金融自由化で経済再生を行った英国が金融危機で奈落の底へ

経済の低迷で英国病と言われたのを、金融自由化と行政改革で国家再生が成功したと思われていた英国だが今回の金融危機で通貨安を招き経済危機が深刻である。英国は国土が狭いながらも大国として君臨できたのは過去の植民地時代の遺産もあるが、国民が贅沢をしない質素な暮らしぶりも背景にあった。しかし、金融自由化後の英国は消費大国へと変貌を遂げて食事ひとつ取っても贅沢になった様だ。金融は人間の体からすれば血液に相当する重要な要素だが、遺伝子異常と言われる癌も又血液の塊であると言われる様に過剰になると問題が生じるのである。今回の金融バブルも実体経済と懸離れた金融が一人歩きをして世界中に豊かさを齎したが、癌によって健全な組織細胞が破壊されたと同じ様に、過剰な金融商品で成長した経済が信用の収縮によって簡単に破綻してしまった。金融自由化で他の国々より恩恵を受けただけ英国では今回の金融危機に対してはダメージが強く、虚像を払拭した後の経済再生は大変と思われる。金融自由化でのリスクの分散や軽減が、実際はリスクを増大していたと言う愚かさは笑えない。日本も行政改革で独立行政法人への移行など英国に習った政策を行ったが、この政策も金融自由化で資金の調達を外部に求め易い環境を前提としていたら厄介な問題(公共サービスの低下)を引き越すのではないかと懸念される。

 

過去10年の政治は内需拡大の必要性に反した政策であったのが金融危機で分かった

今から20年以上前に日本経済は内需拡大策に転じた筈であったが、今回の金融危機で分かった事はグロバール経済に巻き込まれた輸出至上経済と言う先祖がえりであった。小泉と竹中の政策は一見すると小さな政府を目指し、規制緩和の民需による景気回復シナリオと言われて来たが、実際は財政再建を優先しただけの政策であり、景気回復に見えたのは米国発の金融バブルによる恩恵で輸出が増大したからであった。本来行う必要があった内需拡大による景気回復シナリオは、財政再建の御旗で公共事業の縮小や地方に対する補助金の削減のために消えてしまっていた。マスコミを含めた小泉・竹中支持者は、非正規雇用制度などの改革で国内から海外への工場移転が行われなかったので評価しているが、この制度のために内需主導の制度改革が等閑にされ、今回の金融危機による輸出の大幅な減少で必要以上に株価が下がるという事態になっている。然も、準備不足で行った規制緩和が不正の温床となり、逆に規制が強化された建築業界などに今後起きるマイナス効果も懸念されている。行政改革と言いながら単に役所の整理統合と独立法人の設立だけであり、実態は何も伴ってはいない。道路公団や郵政民営化も国民のためでなく、石油特別会計の一般財源化と財政投融資に使った郵貯の後始末が目的のために今後色々な問題が起きてくると思われる。100年に一度と言われる世界的な大不況の到来に地方経済を破綻させ、内需拡大の経済を怠って国民を苦しめさせることになる政治家の責任は重い。

日本国の機能不全

ソマリア沖に海上自衛隊を派遣する事に対して国内法に縛られている馬鹿な政治家を見ると、江戸時代末期の徳川幕府の様に機能不全に陥っている姿とダブって来る。政治家が役人になってしまった悲劇である。勿論、派遣される海上自衛隊の隊員の安全に対して配慮することは重要だが、新しい法律を作らないと何も出来ないと言う考え方がお粗末である。尤も、ソマリアの海賊については何年も前から起きていることなのに何等の事前対策も行ってきていない事に驚かされる。日本には国会議員が何人いるのであろうか。選挙に関係ない事は何もしない政治家ばかりと思える。日本は平成鎖国とも言える状況に陥っている様だ。今の政治家は官僚を非難するが、ソマリアの海賊の様な問題は政治家がリードしないと役人は動けない筈である。政治家が遣るべきことを遣らないから役人に馬鹿にされるのである。役人任せの政治を行っていて役人批判もあったものではない。国会議員の権限を再度認識して高い報酬に見合った働きをすることが先である。選挙時に新人以外は公約でなく実績を開示するべきである。何も行っていない政治家は選挙で選ばなければ良いのである。野党だから何も出来ないと言う詭弁は通用しない。

We can change !

米国のオバマ新大統領の言葉だが、昨今の混迷した世相においては心に響くものがある。先週末にNHKが放映した40年前の東大の安田記念講堂と日大の各学生闘争に参加した当事者の学生達のその後の人生を追跡したドキュメンタリーを偶然に見た。今の若い人たちには何等の感慨も呼び起こさないだろうが、この闘争時に学生生活を送った私としては感慨深いものがある。バブル経済時の不動産業界には学生運動に参加した闘士が多くいた。学生運動を行って逮捕されるとまともな就職が出来なかったために、身上書に余り拘らない歩合制の不動産営業の業界に飛び込んだ人達だ。不動産業界紙の記者もその辺の事情に詳しかったので、取材時には学生運動時に属していたセクトを聞かれたものである。純粋な学生運動が次第に過激的な思想に染まり自滅していったのを見ているが、今日ではロシアや中国が資本主義経済に取り込まれたのを境に思想的対立から宗教的対立に変化しているので、多神教を許容する日本社会に育った若い世代のエネルギーは何処に向かうのかと考えてしまう。特に、日本の政治家を見ていると殆んどが政策の勉強せずに政争に明け暮れている姿を見ると絶望的である。この様な時代にこそ若い世代の力が必要なのだが、我々の世代の時の様な反権力の激しい怒りが生まれていない様だ。不動産業界も今は金の亡者だけが跳梁跋扈しており、社会に対して何らかの貢献すると言う経営者は少なくなった。尤も社会全体の価値観が"お金"になったのだから仕方ないかも知れないが、"We can change"を最も必要としているには米国でなく日本と思える。
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