社員の訃報

社員の訃報を聞くほど辛いことはない。特に、会社に尽くしてくれた社員との別れは身内との別れと同じくらい悲しい。午前中に1本の電話が入った。闘病生活をしている社員の奥様からだった。受話器の向こうから、今朝、主人が亡くなりましたと告げられ、言葉も出なかった。家族も想定しなかった突然の別れとのことであった。又、奥様から生前のご主人の遺言で直葬を執り行うと告げられた。故人らしい遺言ではあるが、会社としてはお別れに際して見送れないのは寂しいものである。故人は私と同い年であった。一級建築士として長く設計事務所に勤務し、50才前に早期退職した。当社には建物管理の技術要員の募集に応じてきたのが縁であった。都内の準大手の設計事務所の設計部長職まで務めあげて多くの設計作品と現場監理の実績を持った方なのと、出身地が私の故郷の隣の栃木県であったのでその場で採用を決めた経緯がある。

振り返ると、故人の入社が建物のデューデリジェンス業務の本格的な進出となり、故人とは都内を始め仙台、名古屋、大阪などに所在するビル、マンション、商業施設などを見て回った記憶が昨日の様に思い出される。

故人は1年数か月前に病が見つかり会社の近くにある虎の門病院で大手術を行った。3ヶ月の休みで現場に復帰した時には心配したのだが、本人は病院の先生も働いてた方が回復しやすいとの見解なので大丈夫との事であった。一度現場に復帰すると従来と変わらない勤務振りなので何時しか心配することもなく日時が過ぎて行った。そして昨年末から今年に掛けて世田谷のマンションの防水工事関係の監理業務を行い、更に昨年末には港区青山に所在する小さなビルの建物診断の仕事が入ったので、故人に同行を依頼した。今思うと食事が余り取れずに痩せ細った身体を鞭打って会社の為に一生懸命働いてくれたのだった。企業戦士と言われた最後の世代が我々であった。今年2月に同僚の進言もあり、体力の回復の為に休養を勧めた。本人も同意し、体力の回復後に職場に復帰することとなり、半年後の復帰を目途にリハビリに入った。しかし、再度、2ヶ月前に虎の門病院に入院し、先週の金曜日に自宅近くのリハビリ施設に転院した矢先の逝去の知らせには言葉が出なかった。せめてもの救いは、役員室の女性に誘われて退院日に故人を見舞い実質的にお別れが出来たことであった。故人(藤田 中 氏)には生前の精勤に感謝し、本文を弔辞とする。合掌。

安倍政権の経済政策を支える新自由主義には国家観がない

標題の様に書くとグローバル経済なので当たり前と言われそうだが、新自由主義と言えば何か前進的な考え方と勘違いする者が多いのではないかと思われる。歴史を見ると、戦前の日本の財閥企業の経営者は正に新自由主義者の考え方と同じ発想であることが分かる。この為に、5.15事件を起こした軍人である三上卓の「昭和維新の歌」の一節に「財閥富に栄えども社稷を憂える心なし」の言葉がある。この言葉を現代風に置き換えると、「グローバル企業利益を増やせども国家を考える心なし」と言えるであろう。

安倍政権の経済政策を支える新自由主義者とは経済産業省の官僚などである。確かに、高度経済成長を推進した時代の頃は経済産業省の役割を評価できなくもないが、円高になって以降の経済産業省は多くのミスを犯し日本にとっては害になってきたと思われる。東日本大震災の原発事故の背景には、間違ったエネルギー政策と電気料金に関する部分最適の自由化があったことに気が付くべきだ。経済産業省の官僚は高度経済成長以降に海外のモデルがなくなり目先の政策立案で誤魔化していた。1985年のプラザ合意後の円高に対して従来の経済成長路線推進するエネルギー政策を変えることが出来ずに電力設備の過剰を生み出した。経済官僚は電力会社が政治家を使って過剰の電力立地を推進したと反論するが、全くの自己弁護に過ぎない。単に円高でこれ程までの企業の海外移転が行われることを予想できなかっただけだ。

経済産業省は同じ様な誤りを繰り返してきているにも拘らず、国家観を喪失した馬鹿の一つ覚えのグローバル経済を念仏のように唱えている。非正規雇用者を大量に生み出し、少子高齢化と逆方向の政策を推進している経済官僚やOBを見ると亡国の輩としか見えない。そう言えば、定年前に退官して民間企業に再就職した経済産業省のOBと偶然話をする機会があり、非正規雇用者の出現を憂いたら「アンタの様な社会主義者がいるから日本はダメになるんだ」と言われた。国家の豊かさとはなにか。消費は誰が作るのかを知らない経済官僚がいたのには驚いた。新自由主義とは少数の金持ちを作り、多くの低所得者層を作ることと今では理解しているが、その結果消費が落ち込み経済の回復がなされないどころか、結婚できない多くの者を生み出し、国家が衰退して行くことなのだが、正に「企業が栄えて国家を憂いない」新自由主義者が増えている様だ。安倍政権の周りに新自由主義を信奉する経済官僚がいる限り、日本の将来に期待は出来ない。国家観がないのに集団自衛権で国家を守れる訳がない。戦前の軍事国家であった時でも、敗戦直後に多くの将兵は国民を置き去りにして自分たちが先に逃げたのである。現代の日本社会の弱者切り捨て競争社会で戦争など出来る訳がないことが知らないのは安倍政権を取り巻く政治家連中だ。国民が繁栄してこそ国家があるのである。何が新自由主義だ。

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