詩の力!

最近、若くして逝去した金子みすずの詩が良くCMなどに使われている。特に、東日本大震災以降は頻繁にTVを通して耳に届く。又、一時は公共広告機構などの「こんばんわに」、「おはよううなぎ」などの癒し系CMが流され、対極のCMの「頑張れにっぽん」や「頑張ろうにっぽん」の五月蝿さに対して心が和んだ。今回の大震災においては若い方のボランティアの参加が多かったと言われているが、ヴァーチャルな社会の中で生きている傾向が強まっているので、実際の経験を重視する流れに合致したと考えられる。最近、或る雑誌で群馬県出身の詩人「高橋元吉」を知った。高橋は偶成の詩人と呼ばれたらしい。明治生まれで戦後の1965年に72歳で亡くなっている。多くの作家や詩人などが今回の大震災に関してどの様に書き留めるべきか悩んでいると言われるが、高橋元吉の詩は日本の四季の移り変わりと厳しい自然環境に生きる術を語ったものと思われる。又、戦争の時代を生き抜いて戦後の平和の時代も経験している。彼の代表的な詩のひとつ、「なにもさうかたをつけたがらなくてもいいではないか  なにか得態の知れないものがありなんといふことなしにひとりでさうなってしまふといふのでいいではないか 咲いたら花だった 吹いたら風だった それでいいではないか」がある。私はこの詩に触れた時に肩の力が抜けた。高橋元吉の詩集を入手するのは今では難しいと書かれていたが、一度じっくり読んでみたい詩である。

音楽の心地よさ

人類が音楽に何時頃から親しんだのか知らないが、音楽は脳内をクリアにし、明日への活力を生み出してくれると私は思う。偶然の縁で目黒GTで開催された日曜日の小規模な音楽会であるバンドネオンのタンゴ演奏会を楽しんだ。バンドネオン奏者は平田耕治と言う若い方で、彼を評価した方曰く「野性味のあるバンドネオン奏者」だと。この演奏会には、他にピアノ、バイオリン、コントラバスが加わり、更にタンゴ歌手の方も参加した。私がアルゼンチンタンゴを聞いたのは確か中学生の頃だと記憶している。聞いた時には体が震えるほどのインパクトを受け、早速レコードを購入した思い出がある。私は学校の授業としての音楽は嫌いであった。理由としては学科と実技があり、学科で100点をとっても実技が不得意なら最高の評価が得られなかったからである。実技とは歌唱とか笛とかハーモニカであり、あがり症の私に取っては辛い評価であった。この為、学校の音楽の授業からは興味が離れ、逆に母にねだって買って貰ったギターなどを自宅で弾いて楽しんだ。更に、中学時代にはエレキバンドの全盛期だったので、当時は不良と言われたエレキバンドを友人達と結成したが、才能がない私は途中で離脱してしまった。高価なエレキギターまで買って貰ったが、母には聞かせないでお蔵入りしたので今でも慙愧の念に耐えない。しかし、その後も音楽に関しては興味が続き、大学時代から社会人に掛けて長く「題名のない音楽界」などをTVで楽しんだ。私の場合、西欧の音楽よりは南米、アフリカ、アジアなどの音楽に興味があり、大分前の事だが街頭で南米音楽に使われる"ケーナ"と言う縦笛を買い吹こうとしたこともあった。アルゼンチンタンゴは最近は熟年のダンスブームで有名だが、魂が揺さぶられるような音楽はバンドネオンと伴に脳裏に残る。不思議とここ数年、アルゼンチンタンゴに関してはミュージカルを含めて定期的に楽しむ機会が得られている。又、クラッシクに関しては、若い頃には余り興味がなかったが、年とともに良さが分かり、最近はコンサートにも顔を出している。3.11の後には一斉に音楽会などが自粛されたが、それは行き過ぎの感がある。厳しい時こそ音楽を聴いて心を奮い立たせる必要があるのではと考える。特に、ストレス社会には音楽が必要であり、音楽を聴くことで絶望を希望に変える事が出来るのではないかとアルゼンチンタンゴを聴いて再認識した。

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