民主主義は第二次世界大戦後に日本に導入されたと理解している人が多いと思われる。しかし、民俗学者の宮本常一「代表著書(忘れられた日本人)」は足で全国を調査して回った時に集落の人々が民主的な手法で物事を決めている事実に驚いたそうだ。最近読んだ「経済学者達の日米開戦」では日本が勝ち目のない米国との戦争に何故突き進んでいったのかを説明している。その中で軍人達は陸海軍を問わずに米国の経済力を把握しており、その研究も進められていたのだが、問題は明治憲法にあったと指摘している。明治憲法は首相に権限を与えていない合議制の仕組みであり、強力なリーダーシップを持って政治を動かすのが難しかったとのことだ。勿論、天皇制なので、天皇が拒否権を使えば戦争を止めることはできるのだが、天皇制は基本的に追認するシステムであり、拒否した場合にはクーデターによる天皇を変えることも可能性としてないわけではなく、事実、昭和天皇はそのことに怯えていたことが宮内庁の側近の記録によって証明されている。誰もが戦争に消極的だったが、結果的に開戦を決めたのは、民主的な手法の合議制と言えるからだ。何故、この様なことを書いたかと言えば、新型コロナの感染症の対策、東京オリンピック1年先送りの現状について、何も決めてこれなかったと思われて仕方がないからだ。大阪府知事がパチンコ店のクラスター危機を叫んだり、東京都知事が飲食店の運営にだけ強調してクラスターのリスクを指摘するが、1年後の現在でも感染経路に関しては不明確であり、科学的なデータを駆使しての説明が皆無だ。日本が重傷者が少なく、感染拡大も欧米ほどではなかったのでワクチンの供給に関して後回しになったのは当然なので、本当に東京オリンピックを開きたいならば、中国からワクチンを大量に買い付けて早くから国民に摂取すれば、現在の状況にはなってはいなかったと思われるからだ。開催2か月前になって感染症の拡大にストップが掛けられない状況下では、国民の東京オリンピック開催中止もやむを得ずとの声も大きくなって来ている。しかし、ここでも違約金4000億円の支払いが発生するので、誰も積極的には中止を言わない。正に決められない政治だ。残念なのは、大会委員長の森元首相がいないことだ。彼は千駄ヶ谷の新国立競技場の建設に対して金額的に高いと指摘されたときに、高々4000億円と言った人だから中止の時の金額も4000億円で国民の安心を得られるなら安いものだと発言する可能性があったと思われる。尤も、先を見据えての辞任劇かもしれず、真相は藪の中だ。日本社会は外見的に同族と見えるが、実際には多くの地域から渡来してきた人達の集団なので価値観が人によって大分異なる。この為、争いを避けるために聖徳太子は、"和を持って尊し"を前面に掲げたと推定され、近代的な組織の労働組合でも物事を決める際には根回し、「雄弁は銀、沈黙は金」と言った格言が重要視されてきたのだと思われる。一見合理的な民主主義的な合議制の決め方は、非常時には決められない問題が生じるマイナス面もある。決められない日本を卒業しないと世界から取り残される。