が祖母の様な存在であったので血縁関係はないが他人とは思えないほどの間柄となった。祖母が急病の時などは背負って近くの医院に運んでくれたり、休日にはドライブに連れて行ってくれたりしている。義母にも孫は何人かいるのだが、一緒に住んでいた訳ではないので、殆んど寄り付かないのが現実である。勿論、全て良い事ばかりではないが、少なくても義母が子供家族との同居で遠慮している生活ではなく、近くの他人のお陰で元気で生きがいを持って一人で生活している姿を見ると幸福とは何かを思わざるを得ない。現代において孤独な高齢者が不安な生活を送っている姿を見ると、義母の様な近くの他人との交わりの大事な事を痛感する。欧米主義の個人主義ではなく、他人を包含してのアジアの大家族主義が人生の楽園を造るんではないかと思える。

新党乱立の中で大阪府橋下知事の「大阪府維新の会」を評価する

今の新党騒ぎなど権力亡者の類で真に国民のためになる新党など皆無だが、大阪府の橋下知事が掲げる「大阪府と大阪市を統合して大阪都にする」ための「大阪府維新の会」は評価に値すると思われる。大阪府と大阪市の行政を知る人ならば行政の多くの無駄が分かると思う。この合併は、議員数と府と市の職員の大幅削減による経費節減効果もあるが、現行の行政組織を情報化社会に即した行政サービスの仕組みに大きく変える可能性を持っている。もちろん、橋下知事は弁護士出身のため偏った知識で判断している面もあり、全部が全部賛成できるものではないが、インフレ経済下で麻痺した地方行政の財政の建て直しには有効と見られる。日本社会の中でいちばん行政を信用していない大阪府で橋下知事の様な人材が現れて地方行政の改革が始まったのは面白い。今の議員や公務員は地方も国も国民が税金を支払うのは当たり前の感覚だが、国民からすれば議員や公務員を喰わせる為に税金を支払っているのではない。橋下知事の行動は正にその点を改めようとしているのだが、他の新党などは国民に対して課税強化で解決することばかりを強調しており、従来の国民を食い物にしている連中と何等変わらない。大阪府の改革のウエーブが全国に波及する事を期待したい。

学校の副担任制度の導入

副担任制度の導入は一学級に一人の担任制の壁を壊した快挙と捉えられるかもしれないが、良く考えると企業の経営の失敗の基本である2頭体制とどう違うのか疑問に思った。教室に二人の担任がいると言うことは、成長過程の子供達が二人の先生と向き合うことになり、二人に教育方針の違いがあった場合の事を考えると副担任制度は正しい選択なのかと思ってしまう。この様に書くと正と副であるので副は正に従うから問題ないと反論がでると思うが、副担任制度の導入は教師の側からのもので子供達のためのものでないのが気になるのである。私の子供時代には一クラスの人数は45~50名であったが、今は多くても一クラスは30名前後と思われる。この人数を二人で授業しなければならないほど教師のレベルが下がったのかと思うと情けないのひと言である。もちろん、教育に情熱を持った多くの教師がいると思うが、最近の教師を見ていると威厳が感じられない。これは単なる生活のために教師の職業を選択した者が多すぎると言う事とであろう。個人のリスクばかり考えて子供と接しているから子供達にそれを見抜かれ教室内の子供を制御できないだと思われる。私の時代にもダメな教師はいたが、多くの教師は教育と言う職業を自覚して真剣に子供と向き合ってくれた。私などはやんちゃだったので大分教師には迷惑を掛けたが、当時の先生方は子供達を決して見捨てたりしなかった。子供達のための副担任なら未だしも教師のための副担任制度の導入は情けない大人を見せるだけとなり、教育にプラスにはならないと考える。私の母方は母を始めとして教育に携わった家系なので余計に今の教育の有り方を考えてしまう。
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