新型コロナで問われる公衆衛生を思う

公衆衛生の考え方は英国でコレラかペストが流行った時に制度化されたものと理解しているが、台湾では新型コロナウィルス対策で担当したのは日本の様に感染症の学者や医師ではなく公衆衛生部門のスタッフで、責任者は獣医学部や歯学部出身者であったと書かれている本を読んだ。丁度その時に、NY在住の友人が推薦してくれた新型コロナウィルスに関して書かれた本を読んだのだが、その主人公のコロナウィルス研究の世界的な権威者の日本人は北海道大学の獣医学部出身とのことだった。公衆衛生に携わる責任者やウィルス研究に邁進する人は医学部出身と思い込んでいたが、年齢を重ねて思い込みが激しくなったと反省した。尤も、日本で感染症対策で知られるのは医師で政治家であった後藤新平なのだが、そもそも公衆衛生に関しての知識不足が思い込みの原因と思った次第だ。翻って、日本の新型コロナウィルス対策の専門家委員会の人達は殆どが医師やウィルス研究者で構成されており、台湾とは構成が違うので、当然に対策も違っていると思われる。台湾は日本の植民地になるまでは疫病の島と呼ばれていたほど病原菌等が蔓延していた島であった。その島が衛生的に良くなったのは、後藤新平が8年の歳月を掛けて行った公衆衛生のインフラ構築であったのは周知の事実だ。その思想を生き返らせたのは、民進党の蔡政権であると推定される。台湾の新型コロナ対策にはITを駆使したのだが、効果の根底には国民総動員の考え方があり、実は日本人が戦後の台湾で貢献したもう一つの事実が蘇る。読む本をネットで渉猟していた時に旧日本軍人が蒋介石の要請で戦後の台湾軍組織化に協力していた本に興味を持ち読んだので、台湾の総動員の仕組みは日本が戦前に作っていたもののコピーと推定した。蒋介石はアメリカ軍の支援ではなく、旧日本軍の協力で台湾軍の統制を目論んで成功した様だ。この事実は秘密裏に進められたので長い間知られずに来た様だが、旧日本軍人の協力者のリーダーは岡村寧次と言うエリート軍人で、暗殺された永田鉄山と陸軍士官学校同期で、三羽烏と言われた一人であったことを以前に永田鉄山の本を読んで知っていたが、その人物が戦後の台湾軍の強化に協力していたとは世の中の不思議さを感じる。蒋介石が戦争終結時に中国に居た日本軍と日本人に対して「以徳報怨」を持って日本人を帰国させたことに感動した優秀な日本軍人達が参集したので、日本の自衛隊創設以上に旧日本軍の思想を継承した台湾軍が出来た様だ。話は脱線してしまったが、新型コロナに対する対策には公衆衛生の業務を担った人達の考え方が必要なのに、日本は違った方法で感染症の抑え込みを行っているので、大丈夫なのかと言う懸念を持った。勿論、日本は生魚を喰う国民なので、衛生的な考え方は無意識に持っており、生活様式も欧米と異なり、靴を脱いで部屋に入るので内部に病原菌を持ち込む確率は低い。この為か、政治家も官僚も国民の自発的な対応に甘えて対策に優柔不断さが目立っている。今回も習近平来日と東京オリンピック開催が迫っていたので、対応が後手後手になっている。それでも医療崩壊が起きずに済んだのは幸運しか言えないと思うが、安倍政権が経済優先で、その結果の高い支持率だったことも感染症対策に及び腰だったと思われる。後を継いだ菅政権が規制改革や中小企業改革を前面に打ち出して来たが、先人が作った公衆衛生の遺産で日本が安全安心な生活だったことを忘れて間違った改革を進めると痛いしっぺ返しにあう懸念を思わせる。国民は再度公衆衛生に目を向けるべきと思われる。

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