日経新聞夕刊の食ナビに「茨城県北 つけけんちんそば」について書かれた記事を見た。田舎の年越しそばは"つけけんちんそば"であったので懐かしく読んだが、記事を見ると常陸秋そばをつけけんちんで食べるのは茨城県北の風習だったのかと改めて思った。東京都港区愛宕地区に小さな木造建物で営業していた蕎麦屋では、うどんとそばの合わせ盛りのメニューがあり、これにけんちん汁を別途に注文して食べると格別に美味しかった。残念ながら環状二号線の工事で立ち退きエリアであった為に現在は閉店してしまった。尤も、店の従業員は男女とも全員が創業時から働いていると思われた高齢者であったので、道路工事の立ち退きが無くても閉店していたと思われる。この店は知る人ぞ知る店で昼時には容易に席が取れない程の繁盛店だったので閉店が惜しまれたが、仄聞したところでは従業員全員が親戚で栃木県の益子出身と聞いた。けんちん汁自体は確か鎌倉のお寺の由来と聞いたことがあるので、つけけんちん汁でそばを食う仕方が茨城県北の風習と思われる。我が家のけんちん汁とそばは祖母が作った味なので、祖母が亡くなった今ではけんちん汁は作れてもそばの打ち方は誰も継承していないので二度と味わえない代物となった。そばの打ち方は子供の頃からと大人になってからは年末に帰郷した時に見たものだが、祖母が亡くなった後に見よう見まねで作っても同じ様なそばが作れなかった。新聞で書いていた常陸秋そばを使用した店の様な硬いそばではなく、逆に言えばやわらかいそばであったが、このそばがけんちん汁に良くあった。今思えば少なくてもレシピを聞いておくべきだったと後悔している。そば粉と小麦粉とつなぎに何を使ったのか。体重を掛けて踏んだのは覚えているが、その割にはやわらかいそばだったのも今となっては不思議だ。私のパートナーが打ち方を教わりたいと言った時に出来ないから遣らない方が良いと言ったらしい。推測だが、聡明な祖母だったので私のパートナーが覚えたら祖母に変わって毎年多くのそば打ちを遣らざる得なくなることを慮って教えなかったのかと思われる。今回のブログは日経の記事を見て年末でもあったので、懐かしい祖母の"つけけんちんそば"を思い出しました。