個人レベルの専門家利用の少なさで被害拡大

日本人の考え方は単一民族の同族意識からか多様性のある宗教的な許容性から来るのか知らないが、重要な意思決定に際して余り専門家を利用しない。勿論、専門家と言っても「法律関係」、「税務会計関係」、「建築土木関係」、「情報関係」など国家資格を有する者と、国家資格ではなく「民間の任意資格」を有する者、更には「知識経験」を有する者などに分かれるが、企業レベルでは専門家の意見を聞くのは必須なのに、個人レベルになると意思決定に専門家を使わないケースが多い様だ。最近の不動産投資における不祥事には貸し手の金融機関が絡んでいるので金融機関のチェックで十分と思っているかもしれないが、大きな勘違いである。私の経験では貸す事に注力している金融マンは担保物件の評価が甘くなる傾向が強い。日本が米国との情報技術で負けたのはソフトの価値を評価できなかった為だ。弊社の業務の建築設計でも作品に対する価値は低く、設計料なども安く抑えられる。良い建物を造るには設計デザインや設備設計などソフトであり、工事に伴うハードは結果だ。喩としては良くなかったかもしれないが、専門家の意見は良い不動産を取得する為に必要なソフトと考えれば分かりやすい。専門家の意見を聞くことで、安く購入出来たり、将来のリスクを軽減できれば安い買い物になる。日本人は和歌や俳句など風雅に言葉遊びをする国民なのに見えるものに価値を偏重するのは解せない面がある。特に、台風、地震、火山と言った災害の多いエリアなので、本来は物に執着しない民族だったと推定される。多くの古書には儚さを書いた文言が多い。しかし、近年、物に執着する人が多くなったのは、明治維新以降の近代化と戦後の豊かな米国を目指した国家造りに影響かもしれないが、それならば逆に専門家の意見を重視する米国の様にならないのは何故かと考えてしまう。若い世代は専門家、特に弁護士を使う傾向にあるが、建築士などに対しては、設計業務には利用するが、収益不動産に関しては、会計士などの利用に止まり、建物自体にまでは考えが及ばない。何れにしても、専門家を使う事でリスクの軽減や価値を再評価できる可能性が高いので、被害者に成る前に専門家に声を掛けることをお勧めする。

違法建築となって完成目前のマンション「建築確認」取り消し

東京都文京区に建築中であったファミリーマンションに関して避難階段の設置問題で東京都建築審査会では違法と判断して確認認可を取り消したことに対しての東京地裁の裁判で「不服請求棄却」の判決が出た。建築基準法は柔軟性があると言うか解釈余地がある法律なので過去には行政庁の建築主事に依って解釈が異なるケースもあり、提出先が違えば許可されないケースもあった。この為、設計事務所や建設会社やデベロッパーは行政庁に事前に相談して設計企画を進めたものであった。規制緩和で建築確認申請などが民間の会社で行えるようになり、従来の行政庁に申請するより建築基準法に関して柔軟性がある民間会社に申請が多くなったのは仕方がないのだが、民間会社となれば経営と言う観点から審査も判断することになり、違法性に関してグレーな建物も増えてきた。今回の取り壊し命令を出されたマンションも民間会社に建築確認申請を提出して審査を通過したものであり、確かに駐車場の出入通路を避難通路と設計したのは、1Fに到る急勾配を考えると審査が甘いと言えば甘かったのかもしれない。デベロッパーなどは購入土地価格の高かった分を建築で補填しようとする傾向があり、問題建築が出現する。勿論、建築確認審査が行政庁の専管業務の時代には、グレーな設計企画で建物を造ることは難しかったので、土地自体に作為した方法が多かった。例としては、マンションなどの駐車場の土地を建物完成後に転売して検査済み証を得てから違法建築になるケース、建築敷地の敷地の一部を借地し、建物完成後に借地部分を所有者に返すケースであった。悪質なケースもあり、建築確認申請提出の図面と違う図面で平気で建築してしまう建築主の存在だ。流石に設計士は違法となるので、施工監理は受けないで建築工事に関しては知らないとの立場を取った。これが通用した社会的な背景として経済的損失を理由に完成目前の建物に関しては、取り壊し命令を出さない慣習だった。今回のマンションに関して改善などで妥協することなく取り壊し命令となったのには、近年の災害の発生の頻度もあり、住む人の安全を無視した設計に鉄槌が降ろされたと思われる。何時大災害が起きるかもしれない日本列島にあって建築基準法法上の避難階段や消防法関係の設備に関しては従前より厳しい対応となることが予想される。心すべきことと思われる。

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