オリンピックなどには興味がないので余り見ないのだが、以前と比べてTV番組の貧困さから今回は自然とオリンピックの競技にチャンネルを置いているケースが多くなった。久し振りに見た柔道競技で日本選手の柔道の変わりようには驚いた。柔道の本質を忘れて力任せになっているのを見ると、日本自体も経済大国と言われて久しいが、経済大国になり何時の間にか力技だけになってしまったのかもしれないと考えた。体の大きい人や力の強い人が勝つなら武道などやる意味がない。小さな人が大きな人を力のない人が力のある人に勝つからこそ妙味があり、鍛錬する意味がある。ひとつ救いだったのは、天才柔道家と言われた岡野功の弟子である選手が力技の柔道でない一面を見せてくれた事だ。岡野功さんは現在茨城の流通経済大学で柔道を教えているとのことだが、私の故郷の茨城出身なので彼が柔道の本質を継承してくれているのが嬉しい。柔道の本質は相手の力を利用して投げるのであるが、柔道が国際競技として認知されて行く過程で力技の競技になり、日本の柔道を指導する人達も何時しか柔道の本質を捨てて力技の舞台に乗ってしまった。日本の柔道が勝てなくなった理由を勘違いした結果というには余りにもお粗末過ぎるのだが、その様に考えるに到った背景には経済大国となった日本人の意識が反映しているものと思われ、弱いものに対する思いやりや配慮がなくなったことに起因しているのではないか。日本人が無謀な太平洋戦争を引き起こしたのも明治維新後に日清戦争、日露戦争に勝ち実力不相応の大国意識を持ったからであった。柔道の本質である相手の力を利用する技は謙虚さから生まれたものと言える。柔道と同様に相手の力を利用する武道に合気道がある。合気道の凄みは相手の力で投げる技である。日本の柔道も合気道を学べと言いたい。私の父と義父も柔道の有段者であり、確か義父の方が段は一段上であった。結婚前の挨拶に両親とパートナーの実家を訪れた時に、父が部屋に飾ってあった講道館柔道の段位の額を見て急に話が和やかになった記憶がある。父も十代から柔道を始め、大学で学徒出陣までの間柔道をやった猛者である。高校時代には茨城県を代表して全国大会に出場した実績があるが、義父の講道館の段位には敬服した様であった。私に父が柔道を勧めなかったのは上には上がいることを知ったのが理由の様だ。私と言えば、子供時代は柔道より剣道を好んだが、一番好きで強かったのは相撲であった。余談だが、高校時代の体育の授業の柔道でクラス内の対抗試合があり、私が中級で柔道部の部員に勝ったことがある。この時に体育の教師が柔道部の顧問であったので、私に負けた柔道部の部員が教師に罵倒されたので可哀想なことをした記憶がある。高校時代の話の序であるが、母校の校歌は最初4番まであった、明治に作られたために短い歌詞のために4番まで演奏しても高校野球の試合などでは他校の演奏より大分早く終わってしまう欠点があった。この為に、5番が作られたのだが、この歌詞は「雪折れあらぬ柳見よ 柔よく剛を制せずや 石のくぼめる滴見よ 念力岩をもとほさずや」とあり、今の日本人に欠けている内容が書かれている。尤も、校歌の作詞家である武島羽衣は隅田川の"花"を作詞した人物だ。5番を追加されてあの世で嘆いているかもしれないが。デフレ経済で苦しんでいる今こそ、力技でなく相手の力を利用する柔の心をもって日本再生を求める必要があるのではないかと思う次第だ。