企業経営も政治家も官僚も成功した指導者は危機意識が高い人だと言われる。危機意識が直面する難題に対して克服するエネルギーを生み出すのかもしれない。確かに、事業における創業時は何時倒産かと言う環境の中で危機意識があり、その危機エネルギーが不可能を可能にする力になると思われる。勿論、新規事業などのすべてが危機意識で成功する訳ではないが、楽観視した意識では何事も成功に結び付くことはないと断言できる。ある企業の監査役が若い取締役に対して必要以上に大騒ぎすると指摘していたが、これも危機意識の差であると思われる。何処の企業も監査役には現役を終えた経験者を迎えるのだが、業務執行から離れると危機意識が少なくなり、若い業務執行の取締役が意識した問題案件の将来に及ぼす影響に対する懸念を理解できなくなるのかもしれない。翻って、日本国の菅首相について指導者としての危機意識を見てみると、新型コロナ(COVID-19)対策や横浜市長選で判断する限り、現役を退いた経営者と思われるほど危機意識が低いと思うのは私だけであろうか。私が学生時代に社会人の方と将棋を指したことがあった。私が将棋に強いわけでも好きな訳でもなかったが、お互いに時間があったので将棋を指すことになったのである。この将棋は私が完敗したのだが、この時に社会人から私の敗因を指摘されたことを菅首相の新型コロナ対応で思い出した。正に敗因の理由は攻めと守を中途半端にして臨んだことであった。新型コロナで難しいのは経済対応と言えるが、新型コロナの沈静と経済に対する影響を出来るだけ少なくすることは、二律背反なのは誰でも分かることだ。新型コロナに対する楽観論が中途半端な対応になり、結局は両方とも叶えられない結果となる。菅首相は若くして政治家の秘書となり、その後地方議員から国会議員になった人であるので、事業化の様な危機意識はないと思うが、政治家は選挙に落ちたらタダの人になるので、危機感は少なからず醸成されたと推定される。尤も、何回も当選を重ね、政治家としても要職に就けたので、上記の監査役の様に金銭的にも恵まれて危機意識が希薄になったのかだ。馬齢を重ねても金銭的に不安定な場合には危機意識はなくならないと思われるので、最近の政治家や官僚や企業経営者が危機意識が少なくなったのは恵まれている為かと考えて仕舞い、それ以上に国家観がないのかもしれないが。