居酒屋 "東京十月" 1周年をお祝いします

知人が東京都港区青山5丁目に出しているお店です。

居酒屋と謳っていますが、オーナーの本業がファッション関係の会社経営ですので、こじんまりとした

オシャレな店です。シェフは素敵な女性です。

店の位置づけは、洋風小皿料理とアルゼンチンワインですが、リーズナブルな価格で楽しめます。

お薦めしたいお店です。以下は1周年のメールを頂いた内容です。


皆様 

いかがお過ごしでしょうか。
先週末、ショーウインドウのアンテ作品の入れ替えをしました。
タイトルは「私の好きなもの」です。子供の心を持った大人の方に喜んで頂ける作品です。
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さて、来る10月1日(土)で東京十月は開店一周年を迎えます!
いつもご贔屓にしていただいているお客様、お友達をご紹介下さったお客様、そしてしばらくご無沙汰しているお客様にも支えられ、一周年を迎える事を大変嬉しく思うと共に皆様への感謝の気持ちで一杯です。
十月は日頃の感謝をこめていくつかのスペシャルイベントを開催致します!

【info】その1・・・   10月1日(土)ウエルカムドリンクサービス
                          急ですがこの日は一周年を記念してご来店のお客様全員にお好きな一杯目をプレゼントいたします
                          皆様のお越しをお待ちしております!

【info】その2・・・   期間限定アルゼンチンワインフェア開催します。
                         十月一杯、すべてのボトルワインを20%Offでお楽しみ下さい。メルマガ限定サービスです。 
            「メルマガ見たよ」とスタッフへお伝え下さいませ。   
                         

【info】その3・・・   期間限定アルゼンチンスペシャルコースをご用意いたします!   
                          新作アルゼンチン郷土料理を織り交ぜた3,800円(5,000円相当)のフルコース、只今準備中です。 
            新メニューはもちろんアラカルトでもご注文いただけます。
            ※詳細は間もなくWEBサイト/女将のブログでご紹介します。乞うご期待! http://www.tokyo-jugatsu.com/
 
本当に、本当に感謝しております!ありがとうございます!  
それでは、皆様のご来店を心よりお待ち申し上げます。

P.S.居酒屋 東京十月では、お誕生会、同窓会、結婚式の二次会、三次会も承っております。 
日曜祝日、日中の団体様(15~40名)のご利用もご相談をお受けいたします。
また、セミナーなど貸切でのご利用も承っております。(プロジェクタ用の大型スクリーン有り)
ご予算に応じて、居心地の良い時間のお手伝いをさせていただきます。
どうぞ、お気軽にご相談くださいませ。

居酒屋 東京十月
東京都港区南青山5-7-17小原流会館地下1階
TEL 03-3409-6077 FAX 03-3409-6076
www.tokyo-jugatsu.com
OPEN 17:00-23:00 CLOSE Sunday&Holiday

心地よいひと時

先週週末に大学の学窓5人と神田の居酒屋「旅籠屋次郎」で久し振りに飲んだ。今回の飲み会の友は今は消滅した協栄生命保険会社本社(現ジブラルタル生命)の夜警のバイト仲間でもある。学窓の構成は建築学科3名、電子工学科3名の6名である。偶然だが、建築学科3名は都立大、芸大、筑波大の各大学院に進んだのに対し、電子工学科の3名は卒業後就職した。今回の飲み会は筑波大学の大学院に進み、その後茨城県に会社を作って活動している伊藤君の呼びかけであった。この伊藤君の呼びかけによる通知が電子工学科の3人には誤解を与え、滑稽な飲み会の始まりとなった。電子工学科の3人は当然に店の予約は伊藤君が行なったものと考えて店でその予約を確認して部屋に案内されたのだが、私は一番最初に入ったためか予約人数の多さに疑問を感じて他のお客が来る前に退散し、携帯電話で連絡を取り伊藤君が待つ部屋に移った。然し、電子工学科の他の2人南雲君と工藤君は違和感を覚えながらも間違った部屋で見知らぬ人達と歓談し、その後に間違いに気付いて漸く合流したのであった。伊藤君の舌足らずの案内が誤解を生んだのだが、実際の予約者は建築学科の佐藤君だった。このため、佐藤君が連絡した建築学科の松岡君は間違いなく目的の部屋に入ったので恥をかかないで済んだのだが、それにしても間違った部屋で2人が歓談した飲み会は彼等に最初は違和感を与えなかったそうなので、何の集まりだったのかも妙に気になった。何はともあれ、今回の飲み会は最初から大笑いで始まったのである。尤も、工藤君の生家は岩手県大槌町であり、ご母堂が3月11日に津波で行方不明と言うことを聞いていたので、今回の飲み会に参加するのかどうか気になっていた。飲み会の時間が大分経過し、それぞれで話が分かれた時に工藤君に聞いた所、1ヵ月後の4月に遺体が確認出来たとの事であり、然も幸運にも荼毘に付される前であった事も聞いた。彼によれば、遺体は棺桶の中にビニール袋に入れられて保管されていたとの事で、ビニール袋に入れていたのは腐敗しない為に液体を使用していた為であるらしい。又、ご母堂の顔の表情は海水から顔を上げて息を吸うような苦しい姿と説明してくれた。彼は他に親戚でも数人亡くなくなっており、不意に訪れた不幸に多くの言葉はなかったが、寂しそうに田舎に帰る故郷(家)がなくなったとポツリと言った事が印象的であった。勿論、工藤君は飲み会においては悲しみなど微塵に見せずに明るく振舞っていたが、私としては入学後に知り合った最初の同級生であり、私の田舎に泊まりに来た事もある友なので世の中の不条理に改めて怒りを覚えた。なお、飲み会は懐かしい話で盛り上がり10時近くで開きとなったのだが、学生時代に夜警のバイトをした協栄生命本社ビルも今は建替えられてビジネスホテルになっている寂しさもあり、皆で神田駅周辺を暫し歩き回った後に分かれた。尤も、協栄生命のアルバイトでは私が一番短かったのだが、不思議な縁で解体前に一度訪れている。経済バブル崩壊で金融機関が倒産する中で、協栄生命も貯蓄型の保険を売っていた為に経営難となり、米国のプルデンシャル生命に売却された。プルデンシャル生命では社名をジブラルタル生命と変更しリストラを進めたのだが、そのジブラルタル生命の財務担当役員が私の友人の知人であった。このため、懐かしさもあって友人と一緒にその知人を訪問して25~26年振りに旧協栄生命本社ビルに入ったのである。学生時代には威厳があり綺麗であった役員フロアも、経年劣化と経営難でメンテナンスが不足していたためか、精彩を欠いていた。しかし、20代の社会人になる前に企業の表と裏の現実世界を見せてもらったのは勉強になった。勿論、その経験を生かした人生ではないが、久し振りに会った学窓との飲み会は心地よいひと時を与えてくれた。

中央官庁が陥っている部分最適な弊害

日本が機能しなくなったのは政治のお粗末さだけではない。政治など田中角栄以降機能していない。問題は中央官庁の組織が現代社会に通用しなくなったのである。民主党の小沢一郎はそれに気付いて政治主導を掲げたのだろうが、官僚より知識と経験が不足している今の政治家に出来るわけがない。中央官庁の何が問題化といえば部分最適で重要な政策を行なっていることだ。20世紀のハードの時代から21世紀のソフトの時代に変わり、且つ情報通信の発達によって社会経済のグローバル化が一挙に進んだのだが、中央官庁の組織は旧態依然のままである。少なくても一部の民間企業は垂直的な組織からフラットに移行し、尚且つ全体を統轄する司令塔を設けている。しかし、多くの民間企業、特に中央官庁は旧態依然の組織で政策立案を行なっているために部分最適に陥って日本を悪い方向にリードしてきている。中央官庁の部分最適とは課長クラスが日本の運命を左右する政策を立案し、その政策には官庁同士はもとより、同じ省庁内でも整合性を持たせたものでないと言う現実である。複雑化した社会では中央官庁の課長クラスが部分最適で作り上げた政策など通用しないし、逆に他の政策に対して悪影響を与える可能性がある。然し、中央官庁には司令塔が存在しないのである。いや、財務省と言う予算でしか物事を見れない司令塔しかいないと言うべきであろう。この結果が、失われた10年どころか20年になろうとしている。財務省の主計局が全ての省庁の予算を審査しているが、主計局の役人に他の省庁の政策など深くは理解できるわけがない。厄介なのは自分達は頭が良いと錯覚しているので、合成の誤謬などに気が付かない。部分最適と合成の誤謬に陥っている役人に国家の運命を委ねている怖さがある。行政改革とは単に省庁を統合するだけでなく、情報化やグローバル化に対応した組織に変えることを意味する。然し、現時点では行政改革は予算の無駄しか議論されず、旧態依然の組織には言及していない。経済産業省が進めようとしているTPPも然りである。TPP問題は経済産業省単独でなく関係省庁が参加するプロジェクトチームによって議論されるべきなのにである。全てが部分最適の政策で日本の未来を損ねている意識がない役人には日本を任せられない。本来ならば、旧態依然の組織を正すのは政治なのだが、天下国家を考えられる政治家は一人もいなく、野田総理の様に財務官僚の言いなりの政治家しか生まれない。今期待できる政治家の一人としては、橋下大阪府知事位と思われる。日本を良くするには第二、第三の橋下さんの出現である。

敬老の日のTV番組を見て

敬老の日が長年親しんだ15日から三連休を作って敬老の日が変わってから違和感を覚えているが、今年は偶然に見たTV番組で二人の老人の老後を見て考えさせられた。一人は御年93歳の女流画家ともう一人は御年75歳の主婦兼夫の会社の事務を今でも行なっている女性であった。二人の生き方を比較するには年齢さが18才異なるので意味がないが、二人の共通点は年齢を感じさせない飽くなき挑戦かもしれない。勿論、女流画家の方は哲学的境地に入っており、死に対しても理解を深めており、93才にも拘わらず頭脳の明晰さと世界中を旅してきた人だから言える文明論や人生感に関しては素晴らしいものであった。一方、75才の方は登山の素晴らしさに目覚めて挑戦する姿をTVでは追い続けていた。登山と言っても当世風の山ガールの類ではなく、ロッククライミングであるのには驚いた。私も学生時代から社会人に掛けて山登りを趣味として続けていたので、山の見せる優しさと凶暴さは痛いほど分かっていた。体力が充実していた20代の時でさえ山の天候次第では遭難する可能性があり、体が冷えることの恐ろしさを嫌と言うほど体験した私にとっては、御年75歳で始めたロッククライミングは無謀のひと言の様に思えた。TVは敬老の日に合せて放送するのにこの女性の姿を追い続けたと推測するが、TV番組では多くの人達に何を伝えたかったのか最後まで分からなかった。勿論、75才の女性が単独でロッククライミングに挑戦したわけではなく、高齢者の登山愛好家の「エンドレスGチーム」と言う団体に所属してトレーニングを重ねたのである。このチームリーダーは若いときから世界中の山に挑戦してきた方で御年は68才であった。TV番組では南アルプスの駒ケ岳で初のロッククライミングする75才の女性を撮影するために準備を進めて実現はしたのである。然し、映像の中の女性は数十メートルのロッククライミングに6時間以上も掛けて岩壁に悪戦苦闘する顔には疲労感と後悔の念が起きていたと思われた。最後にはキャンプ地に戻る時間の関係から自力では無理となり引き上げられたのであった。撮影後の感想として75才の女性は再度挑戦したいと述べていたが、気持ちだけが若い高齢者の出現は何なのだろうかと考えさせられる。確かに、今の高齢者は若い時に仕事や子育てに時間を取られ、今の若い人の様に人生を楽しむ時間は少なかったのは確かである。その為か、今の高齢者を見ると青春時代を取り戻すかの様な外見や服装を良く見かける。そうは言っても明治、大正、昭和、平成と時代は戦中戦後の一時期を除けば常に先の世代が恵まれた生活を送ったことは間違いないのである。その様に考えて過去を振り返ると、明治大正時代に育った人は、今の昭和生まれの高齢者の様な人生を取り戻すような生き方ではなかった様に思われる。この違いは何なのかと考えてしまう。私の母は若いときには良く働いた人で、外見や動作において今でも相当若く見えるが、年齢を取り戻す様な生き方は見られず、年齢は80才半ばを迎え静かな人生を送っている。尤も、髪の毛だけは白髪を好まず染めているのが唯一の若さに対する執着かしれない。又、敬老と言う言葉が嫌いなので、一度も敬老の日をお祝いした事はなく、多分一生敬老のお祝いをすることはない思っている。勿論、元気なお爺ちゃんやお婆ちゃんは好まれるが、先の75才の女性の様な果たせなかった青春を取り戻すかの様な生き方には複雑な思いがする。現代日本が高齢化社会に入り到る所で老人達を見るが、若い時なら許される様な他人に配慮出来ない姿を見るにつけて情けない思いがする。本来の高齢者の生き方は若く見える事を自慢する事ではなく、年齢とともに備わった経験が生きる内面的に美しく見えることの筈だ。今の社会が不完全燃焼に見えるのは高齢者達の生き方が生臭すぎるためかもしれない。良い社会とは女流画家の様な方が多くなることではないかと思った次第である。

増税で次世代に借金を残すなの嘘

財務省は消費税を上げて財政再建を行いたい意向だが、増税ありきの再建は成功しない事は欧州各国の現状で分かるとおりだ。財政再建を謳い文句に欧州各国は放漫財政を放置して増税を繰り返し、今では日本の消費税に相当する税金の税率は20%を超えている。馬鹿な日本の政治家も日本の財政再建には消費税を20%以上に上げる必要があるなどと言っているが、それなら何故欧州の国々は財政破綻に向かっているのかと聞いてみたい。増税は公務員にとって麻薬と同じと言う事を国民は理解しなくてはならない。政策の立案に実質的に関わっているにも関わらず失敗に対する責任を問われない公務員制度にあって増税で身分が安定することは麻薬を吸っていることと同じ効果を齎す。欧州各国で財政削減でデモが起きているが、デモ隊に参加しているのは皆公務員と言う事実を日本人は考えるべきだ。冷静に考えると、財政破綻した国家の再生にIMFが関与してきたときには増税でなく国家のリストラだ。増税が財政再建に効果があるならIMFは何も厳しい財政支出の削減を要請しないだろう。基本的には財政再建には行政改革が重要になるのだが、問題は公務員主導の行政改革では公務員の無駄使いを放置して国民が必要とする医療や年金に皺寄せが来ることだ。本来なら、国会が機能して行政改革を進めるのだが、行政機能を公務員に握られている上に国税や警察、検察権力で国会議員の生殺与奪を左右しているので、国会議員で遣れる事は少ない。勿論、後ろめたい事がない国家議員なら財務官僚に対抗できるが、今の政治家を見る限りダーティな連中ばかりなので、財務官僚の軍門に下ったも同じだ。しかし、国民は行政改革を放置して国家の破綻目前の欧州各国が増税で財政再建が出来なかった事実を重く見て、増税ありきの流れを食い止める事が肝要だ。公務員や政治家にとっては増税は麻薬と一緒で、財政再建どころか今以上に財政悪化が起きる可能性が大きい。増税で次世代に借金を残すなの嘘を見破れ。

こんな国が原発なんか持つんじゃねえよー東海村・村上村長

NHKのインタビューで茨城県の東海村の村上村長が福島第一原発事故処理の政府の対応に怒って言った言葉である。東海村は日本で最初に原子の火を点した歴史的な場所である。その後も原子力関連施設が立地し、財政的には恵まれた自治体である。しかし、数年前にJOCの臨界事故が起きて放射能が拡散すると言う災害が発生している。村上村長によれば、原発事故による避難エリアは3kmを想定して避難訓練を実施してきたそうだが、今回の福島事故の避難エリアは30kmに拡大した事に驚愕したとのことだ。その上に福島原発事故に対する政府の対応を見て住民無視に怒りを覚えて「こんな国が原発なんか持つんじゃねえよ」と言う発言になった。私も同感である。文部科学省はSPEEDIで早くから放射能拡散を知っていたにも拘わらず、住民の避難に繫がる行動を起こしていない。然も、経済産業省がSPEEDIのデータを求めたにも拘わらず、データの開示は24時間後と言う緊急事態など考慮していない対応だった。菅前首相や前内閣の重要閣僚が退陣後に原発事故に対する政府対応などに関して弁解の発言が目立つが、実際には彼等の初動対応の失敗が全ての原因である事は間違いがない。菅前首相などが東京電力が職員全員を福島原発から避難させる意向であったのを食い止めたと言っているが、政府が何も対応してくれない憤りが東電の一斉退去示唆に繫がったと推定される。大地震後のインフラ遮断時において東電と言えども単独では事故処理など出来ようもないのが事実であった。然も、政府が平時の縦割り行政に対して非常時の体制に移行しなかったので、東電が直接自衛隊に協力要請を行なっても動かなかった事実に対して菅前首相はどの様に答えるのかである。又、東電の清水社長の帰京に対して自衛隊機を使用したことに防衛大臣が途中から飛行機を戻したと言う行為そのものが政府が一丸となって動いていなかった証明である。菅前首相の最大の間違いは原発事故に対して地域住民の避難が遅れたことである。公表するとパニックが起きるからとの理由からだそうだが、逆説的に言えばパニックを恐れて住民を被爆させたと言う事実は犯罪行為である。特に、菅前首相は事故発生後に東工大の学者の意見しか聞かず現場を混乱させた反省もない。マスメディアも報道していないが、東電本社内に設置された原子力事故緊急対策本部では何等の対策も議論されず、その時に行なっていたのは大地震後の給電に対する需給想定作業であった事である。東電本社にはその時点で原子力技術など分かる役員がいなかったのに、何が緊急災害本部設置かと笑止千万である。国民を騙し続けた政府の原発事故対応であるが、今回の福島原発で分かるのは政治家も役人も国民など信用していないと言う事実である。電力会社や行政などは原発立地住民など難癖を付けてお金を出させる人々と軽蔑していたのではないかと思われる。確かに、原発の安全神話とは裏腹に何時の間にか地域住民と電力立地関係者との間には相互不信が芽生えていたのかもしれない。私の友人が電力立地の電力交付金を指して麻薬みたいに作用して次々と増設を受け入れなければならなくなると言うことを指摘していた。今回の福島原発事故ではあまり言及されていないが、規制緩和による電力自由化が福島原発事故の一因になっていると言う事実である。各電力会社は国策に沿って電力の安定供給のために多額の投資を行なってきたが、突然グローバル化の中で起きた電力自由化が各電力会社の将来計画に暗雲をもたらすことになった。特に、原子力に関しては廃炉に要する費用や高レベル放射能貯蔵施設の建設などにも多額の費用が見込まれるために、今後の電力自由化の流れに際しては従来の様な放漫経営は許されなくなり、効率経営が求められる様になったことである。電力自由化と言う規制緩和がなければ、福島原子力第一発電所に関しては使用延長でなく、廃炉にした可能性が大きいと思えるからである。日本の場合には全ての事で言えるが、民営化や規制緩和においては保護して来たために過剰な投資債務を抱えてると言う事実を無視して行なってきていることである。尤も、国鉄の民営化だけは債務を国が引き受けた特異な例だが、この時点では財政再建など必要としない国債発行残高であったためと推定できる。その後の電電公社の民営化、郵政民営化などにおいては国の負担に関しては言及されていない。逆に、民営化後の株式上場による利益の計算しか行なっていない様に思われる。翻って、電力自由化を推進するのであれば、各電力会社が有する多額の投資に対する問題にまで言及しなければ出来ないのである。それが電力会社任せで電力自由が進められた結果、安全を無視した経営が進められ、最悪の事故を招いたと言っても過言ではない。グローバル化の中で縦割り行政所か、同じ省庁の中でも縦割り行政が行なわれていたのでは、時代の流れに翻弄されてしまうだけと思料する。同じ茨城人として東海村の村上村長の言葉に共感を覚える。

野田政権は田中角栄以降の自民党型政治の回帰だ

20年近く迷走した政治の帰結は自民党政治型の回帰となった。戦後に採用した中間選挙区制度を改正して小選挙区導入で二大政党政治を目指したが、二大政党の一つの民主党は党の綱領も定める事が出来ない烏合の衆の政党となり、党の混乱を納めるために発足した野田政権は正に自民党型の政治の回帰であった。国民としては野田政権の発足で何のための長い年月の政治空白かと憤りを覚える。そもそも情報化時代になり、価値観が多様化してきた現代において二大政党などの実現を目指したのは誤りであったのである。尚、百歩譲って自民党の単独政権を壊すために小選挙区制度を導入したのかもしれないが、しかし民主党を見る限りその後の戦略が見えない。野田政権の発足で一番がっかりしたのは、自民党が官僚に支配を許す契機となった田中角栄の政治手法を踏襲していることであった。自民党政治が官僚をコントロールできたのは、それぞれの省庁の政策に通じていた優秀な大臣を任命してきたからであった。今から40年前の佐藤栄作首相までは当選回数で大臣にさせる情実人事はなかったのである。しかし、田中角栄が総理となった時点から、自民党の総裁選挙に貢献した議員を大臣に就任させるシステムとなり、勉強してきた政策と関係がない省庁の大臣に就任し、結果的に官僚の言いなりになるお飾り大臣の出現となった。多くの国民は忘れている出来事だろうが、政治が駄目になったのには理由があるのである。野田内閣の大臣の人事では正に田中角栄型を踏襲しており、防衛大臣が防衛政策を知らないのがシビリアンコントロールだと居直る姿には呆れて物が言えない。野田総理は松下政経塾出身と聞くが、松下幸之助は経済人で成功した人である。経済人で成功した人は強烈な個性の持ち主が多いが、野田が松下翁から学んだ事は選挙に勝つことであると推定され、政治とは何かを学んだとは思えない。確かに、松下翁はビジネス社会においては神様なのであろうが、晩年に危機を感じた日本の政治に関しては一般人の域を出ていなかったのではないかと思料する。日本が政治を間違えたのは、田中角栄を出現させたことなのである。そう言う意味では、田中角栄の政治を学んだ小沢一郎にも期待できる事は何もない。優秀な官僚を使うのはその省庁の政策を熟知している政治家だけが出来る事である。勉強してきた政策と関係ない議員が大臣になったら、逆に官僚に支配されるだけとなる。今の日本は責任を取る事がない官僚が政策を進めてきたから間違ったのである。野田政権も発足当初から大臣就任の動向を見る限り期待できない。然も、最悪な事には、馬鹿の一つ覚えの増税一辺倒の財務官僚に洗脳された野田だからと思ったが、財務官僚に洗脳された最初の国会議員が田中角栄だと気が付いた。財務省を解体しなければ日本の夜明けはないと言える。

政治家と公務員の報酬を景気変動指数に連動させるべきだ

政治家や公務員が無責任になっているのは景気と関係ない報酬制度で守られているからだ。少なくても、連中の報酬を「失業率」、「倒産件数増加率」、「円高上昇率」、「デフレ率」など景気関連指数と関連付ければ現在の様な能天気な生き方が出来ない筈だ。高度経済成長以前には、公務員の報酬は民間企業と比較して低く、政治家も議会開催日に支給される日当制であった。それが高度経済成長によって税収が増加するに従い、公務員の給与は鰻登りになり、政治家も月給制度になって職業政治家が生まれた。特に、公務員の報酬は大企業を基準としており、国民の大多数が勤務する中小企業の給与基準を大幅に上回ったものとなった。また、職業政治家の出現は己の生活が優先となり、高邁な思想や信条をもった者が少なくなり、政治家を矮小化した。国民の知らないところで政治家や公務員の利益が拡大されてきている。因みに、公務員の高額退職金や高額年金は給与が低い前提で、老後に恵まれた待遇を与える制度であったが、何時の間にか老後の手厚さを維持して現役時代の報酬を大手民間企業並みに引き上げてしまった。更に、天下りや70歳まで働けるシステムも維持されてきているのである。この様に公務員天国にしたのは何等問題にしないで議案を通した馬鹿な政治家達である。尤も、政党助成金や国会議員一人当りの報酬や手当ての増加を餌にして公務員は自分達の待遇を改善させた知能犯だ。しかし、政治家も公務員も大幅な赤字国債発行を懸念して自分達の高待遇が近い将来には損なわれる危機感から、赤字国債の借金を国民に転嫁して自分達の利権を温存するために消費税を大幅にアップすることをマスコミなど通じて国民に危機感を煽り立てて企んでいる。民主政治とは国家を食い物にする政治家と公務員を生み出す装置と言える。政治家が"よいデフレ"とか役人が"円高容認"するのは、大企業の分析から言えることであり、中小企業にとっては死活問題だ。二大政党になり、中小企業の保護を求める政党が存在しなくなったことを考えると、中小企業は税金などを支払う考えは捨てるべきであり、消費税のアップなどを認めるべきでない。日本を変えるには、年金や医療費を餌に己の利権を守るための施策には絶対反対を唱える必要があり、政治家と公務員の給与を景気変動指数に連動させることを主張すべきだ。

偉そうな貧乏人がいなくなった!!

ある雑誌を読んでいたら日本が駄目になったのは「偉そうな貧乏人がいなくなったからだ」と書かれていた。蓋し名言だと思った。逆説的には、日本人はお金を追い求めすぎて社会を駄目にしたと言いたいのだろう。確かに、政治家と官僚が国民を本音で馬鹿にする様になったのは、"偉そうな貧乏人"を見なくなったからであろうと思料される。政治家も役人も後ろめたい事をしていれば内心は忸怩たる思いに捉われるであろう。しかし、国民がお金でしか物事を評価しなくなり、「Give me money」になった現代社会においては、政治家も役人も国民に対して一生懸命働こうとする考えはなくなり、自己の利益の拡大に邁進するようになった。今の政治家や役人が平気で国民に対して嘘を言うのは国民を蔑視している証拠であり、国民の為に働く意欲など消えていると考えられる。国民は政治家や役人に対して怒っているが、その前に自分自身を見つめなおす事が重要だ。政治家や役人の姿は国民を写した鏡だ。私は別に豊かさを否定している訳ではない。努力して成功してお金を稼いで悪いわけがない。問題は、お金に執着しない人や金儲けの下手な人を蔑視する社会であってはならないと言うことである。現代社会はお金を持っていないだけで無能力とする風潮がある。逆に、金さえあれば無教養な人でも尊敬される時代である。この結果が現代日本の社会の縮図である。政治家や役人が一番怖いのは「偉そうな貧乏人」なのだ。明治の元勲の西郷隆盛が、「欲もなく、名誉も欲しくない人は始末に困る」と言った正に「偉そうな貧乏人」の存在なのである。より豊かになりたいために目指した顛末は今の社会だ。人は長生きすると視力が落ち、聴力が衰える。この現象は老人になってからは嫌な事を軽減する天が人に与えたプレゼントと思料する。自然に逆らっているから多くの問題を解決出来ないのであり、日本人は貧しかった時代を再度認識して豊かな社会に感謝することが未来の姿を描く事が出来きて平安を得られるのではないかと思うのである。
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