韓国、中国の経済成長に関しては日本を真似て始まった。経済モデルは日本だった。勿論、韓国と中国は経済成長の開始時期が異なるし、政治形態も違ったので日本を真似たと言っても大きな違いはある。韓国の場合は、軍事独裁政権が対峙する北朝鮮に勝つために国を豊かにする必要性があり、米国の保護下で資金を日本に求めた。世界的に植民地に対する賠償責任など有り得ないのに日本が応じたのは米国の要請と国防の観点から韓国の経済成長が欠かせないと判断したのではないかと推察される。一方、中国は共産党政権を維持する為には国家の経済的な豊かさが必要との認識から経済力を蓄えた日本と国交を回復して資金の調達を確保した。日中戦争終結時の中国の政権であった蒋介石国民党が戦争に対する賠償金を放棄していたので、その後の中国を支配した共産党政権では戦争賠償請求は難しいと判断して無償と有償の経済協力金を得る実利的な選択をした。中国の経済成長は二段階に分かれるが、一段階の時には企業の債務不履行があり、日本企業はダメージを受けている。しかし、天安門事件以降は積極的に投資を行ったのは日本だけであったので、日本企業の進出は多くなり、企業も多くが日本企業に学んだ。中国は韓国と異なり、二段階目の経済成長時に日本のバブル経済崩壊を見ている為にその研究を行っている。バブル経済の発生と崩壊には米国の金融政策が絡んでいることを見抜いており、新自由主義の経済がハゲタカファンドと裏表であることも研究している。しかし、上海出身の江沢民は米国に親近感を持ち日本を敵視教育を進めたので、米国との対立の芽は生まれなかった。その後の胡錦涛は親日的な傾向があり、日本と中国の交流が深化したが、その時に起きたのが尖閣諸島問題であった。東京都知事の石原慎太郎が仕掛けたのだが、中国嫌いの石原が米国の加担して日中の対立を画策したと推察される。米国の誤算は次の習近平が米国に対する危険性を持っていることを分析できなかったと思われる。習近平は日本の小沢一郎と交流の機会があり、米国の他国を支配する方法を聞かされたと推定される。習近平は米国留学した多くの中国人学生が米国のCIAに資金援助などを受けている事実や思想的な洗脳を受けていることを日本の事例を参考に学んだと思われる。江沢民との決裂は正に米国を信用する江沢民に対する危機感と思われる。前段が長くなったが、習近平は開放された経済を進めて行くと日本と同様に経済バブルの崩壊が起きてハゲタカファンドにより企業が食い物にされることを察したと思われる。既に政権中枢までに米英の手が入り込んでいるのに驚愕してと考えられる。その後に大きく方向転換を行ってきたが、腐敗汚職摘発による政敵の駆除に時間が掛かり、企業の支配下に漸く踏み切った時に今回の大手不動産の経営危機が起きたと推定される。正に時間との勝負であったが、軍事的な活動に目を逸らして国内の企業体制を強化する途中であり、その終息に興味が持たれる。現時点の情報では大手不動産の資産を他の国策会社に購入させて軟着陸をさせる様な方向だが、別な大手不動産の危機も流されて来ており、過剰な借り入れで急成長してきた不動産会社の危機が連鎖反応する可能性もあり、国際的な金融危機を招かないで終息させることが出来るのか興味がある所だ。一つの答えとして習近平が唱える"共同富裕"だ。お金を溜め込んだ金持ちに不動産を買わせることを条件に企業の活動を保証するものだ。富を多く吐き出した人ほど今後の企業活動を保証される暗示は中国の救世主になれるのか。今後の行方に興味がある。上記の内容は私の全く個人的な意見であるので、SF小説的に読んで頂ければと思う。
廃業のお知らせ
取引先の設計事務所の所長さんから廃業のお知らせが届いた。先代社長の時に専ら取引していた事務所であるが、当社の社員旅行やゴルフコンペに参加していただいていたので、仕事以外の相談事などで私の代になってからも所長さんが時々訪ねてきてくれた。10年以上前にお会いした時に事務所を閉める話をしていたが、その後も仕事を続けていた様だ。私が20年以上前に外貨取引ファンドを行った都市銀行のOBの人にオフィスの一角を提供していたので、当社の取引先にもファンドの案内状を送付していたからか、私も外為に詳しいのではないかと勘違いしての外貨預金の信託投資の相談であった。相談事は円高になると投資が損する仕組みが分からないと言った内容と記憶している。外貨ファンドの投資と輸入の円高有利が区別付かない質問であったが、私の知識も相談を受けるには不足していた。所長さんは年齢とともに仕事量も減少してきたので留保している資金を投資に回したい意向であった。81歳まで仕事を続けて来たのを思うと投資も成功したのかと推測した。お知らせには1979年に事務所を開設して42年が経過し、年齢も81歳になり知力体力とも衰えを感じたのでと書かれていた。昔ならば引退していた年齢だが、高齢化社会と医療技術の発達で81歳まで仕事が出来たのは幸せで喜ばしい事だと思った。私の若い頃、取引先銀行のコンサル会社の研修で、後継者の問題が取り上げられたことがある。この時には、65歳が経営者の衰えの境であり、その前に意見の対立は避けた方が良いと指摘していた。確かに、当時は65歳になると記憶が弱くなり、役員同士で同じ話を何度もしていた記憶がある。健康は個人差があるが、今の高齢者は元気なのは確かだ。私も生涯現役を唱えているが、伴侶の介護もあり、先行きは不透明だ。人の賞味期限は声を掛けられる内は大丈夫な様なので、知識の更新をしながら知力体力の維持を続けたいと思う。