少子化の原因

少子化の問題を長い間非正規雇用の導入が最大な理由と思ってきたが、今年に入り、二つの出来事でそればかりではないことを思い知らされた。確かに、昨年に知人から相続財産の管理の件で相談があった時にも話題になっていたことを思い出した。経済的に結婚可能な若い世代の結婚しない比率の拡大である。昨年の知人も子供二人が結婚適齢期を過ぎても結婚していないことを嘆いていた。そう言えば、ゴルフ練習場でお会いした縁でお付き合いが始まった大手生命保険会社の役員の方の娘さん二人も結婚していない。奥さんを癌で50代に亡くしたことを娘さんが結婚しない理由としていた。しかし、私の周りにはご夫婦が揃っており、経済的にも不自由がなく、高学歴の子供の未婚者が多いので、必ずしも片親だけの理由とは思われない。私のワイフの二番目の兄は子供が男2人と女1人の三人いるが、今年初めに次男の結婚式があり、3人とも結婚した。義兄に3人とも結婚したことをお祝いした所、奥さんの実家の兄弟が3人いるが、子供たち全員が結婚していないことを聞いた。今年の新年の挨拶に来られた大学時代の友人は3人の子供がいるが、娘さん二人は結婚したが、長男は30才を過ぎて未だ結婚していないとのことだった。彼の長男は学校の教師だが、共稼ぎの夫婦の子供は不良化する為に専業主婦の相手を望んでいるので、結婚できないとのことであった。親としても今の時代に経済的に専業主婦に出来るのかと言った事を問題視しているが、子供に強制はできないので、仕方がないと言った感じだった。尤も、結婚しても離婚したケースも多くあり、3人子供がいる友人たちの娘さんが一人は離婚している。結婚はしても離婚してその後に再婚しないでいる方も多いかもしれない。その様に考えていた時に30年前にゴルフ場で一緒にプレーした老夫婦の言葉にも驚いたことがある。その御夫婦の長男の方は結婚して奥さんを食べらすことが嫌だから結婚しないと言っていることを聞いた時だ。少子化の原因は正に長い間の問題として続いてきたが、本質的な課題の解決をしないできた事のツケが回ってきたのは現在だろう。マスメディアを含め多くの評論家が日本の先行きに対して悲観的な報道ばかりであり、物に溢れた社会でお金がない悲惨さを嫌と言うほど体験して来ている世代にとって結婚は重荷と認識しているのかもしれない。親達や祖父祖母達も子供や孫を可愛がり過ぎているので我儘になっていることも結婚して二人になれば我慢も必要なことが耐えられないのかもしれない。また、皮肉なことだが、高齢化社会になり、コンビニやスーパーには一人用の食材や総菜が並べられているが、独身者にとっては結婚しないでも不自由さがなくなっている。コインランドリーなどは典型かもしれない。私の若い頃は洗濯が大変であるので、それだけで結婚を決めたケースもないとは言えない。食事に関しては昔は定食屋が沢山あったので、独身でも不自由さはなかったが、正月などには営業していないので、田舎に帰らない時には惨めな思いをしたものだ。確かに、東京で親と住んでいる子供たちは田舎から出て来ている人と比べると結婚しない比率は高かった。不便さを感じないことと親兄弟姉妹と一緒ならば他人がいないので気が楽なことだと思われる。便利だと結婚願望が低下することは確かだ。しかし、それだけで結婚しない人が増えたとは思われない、昔は良い意味でのお節介が多かった。それと保険のおばちゃん達の活躍もあった。情報化時代以前の社会は営業マンなどが普通で他の会社のオフィスに入れたので、特に保険のおばちゃんは昼休みに来て独身の若い男性や女性に保険を勧めた。私などは遊んでばかりで預金もしていなかったが、今では有り得ない話だが、私から千円を預かって預金口座を作って来てくれた。若い時から少しでもお金を預金しなくてはダメだと説教されもした。保険のおばちゃん達は戦術ばかりでなく、戦略も優れており、結婚相手を探して来て結婚後も長く保険を加入して貰うべく色々と世話を尽くしてくれた。IT社会になり結婚も近代的なシステムで行えるようになって一時期は登録者が多かったようだが、今が昔の対面式の結婚相談所の人気が高まっているそうだ。Z世代は昭和時代に憧れがあるようなので、IT式の無味乾燥なシステムではなく、人が繋ぐ縁に価値を見ているのかもしれない。何れにしても、岸田政権が考えている様な政策では少子化の減少は止められないと思われる。個人情報などやパワハラ、セクハラの時代には社内恋愛も出来ないと言われ、何か社会が根本的に誤っているのに気が付かないと少子化に歯止めなど掛からないのではないかと考える。

長生きの幻想

医学が発達したので100才まで生きる確率は高まったが、人の生死は不確実性である。最近の世の中は楽しくなくなっている印象を受けるのは何故だろうかと考えていたが、成る程と思わせる記事を読んだ。若い方が色々と悩みを持って海外に出かけていた時に一人の年配の同胞と会った時に交わした言葉だ。若い方は同胞の方に老後が不安ではないですかと聞いた時に"私は未来の為に生きているのではない、今を生きているから不安がない"との言葉だ。若い方もその言葉を聞いて納得したことが書かれていた。多くの老若男女の日本人は長生きの幻想によって毎日不安の日々を送っている様だ。それを助長させる様な2千万円の預金がなくては年金で生活は出来ないと言った情報だ。また、最近の年寄りは老化を受け入れずに若い気持ちが強いことも長生き幻想にとらわれている一因だろう。確かに、お金があれば普通の人には受けられない高額医療で延命は可能なのは事実である。しかし、延命は可能でも死から逃れられる訳ではない。長生きは砂漠の逃げ水の様に追いかけると消えてしまう。過去に野球選手で長生きする為に健康的な生活をしていた人が居たが、40才代で亡くなった。もう一人は芸能人で、自分が癌の家系と心配して頻繁に健康診断を受けていたが、やはり50才代で亡くなった。長生きは意志でコントロール出来るものではないと思われるが、癌など多くの病気は早期発見で治療すれば克服できると言う言葉も間違いではない。病気は不摂生や偏食から起きることは確かなので少なくても長生きしたければ必要な医学知識は必要だが、一番の原因はストレスと思われるので、未来の心配をしないで今を生きる考えが長生きの秘訣かもしれない。

新規事業の狂騒曲

今の時代は新規事業の狂騒曲だ。既存事業の寿命が短くなる他、情報化技術の著しい発達により、ハードからソフトに価値観がシフトしたことも影響しているが、新規事業が声高に叫ばれるのは社会環境の大きな変化と言える。その解決にデザイン思考やアート思考などが必要とされているが、事業が軌道に乗るかどうかは思考だけではなく、現場経験が必要な事が理解されて来た様だ。アイデアは良くてもビジネスや改革に繋がらなくては絵に描いた餅だ。新規事業にも近道はないし、イノベーションは現場で培った知識がないと成功しない。しかし、新しい事に挑むには過去の経験が邪魔な場合もあるので一概には言えないが、問題は新規事業を担当する人が常に知識の更新を行っているかと思われる。若い人のアイデアが有効なのはその製品やソフトが求められる社会をの変化に対応している時だ。確かに、年を経ると先入観が発想の大部分を占めてきて新しい知識を容易に受け入れられないのは確かだ。しかし、若くても柔軟性に欠けた人もおり、年齢が高くても柔軟な思考と若い頭脳を持った人もいるので、年齢だけでは評価は難しい。新規事業以上に難しいのは既存事業の衰退ではなく自動車業界の様にハードの差別化が出来なくなり、ソフトに価値を求めなければ商売にならなくなった業種と思われる。勿論、既存事業の自動車でもエンジンからモーターに駆動システムが変わることにより、自動車に係る部品産業会社は死活問題になり、新規事業に活路を求めなければならないケースもある。それでも既存の製品に関して他に応用して商品化することが早道と言える。また、情報化時代にあっては情報を商売にしてきた業種は売り上げの減少に歯止めが掛らないので、異業種に活路を見出したいが、情報の知識は豊富でも実際の経験が不足している為に新規事業と言えない不動産活用で売り上げ減少をカバーする位しかアイデアが出ない。新規事業が難しいのは何処も遣っていないか力を入れていない分野に拘っているからと思われる。既存の事業の中にもアイデアにより売れ行きが伸びることも沢山ある。物としてしか見えていなかった商品に安らぎを与えるソフトを加えることでヒット商品を生んだケースも実際にある。アイデアを生み出す組織としてダイバーシティの環境を作ることも必要だが、同じ人種でも年齢差によるダイバーシティも新規事業には有効と思われる。私が関係している業界では新しい法律が出来ると新規事業の芽が潜んでいると言われ、その法律を利用した事業を起こした人達や会社がある。今でもその事情は変わらな言えるが、現在の様に情報化技術のスピードが速いと起こした事業の陳腐化も早いので、際物には手を出さない姿勢も重要だ。新規事業に現場経験が必要と言われるのは需要との乖離がないアイデアを出せることと思われるので、新規事業には人材の多様な組み合わせが成功のカギを握ると思われる。

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