利率の高い金融商品で元本減少リスクのないものはないのだが、勧誘のレトリックで元本が保証されてるかの様な錯覚で株式の投資信託を購入し損失を出している高齢者が多いようだ。最近の事例だが、「この投資信託は日経ダウ平均が4000円以上下落しないと元本割れはない。過去10年を見る限り4000円以上下落していません」と、更に駄目押しで「この金融商品は毎月配当が得られます」との説明を聞いて購入したそうだ。ところが今回の株式の下落は「4000円以上」となり、購入した高齢者は元本の3分の2を失う結果となった。確かに、勧誘者は嘘を言ってはいないが、「過去10年」に限定した株価の現象説明が問題であろう。ご存知の通り「過去30年」に遡れば「4000円以上下落の事実があるからである。どうも金融商品の販売にはこの種の話が多い。不動産もリートと言う小口化の金融商品になると胡散臭い面が出てくる。昨年9月の金融商品取引業法の実施で消費者が保護される制度の確立がなされたと見る向きが多いが、その反面には投資スキームが狭められて中小企業の会社の投資商品の販売が難しくなっている。大手企業が仕組んだ複雑な金融商品より遥かに運用面で分かりやすい不動産の商品が実質的に排除されてしまった。何のための消費者保護かと言いたいが、所詮現場を知らない行政の限界が見える。今回の物価高は年金生活者をリスクの高い金融商品に導くものと思われ、比較的安心な国内不動産に対する投資を不思議な金融引き締めで崩壊させている意図が見えてくる様な気がする。
今朝のTV報道で地価が下落傾向にあることを流していた。これは公的機関の調査によるもので今は3カ月毎に地価の動向を調査して国民に知らせるシステムとなっている。行政と言うのは一回制度が出来るとどの様な状況でも実施に拘る習癖がある。今の経済状況で地価の下落情報がどの様なマイナス効果を与えるのか考えていない事に腹が立つ。財政難と言いながらこの様な経済情勢が悪化してきている時に無用な調査費を使って公表するのは言語道断である。百歩譲って地価情報を公表するなら住宅地域だけとし、商業地域などの地価公表は行う必要がないことを理解すべきである。本来、土地は購入者自身の価値判断で決めれば良い事で、誰もが仲良く同じ価値を共用する類のものではない。土地を全て投資として考えさせるから可笑しくなるのであり、同じ土地でもその上で行う事業によって当然に価値が異なるのに何故統一した価値に帰結させるのであろうか。住宅であっても然りである。誰もが「成城」や「田園調布」に住みたいと思うわけではない。住みたいと考えるだけの人の価値でしかないのが土地である。それを投資として喧伝するから土地の騰貴が起こるのである。況してや、行政が此処の土地は高いよ、此処の土地は安いよと公表して自然な取引に介入することは、街の再開発に歪みを生じさせる原因にもなってしまう。財政難の今日、余計な予算を切り、財政を健全化する事が行政の責務と考えろ、と言いたい。
当社の本社が所在する東京都港区虎ノ門1丁目のアーバン虎ノ門ビルでは大地震などの災害に備えて「非常食糧」、「医薬品」、「生活用水」、「簡易トイレ」などを備蓄している。この備蓄は、「阪神・淡路大地震」の1995年に開始されたので、今年で13年目となる。最近、新聞で森ビルの六本木ヒルズで防災設備を備蓄している事が報道されたが、アーバン虎ノ門ビルは他のビルに先駆けて行っている。なお、アーバン虎ノ門ビルの宣伝になるが、当該ビルではこの他にもテナントに対するビル情報の提供をビルのホームページで行っており、ビルに対する各種届出に関してもWEB上で出来る管理システムを10年前に開始している。これ等のアイデアは10年以上前に当社が提案し実現したもので、この他には8年前に大型ビルでは初めてとなる出入管理(施錠・開錠)に「指紋照合設備」を導入した実績もある。これ等は当社が設計事務所であり、またデベロッパーとしての建物造りと完成後に建物管理を行ってきた経験から他社に先駆けて行う事が出来たものである。昔から満足するビルを造れるのは3棟目になってからと言う格言があるが、確かにビル造りには多くの経験が必要であることを実感する。特に、現代は多くの新しい技術が生まれてきているので、いまビル造りに携われる人は羨ましい限りである。
独立行政法人「都市再生機構」なるものがある。この組織は住宅公団から始まってその後他の公団との合併を繰り返して生きながらえている。当初の目的は国民の低所得者層に住宅を提供すると言う素晴らしいものであったが、途中で役割が終えたにも拘らず民間デベロッパーと競合する分野で生存している。もし、この組織を生かすなら「都市再生機構」でなく「地方地域再生機構」と思えるのだが、地方地域は事業採算性が乏しいためか民業を圧迫する都市部の開発を対象としている様だ。事業に高級賃貸マンションの建設などがあるが、記憶ではバブル経済時代に高所得者層の住宅供給に乗り出している。この分野は公的な組織が行わなくても良いのにも拘らずである。国会でもその必要性に関して何も議論されないのが現状である。尤も、政治屋がこの様な組織に利権を見出しているのかもしれないが。国民の知らない場所で役人と政治屋が結託して税金を食い物にしている構図が浮かび上がる。この様な存在を許し、先進国に例を見ない3万人の自殺者を顧みない行為は天罰に値するであろう。
今年11月28日から「新しい建築士制度」がスタートする。この制度は建築士の構造偽造事件に端を発して制度の見直しが行われた結果である。この制度の見直しは、役人の失態を民間に転化する以外の何物でもない事は承知の事実である。先の事件は犯罪である。建築士の知識不足や経験不足などから起きた事ではない。一番の原因は、建築基準法の改正で民間に建築確認審査の委託が可能となった審査期間の制度やシステムに問題があったからである。私は民間に建築確認審査を委託すること自体を否定するものではない。問題は小泉政権時代に民間に委託するに際しての検討を十分に行っていないために起きた事件であると言う点である。建築確認の内、「意匠」、「設備」に関しては民間委託でも良いが、構造に限っては役所でも建物の大型化によって審査が困難になってきていたにも拘らずその事を無視して審査能力が劣る民間に「構造」の審査まで委託した事である。尤も、国土交通省はそれに気付いていたから「構造ソフト」を開発を民間に委託して構造設計士にその使用を半ば強制したのである。しかし、この結果はご存知の通り、ソフト自体の欠陥によって構造偽造事件が発生し、マンション販売業者に対する社会的な信用不安が起きたのである。今回の事件で改善しなければならないのは建築士制度ではないのである。その前に民間審査機関の会社に対する査察の強化やスタッフの審査能力などの研修強化制度の確率である。また、「構造審査」に関しては別途現在設置されている建築関係の財団法人や独立行政法人に再委託するシステムを構築すべきである。今回の構造偽造事件により構造審査に硬直性が生まれ、自由な発想による建築物の設計に支障が出てきている。役人の責任逃れの制度の確立が民間の自由な発想を縛り、高コスト化に繋がれば何のための建築確認の民間委託化と言うことである。今回の新建築士制度が役人の天下りの増加に繋がる事は目に見えており、事件を逆手に取った自己増殖である。このため、本末転倒な建築士の講習だけで建築犯罪を防止できない事を知るべきである。