尾道散策
8年振りの尾道行きだった。パートナーの故郷なのだが、私が同伴するのは法事だけである。今回も前日に法事を済ませ、翌日に尾道散策をした。尾道には福山から自動車で行くことが多かったので、林芙美子の「放浪記」の冒頭に出てくる"海が見える、海が見えた、5年振りの尾道の海だ、なつかしい"は在来線の電車で行かなければ見れない風景だった。今回は林芙美子の世界に触れたくて在来線の電車で尾道に入った。まさに、林芙美子が見た風景が現在でも変わらなくあり、尾道に行くには新幹線や自動車ではなく、はやり在来線の電車で行くべきと痛感した。尾道駅に降り、1km離れた船着場に行き、渡し船に乗船し、向かい側の向島に渡った。この島に渡ると尾道の町が一望できる。パートナーはこの向島に育ち、高校には毎日渡し舟で尾道の町に渡り、2km位の道のりを通った。途中から急な坂になるので、逞しい足になったのであろう。子供の頃育った向島の船着場周辺を歩き、再度渡し船で尾道市街に戻った。NHKの朝ドラの「てっぱん」で尾道の風景が良く流されたが、実際の撮影は周辺の島の造船所などの風景を使ったので、朝ドラの風景を見ようとすると尾道市内と向島だけでは見れないそうだ。海運輸送の江戸時代には潮溜りの停泊地であり、尾道商人が財をなし、多くのお寺さんを山の斜面に造った。明治以降は回船の輸送が寂れたが、日立造船が進出し、戦後の造船ブームには景気が良かった。しかし、何時も思うのだが、尾道水道は海ではなく、川の様に見えて仕方がない。尾道を訪れる人は誰しもが思える風景と言える。文人、志賀直哉も「暗夜行路」に同様の感想を書いている。現代の尾道は造船業の衰退で商店街は他の地域同様に寂れ、シャッター街となっている。しかし、昨今は観光ブームで若い人たちが頑張って来ており、懐かしい街として少しは良くなっている様だ。昼にお好み焼きの尾道焼きを食べることにし、商店街で聞いた店に入ったが、パートナーの評価は厳しく、然もへらで鉄板の上から直に食べれなくて憤慨していた。私は皿でも十分に熱いままで食べれたので良かったのだが、作り手の手先が不慣れだったこともあり、パートナーは納得していなかった。極めつけはおたふくソースではなく、カープソースを使用していたのにも憤慨していた。広島人のお好み焼きに対する拘りを見せ付けられた思いであった。今回の尾道散策は満足すべきものであったが、途中で尾道出身の漫画家のかわぐちかいじ、代表作は"沈黙の艦隊"、が尾道美術館で「尾道の人物誌」を描いていたのを知ったが、山の上であったので行けなかったのが残念だった。次は3年後に来る予定であるので、今度はどの様な旅にするか今から楽しみだ。