最近、来春卒業の学生に対する採用内定を取り消した会社に対して非難の声が聞かれる。確か数年前迄は就職が卒業までに決まらない学生の比率が高かった時には企業に対して雇用を確保しろと言う声はなかった様に思われる。実際の所、就職が決まっていない学生自体もいると思うが、それ等の学生に対しては一顧さえもしない。グローバル社会と言われてから多くの学生が卒業までに就職できずにフリーターとなったケースは珍しくなくなったのにである。今風に言えば、採用取消になった学生は企業の見る目がなかったと言う事で自己責任の範疇である。マスコミからすると、早く企業から内定を取り付けていない学生など眼中にないということであろうか。我々の就職活動時にも第一次、第二次オイルショックの波に襲そわれ、自宅待機を余儀なくされた仲間が多くいた。自宅待機といえば期待が持てそうだが、実際は採用内定取り消しと同様であった。此れに対して当時は何の支援もなかった。何も就職難は今に始まったことではない。非正規労働者に対する問題も然りである。グローバル社会では欧米諸国と同様に非正規労働者制度を拡充しないと輸出競争力が落ちてしまうと騒いだのはマスコミであろう。それが一転して非正規労働者の契約打ち切りに対して声を上げて非難している。この非難はまともな様に聞こえるが,円高と需要減に対応しての企業行動に対して非難することは此れまでの主張とは相容れない。日本のマスコミは日本及び日本人のためでなく、海外のインテリジェンスから日本弱体化の広報を受託した存在であるとしか思えない。"勝ち組"などと言う最悪な言葉を生み出したのもマスコミであった。負け組みの親を持った家族を考えた事があるのかと言いたい。景気の変動は資本主義社会である限り否定できない事実であるので、問題は不況時に対する国家の弱者に対する保護機能であろう。更に言えば、不況時こそ新しい政策を実施できる機会であるので、大胆な政策転換を図るのが政治の責任と考える。しかし、それを行うような政治家がいない今の日本は悲劇である。