100年前のインド・ベンガル人 ノーベル文学賞のタゴールの"日本旅行者"を読んで

ベンガル人のタゴールが100年前に書いた「日本旅行者」を読んで日本及び日本人に対する洞察力には驚いた。私の持論でもある日本人は混血民族を証明してくれてる本でもある。タゴールが書いた日本人は今の日本人とはだいぶ違うのは太平洋戦争後の米国式教育の結果なので仕方がないが、物静かな民族なのに驚いたことを書いている。然も、欧米人の様に日本人は人種差別的階級的な対応をせず親切であることにも言及している。尤も、彼が日本人を称賛する理由は最初に知り合った画家の横山大観などの影響があり、実際に来日して接した日本人の全てをベタホメしているわけではない。このことを考えると、最初の出会いが大事なのが良く理解できる。

タゴールは詩人として有名だが、日本の簡素化された文化と美に驚嘆しており、欧州の必要以上の飾り文化に対して日本の簡素さの美に共感した様だ。タゴール同様に他の外国人も日本の美に関しては無駄のないというか、質素さを評価している面がある。日本が他のアジア諸国と違い、西洋文明の科学技術を取り入れて欧米諸国とそん色のない国を造った事に関しては、日本人は多くの血が混じった人種と指摘し、小さな国ゆえに民族全体は同じベクトルで同じ目標に突き進めたことも指摘している。特に、日本人が明治新後に一挙に西洋化を実現できたのは、実現するに必要なものを既に持っていたとも指摘している。実に面白い指摘である。

なお、日本の俳句などは余剰分を最大限まで削ぎ落としている素晴らしい表現と絶賛し、横山大観などの日本画に対しても少ない表現の中に深い意味が込められていると絶賛しているが、日本人は精神性の面で欧州文化と比較して浅く、日本人に影響を与えている神道に関しては形式だけのものと評価が低い。確かに、指摘されれば、神道は形式を重んじる儀式であり、同じ宗教でもキリスト教的な思索的なものではない。100年前に日本及び日本人を洞察したタゴールの紀行文は現代日本人にも戦後に喪失したものは何かを考えさせる良い本であり、日本人の単一民族を唱えて移民政策に反対する人達に読ませたい本でもある。

人の記憶に残り続ける人物とは!!

官僚に対する偏見があったので此れまでは敢えて評価の高かった人物にも迫ろと思わなかったが、過去には無能な政治家の防波堤になって国と国民を守ろうとしてきた役人が居たのではないかと考えるようになった。過去と付けたのは今の役人は無能な政治家にすり寄って出世を遂げたいと考える個人的な野望を優先する役人が多いと思われたからだ。米国にトランプ大統領が出現し、世界が混沌とした状況に否応なく巻き込まれることになった現代において国家を考えなくなった役人が多いことは正に国家の危機と言える。

役人として名を遂げたが1冊の著書も書かなかった人物に興味をもったのは何時ごろか記憶にはない。しかし、最初に名前を知ったのは田中角栄が唱えた列島改造論の作成者としてであった。その人とは、下河辺淳だ。既に故人だが、私が二度目に名前を聞いたのは勤務している会社が管理していたビルのテナントが賃借室内に下河辺淳メモリアルを設置した時だ。この時にもそれほ興味を持った訳ではなかった。そして、昨年にある懇談会で総合研究開発機構の理事さんと話す機会があり、下河辺氏が同機構の理事長を務め、今でも惜しまれている存在であることを知った。

そこで改めて下河辺氏の人物をインターネットで調べたら東京都生まれなのに出身が私の故郷の茨城となっており、これ程の人物なのに同郷の私が知らないのが不思議であった。下河辺氏は著書を出さなかったので、何かないかと探したら資生堂の福原義春氏との対談本があることを知り購入した。しかし、購入後私の中では優先順位が決して高くなかったので数か月放置していた。今回手にした動機は受託している世田谷区内のマンション管理組合の会合が夜8時に開かれることになり、それまでの時間で読める本を積み上げた書籍の中から探したからであった。小冊子の対談本であったが、内容は深く、何故もっと早く読まなかったのか悔やまれた。この中で生立ちが書かれており、父親の仕事の関係で日立と水戸に住むことになり、日立市で小学校、水戸で旧制中学、旧制水戸高等学校で学んだことが茨城出身と勘違いされたものと知った。尤も、下河辺氏の話では、先祖は霞ヶ浦周辺にいた豪族で佐竹に滅ばされて一族は土着したか佐竹に仕えたか下河辺氏の先祖の様に関西まで逃げ落ちたかに分かれたと書いていたので、先祖は茨城であった様だ。

下河辺氏は机上の空論を語る人ではなく、常に現場を見てきた人であったが、日本と言う国土を若き時代には戦後復興、中年には日本の成長を考え、そして晩年には低成長時代の日本の行く末に思いを巡らしたことが良くわかった。下河辺氏を知るほど著書を残してほしかったとの思いが募った。役人時代に現役の官僚は書くべきではないとの思いがあったと対談では述べている。確かに、役人は縁の下の力持ちだ。現役時代に本を書けば本末転倒になってしまう。仕事は後世の評価で決まるものだ。しかし、結果も定まらな内に本を書き、自分が正しいと主張する輩ばかりだ。税金で調査した事柄で書いた本で著作料を得るなどとは本来言語道断であろう。ここまで日本人は落ちてしまったかと嫌になる。

下河辺氏の歴史を学ぶことが未来を知ることだという事は至言である。しかも、下河辺氏の歴史とは1万2千年前の縄文時代にまで遡ることを指摘しているのである。確かに、弥生時代、平安時代と日本は外来の文化を取り入れて日本独自の文化を形成してきたのである。渡来文化は今でいう所のグローバリズムにおけるダイバーシティであろう。少子高齢化社会を迎えた日本は渡来人を受け入れて再度新しい日本分化を作る必要があるとの指摘には反論することはできない。

人の記憶に残り続ける人物とは正に下河辺淳氏の様な人を指す言葉と言える。子供時代から青年時代に掛けて茨城県内で育った先輩として自慢したい。

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