表題の対象者は田中角栄と江副浩正の二人である。田中角栄の場合はロッキード事件で有罪判決を受けたのだが、田中角栄は米国に逆らったので葬られたのであり、えん罪との見方を主張している人達がいる。この議論に百歩譲って米国に仕組まれたことを認めるにしてもロッキードから金を受け取ったのは事実であり、何の為に受け取ったかは議論の余地がない。尤も、法的な問題に言及すると、贈収賄的な行為に直接結びつく具体的な証拠があるのかと言われそうだが、総理大臣の権限は大臣や無任所の国会議員とは違うのである、日本独特の忖度は暴力団に関しては厳しく処罰される法律があるのに政治家に適用されないのもおかしな話だ。話は横道にそれたが、ロッキードから金を貰った事実から目を背けて米国の支配から脱する英雄として評価するのは片手落ちである。過去に聞いた話として新潟県内の工事に関しては民間の工事にまで金を請求する田中角栄と言う人物だ。政治に金が掛かる時代だから仕方がないと犯罪を認めたら法律など誰も守らない。確かに、田中角栄と言う人物は政治家として抜き出ていたのは確かだが、私見では功より罪の方が多かったと思われる。罪は何でも金の世の中にしたことであり、官僚に金を覚えさせた張本人だ。中国の鄧小平が白でも黒でもネズミを捕る猫は良いと言ったが、その結果中国は経済成長を遂げたが、一方では汚職が続出し、見えないリスクを抱え込んだ。田中角栄と言う行動力抜群の政治家を今の時代に望む人達には金融資本主義の時代に金権主義の弊害が見えてないのかと憤りを感じる。次に、江副浩正については、現代のデジタル社会を予測した人物として再認識されており、リクルート事件として世間を騒がせた新株ばらまき行為はえん罪と言わないまでも今なら無罪になったと主張している人達がいる。私は江副は成功した人材広告業に関しては門外漢なので分からないが、多額の借財を抱え江副が居なくなっても会社が存続し借金も返済して事実を見る限り、起業家としては評価できると思われる。しかし、私の事業である不動産業に関して言えば、江副が造ったリクルートコスモスは不正で大きくなったのを見ている。リクルートコスモスの錬金術は簡単な手法だ。高い価格で土地を買っても容積率の緩和を受けて購入以前以上の価値を生み出していたのである。時には、容積率緩和を受けるのを失敗して2層分の空間があるビルも見ている。容積率緩和を受けるには行政側に対して見返りが必要であり、賄賂性が高いビジネスだ。森ビルの2代目社長が東大時代の先輩で知り合いだったので、不動産に対する価値の生み出し方を教わったか見たと推測する。そういう意味で田中角栄も江副浩正も刑務所の壁の上を歩いていた男だ。その事実に目を瞑り、事件に巻き込まれなかったら日本は失われた20年もなく、デジタル社会で世界に先駆けていたと夢想するのは間違った考えと思われる。勿論、二人が逸材であったことは否定しないが、死んだ子の齢を数える様な訴え方は無意味と言わざるを得ないし、良い推定ばかりでなく、もっと悪い事件を起こしたかもしれない。何れにしても犯罪者を美化する風潮は終末論の類だ。