勘違いしている社会

新聞TVの報道を丸呑みしている国民が作る社会なのかもしれないが、本質的な問題を何等分かっていないので表面的な現象を変えただけで社会が変わることを主張する人が多い。相当なインテリゲンチャと呼ばれる人もその類である。尤も、分かっているが自分に関係ないために無責任に発言する人もいるのかもしれない。当社の建築設計業に関しても言えるが、殆んどの顧客が設計事務所の仕事は人件費だけを支払えば済むと考えている。このため、見積りに対しては単に人件費だけを考えて高い安いを決めて発注するケースもある。勿論、デザインを重視して発注先を決定していると言う反論もあるかもしれないが、そのデザインに対する表面的な評価だけでなく、施工における問題点などを認識して決めているかと言えばそれを判断できない人達が決めているのが現実である。では、勘違いしている社会では何が起きるのかと言えば、施工後の建物に早い段階で不具合が発生することである。設計事務所の様な物づくりを創造する会社は過去の経験によるノウハウを蓄積し、そのノウハウの切り売りといっても過言ではない。単なる人件費だけで評価される仕事ではないのである。なお、先のデザインを評価しているという反論に関しても、そのデザインを完成させる施工監理能力も又ノウハウの結集である。経験の浅い設計士は幾らデザイン能力が優れていても完成させる経験が不足していては完成後の建物に問題が生じるのである。昨今は全ての価値を金銭的なものに置き換えられているが、残念ながら設計事務所が蓄積したノウハウに関しては余り省みられていない。この様な勘違いしている社会の行く付く先には、補償問題から中・小企業は否定され大手企業しか評価されなくなる恐れがある。正に、信頼が壊れてゆく社会になりつつあり、信頼の変わりに保険の加入と言う不信社会ではますます物づくりが駄目になる。グローバル社会だから物の価格が安くなるし、そうしなければ生き残れないと言う短絡的な考え方が蔓延しているが、その前に良い物(本物)の価値観を再認識し、結果的に何れを選択した方が得かを先ず考えるべきである。そうでなければ、何のために苦労して築き上げてきた豊かさかを見失ってしまう。今の時代は、ダーゥインの「変化に対応できたものが生き残る」と言う説に偏った考え方が蔓延しているが、大木は変化しないことで生き残ってきたことを忘れてはならない。

管首相は故橋本元首相の二の舞か?

故橋本元首相は財務官僚に騙されて「消費税アップ」と「財政再建」を進めてデフレ経済を生じさせた元凶と言われている。本人も退任後に財務官僚に騙された事を後悔し、再度総理大臣に就任し汚名を雪ごうとしたが、それを恐れた財務官僚が小泉を支援したため、実現しないで終わった。ifを言うのは死んだ子供の齢を数えるが如くであるので今更仕方がないことだが、再度橋本が首相になっていればと思わざるを得ない。先日の新年会で頭が良い奴が誤った考え方を持つとそれが実現してしまうので怖いと言う話が出たが、正に財務官僚はその典型的な事例であろう。此度、財務官僚は管と言う歴史に名を残したいと考えている総理大臣を騙して財政再建を行なわせようと企んでいる。尤も、財務官僚は今の様な赤字国債を放置していては官僚の中の官僚の名声を失う事になるので必死なのであろう。しかし、机上の空論だけで経済の実務を経験した事がない今の財務官僚の頭ではグローバル経済で日本が生きてゆく知恵など出てくるわけがない。官僚の言葉遊びに篭絡されるてしまう政治家の馬鹿さもどうしようもないが、財務官僚に洗脳された馬鹿な小泉を支持した国民は救いようがない。管の場合は、消費税を大幅にアップして国民に社会保障を保証すれば安心して一時的に落ち込む消費も回復すると読んだ財政再建と景気回復の一石二鳥の作戦だろうが、この政策は地獄の一丁目になると考えられる。インフレ時代なら兎も角グローバル経済で価格に転嫁できない状況にあって消費税の大幅アップは子供でも分かる話である。戦前に井上準之助と言う日銀出身の大蔵大臣が金の自由化を行なって日本経済を駄目にした。井上の理論は正しかったらしいが、日本企業の実力やタイミングを誤ったために大恐慌を招いてしまった。その後に大蔵大臣に就任した高橋是清は井上とは逆の政策で虎口を脱した。高橋是清は学問馬鹿でなく実社会の経験を積んだ政治家であったので、理論に捉われない自由な発想が出来たと推察される。今の日本の官僚は正に学問馬鹿ばかりである。然も、言葉遊びで政治家や国民を愚弄する亡国の輩ばかりである。その上、実社会の経験薄い前原外務大臣などの類が有望視される政治家にも期待できない。政策を失敗した結果、多くの国民が自殺などに追い込まれているのだから、今後は政策を失敗した官僚や政治家は身の安全を保証してはならないのである。失敗した責任は命と引き換えにする環境が必要と考えられる。テロも必要悪と認識しなければ何も解決しない。

頭の良い人は考え方が凄い

昨夜の新年会は銀座のブッテックホテルのバーの個室で行なわれたが、一人の参加者はアブダビ・ドバイ・チェンマイ・シンガポール・バンコックを巡って帰国したばかりであった。彼は東大時代に司法試験に合格したほどの優秀な方なのだが、育ちが良いためかそれを鼻にかけたことはなく、私の様な凡才とも親しく会話に応じてくれる。この新年会は紅一点の女性が幹事役で開かれているもので、主たる目的はゴルフを楽しむ会である。皆忙しい人達なので幹事役の女性の苦労は並大抵ではない。今年の新年会を機に幹事役を降りると宣言していたらしいが、今回の新年会の参加者一同の説得により今年1年幹事役を無理やり引き受けさせられた。私もそのお願いする一人になってしまったので、今後は出来るだけコンペに参加をしないとペナルティを課せられそうだ。話は逸れてしまったが、先のアジア歴訪の出張から帰国した彼との会話で成る程と思い知らされた。彼曰く、頭が悪い奴は間違った考え方をしても実現しないから害を及ぼす事はないが、頭が良い奴が間違った考え方を持つと実現してしまうので怖い。私は今までこの様な考え方に到ったことがないので、流石に頭が良い人は考え方が違う事を思い知らされた。その点から言えば私がblogで色々と書いていることなど頭の良い人は安心して見ている事を思い知らされた。

どっちもどっち、あれこれ

広島の秋葉市長が次期市長選挙に出馬しないことを「you tube」だけで表明した事に対し、マスコミや一部マスコミに同調した者が批判しているが、マスコミにとっては死活問題に繋がるので必死なのだろうが、中立的に見て両者とも自己中としか思えない。勿論、マスコミも記者クラブ制度に甘んじているから今回の様な事が起きるのであろう。少なくても、マスコミが販売だけでなく、取材にも競争を持ち込めば何れかのメディアは秋葉市長の不出馬のニュースを得ることが出来たと推測される。秋葉市長からすればマスコミは発言全部を掲載せずに抜粋して論評するので市民に真実が伝わらないと考えて「you Tube」で発表したのであろうが、マスコミが指摘するとおり、高齢者社会でどの程度「you Tube」が見られたかは疑問である事は確かである。何れにしても現代は、マスメディは従来の様に報道手段を独占できた時代とは違うので発言の一部を抜粋して自分達に都合の良い記事に仕立てる報道は改めるべきと考える。この問題は古くは1970年代の佐藤栄作総理大臣の引退記者会見にまで遡る課題である。今は情報化の時代であり、一般の人達がマスメディア以外から情報を得られるのであるから、十年一日の如くの報道を改めなければ生き残れないと思われる。尤も、報道人の間には情報の時代こそ我々が正しい方向に導かなければならないと言う馬鹿げた思い上がりがあると言われるので無理かもしれない。勿論、社会部の記者で社会や企業の不正義を糾弾し続けた者がいた事は確かだが、それは昔の話だ。今の記者連中でその様な志を持った記者など皆無な事は報道記事を見れば分かる。何時の間にか記者はエリートになってしまい、一般人を見下す存在になってしまった。高給取りになると堕落するには公務員ばかりではなく、記者も同じらしい。人間的に最低な者がマスメディアに従事したり、首長になったり、議員になったり、企業の経営者になる時代なので仕方ないかもしれないが、それも日本国民が選択した道と思うと自業自得なのであろう。

真の改革を日本で実行するには外国人の総理大臣を雇うのがベストだ

歴史を学べば日本の国は帰化人と言う外来から来た多くの人達によって作られてきたことが分かる。日本が経済的文化的に停滞した時期を迎えているのは何時の時代も国内だけで処理した時である。戦国時代もスペイン、ポルトガルなどの交易と宣教師などから影響を受けて時代を変えたのである。明治維新も多くの分野でお雇い外国人を受け入れたために急速に近代化を図ることが出来たのである。それが昭和の時代にはお雇い外国人を止めて日本人に主導権を戻した途端、馬鹿げた軍事大国になり、アジア人の自覚を忘れ暴走して国家が破綻して敗戦した。第二次世界大戦後は米国の主導で国家の再生を図り経済大国となった。しかし、経済大国になり、日本人が自らの考えで国家を動かすようになった途端、バブル経済崩壊を迎え、長い経済の停滞に入ってしまった。日本と言う国づくりを進めた時には、中国や朝鮮から多くを学び、謙虚な日本人が存在した、国が発展を遂げた。歴史を足早に論評したが、その位でも日本人と言う種族は国内だけの知恵で問題を解決できた試がないのである。極論を言えば、日本人の総理大臣である限り、期待が出来ないと言う現実である。そう言えば、日産自動車もトップに外国人を頂いて危機を乗り越えているが、日産は断末魔で歴史的な選択をしたことが理解できる。勿論、外国人なら誰でも良いわけではない事はソニーが外国人のトップを頂いたものの、未だに経営改革に成功していないことで証明されている。このため、私欲がなく、日本を理想的な政治の実験場として考えられる人物を雇い入れる事が必要ではある。悲観的な見方を取り過ぎるかも知れないが、誰が総理大臣になっても歴史から見ると日本人だけで政治を続ける限り悪くなるだけと思われる。

ザッケローニ監督で教えられる指導者について

誰もが認識していることなのに積極的には認めたがらない監督と言う指導者に左右されるチームの能力。高校野球が一番監督の優劣が出るスポーツと思われる。勿論、監督としての開花は人によって異なり、大器晩成型の人もいる。私の出身地の茨城では現常総学園の木内監督が有名だが、彼は若いときから高校野球の監督に従事し、花が開いたのは遅咲きであったが、一度甲子園に出てからは甲子園の常連監督になった。長い年月の中で選手を育てる技術や才能がある選手との出会いがあったのだと推察できる。人と人との出会いから才能が開花したケース以外にも人と動物の出会いにもある事を知ったのは30年も前のことである。この出会いは競馬と言う競技なのだが、名馬と言われた地方競馬から上がってきたハイセイコーと言う馬と未だ一流にはなっていなかった吉永騎手の出会いである。吉永騎手がハイセイコーに競馬を教えられたことを雑誌記者に話した事を何かの雑誌で眼にしたのである。確か、木内監督も取手2高で甲子園に初出場を果たした時に言った言葉が、この生徒達であるなら甲子園に行けるかもしれないと思ったと言うものであった。翻って、サッカーがアジア1次予選を突破したニュースが流れていたが、ザッケローニ監督になってからサッカーの日本代表の選手は一皮剥けた様に思える。現日本代表に関しては前日本代表の岡田監督が鍛えてきたチームであり、ザッケローニ監督はその遺産を旨く使っているだけだとの風評も聞かれる。しかし、岡田監督も最初の日本代表監督のお粗末さからリーグの監督を歴任してワールドカップに出場し一定の成果を納める監督に成長したが、今のザッケローニ監督のレベルには到達していないと思うのは私一人であろうか。常勝を求められるイタリアサッカー界で多くの経験を有した結果が今のレベルに達したと思われ、選手もその凄さが分かるから付いていっていると推測できる。ハイセイコーと吉永騎手の出会いと同様に監督が間違っていれば選手は動かないのが自明である。選手が監督の指図に従うのは正しいからである。このことは何もスポーツの世界だけではない。ビジネスの社会でも同じである。正しくなければ人(動物)は付いてこない。

総務省の地方自冶制度の改悪こそ民主主義の否定

鹿児島県阿久根市の前竹原市長の騒動から総務省は首長の権限の縮小を考慮した制度に改悪する準備を進めている。総務省の見解では首長と議会が話し合いで物事を解決するために、首長の専権事項に歯止めを掛けることにしたらしいが、この様な改悪こそ民主主義を崩壊する事になる恐れがある。そもそも民主主義とは誰もが自由に色々な事が出来ることであり、それが厳密的には法律に抵触することであっても民になることであれば断行する事が出来ることである。もし、法律に抵触していると言うことならば法廷に持ち込んで争うのが民主主義の基本である。阿久根市で露呈したのは過半数の支持を得て当選した首長でも少数与党では何も出来ない現実である。総務省が制度を是正するなら首長の権限を縮小することではなく、現行では議会のリコールや専権決議でしか打開できない制度を簡単に民意を問える制度に改善する事である。この総務省の改悪に悪乗りしたのは読売新聞オンラインの記事である。記者クラブの弊害が出た御用記事そのもののであった。国家の経済が停滞し、格差社会の中で役人だけが高級を貪っている姿に国民は怒りを覚えているのである。地方都市の阿久根から火の手が上がったが、その火の手を危険視してマスコミを利用した官公庁労働組合、総務省は潰したのである。片山総務大臣など元は自冶省の役人である。身内可愛さで制度の改悪を進める姿は言語道断である。

消費税率引き上げで財政再建の誤魔化し

菅内閣は消費税率を大幅に引き上げて財政再建を目指すと言う財務官僚のシナリオに載った誤魔化しを行なう様だ。マスメディアは大幅な赤字国債が日本を破滅に向かわせると言った論調で不安を煽っているが、発行済みの国債など日銀が購入すれば良い話であり、然も他国と異なり国内で国債の90%を消化している現実からすれば海外の投機家による投売りでの価格の暴落の不安もないので、それ以前に行なわければならないのは、行政の無駄を無くす改革である。民主党の仕分け作業など何等の効果を生んでいないのに消費税率引き上げなど言語道断である。一般会計と特別会計の二本立ての予算構成を改革しなくて無駄はなくならない。また、産業構造に比例した省庁の規模縮小など行政改革の必要性は枚挙に暇がない。高給に甘んじた官僚が現状維持を企んだ結果が国民に必要以上に危機感を持たせて消費税率引き上げである。この暴挙を許したら子孫に顔向けが出来ない。徹底した行政改革後に消費税率の引き上げなら賛成なのである。今の予算仕組み自体が時代遅れになっており、必要な所に必要な資金が回る様な仕組みに変えるべきである。菅首相は他党の与謝野議員を招聘して消費税率引き上げを行なうとのことだが、自分の選挙のために自民党を離れ、更に大臣の椅子のために批判していた民主党に参加する日和見主義者に政治が出来るわけがない。祖先に作家の与謝野晶子がいるが、確か「君死にたもうなかれ」などの言葉で有名だが、子孫の与謝野馨には「君国民を売るなかれ」の言葉を捧げたい。本当に今の日本は菅首相も同様だが、政財官界とも地位に相応しくない人がその地位に就いている。豊かな社会になるとホンモノとニセモノの区別が付かなくなり、派手なスタンドプレーをするニセモノを評価してしまうと思われてならない。声を大にして言いたい。抜本的な行政改革なくして消費税率引き上げなど絶対に認めるべきでない。

笑顔

自然な笑顔ほど美しいものはないと思う。また、自然な笑顔は他者の心の安らぎとなる。昔と違って今の日本では営業用の作り笑いを除くと自然な笑顔を公共の場で見ることが少なくなった。朝の電車の中など不愉快になるほど仏頂面した顔ばかりである。勿論、人間は生きている限り常に何かしらの悩みを抱えているのが宿命だから無理に他人に笑顔を見せろとは言わないが、昔から「笑う門には福が来る」と言う諺もある位だから、笑顔が現状を変えてくれる効力があるのではないかと考える。多分、日本人に笑顔が少なくなった背景には長いデフレによる不景気も一因であるが、日本人特有の他力本願的な現状打破の考え方が根底にあるように思えてならない。尤も、全て自己の問題に帰結してしまうと生きてゆけなくなるからかもしれないが、多くの原因を自分の問題と捉えれば現代人の様な仏頂面した顔でなくなると思われる。勿論、笑顔の反対の怒りも必要なのだが、笑顔がなくなった背景には怒りの喪失もあるのかもしれない。多くの人が政治家や経済人に対して怒りを出す事は少なくなり、デモさえも少なくなった。しかし、現実社会を良く見ると怒りは消えたわけではないことに気付く。昔の怒りは社会悪などに対する怒りだったが、昨今は自己中心的な怒りが多くなったことが分かる。自己中心的な怒りは不正義な場合が多く、且つ理不尽となる。幾ら怒りと表裏一体が笑顔と言っても自己中心的な怒りは自然な笑顔を呼ぶ事はない。自然な笑顔を出せる人は他者に対する思いやりのある人で、心が豊かな人である。なぜ、笑顔について書いたかというと今朝通勤の途中で駅の売店の売り子さんの笑顔が自然で美しかったからである。毎日、通勤電車の中で仏頂面した顔を見てきているので、その笑顔で思わず心が和んだのであった。笑顔が笑顔の連鎖を呼ぶ。今の社会に最も必要なことだと思える。そう言えば、仏像の顔も微笑みである。

前原外相の北朝鮮交渉は危ない

前原外務大臣の周辺には高学歴の胡散臭い人物が多いが、今回の北朝鮮発言は北朝鮮が組みやすい相手として選んだ結果と推定できる。前原と言えば、民主党の党首を辞める事になった偽メール事件を思い出して仕舞う。尤も、多くの人はその教訓が生きるので今回は大丈夫と思うかもしれないが、先の偽メール事件などに惑わされる性格は先天的なものと思えるので容易に直らないと理解した方が無難だ。前原が外務大臣になったときに懸念したことは北朝鮮問題であった。前原の出身が京都であるので北朝鮮が接触するには好都合の相手だからだ。他のエリアと比べて京都には北朝鮮系の関係者などが多い。確かに前原の発言は拉致問題と絡めているので一見すると正当に思えるが、外相就任時に一切触れていない拉致問題を今の時期に発言することを分析すれば自ずと不可解さが理解できる。特に、前原は国土交通大臣の時に日航再建に係るデューデリジェンスで法外な費用(150億円)を支出するなど他者に洗脳されやすい性格と無能さを曝け出しているのである。今回まんまと北朝鮮の罠に陥って日本単独で交渉に乗り出すなどリスク以外なにものでもない。しかし、北朝鮮がそれだけ困っていることは事実なので本来ならば前原以外の人物が外相になってればと考えてしまう。今後行なわれる内閣改造で前原が外相から外れるのを期待したいが、管首相では無理であろう。

インフラ輸出の問題点

日本が公共事業等で蓄積したインフラにおけるノウハウを中進国などに輸出することは必要であると考えるが、問題は多額な資金の貸与と長期間に亘って資金を回収するノウハウや工事資金だけでなく構築したインフラに対する中長期的な修繕・メンテナンスの考え方が日本企業や行政にはないことである。一歩間違えば公共投資事業の海外化となり、国民に大きな負担を強いることになる可能性があることを肝に銘じるべきである。日本も過去にはインフラ整備に世界銀行の資金を使ったことがあるが、この時の資金導入に際しては将来の経済成長率などによる税収見込みなどを勘案していた筈だ。世界銀行は融資に際して新幹線建設の時には既存の東海道線を担保に取ったことを忘れてはならない。インフラ輸出には従来の借款供与とは異なる考えで望まないと、日本国家が国内の赤字国債以上に海外の資金供与で信用を毀損する可能性が高い。インフラ輸出に際して民間企業は政府の資金支援を求めるのは間違いなく、この展開には国内の公共事業と同様に政治家が介在し、一歩間違えば利権になりかねない要素を孕んでいる。日本の行政などは採算性を考えた公共投資を行なってきていないので、役人上がりのスタッフでインフラ輸出を推進したのでは失敗することは目に見えている。事業に対するフィージビリティスタディを厳しくしてなおかつ契約書に関しては日本式でなく欧米式の細かい条件で作成することは必須である。しかし、インフラ輸出には新聞などの外野が大騒ぎするので、行政は神風的に受注を目指すことになり、大きな禍根をのこすことになるのは目に見えている。何れにしても、インフラ輸出は経済成長で限界がある国内の需要をカバーする政策としては必要と考えるので、問題はインフラ輸出事業に対する厳正な審査を行なう第三機関を新たに作って対応する事が怪我を少なくする方法と考える。

IT社会の無責任さ

正月早々からオセチ騒動でグループポンが世間を賑わしている。今回の事件は単にグループポン問題ではなく、Webでの販売その物に問題があることを意味していると思われる。今回のおせちと言う正月に関係する際物であったために問題を大きくした感がある。しかし、ネット社会に潜んでいる詐欺紛いの商法が多発している現象に目を向ける必要がある事を投げかけている。この様な事件が起きるとネット社会に関係している人達が騒ぎすぎと警鐘するが、良く調べたら今回の事件と同様なグルパン会社の株主になっていた類に枚挙に暇がない。どうもネット社会に関係する人はパソコンのクリアによる全てご破算に出来る頭になっているらしく、信用と言う言葉の重みに言及することが皆無である。事件が起きたから謝罪やお金を返金すれば良いと言う論調が形成されているが、1年に一度のイベントを壊された人に対する思い遣りがひとつも感じられない。極論すれば、グルポンの半額セールに飛びついた者はリスクがあるのだから必要以上に同情することはないと言っているかもしれない。しかし、ネット社会が到来しているのにこの様な理解をすれば全てを駄目にする恐れがあることも気が付かないのは残念である。今回の事件に関しては、当事者の飲食店とグルポン会社に真相を聞かなければ分からないが、100食を人気があるからと500食に受注を増やしたことが原因と言われているが、幾らグルポンから言われても現場で消化できない量を受けるのは無責任極まりないことである。況してやグルポンの場合は、定価より大幅に価格を下げた利益がないのはもとより、広告宣伝費で原価を補填する意味合いのものであるので、後から大きな赤字に気が付くと言ったものではないはずである。それが同業者(フランス亭)が擁護したとあっては飲食業界が原価計算も出来ないいい加減な業界と疑惑の目で見られてしまう。尤も、昨今の飲食業界には素人の人達が進出しているので、厨房内の清掃も碌に出来ない店が多く、ゴキブリや鼠が徘徊しているのは日常茶判事である。何れにしても、今回のおせち事件はWeb販売の問題点を浮き彫りにしたもので、"信用"などを考えていないニセモノが横行していることの無責任さを改めて教えられた。

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