末期がんになった写真家の言葉が書かれている記事を目にした時に30年以上前に難病になった友達のことを思い出した。その友達とは大学時代の親友の縁で知り会い、卒業数年後に父の創業した建築設計事務所に転職した時にその友達が設備設計事務所に勤務していたことから親しくなり、彼の結婚式の司会を依頼された。この為、彼の奥さんからすれば私の存在を重要視したと思われる。友達は子供3人に恵まれて幸せな生活を送っていたが、突然に難病である不治の病に罹り、医師から余命が宣告された。親友から彼の病気を聞いたので当然にお見舞いに行く考えであったが、親友がお見舞いに行ったときに彼が泣きながら"俺がどうしてこんな病気になるんだ"と言われたので可哀想で見ていられなかったとのことであった。親友からお見舞いには行かない方が良いとの助言を受けたので、元気な姿を見せるのは良くないかもしれないと考えてお見舞いには行かなかった。1年も経たずに彼は亡くなったのだが、お葬式にも外せない用事があり参列できなかった。葬式に参列した人から奥さんが私がお見舞いに来てくれなかったことを恨んでいたと聞いて愕然とした。後悔先に立たずとの言葉もあるが、家族とってはお見舞いが力になるのかと思い知らされた。その後に仲間と一緒にお墓参りをしたのだが、墓碑を見て如何に彼が家族に愛されていたかを知った。今更と思われるのを覚悟で奥さんにお見舞いに行かなかった理由を認めた手紙を送った。年月が経ち、父親がやはり不治の病に罹り入院した時に父は親しい人達の見舞いを断ったので、病気になった時に会いたくない場合もあるのではないかと再び考えた。しかし、冒頭の写真家の方は気休めの言葉を吐くお見舞いなどは受けたくないが、ただ顔を見せて静かに話を聞いてくれるお見舞いには心を打たれると書いていた。今になって初めて病気になった人のお見舞いの心得なるものを理解した。親友に可哀想で見ていられないと聞いてもお見舞いに行くべきだったと悔やまれた。彼が涙を流しながら理不尽さを訴える言葉を黙って聞いてやれば良かったのだ。彼の奥さんはそれを願ったのだろう。友人に嘆くことで彼は死出の旅に向けて準備が出来たのだと思われる。今になって悔やまれる。