インバウンドか何だか分からないが、日本は制度的には宿泊施設に対しての許可は民泊以前は「ホテル営業」、「旅館営業」、「簡易宿泊所及び下宿営業」の3分類で認可を取った。しかし、現実的には、民泊と競合する宿泊施設として①ユースホステル、②ゲストハウス、③簡易宿泊所、④下宿屋、⑤ウィクリーマンション・マンスリーマンション、⑥民宿、⑦宿坊に種類分け出来る程多様性で溢れている。
昨今、人種的な垣根を超えることをダイバーシティなどと表現されてるが、日本社会はある意味形式主義の国なので、形式を整えていればある意味黙認される傾向が強い。日本人は創造性が欠如しているとかガラパゴスとか指摘されているが、日本人ほど創造性が豊かで柔軟性がある国民は世界的に見ても少ないのではないかと私は思っている。先入観なしで考えれば、日本は地震、台風、雷、火山などの災害が頻発し、然も四季が明確なので、頭が固くては生き延びて行けなかった地域と思われる。上記の宿泊施設は一部が旅館業法で規制された宿泊施設ではないが、競合施設なのは変わりがない。これに次は民泊が加わるのだから一層競争が激しくなる。競争と言えば、この言葉も日本に関しては欧米と比較して競争に晒されていないので考えが甘いと言う指摘も言い古されているが、何の世迷言かと言いたい。
更に、昨今は効率と言う言葉が我意を得たりとばかり跳梁跋扈している。勿論、効率が重要な業界においては必要と思われるので良いが、サービス産業までに効率と言う言葉が入ってくると、"おもてなし"と言う日本的なサービスとの間で整合性が取れるのか疑問が湧いてくる。尤も、民泊レベルの宿泊施設では"おもてなし"など不要と言われてしまいそうだが。効率とは意味が異なるが、日本文化とは本来無駄を究極までも削ぎ落としたものであるので、その意味から言えば効率を超えた世界観を構築しているものと考える。先の競争と言う意味では、日本人は上下大小の区別なく、良いと思ったことにベクトルが一斉に向くので、常に過当競争に晒されてきた。競争などないと言うのは全くの嘘八百だ。過当競争があるからこそ世界に通用する技術が出来るのであり、消費者の目も肥えているから本物でないと継続できない。
欧米諸国は日本は規制で進出できないと言うが、規制で進出できないのは何も海外企業だけではない事を理解していない。国内企業も然りだ。だが、上記の宿泊施設の様に色々な知恵を使って上手くグレーゾーンを探して対応するのである。尤も、この考え方は日本人特有のものと最近まで思っていたら、中国でビジネスを行っている方と話をしたときに、中国人は上に規制があると下は解決策を講じる国民と聞き、極東アジア文化なのかとも考え直した。
何れにしても、宿泊施設が絶対的に足りないので旅館業を規制緩和して民泊制度を作って対応すると言う触れ込みには疑問を呈してしまう。上記の宿坊などは民泊制度によって今後は大きく施設を拡大する計画があると言われ、思わぬ伏兵が民泊制度にはある。「敵は本能寺にあり」かも知れず、もし民泊を始めるならば日本には既に十分ある宿泊施設があることを念頭に入れて置くべきと心得えて付加価値を取り入れた事業にすることをお勧めしたい。