当社が本社ビルを置く虎ノ門1丁目では環状二号線計画(通称・マッカーサー道路)の一環として道路上に超高層ビルの建築が進められている。事業主の森ビルは東京都の事業を受託したものであるが、建物自体は店舗、事務所、住宅、ホテルを包含した20世紀型工業化社会の概念を継承した評価に値しないものだ。この建物の建築のために長年親しまれてきた路地や色々な店や建物が消えた。シュンペンターの創造的破壊を不動産に持ち込んだわけではないだろうが、企業経営と異なり、不動産の創造的破壊は文化的破壊に直結するものであり、無機的な空間しか残らない街づくりと思われる。私も勉強不足であったが、日本の建築に関する用途地域の設定は米国の方式を導入したものであり、正に工業化社会に都合の良い方式であった様だ。然し、この用途方式は無理やり人の生活の場を区分することになり、昔の様な混然一体と化した街は消失することに繋がる。米国は歴史がない国だから破壊することには抵抗がなく、機能的な都市計画が受け入れられたものと考えられる。これに反して欧州は歴史があり、歴史的な建造物や人の営みは街並みに溶け込んでいるので、米国とは異なり、破壊でなく"つなぐ"建築が主流であり、今も同様らしい。翻って、日本は歴史が長い国ではあるが、自然災害の多い立地なので欧州の様な"つなぐ"文化はなく、壊れても直ぐに建て替えられる木の建築物が主体となってきたと言われている。しかし、日本は欧米の様な区画文化ではなく、襖や障子を外すと多面的な用途に使える文化を作ってきており、日本人の柔軟性が形成された由縁かもしれない。それが明治維新以降に近代社会を目指す過程で次第に柔軟性が失われて来て、更に第二次大戦以降は米国流の考え方が浸透した結果、街づくりに関しては創造的破壊どころか日本文化の良さを失った将来スラム化する高層マンションや人のつながりを消失させうる超高層ビルの建築を推進している。3.11で日本人は自然の怖さを改めて認識したにも拘わらず相変わらず米国主義的な20世紀型の建築物を造り続けている。21世紀に入り工業化社会から情報化社会に移り、環境に対する問題も意識に上り始めた今こそ日本文化を見直すべきであり、日本人の知恵を再度検証必要性があるもとと考える。路地をなくし人々の生活観をなくした街に未来はないはずである。日本人は稀に見る柔軟性や多様性を持った国民であり、その文化にこそ限られた資源の中での生き方に学ぶべきところがあると思料する。そう言えば、わが母校の校歌に「雪折れあらぬ柳見よ柔よく剛を制せずや」の一節があったことを思い出した。正に、日本の文化は剛の文化でなく、柔の文化であったものが、米国流の剛を追求した結果が現代の閉塞感を産んだものと推察される。経済大国世界2位などと有頂天になっている間にちっぽけな島国であることの己を見失い、他国の資源で贅沢三昧したのが長屋の花見であることも忘れたツケが今の結果か。それなのに、未だに大国気分が抜けず中国と張り合っている姿は見苦しいのひと言に尽きる。
スカイツリーの開業で東日本大震災の悪夢を一掃するかの様に高い建築物に対する憧れが戻ってきた。上から見下ろすと言う行為自体が権力的であり成功者に実感を与える存在になっている。昔は城の天守閣が高く聳え立ち人々を見下ろしていた。現代は高さを競うように世界各国で超高層建物が建築されている。日本では建築技術の発達により地震国でありながら高層建築物が建てられ人気を博している。現代社会は多くの分野で技術レベルが高くなり、多くの人は仕組みについて全くと言ってよいほど無知になっている。無知と安心感は表裏一体なのかと思えるほど高層建築物に対する不安な声は聞かれない。しかし、米国では9.11以降、日本では3.11以降に間違いなく高層建物に対する不安感を持つ人々が増えてきた。特に、最近のオフィスビルのテナント募集で感じることは、3.11以前と異なり、低層階を求めるテナントが確実に増えてきている。話は変わるが、格差社会と高層建築物の人気には相関関係があると思われて仕方がない。高層マンションはバブル崩壊後に埼玉県にマンションデベロッパーの大京が建築したのが最初で、その後は多くのデベロッパーが高層マンションを分譲している。この時の高層マンションは内陸部であり、今の様に臨海部ではなかったのは何を意味しているのかだ。高層マンションの増加は建築技術の発達が後押ししたのだが、一番の要因は高い地価を下げる意味もあったからである。専門家でなければ高層建物の建築にはコストが掛かるので価値があると思われがちだが、高層化する程に土地の持分は少なくなるので、日本的な不動産価値から言えば逆に高層化する程に原価は安くなるのである。本来ならば、高層化するに従いマンションの分譲価格は安くなり、オフィスビルの賃料は低くなって良いはずなのだ。然し、実際には高層化するほどマンションの分譲価格は高くなり、オフィスビル賃料は高くなる。デベロッパーは高層建物には笑いが止まらないのである。この為、何時起きるか分からない大地震のリスクより建築計画を優先するのである。万が一大地震で倒壊したりすれば想定外と言う便利な言葉が既にあるからである。尤も、土地の地盤が余り良くない場所に建てたスカイツリーは人気があるが、同じ敷地内に建てた高層オフィスビルは人気がない様だ。押上に何故オフィスビルだと言う指摘もあるだろうが、常駐する場所でなければ高い場所も相変わらずの人気だが、翻って常駐するとなれば人の意識が変わってきたのかもしれない。高い場所は確かに成功者の心を捉えるが、少なくても地震多発国の日本では企業の事業継続の観点から高層ビルにオフィスを構えるリスクについて考えられ始めたのかもしれない。インターネットで見たアップルの新本社ビルのイメージ図は森の中に4階建の円筒の建物であった。時代の最先端の企業が造る新本社ビルは今後の建物を暗示しているかもしれない。確かに、自社ビルであれば高層ビルでなければならない理由は何処にもない。環境や安全を考慮すれば、低層階の環境に良い建物を計画することになるのは必然だ。日本は少子高齢化社会に入り年間20万人規模で人口が減少して来ているのに、今更高層建物かと考えてしまう。近年の高層建築ブームはデベロッパーが多額の利益を生むために造っているもので、日本の未来社会を想像しているものではない。都市計画の観点がない日本だが、そろそろ成熟した社会にとって老朽化したインフラに対するメンテナンスの配慮を含めた建物や街づくりを考える時期に来ているのではないかと独り呟いてしまう。