独立行政法人はいらない!

驚いたTVニュースが流れた。埼玉県所沢市に所在する防衛医科大学病院が独立採算制の行政法人になるので不採算部門の産婦人科・救急医療などを廃止してしまう計画を進めているとの事であった。この様な病院なら要らないと言うべきであろう。この病院関係者は全く独立行政法人化を進めている基本的な考えを理解していないと思われる。多分、他の独立行政法人も同様な理解の仕方かもいしれないと思うと情けないほど日本と言う国は駄目になった様だ。独立行政法人化の目的は官にもコスト意識を持った運営を行わせようとのことであり、従来の親方日の丸意識の改善と考える。それが今回の防衛医科大学病院の対応の仕方を見ると、自分達の雇用しか考えていないことが良く分かる。そうであるならば、独立行政法人などにしないで完全なる民間病院とすべきである。職員を食わすために税金を投入されたのでは話にならない。江戸時代の上杉鷹山の言葉「なせば成る為さねば成らぬ何事も成らぬは人の為さぬなりけり」の通り、国民のために何もやる気がない職員ばかりが集った職場と言える。独立行政法人に変えたから行政改革が進んだと考える国会議員は馬鹿ばかりと言える。行政サービスを低下させるだけの独立行政法人化など言語道断である。

博打経済の末路と今後

本来の博打は胴元が負けない様に仕組まれている。一番良く分かるのは公営ギャンブルである競馬であろう。最初から胴元分(国)取り分約25%が引かれており、馬券を購入した者が受けられる配当資源は約75%である。単純に考えると100円投資で75円しか戻らないのである。理屈が分かればギャンブルなど遣らないのだが、今回の金融危機の不可解さはCDS(クレジット・デフォルト・スワップ)と言う金融商品の引き受け手である胴元の保険会社AIGまでも危機に陥ったと言えば分かり易い。世界的な投資ファンドを動かして多大な利益を上げたソロスによれば、今回の金融危機は金融工学を駆使してもリスクの計量化は出来ないと言う事を知らしめたとのことである。しかし、良く考えれば、人口30万人足らずのアイスランドと言う国の銀行が発行した何百億円もの債権をデフォルトの不安なく購入したのは格付けの信頼性とCDSと言う保険が存在したために成立していたと思える。不思議と思えるのは誰も疑いもなく金融化商品を信じて購入したことであるが、これは先に述べた手品の種があったということと、世界的に実体経済と懸離れた金融の過剰流動性の問題に帰結している。確かに、今回の金融危機で世界中で株価や資源価格の大幅な下落が続き、何百兆ドルもの資産が消失したと言われているが、この過剰流動性を起こした種銭の過剰さは消失した訳ではないので、機会を見て再度有利な投資先に対して動き出すことは疑いのないことである。良く考えると分かることだが、資本主義の成立過程で分かる様に投資とは元本の保証のないギャンブルなのである。特に、昨今は投資先が少ないのに金融が過剰なために預金金利が低いのであるから、高い配当を得るにはリスクを取る心構えが必要なのである。新しい技術開発に資金は必要だし、環境保全に対する代替エネルギーの投資や暖冬化の影響による食糧難に対するバイオ開発などに対する資金などの資金需要は今後増えてくると思われ、この様な資金はギャンブル投資と考えれば間違いはない。そして投資する場合の重要な事は、投資先の会社などが行っている事業と経営者のキャリアを十分に確認することである。

IT社会が生み出した総アマチュア化の危険性

今のIT社会は総て分野で過去のデータに対する確率統計的な手法による分析結果によって判断・決定がなされている。この世界では人間の曖昧な記憶による経験など信用されていない。このIT化が企業の年功序列制度を壊し、多くの若い人たちが高い役職と高給を得ている。確かに、現代の世の中は何かアクションを起こすと類似例から次の行動や興味に対する分析がなされて有効な提案が何処からともなく舞い込む。この手法は特に物販などで有効な手法であろうと思われるが、所詮は類似例からの推測であるので例外に対する配慮はなく、全く期待しない勧誘が続く事がある。これに対しても何回か続けて反応がない場合のアイテムをシステムにデータ化していれば、最初の情報はクリアされるので長く不愉快なセールスを受けることはないのかもしれない。この様なITの高度化は人間の曖昧な経験や勘に頼るのではなく、然も専門家を育てる時間と手間が必要なくて便利とは思える。しかし、私はこの様な高度IT化は業種によっては金太郎飴の社会を構築し、様々なリスクに対して懸念すべき落とし穴があるように思える。この良い事例としては、日本の不動産業界に起きたミニバブルであろう。日本の不動産業界は金融危機が起きなくても仮想需要の崩壊によって混乱したと思われる。顕著なのは金太郎飴現象とも言うべき何処の不動産会社も同じ事を目指して走ったことである。これはIT社会が生み出した典型的な総アマチュア化の現象と思える。実務は経験を通してしか学べない。特に物づくりの世界は経験の継承が必要な世界であり、経験者を疎かにした会社は今は隆盛でも最終的には没落するであろう。

何も遣っていない政治家と思考停止の官僚

病院を盥回しされた妊婦の死亡事件は、政治家が多くの給与を得ていながら何も行ってはいない証と、縦割り行政の中で思考停止に陥っている官僚の見事な図式である。先ず、公国立大学の医学部を管理している文部省は産婦人科医の不足の予測に対して何の手を打ってきたのか。また、厚生労働省は産婦人科医不足の予測の中で逆に安全を理由に産婆制度を実質的に崩壊させた責任は重い。納税者として公国立の医学部出身の卒業生を地域医療に貢献させないで、然も偏った学科専攻をや自由にさせている制度を取り続けるならば公国立に医学部などいらない。世の中には美容整形の医者が多すぎる一方、産婦人科医が不足しているなど教育行政に大きな誤りがあることは直ぐに分かる。しかし、マスメディアも明確に指摘しないのは何故か。憲法問題を盾に言い訳をするなら、政治家も役人もいらない。個人レベルでも地方医療や社会に貢献したくない医者の卵は私大の医学部で学ぶべきである。私大での医者に対しては教育費の自己負担比率が高いので苦情は言わない。一方、公国立大学の医学生は多額の教育費を納税者から得ているのである。国民に恩返しをする義務があるのである。少なくても一定期間は国の指定する医療現場に従事する義務を設けるべきである。また、文部科学省は不足している医師の専門を専攻する受験生を優先する様に大学に指導すべきである。縦割り行政やそこまで指導できないと言うならば役人の人数を大幅に減らすべきである。働いている振りをしている役人はいらない。また、本当に政治家は与党も野党も何百人もいるのに何もやっていないのには驚く。今度の衆議院選挙では何をやるのかでなく何を行ってきたのかで選ぶべきである。これまで出来なかったのに今後出来る保証などないのだから、その様な嘘を言う政治家を選ぶべきでない。

欧米諸国が一番恐れている事!

日本国内の不動産に対する金融規制による価格下落と株式市場の大幅な下落は何を意味するのか。世界中が日本は世界で最もサブプライム問題に対して被害を受けてない国との認識で一致している。尤も、農林中央金庫の様な例外はあるが。それなのに、株式市場の大幅な下落と不動産に対する金融規制は何故なのか。有識者は、ファンドが投資家から資金の返還を求められたので、株式や不動産が現金化するために売られていると得意顔で説明するであろう。しかし、本当に全部がその理由なのであろうか。穿った見方をすれば、欧米がサブプライム問題で金融危機に対処しなければならず、この事が企業の経営にも影響して経済が落ち込むとすれば何を恐れるかである。答えは簡単である。日本企業の欧米有力企業の買収である。今回の金融混乱でもなかなか円高にならなかったが、漸く急激なユーロー安と円高が始まった。これは日本企業の脅威がなくなったと見たからではないか。日本のマスメディアは連日連夜不動産大幅下落の大合唱である。笑いが止まらないのは欧米諸国であろう。今回の大恐慌時に匹敵する世界的な金融混乱とその後の経済不況を乗り切るには欧米有力企業の買収である事が分からないほど日本の金融界も財界にも人がいなくなった。日本から富を削ぐために米国はアフガン問題などで日本に多額の拠出金を強請するであろう。これに抗することが出来る政治家は残念ながら今の日本には見当たらない。今回の欧米の金融危機の千載一遇のチャンスを逃す日本は世界から馬鹿にされるだけである。

金融危機後の世界経済

日本の新聞は米国の景気が相当悪くなっているかの様に書いているが、多くの州で未だ不況感はない。不動産価格にしてもサブプライム問題で住宅地は下がっているが、ホテルやオフィスビルなどは大きく値下がりしている訳ではない。日本のバブル経済崩壊時を思い出せば分かるが、受注残を抱えているので2年間位は大幅な不況には陥らないのが現実である。問題は、その間に資産デフレが生じないように経済対策を打ち出させるかどうかで決まる。ご存知の通り、日本では最悪のシナリオであったために資産デフレの罠に陥って失われた10年となったのである。今回の金融危機で問題なのは米国より欧州であろう。通貨統合のために自国通貨の切り下げによる景気対策が打ち出せないので、金融に対する資本注入後の対策が見えてこない。米国の場合、サブプライム問題による住宅地の価格が大幅に下がって消費の減少による景気後退は避けられないが、今回の金融危機で分かった事は、欧州は張子の虎であり、米国が世界経済の中心である事に変わりがないということである。今回の金融危機で世界中で多額の投資資金が損失した様な報道をマスコミが行っているが、この損失は飽くまでペーパー上の損失で、投資家の投資資金の多くは債券市場や現金化されて避難しているのである。世界中に過剰にばら撒かれたドル紙幣が減った訳ではないのである。ドルの過剰流動性が消失したわけではないので、今回の金融危機後の世界経済の回復は現在評論されている様な悲観的なものではないと考えられる。尤も、今回の金融危機を招いたのはリスクを避ける保証商品のリスク管理が杜撰であったことにあるので、当然に金融商品に対する新たな枠組みの構築が必要であり、その成果を見届ける必要はある。また、欧州がECの拡大と通貨統合で自信を深めて米国離れが進んでいた時に起きた金融危機は、ユーロー通貨の暴落を招いているが、この通貨暴落は欧州の今後の景気回復にどの様に影響するのか見守る必要がある。日本は円高傾向にあるが、この円高については輸出の減少と言う側面だけで悲観的に見るのではなく、通貨の強さは国民にとっては必ずしも悪い事ではないので、冷静に円高メリットを考えて行動すべきと思える。

日本経済新聞の恐れ入ったコラム

10月21日(火)の日経の夕刊にコラムと言えるかどうか分からないが、1面の「波音」に"金解禁と日雇い派遣"について書かれた記事を見た。内容は日本が大恐慌時に誤った金解禁でデフレを引き起こしたが、日雇い派遣法の規制も今回の金融危機に際して同様の間違いとなる可能性があると言うものであった。記事は実名でなく「都」なるものが書いたと無記名だが、この作者の見識には恐れ入った。企業利益(=株主利益増大)のために導入した無茶な日雇い派遣がどれだけ社会に悪影響を齎したかこの記者は認識がないようだ。人件費が高くて成り立たない工場は既に海外に移転しているのではないか。企業に必要以上に利益をもたらす日雇い派遣は金融資本主義の最たるもので、内需にシフトしなければ限界に来ている日本経済の消費を減少させている大きな要因になっていることも分からないのであろうか。多分知った上で暴言を吐いているのだと推測する。日本経済新聞はもともと業界新聞である。記事の大半が企業と官庁の発表記事で構成されており、発表者を代弁している新聞である。特に、海外の記事は専ら海外の新聞記事を翻訳しているだけであるのは自明である。この様な企業、官庁や政治家の言う事を無批判的に代弁している業界新聞が何故評価されているのか分からない。尤も、企業経営者や上司に若い社員は日経を読むように勧められるとの事だが、この新聞を読んだ社員が多い企業ほど今回の金融危機に翻弄されているのではないか。輸出と内需のバランスの取れた社会を作るために構造改革があるのであり、日雇い派遣社員を使わないと成り立たない建設業や農業に認めていない制度など初めから間違った政策なのである。金融資本主義の手先になって亡国の宣伝紙になっている日経などは読まないのに限る。

国民に対する国家の振込み詐欺に加担したマスメディアの責任は重い

日本の構造改革と金融資本主義を混同させて必要以上の格差社会を作り出し、地方を疲弊させたマスメディアの責任は重い。小さな政府を実現するために金融資本主義を必要とする理論は間違いである。金融資本主義は、従来の企業利益の配当を労働者に多く還元してきたのを止めて株主に多く還元すべきだとの考えである。勿論、この株主に対する優遇は日本国内に眠っている多額の資金を投資に向けさせて会社の新規上場を促す事によって経済の活性化に繋げようとする理論である。いわゆる、資産の流動化を国家が企てマスメディアがそれを指示したのである。その金融資本主義が米国のサブプライム問題に端を発した金融危機によって脆くも破綻したのである。日本における金融資本主義とは、国富が失われる政策である。20年前から既に内需喚起による経済成長の必要性が指摘されていた訳だが、内需喚起の方法論において国家は大きな誤りを繰り返してきている。小さな政府と規制緩和は必要なことであるが、農業を犠牲にして輸出優先した様にグローバル経済の御旗のもとに格差社会を生み出し、地方経済を疲弊させて逆に景気の足を引っ張る様な政策を進めてきたのである。日本の経済の強さは国民の80%が中流意識を持つ消費力だったのに、金融資本主義を導入してその仕組みを壊してしまったのである。日本は江戸時代に内需方式の経済を行っているのである。何も外国に内需主体の経済構造を求める必要はないのである。江戸時時代には「御伊勢参り」が盛んであったが、これは内需喚起の最たるものであったのである。今回の金融危機にECの通貨統合が役に立たないのが分かり、又投資ファンドが資源・食糧の価格を急激に上昇させるなど多くのことを学んだのに未だグローバル経済や日本から更に国富が流失する似非改革をマスメディアは叫んでいる。国民に対する国家の振込み詐欺をマスメディアが支援しているのである。人生を間違わないで生きるにはマスメディアを信用せず、常に疑いを持って掛かることが必要である事を認識すべきである。古来より、書物を無批判に読むことは「百害あって一利なし」と言われている。マスメディアの情報が全部間違いとは言わないが、常に書かれた意図を考えて読む姿勢が国を良くする道と思える。

社会保険に係る年金の問題に対する認識

大企業に勤務していた方は分からないことだが、社会保険事務所がリードして経営不振に陥っている会社の社員給料を改竄して厚生年金に対する納付額を減額させた行為については思い当たる事がある。勿論、ここ十数年の事ではないので、発表された改竄行為が社会保険事務所が徴収を競う合うようになった事についてではない。1980年頃に小企業が社会保険に加入する場合には厳しい審査があったことを思い出したのである。会社が加入申請を提出すると、社会保険事務所の職員が日時を指定して面接に訪れ、会社の業績や支払能力などの情報を聴取して後日加入に対する結果を伝えてきた。このため、この時代には多くの小企業の社員は国民保険の加入であったと記憶している。飽くまでも推測だが、社会保険事務所の職員が、会社の業績が悪化し、社会保険料を滞納している会社を訪れて給料の改竄を勧めたのは悪意からであったとは考えられない。勿論、社員に対して説明しないで勝手に経営者と社会保険事務所の職員が給料を改竄した行為は許されたものではない。私が言いたいのは、この様な業績不振の会社に対しては、1980年頃は社会保険事務所では事務的に脱退勧告を通告していた様に記憶していたからである。給料を減らされた方々の憤りは分かるが、本当に改竄行為を知らなかったのだろうかと言う疑問も起きてくる。何時頃から、脱退勧告の代わりに給料を改竄してまで業績不振の会社に対して社会保険を加入させ続けたのか不思議である。多分、給料改竄の積極的行為はバブル経済崩壊後から常態化したのではないかと思う。社会保険事務所の職員を擁護する分けではないが、母が亡父の遺族年金を受給するときに職員の方が親切に当方で知らなかった部分まで調査して頂いて受取額が増えた事を覚えているからである。当初の給料改竄行為は悪意でなく、会社の業績回復を前提に一時的な温情措置だったのではないかと思う。それが何時の間にかバブル経済崩壊後の保険料の滞納増加に伴って徴収成績の目的化に転化していったと考えると理解しやすい。ちなみに、コンピュータ化に伴うデータの取り使いや喪失などは、重要な仕事なのを理解しないキャリアのアナログ幹部が能力が低い職員を配置した結果起きた事件と考える。事件の背景を調査して記録に残さないと同じような馬鹿げたことが将来に別なところで起きることを国民は考えるべきである。

 

羅針盤を失った日本社会?

日本と言う国家は創設以降、海外の知識を吸収して障害を乗り越えてきた。特に近代以降の明治維新後はそれが顕著であったと思う。総ての答えを先進国に求め続けてきたのである。第二次世界大戦後は、米国を追従すれば全て解決してきたので、政治家も官僚も独創的な考えの持ち主は排除され、親米一辺倒の人達が主導権を握ってきた。この現象は何も国家だけでなく企業も同様であった。総ての行動規範のルーツを先進国に求め、日本文化の尊重は二の次であった。勿論、庶民のレベルでは日本と言う個性は残り続けてきたが、バブル経済崩壊後それに続く金融資本主義のグローバル経済の導入によって庶民レベルの規範さえ失ってしまった。政治家も官僚も大企業の経営者も今回の様な世界的な金融混乱に対して羅針盤を失ったかの様に翻弄され続けている。日本の未来を米国に依存しすぎた弊害が出てきた。この事は、40年以上前にインドのパール判事が警告していた。未来に対する全ての答えは過去にあると言う言葉がある。頭だけが良くて地位を得た似非エリートの作った社会が日本及び日本人を駄目にした。庶民レベルから日本と言う国を改めて造り上げる時代が到来したと考える。先ず、自分の生まれ育った所や今生活している地域を大切にし、且つそこに住んでいる人々に優しさを持つことから始めれば良いと思う、それが大きなウェーブになって日本全体が暮らしやすい場所になるのである。年金を多く貰う事ばかり考えるのではなく、年金が少なくても過ごせる社会を目指すことが重要な事に気づくべきである。

日本における不動産開発の貧困さが金融危機に勝てない原因

今回の金融危機に欧米と比較して影響が少ないと言われた日本で何故不動産に対するリスク意識が高まって不動産融資に警戒感が出たのか。この見方には色々あると考えるが、オーソドックスな言い方としては、日本の不動産の活況は欧米のファンド資金によって支えられてきたので、欧米の金融危機の影響が日本にも及んでくると言うものである。この見方も間違いではないが、ファンド資金はあくまで梃子資金の流入なので決定的なものとは言えない。では何が日本の不動産に対して不安を生じさせているかと言うと、「金太郎飴」の様な不動産開発の貧困さが一番の原因と考える。多少は場所的な価値と建築物の外観の差別化はあるものの、開発コンセプトは殆んど同じであることに危惧していた。少なくても、開発地域の歴史を踏まえた開発計画を立案し、他所の地域との差別化を図った開発ならば、資金の貸しても不動産の価値の下落に対する不安は減少した様に思われる。マンション開発も然り。高層マンションが人気となれば何処の会社も高層マンション販売に注力する。これでは直ぐに高層マンションの供給過剰が起き、資産価格が下落するのは目に見えたことである。もちろん、企業規模によって点の開発しか出来ない場合もあるが、その時には街全体の将来を見据えての建築計画を立案すべきである。それが地上げ屋としての誇りであろう。森ビルの六本木開発、三井不動産の東京ミッドタウン開発などは地域の発展を阻害する開発エリアだけで完結するクローズド計画であり、自己の利益しか考えていない。この様な金太郎飴的な開発を見せられては、資金の貸手として不安が生じるのは当たり前である。若手で地域の歴史的な姿を残しながら新しい街造りを考えている人達もいるが、その様な小さな会社には資金が集らない。日本の資金の貸手が金太郎飴だから日本の不動産開発が貧困のままとも言える。今回の危機に20年前の不動産バブルの教訓を全く生かされていないのはバブル時代に失敗を学んだ人達がいなかったことであろう。成功者の言葉は企業に必要ないのである。逆に、失敗した人達から多くの事をを学べば明日の成功に繋がるのである。頭でっかちのエリートがつくる社会は砂上の楼閣に等しい。不動産開発とは街中を足で歩き、その地域の歴史と文化を学び、その街の将来像を見据えて行うものであることを肝に銘じるべきである。

庶民と関係ない株の暴落?

10月3連休は大型倒産と株の暴落にも拘らず早い紅葉を見るためか高速道路は渋滞であった。金融危機で世界中の株が暴落しているが、庶民は株の暴落の影響は少なく、逆に急激に価格が下がってきたガソリンの方が生活に対する影響が大きい様だ。これを見る限り、今春のガソリン税の暫定率課税を戻したのは景気にマイナスだった事が分かる。もちろん、株式100%の投資信託を購入している方は株の暴落で元本の大幅な減少による痛手を被ることになるが、現時点では報告が届いていない可能性もある。しかし、株式に対する投資にしても、投資信託に対する投資にしても、基本的にはそれなりのお金を持っている人が損をするだけで、お金を投資に回せない人には現時点では関係がない。もちろん、株の動向は昔から6ヵ月後の経済に先んじていると言われるから、景況悪化が企業業績を悪くし、最終的には庶民にも影響が出て来ることは予想される。今回の金融危機は世界中を襲った動きであるので輸出に依存する日本にとっては今後の影響は避けられないが、今度こそ内需主導による経済の構築を進め、地方の活性化を促すチャンスでもある。高齢者が蓄えた資金を安全な国内の投資に向けてこそ日本経済の安定的な成長が実現できるのである。国民の消費は輸出の売上げに比較して遥かに大きいのである。国内の消費なくして成長はないのであるが、金融機関は自分の首を締めるような不動産に対する融資規制を行っている。今後、欧米諸国は今まで以上に金融危機からの経済悪化を克服するためにブロック経済の強化を目指すことになる可能性が大きいので、日本も内需拡大とアジア各国経済の支援を行い、経済立て直しを行う必要があることを認識すべきである。

規制緩和論者は現場を知らない

規制緩和論者は規制緩和が企業の経済活動を活性化させ、停滞している経済を成長に導くと唱えている。如何にも正論と聞こえるが、歴史的に何故規制が生じたのかを考える必要があろう。資本主義の勃興時には参考になる事例がなかったので規制などは殆んどなかったのである。金融を見れば、銀行業務、保険業務、証券業務は分離してなく、後年に問題が生じたので業務を分けたのである。しかし、英国のビックバン、米国の規制緩和は先祖がえりのように規制緩和を行って金融業務の一体化を進めたのである。確かに、規制緩和は停滞していた経済を活性化させたのは論を待たないが、この繁栄は不正による行為や株式上場の安易さを生み出し、虚栄であったことがサブプライム問題で分かったのである。それが、依然として規制緩和論者は歴史を学ばずに、一面だけの悪い面を指摘して規制緩和を促している。本当に経済を活性化させるためには、不正を生み出す様な先祖がえりの規制緩和でなく、国民から意識が乖離している現在の行政組織の抜本的な改革である。現在の一部上場会社の相次ぐ倒産とライブドア事件を見ると、資本主義の勃興時に世間を不正行為で騒がせた英国の南海泡沫事件と全く同じなのには驚く。規制緩和論者は、建築基準法改正で建築審査を民営に委託したためにどれだけ甘い審査が行われているか知っているのだろうか。構造偽装事件などは氷山の一角にしか過ぎない。況してや、利益至上主義の社会に規制緩和をしたら不正が横行するのは当然である。尤も、日本の規制緩和は税収入と関係ないところでおこなわれており、背後にいる財務官僚の指導で進められているのがよく分かる。本来なら、自動車取得に対する規制緩和である。新車も中古車も取得税・登録税が同じと言う馬鹿らしい問題に変更を行っていない。何故その様な事が起きるのかは、その税金が排気量で決めているからである。現実主義の米国では価格で決めているから安く買えば税金も安いのである。これが本来の規制緩和、資本主義経済のあり方である。この税制は新車を買わしてトヨタなどを保護すると同時に税収も確保する一石二丁を考えてのことであろう。経済の活性化を考えたら、売買価格での取得税・登録税に変更することによって中古市場が大きく成長するのである。この様な事例は沢山ある。経済化活性化のための改革とは何かを規規制緩和論者は官僚の与えた資料を棒読みするのでなく、現場を見て考えろと言いたい。

政治家の健康と危険性

政治家の健康、特に一国の宰相となれば国民の運命を左右する事にもなるので、重大な関心事である。今回の世界的な金融不安に思いを巡らすと、1920年代の大恐慌後の米国の大統領であるルーズベルトを考える。歴史教育では大恐慌後に実施された米国のニューデール政策は成功した様に書かれているが、実際の評価は喧伝されている様な効果は上がっていなかったと言われている。このため、ターゲットを戦争に置き、日本を追い込んだ事はかなり信憑性が今では高いと今ではいわれている。戦前の指導者を庇うつもりはないが、資源、特に石油の供給を大幅に削減された日本としては国防上戦争に打って出るしか選択がなかったのであろう。ルーズベルトと言う大統領は車椅子で記憶している方も多いであろう。長々とルーズベルト大統領の事に触れたのは、彼の健康が日本との戦争、その後の外交に大きな影響を及ぼしているからである。そこで気になるのは、民主党の小沢一郎と言う政治家である。今はマスコミも報道しなくなったが、小沢一郎と言う政治家は心臓病を患っている筈である。彼が総理の激務に耐え得るのか、更にはその様な持病を持った政治家の精神状態を過去の歴史的な事例から懸念するのである。私事で恐縮だが、先代社長が病で入院を余儀なくされた時、大きな開発プロジェクトが進行中であった。私が入院先に設計士と建築物について指示を受けに訪問すると、「先代社長は一言、"私は今病気で健康を害している。この様なときは正常な判断が出来ないので、プロジェクトチームで決めて良い。"」との事であった。この言葉は先代社長が亡くなる1ヶ月前の事であった。私なら逆に最後の作品として思いを込めて指示したであろうと思う。多くの人が参加する共同開発事業に対して私欲を持たずに判断出来る姿勢を最後に見せてくれた事に私は感謝している。

金融危機は資本不足に陥った金融機関への資本注入が一段落しなければ納まらない

米国発の金融危機は欧州にも飛び火して沈静化に対する対応が始まった。1920年代の大恐慌は米国の株式暴落に始まった印象が強いが、実際はその後の景気悪化懸念から生じた金融機関の信用収縮でおきたものである。今回も株式暴落で大恐慌を懸念されているが、株式暴落より怖いのは金融機関の信用収縮である。これについては過去の経験から多くの人が理解しているが、問題は政治は色々な思惑で動き、早く手を打つ必要があるのにタイミングを逸する事である。今回の米国、欧州の政治家の動きを見ていると日本の愚かな政治家と同じであることが分かった。特に、政治がメディアの影響を受けやすくなり、ポピュリズムが台頭してきた今日では今回の様な危機に対して政治家が弱い事を露呈した。もちろん、米国で生まれた金融手法が過剰な投資で世界中に仮想需要を創出し、一見すれば永遠に豊かな社会が構築されるような錯覚を与えた結果が、サブプライム問題で嘘である事が分かった瞬間壊れたのである。このため、本格的な経済の回復には、金融機関に資本の注入をして市場の信頼を取り戻す必要がある。米国が1980年代に規制緩和と小さな政府をスローガンにした政策は、グローバル経済へと発展し、格差社会をもたらし、食の安全まで脅かし、最後は資源高騰でナショナリズムまで引き起こして幕を閉じようとしている。日本もバブル経済崩壊後に米国を教本として先祖がえりの格差社会で競争原理を導入し、規制緩和政策を進め、小さな政府ヘの転換を進めたが、現状を見ると国の借金は増えるばかりであり、その上人心は荒廃し、金権主義者が横行している。先頃、日教組を批判して辞めた大臣がいたが、今の日本の現状は日教組だけでなく、米国流の教育を導入し戦後の日本教育を指導した文部省にも大きな責任がある。正に教育が国づくりの基本である。今更ながら思われる。

国は田舎に人が住めなくする政策を進めている

千葉県銚子市の市民病院が閉鎖されるTVニュースを見た。医者不足と医療保険制度の改正による採算の悪化が原因と言われる。医者不足は、研修医制度の変更で医者が行く先を選択出来る様になり、医療設備の劣った田舎の病院には医者が来なくなったとのことだ。研修医の制度の変更は誰のために行ったものか。少なくても税金が多く投入されている国公立大学の医学部出身の研修医が私立大学と同じように自由に選択できる様なシステムは間違っていると思う。田舎に医者が不足しているのを分かって研修医に研修先を自由に選択させることも規制緩和の一環であろうか。良く考えてみると、郵政民営化も採算性から何れは僻地に対する配達コストは高くなり、均一料金のサービスは受けられなくなるのは自明の理である。この他にも色々と田舎で生活するのは段々厳しい環境となってきている。総合的にこれ等の政策を検証すると、人口の少ない地方の人々の生活を不便にすることによって都市部に移動させる事の狙いがあり、翻って地方のインフラ整備予算を減少させる効果を考えてのことであると思われる。しかし、此処には財政再建だけでパブリックサービスの精神が感じられない。尤も、この考えは穿った見方かもしれないが、そう思える程田舎の生活は都市部比べて年々悪化してきている。日本を良くするために、少なくても次の衆議院選挙では官僚出身と二世・三世議員には投票するのは止めにしよう。

市場原理主義とは人間が愚かになること!

古い話で恐縮だが、米国のエネルギー会社「エンロン」のことである。私はこの会社が日本の2ヶ所に石炭火力を建設すると公表した時点でインチキを見破った。しかし、エンロンジャパンの設立には大手商社・金融機関などが出資し、大きな期待を寄せたのである。何故、私がエンロンがインチキであると思ったかと言うと、世界で最も石炭火力の設置に対して環境基準の厳しい日本で石炭火力の建設を打ち上げたからである。日本で石炭火力を100万KW1基建設するには原子力発電所100万KW1基建設するコストとほぼ同じであるからである。然も設置場所が電力の需要地から離れた青森県下北半島などであったのも送電ロスから見て考えられなかった。経済産業省資源エネルギー庁の職員なら誰もがエンロンの計画に対して疑問を抱いたと推測できる。尤も、米国の様な広大な土地で電力事業を行っている会社にとっては青森県の下北半島から東京都内に送電することは問題ではないのかもしれないが、確かなのは日本でその様な計画で売電コストが合うかどうかであろう。結論的にいえば、経営者が株価を吊り上げる目的で世界中にプロジェクトを打ち出したことが判明している。何故タイトルに対してエンロン問題を長々と述べたかと言うと、市場原理主義者が特異点を取り上げてマーケットを加熱させる手法に多くの聡明と言える人達が騙されるからである。尤も、古来より「小さな嘘は見破られるが、大きな嘘は見破られない」と言う格言があった。今回の金融危機も同様である。何か新しい画期的な事があるのではと勘違いした結果である。日本の不動産ミニバブルも同様である。今の時代には、「信用」と言う言葉が蔑ろにされて来ているのに、危うい信用でなりたった世界でビジネスを拡大してしまったツケが回ってきた。リスクは、経験×柔軟性で小さくすることが出来る。

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