新型コロナで温暖化の原因が納得できる

新型コロナで世界中の経済の活動が停滞している。推測ではGDPが30%低下したと言われている。NYに住む友人が今年は寒さが早いと言ってきた。既に気温が10度に下がっているらしい。NYと日本の気候は関係ないと思われる人がいると思うが、NYからアジアへの気流が北朝鮮の白頭山にぶつかってアラスカ方面に流れており、この結果、NYと東京の温度が1か月遅れ位で似た様な気候現象となっている。コロナ以前でもNYと東京の気候の相関性が見られるのだが、今年の気温の早い低下で久し振りに「寒さ暑さも彼岸迄」の言葉の通りの展開になっている。特に、台風12号が9月ならば今回のケースでは上陸するのだが、逸れて太平洋で温帯低気圧になった。この結果を見ると丁度1か月位早い気圧配置なのかもしれない。勿論、急激な人口増も相まっての温暖化なので簡単には元の気候には戻らないと思われるが、新型コロナで世界中の経済活動が落ちた結果が早期の冬の到来となれば、温暖化に人口増や生産活動による二酸化炭素の排出が関係する事実に科学的根拠がないと言う人々も否定できまい。自然を壊したために新型コロナの感染症が生じたとすれば、自然には状態を戻す作用があると思われる。人間の科学と自然の揺り戻しの何れの力が強いかは今後の結果を見るしかないが、温暖化に対する対策を行わない限り自然はあらゆる手段で温暖化を是正する現象を生じさせて人類に被害を及ぼすと思われる。尤も、この様に書くと宗教に影響を受けているのかと言われそうだが、自然は人智の外にあり、感染症の問題は色々な事に気づかされる。

新型コロナで問われる公衆衛生を思う

公衆衛生の考え方は英国でコレラかペストが流行った時に制度化されたものと理解しているが、台湾では新型コロナウィルス対策で担当したのは日本の様に感染症の学者や医師ではなく公衆衛生部門のスタッフで、責任者は獣医学部や歯学部出身者であったと書かれている本を読んだ。丁度その時に、NY在住の友人が推薦してくれた新型コロナウィルスに関して書かれた本を読んだのだが、その主人公のコロナウィルス研究の世界的な権威者の日本人は北海道大学の獣医学部出身とのことだった。公衆衛生に携わる責任者やウィルス研究に邁進する人は医学部出身と思い込んでいたが、年齢を重ねて思い込みが激しくなったと反省した。尤も、日本で感染症対策で知られるのは医師で政治家であった後藤新平なのだが、そもそも公衆衛生に関しての知識不足が思い込みの原因と思った次第だ。翻って、日本の新型コロナウィルス対策の専門家委員会の人達は殆どが医師やウィルス研究者で構成されており、台湾とは構成が違うので、当然に対策も違っていると思われる。台湾は日本の植民地になるまでは疫病の島と呼ばれていたほど病原菌等が蔓延していた島であった。その島が衛生的に良くなったのは、後藤新平が8年の歳月を掛けて行った公衆衛生のインフラ構築であったのは周知の事実だ。その思想を生き返らせたのは、民進党の蔡政権であると推定される。台湾の新型コロナ対策にはITを駆使したのだが、効果の根底には国民総動員の考え方があり、実は日本人が戦後の台湾で貢献したもう一つの事実が蘇る。読む本をネットで渉猟していた時に旧日本軍人が蒋介石の要請で戦後の台湾軍組織化に協力していた本に興味を持ち読んだので、台湾の総動員の仕組みは日本が戦前に作っていたもののコピーと推定した。蒋介石はアメリカ軍の支援ではなく、旧日本軍の協力で台湾軍の統制を目論んで成功した様だ。この事実は秘密裏に進められたので長い間知られずに来た様だが、旧日本軍人の協力者のリーダーは岡村寧次と言うエリート軍人で、暗殺された永田鉄山と陸軍士官学校同期で、三羽烏と言われた一人であったことを以前に永田鉄山の本を読んで知っていたが、その人物が戦後の台湾軍の強化に協力していたとは世の中の不思議さを感じる。蒋介石が戦争終結時に中国に居た日本軍と日本人に対して「以徳報怨」を持って日本人を帰国させたことに感動した優秀な日本軍人達が参集したので、日本の自衛隊創設以上に旧日本軍の思想を継承した台湾軍が出来た様だ。話は脱線してしまったが、新型コロナに対する対策には公衆衛生の業務を担った人達の考え方が必要なのに、日本は違った方法で感染症の抑え込みを行っているので、大丈夫なのかと言う懸念を持った。勿論、日本は生魚を喰う国民なので、衛生的な考え方は無意識に持っており、生活様式も欧米と異なり、靴を脱いで部屋に入るので内部に病原菌を持ち込む確率は低い。この為か、政治家も官僚も国民の自発的な対応に甘えて対策に優柔不断さが目立っている。今回も習近平来日と東京オリンピック開催が迫っていたので、対応が後手後手になっている。それでも医療崩壊が起きずに済んだのは幸運しか言えないと思うが、安倍政権が経済優先で、その結果の高い支持率だったことも感染症対策に及び腰だったと思われる。後を継いだ菅政権が規制改革や中小企業改革を前面に打ち出して来たが、先人が作った公衆衛生の遺産で日本が安全安心な生活だったことを忘れて間違った改革を進めると痛いしっぺ返しにあう懸念を思わせる。国民は再度公衆衛生に目を向けるべきと思われる。

テレワークあれこれ

昨日、久しぶりに投資ファンドの経営者とランチミーティングを行った。その時に、色々な話題を話したのだが、一つにテレワークにも言及した。彼の会社でも在宅勤務を実施しているのだが、意見としてはAMの仕事はテレワークでも出来る事で一致したが、良く考えるとテレワークで物足りない業務やテレワークでは業務が出来ないものがAIの導入過程で残る業務と思われ、コロナ後はテレワークが進むというスタンスで居住などの移転計画すると失業することにもなりかねない。確かに、今後は多くの業務がAIに奪われる可能性があり、AIでは出来ない業務が人に求められると推測されるが、線引きは難しい。IT企業の経営者でも濃密な業務を推進するにはテレワークは不向きと断言しており、投資ファンドの経営者もテレワークでは議論の深まりは期待できないと言っていた。尤も、現在のWEB形式では議論の深まりは期待できないのかもしれないが、WEB会議が進化して脳と脳とが繋がる方法が生み出されれば違うのかもしれない。私自身はデジタルアートなるものに関心があり、その技術開発の経営者の発言などを読むと、デジタル以前は身体的拡張の時代であったが、デジタル時代は脳の拡張と捉えており、それをアートの表現に取り入れている。人は記憶と空間を身体的な動きで得ているので、デジタル時代の脳の拡張には、身体的な拡張の時の様な固定的受動的とは異なり、流動的能動的になる必要があると指摘している。デジタルアートには身体的な能動的な動きを加えることで、脳の拡張に対応できることとの理解を得た。デジタルアートを業務としている経営者の言葉は深く、西洋と比較すると日本など東洋は空間をテーマにした作品が多いと指摘しており、遠近法は西洋が開発したが、その一点集中による考え方は長く西洋の思考を左右したと指摘してる。日本は空間を描くことや空間をイメージする作品を作り上げてきたと解説している。なお、西欧ではピカソの出現で多視点の画法が生み出されたことにも言及し、現在のダイバーシティの評価に繋がっているとの思考の発展は面白かった。デジタル時代は脳の拡張との捉え方は多くの業務の中で理解できるものであり、人の脳とAIの境界に関しても今後は議論されると思われる。コロナの沈静には2~3年位掛かると想定されており、その間にDXの流れは見えて来ると思われる。

「日本を売る本当に悪いやつら」を読んで!!

佐高信氏と朝堂院大覚氏の二人の対話を書いた本で、信ぴょう性に関しては分からないが、朝堂院大覚氏に関しては、過去に一度会ったことがある。勿論、朝堂院大覚と名乗る前のナミレイと言う会社の会長の松浦良佑と言う名前の時で40年以上前になる。ナミレイは海外にも事業展開する冷蔵冷凍設備会社だったが、会った時の印象は裏社会の人物と見紛う雰囲気と取り巻きがいたことを記憶している。当時は専門誌の記者の時であり、中堅商社のプラント輸出の課長から中南米のニカラグア国の水力発電プラントの商談を聞いたときに当時の革命政府と繋がっている日本人、ナミレイの松浦良佑氏の名前を聞いた。その課長から松浦氏はどの様な人物か分かれば教えてほしいと依頼され、松浦氏に取材のアポを取った。私は戦後の日本に海外の革命政府と繋がり、プラント商談に影響がある人物に驚きと興味を持ったのは確かだ。しかし、当時の印象は余りよくなく、その数年後に高砂熱学工業の恐喝事件で逮捕された記事を見た位で、松浦氏に関しては忘却の彼方であった。その後数十年を経て偶然だが、知人の医師が投資詐欺にあい、その件で朝堂院を名乗る人物から経営するクリニックに電話があり、医師が驚いて私に電話が掛かってきたので調べた結果、朝堂院が松浦氏であることが分かった。実際には詐欺師が朝堂院を騙っただけのことで、朝堂院と名乗る人物から医師にその後に電話が来ることはなかった。表題の本を読んでニカラグアの件のことが書かれており、その繋がりは中東のパレスチナのアラファタ議長とのことで、ナミレイは中東に冷蔵設備のプラントを建設していたこともあり、彼が本の中で言ってることは真実もあると思った次第だ。佐高氏から色々な事件や裏社会の人物との交際を聞かれているが、知らないことは知らないと答えているので、本の中味は真実に近いものも大分あると推測した次第だ。裏社会の出来事は当事者でないと分からないし、事件が表面化しても真実に関してはメディアが報道したことを鵜呑みにする以外ないのが実情だ。人は地位や状況で変節するとの朝堂院の言葉には重みがある。新型コロナ危機の最中で、今後日本が進むべき道を委ねられる政治家がいないのは本当の日本の危機と思われる。二人の対談で日本の本当の危機はこれから来るとの予言を肝に銘じることが必要と思えた次第だ。

コロナ禍で思う「転依」の言葉

最近は手軽に何処でも読める電子版の書籍を購入しており、興味がある本でも電子書籍で販売していなければ購入しない状況が続いていた。しかし、それが折角の機会を与えてくれた情報に背を向けることになると漸く知った。今回2冊の本を購入した。1冊は建築に係る本で、もう1冊が表題の言葉が載っていた「宿無し弘文」と言う禅僧の本だ。アップル創業者のスチーブ・ジョブスは誰もが知る人物だが、そのジョブスに精神的面で大きな影響を与えた人物として乙川弘文と言う禅僧がいたのは周知の事実のようだが、私自身は知らなかった。曹洞宗の寺院の息子に生まれて子供の頃から仏門に親しみ、大学院では西洋と東洋の哲学も学び、比叡山永平寺のエリート修行僧として米国に渡った経歴はスチーブ・ジョブスの師として十分なる資質を見に付けていたのだが、本を読み進むうちに文化の違う欧米で禅を広める活動に際して正に「転依」しなければ信者に応えられなかった葛藤が書かれていた。スチーブ・ジョブスは養子であったことから親に捨てられた自分に対する葛藤があり、弘文禅僧に出会ったことで事業に邁進することとが出来た様だ。翻って、科学技術がが発達した現代で起きた世界的な新型コロナウィルス感染症に多くの人は羅針盤を失い、人によっては隠れていたエゴが表出化した。正にカミユの世界の不条理の出現だ。人はこの様な時にどの様に振舞うかで真価が問われるのだが、私も含めて多くの凡人は先が見えない状況の中で冷静さを保つのは難しい。新型コロナウィルスの出現でニューノーマルなる言葉が出てきたが、宿無し弘文の本を読んでニューノーマルに対応するには人々に「転依」を求めていることかと考えた次第だ。弘文禅僧の場合は余りにも違う文化の中で禅の教えを広めるために「転依」を選択したのだが、ニューノーマル出現は否応なしに人々に「転依」を強いるものなので簡単には人々に浸透しない様に思われる。西洋には絶対的な神が存在する社会だが、東洋思想に関しては絶対的な神ではなく、誰もが悟りを得れば救われる社会だ。新型コロナウィルスの出現で何れが優位かを論じる考えはないが、「転依」は自らを変えることで達成する境地なので、私的には「転依」に興味がある。勿論、「転依」が新型コロナウィルスにり患しないのではないので、飽くまでも心の問題と言える。「転依」が全てを解決しないことは弘文が酒を煽っていた事実からも物語っているが、少なくても感染症の恐怖を克服するのには有効と思われる。この様に書くと、未熟なお前が「転依」出来るのかと言われそうだ。

自然の振り子の行方

東日本大震災時には"絆"が再考され、希薄な人間関係の見直しが進んだ。しかし、今回の新型コロナウィルスは正に真逆な一言で表現するならば"離"を促している。勿論、多くの人は孤独な環境に耐えられないので、一部の人以外は孤独感に耐えきれずに感染症の脅威を他人事に転嫁しての行動を取るようになる。マスコミや政治家によって新型コロナウィルスに関しては必要以上の恐怖感を煽れたが、実際には高齢者や持病を有する人以外には感染しても重症化にならないことが分かり、特に若者に関しては従来の風邪程度で済むことが分かって来て緊張感が解けてきている。世界全体でも致死率は4.5%なので、近代医学からいえば大きな数字なのだろうが、1000人り患して45人が死ぬ確立は小さくないが、この数字を年齢や持病や不健康な生活などの要素を除くと致死率は大きく下がり、1000人のり患で1.5人と推定されるので、自分は大丈夫と誤解する可能性がある。確率は平等なので自分が1.5人に入る可能性は同じということだ。聞くところによれば、今回の新型コロナウィルスは変異が激しく、ワクチンが開発されても一部しか効果がないとのことなので、終息するには時間が掛かると推定される。この為、その様な状況の中では忍耐が必要となり、乗り切るためには強い意志と女神のほほ笑みと言う運も関係してくると思われる。政府の非常事態宣言が出て行動に制限を受けていたので、読書が進んだのだが、その中で南極で遭難して無事に帰還した「エンデュアランス」のタイトルの本を読んだ。全員が帰還できたのはリーダーのシャクルトンの冷静な判断であることが分かったが、そこには人知では考えられない自然の振り子に翻弄されても凌いだ精神力が書かれていた。この本の翻訳出版に繋がった日本人の写真家の方が極寒のアラスカでテントを張って寒さに耐えながら撮影した絶景のオーロラのことにも触れていたが、その後に再度北極エリアでの写真撮影の時にクマに襲われて亡くなったことが書かれていた。この為、写真家は本の出版を知らずに亡くなった。人の運命は不思議としか言いようがない。幸運は何度もはないことは確かだ。南極からの遭難中に一番読まれた本は料理の本だそうだ。食が人に希望を与えるのかもしれない。そうすると、今回の感染症の長期の戦いで一番重要なのは食であると思われる。確かに、旨い料理を口にすると微笑みがでる。飲食店の感染を恐れるあまり、不味い物を食うことは絶望に繋がると思料する。感染症を恐れずに旨いものを食べに飲食店に入ることも必要な様だ。

新型コロナと建築

新型コロナウィルスの感染症で建築物に対する考え方も変わることは間違いない。既存建物の場合には改修工事で行うには限界があるので仕方がないが、新築については建築基準法の改正を待たずに出来ることを行うことになる。感染症に対する建築物については、「非接触スイッチ」、「抗ウィルス建材」、「外気取入れ」などが感染症対策として取り上げられている。歴史的に感染症の流行があり、それを踏まえた建築基準であるかと言えば、西洋近代における建築物には反映されていないように思える。ここで西洋近代と指摘したのは、日本家屋を考えると、少なくても「外気取入れ」に関しては十分配慮されてる。西洋近代の建築物は"剛"の発想だが、日本の建築物は"柔"と言える。日本家屋は基礎は石の上に柱を乗せたもので地震の力を逸らす技術であった。しかし、西洋近代は、固定して地震の力に抗する技術なので、現代の日本の建物も基本的(免振工法以外)には抗する技術で作られてる。西洋近代の技術からいえば日本家屋は壁が少ないので弱いと指摘されているが、基礎工法を変えたのでは整合性が取れる訳がない。外気取入れに関しては古来の日本家屋は抜群の環境にある。梅雨や夏季の時期を考えての工夫かもしれないが、反面冬季には厳しい造りではある。明治維新以降、西洋近代に倣って日本式を否定したが、台風、集中豪雨、地震、火山、感染症を考えると、再度日本式の考え方で建築物を考えても良いかと思料する。新型コロナと共生することが強いられるならば、正に日本の文化は共生の思想が根底にあると思われる。自然を壊したツケが新型コロナウィルスの出現なので、自然を見つめることが解決に近くづくのではないかと考える。

新型コロナウィルス非常事態宣言下で渉猟した本

とある雑誌に東京大震災時に逓信大臣の犬養毅が役人の部下に「非常時には非常時の対応をする。責任は自分が取る。」と言ったことが書かれていたので、改めて小説スタイルで書かれた犬養毅伝(狼の義)を読んだ。西南戦争に従軍記者として戦線を視察し、西郷隆盛の人物を評価し、その後政治家となり中国の革命家孫文を支援するなど現代の政治家にはないスケールの大きさと5.15事件で暗殺されたことがその後の日本と中国の将来を変えたのは事実のようだ。その本の中で犬養毅の盟友となる小島一雄なる人物がを知り、その回想記「一老政治家の回想」を読んだ。戦後政治の吉田茂を登場させた人であることが分かり、人の繋がりに運命の不思議さを感じた。更に、経済人の推薦書にあった「大本営参謀の情報戦記(堀栄三)」を読んで、私が理解していた軍人の歴史の人物像と実際は大分違うことが分かり、その本に書かれていた「ペリリュー島玉砕(早坂隆)」の連隊が私の故郷の水戸連隊(第二連隊)であったので興味を惹かれてページを括った。連隊長は熊本出身の人で、優れた指揮官であったことに感銘を受けた。それらの本に永田鉄山の名前が取り上げられ、永田が生きていたら太平洋戦争は止められたと書かれていたのと鉄山に関しては父が兄に付けた名前だったので、遅ればせながら「永田鉄山 昭和陸軍 運命の男(早坂隆)」で永田鉄山が書かれた本を初めて読んだ。話が逸れるが、兄は鉄山で私が博文という名を父が名付けたが、母は二人とも暗殺された人物の名前なので縁起が悪いと言っていたことを思い出した。兄は旧漢字の鐵山の名前だったので改名したが、私は父がつけた名前のままだ。父の生前に名付けた理由を聞かないでしまったが、二人とも父の期待に応えられない親不幸者であることは確かだ。犬養毅、永田鉄山と暗殺が日本を中国大陸の戦争激化と太平洋戦争を導いたことを考えると根底には大衆の愚が見え隠れする。今回の感染症では余りにも政治家が小粒で官僚の発想の域を出ていないことと当時は存在しなかった情報化の時代での誤った情報で混乱し、自粛警察なる戦前の隣組の出現には変わらない大衆の愚の危険性を感じた次第だ。この為、戦前に日本が間違った方向に行った原因を改めて読書により求めるのは、コロナ後の社会の方向性を考えるのに役に立つと思った次第だ。

新型コロナウィルスのパンデミックで加速する社会の変化

今年の干支「庚子」は新しい変化の始まりを意味しているようですが、正に新型コロナウィルスのパンデミックは社会の変化を加速するのは間違いないと思われます。尤も、新しい変化の始まりは継続の否定ではなく、現状から生まれ出る変化ですので、どのような変化かは若い人たちを観察すれば見えてくると思料します。時間軸が早くなったのはコンピューターが小型化し、その能力が向上したことからであり、ドックイヤーがキャッツイヤーになり、今が?イヤーと表現するほど短くなっています。特に、最近の若い人は"瞬"と言う表現を好むらしく、動画も短い時間ほど人気があり、かつ視覚的に理解できることを好む様です。私の学生時代にマクルーハンと言う学者が文字から映像の時代になることを予言していましたが、その映像に時間が加わったのが今の社会かもしれません。読んだ本でネット社会は過去と現在の区別がない状態と指摘し、流行の概念も変化する一つかもしれません。10代から20代の若い世代はゲームをする者が多いと言われ、その延長で物事を考えるのですべてにスピード感を求められることと途中でシナリオやタイトルを変更して対応することが必要となるようです。今回の新型コロナウィルスで企業がテレワーク、リモートオフィス、サテライトでの仕事に切り替えて感染に対する接触減少に努めましたが、日本は天変地異の発生率も大きいので、政府の唱える労働改革が違った面で推進されると思われます。勤務インフラが変われば、それに伴って多くの関連事項が消滅したり、増加したりすることになります。飲み会なども店に集まってすることが当たり前であったのに今回の感染症では、各自が別な場所でネットを通して飲み会を開いたのを契機に離れた場所で飲み会を開催することも出て来る変化もありそうです。今回の緊急事態宣言以前にバーテンダーをバーチャル化した店が出てきていますが、ロボットアームなどの活用により、バーテンダーが遠隔操作でお客を相手にする店も増えるかもししれません。学校教育はface to face からZOOMなどを利用しての講義になり、チャットの併用で講義と質問を行えば、教室が不要になります。勿論、バーチャルやリモートでは出来ない職種もありますので、どの位変化するかは予測が難しいことと、問題はテレワークで分かった労働基準法による時間的な制約や日本の家屋の狭さも今後は問題となってくると思われます。何れにしても、今回の新型コロナウィルスの問題は社会の仕組みを大きく変えることは間違いなく、今後の動きには目が離せない。

コロナウイルスで海外帰国者に対する無責任な対応

SNS情報など間違った情報が多いので本件も確認して書いている訳ではないことを了承いただきたいが、本当ならばこの国の為政者の姿勢が疑われる問題だ。私が目にした記事の内容は、コロナウィルスの感染が分かってる国からの帰国者に対して14日間の隔離対応を求めているが、その隔離対応に対しては帰国者任せで何らの便宜も費用もなく、自己対応とのことだが、中国の武漢から帰国した人達の対応を見ていたので真坂と思った次第だ。休校中にスペインに家族旅行した人が感染していた報道があり、隔離を守らないで沖縄に帰ったとんでもない家族と思ったが、休校中にとの問題を除けば分からないでもないと思った次第だ。隔離の問題は、帰国した人の降りた空港と自宅との関係を考慮していない為と推定される。しかし、地方からの海外旅行に関しては、海外便の地方航空の発着率が増加したとはいえ、多くがハブ空港に来てから海外に出るので、帰国も同様にハブ空港から地方航空に乗り継ぐか電車を利用して自宅に帰ることになる。問題は降りた国際空港から自宅が遠い時だ。2週間泊まれる宿泊施設が用意されていないとコロナ感染の有無が分からない人を宿泊させてくれるかどうかだ。旅行客が減少したので、ホテルや旅館は困ってるので安く泊まれる位の想像力で自費負担や自前で止まる場所を探すことで良いと決まったと推定される。幾らお客が少ないと言ってもコレラ感染の疑いがあれば、従業員の感染の可能性もあり、面倒なことになるので、資金の余裕があれば受けいれないのが本音だ。首都封鎖も放置した責任が問われることや補償などの金の問題で決断できないでいる。封鎖をすれば経済に打撃となると言っているが、既に経済に打撃となっている。今更打撃などふざけるなと言いたい。尤も、コロナ騒ぎに桜見の会を開く女を妻にした位の首相だから危機感はないのか。効果の少ない洗えるマスクの配布など時代錯誤の頭には呆れる。友人がメールで安倍政権の支持者だが、今回のコロナ対応を見て自分の家族は自分で守るしかないと言ってきた。政治家は経営者以上に決断が出来なければ最悪だ。その最悪を今見ていると思うと情けなくなる。

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